声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

スポーツに学ぶ

2013-01-04 10:55:59 | 自衛官時代の想い出
元日の実業団駅伝に続き、
昨日の箱根駅伝も見どころ満載でしたね。

早稲田の田口くんと帝京の熊崎くんのゴール直前のデッドヒート、

繰り上げスタートまで30秒、タイムリミット直前で必死にタスキを渡そうと走った上武大の平迫くん、

脱水症状で順位を落としフラつきながらも、何とかアンカーにタスキを渡そうと走り続けた明大の松井くん、

こういう時に私がいつも考えるのは

( この瞬間から、私が代わって走ってあげたい )

…です。

勝者も敗者も泣いていましたが
私も、つい貰い泣き…。(。-_-。)

印象に残ったのは
30年ぶりに総合優勝した日体大の別府監督の優勝インタビューの時の言葉です。

「自分は昔、痙攣でタスキを繋げる事が出来なかった、その悔しさが忘れられなかった…。」

挫折感を味わった選手時代の経験があったからこそ、
チームを優勝に導くことができる有能な監督になれるのだろう…、
そう思いながら監督の言葉を聞きました。

スポーツは様々な教訓を与えてくれますね。

私は子供の頃、小児喘息で小学4年生まで体育の授業は見学していたので
スポーツは苦手ですが、
少しでもいいから、何かスポーツをやれば良かったと思う事は過去に多々ありました。

特に自衛官時代は、体力の限界を何度も感じました。

朝霞の体育学校のグランドでは、
毎日オリンピックを目指す体育学校の隊員たちが精進している姿をみることができますが、

このグランドでは、婦人自衛官教育隊の体力試験も行われます。

昨年8月29日のblog
「出世の条件」にも書きましたが、

婦人自衛官教育隊でも期間中にここで体力試験が行われますが、
暑い最中の持久走は地獄でした。

炎天下、グランドを何度も周回するのです。

フラフラしながら

( もうダメだ、もう限界…もうムリ…)

と思いながら走っていると後ろから

「おい、頑張れ!頑張れ!もうちょっとだぞ。」

と声掛けをしてくれたのが東京オリンピック重量挙げの三宅さん(三宅宏美さんの父上)、当時は三等陸佐でした。

意識朦朧とした状態で・・

( どこかで見たことがあるなぁ…)

「あっ!」

と気付いて、停まりそうになった私を彼は笑いながら追い抜いて行きました。

励ましの言葉が、嬉しかった想い出です。

自衛官時代、私は体力不足で何度も
挫折しましたが、

それでも、あの頃身に付いた筋力が
今も随分役立っています。

但し、筋肉は使わないと一年に1mmずつ無くなって行くそうです。
これから、如何に筋力を維持して行くかが課題ですね。



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