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声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

こゆきちゃん

2021-10-15 13:13:00 | Diary
一昨日のこと、

いつものように窓辺で寝ているHalの目を盗むかのように

庭に面したウッドデッキの上を、
小さな仔猫が、恐る恐る歩いていた。

体調わずか15cmほどの痩せた生後1、2ヵ月くらいだろうか…

床下の住猫“シン・ユキちゃん”とそっくりのキジ猫だ。


どうやら、
シン・ユキちゃんが産んだらしい…。

父猫はタカハシさんちに入り浸っているシロクロちゃんか?

自然環境の厳しい、
我が家の周辺で見かける猫といえば、
シロクロちゃんとシン・ユキちゃんくらいだ。

そういえば、
最近のシン・ユキちゃんは、

1日に何度も来て、玄関の前でミャーミャー鳴いて餌の催促をする。

近づくとシャーッと私を威嚇し、
たまに引っ掻くくせに、
餌をねだる時だけ甘えた声を出してくる…。

先代のユキちゃんが交通事故で死んでから、1匹で生きてきたシン・ユキちゃんは警戒心が強く、

先代のユキちゃんのように懐いてくれない。

小さなキジ猫だったユキちゃんが産んだのは、
このシン・ユキちゃん1匹だったのか、

それとも産んだものの育たずに死んでしまったのか…
トンビやカラスに拐われてしまったのか、
理由はわからない。

なぜか、
我が家の床下には代々、猫が1、2匹ずつ棲みついているらしく、

今は二代目のシン・ユキちゃんと、
夏の終わりに生まれたらしい仔猫がいる。

この仔猫を
私は、“こゆきちゃん”と名付けた…


こゆきちゃんを初めて見つけたのは、先週の日曜日だが、

ここ数日、外に出て来て我が家の周辺を歩き回っているようだ。

夫は見かけたら写真を撮っておいて欲しいと言っていたが、

こゆきちゃんは私の姿を見ると、素早く逃げる。

この前は、ベランダの奥から下の空き地に飛び降りるのを見たが、
万が一、道に出て交通事故にでも遭ったら大変だ。

まだ母猫のお乳を飲んでいるのだろうか?

昨夜も、母猫のシン・ユキちゃんがどこかへ出かけていたのだろうか?
夜通し床下からミーミーという鳴き声が聞こえていた。

Halの散歩の時は、

「Halちゃんが出るよ〜!」

と、床下の住猫に大声で言ってから玄関を開ける。


Halに出会わせないように気をつけながら、
今は、そっと見守ってやるしかない。

無事に育ってくれれば良いが…









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秋枯れ

2021-10-15 10:53:00 | Diary
昨年庭に植えたヒメシャラの苗木が
いつの間にか枯れていた…

火曜日の午後、夫の叔母の連れ合いの葬儀に参列した。

彼のことを、なんと呼んでいいのか分からず、夫がそう呼んでいたように私も“ひろしさん”と呼んでいた。

心臓にペースメーカーを入れていたと聞いてはいたが、
あまりにも突然の訃報に私は驚いた。

が、

それ以上に驚いたのは告別式でのこと、
親族代表の長男が挨拶で明かした病名だった。

あの女子水泳選手と同じ…

だが、
抗がん剤治療は受けなかったらしい。

QOLを考えた事と「もう歳だから…」が理由らしいが、
私には、それだけではないように思えた。


ひろしさんは叔母の看病を17年間続け
昨年その叔母を看取った。

叔母にとっても、ひろしさんにとっても、
お互いが無くてはならない存在だったはずだ。

叔母を看取った後で役割を終えた…と、思ったのかもしれない。
病気が発覚した時も、もしかしたら叔母のところに早く行きたいと思ったのではないかしら…。



「7月の末に畑で採れた西瓜を持って来てくれた時は、いつもと変わらなかったよ、
でも、珍しく新しいシャツを着て小綺麗にしていたねぇ」

義母は、ひろしさんの病名にさほど驚きもせず、話を続けた。

「いつもハーちゃん(叔母の愛称)から、着る物は幾らでもあるんだから、ちゃんとしなさい!って叱られていたから、何か思うところがあって新しいシャツ着てきたのかねぇ」

義母が生前のひろしさんと会ったのは、その時が最後だったと言う。

真面目で寡黙な人だった。

ひろしさんは、叔母が亡くなった後もひとりで畑に出て黙々と野菜づくりに勤しんでいたらしい。


私と義母は、
自宅療養中だった叔母を見舞うために、度々、夫婦の家を訪れた。

ひろしさんは、いつも車椅子の叔母に言われるがままに甲斐甲斐しく動き、
私と義母にお茶やお茶菓子を出して、もてなしてくれた。

小一時間滞在する間に、
湯呑みのお茶が半分くらいになると、すぐに継ぎ足してくれる…

叔母から、「茶葉を替えて」

と言われると黙って、茶葉を入れ替えて、また私と義母の湯呑みに、お茶を入れてくれる…

とにかく、まめな人だった。

叔母といる時のひろしさんは、ほとんど喋らずに、
私や義母に話しかける言葉といえば、

「よかったらどうぞ」
と、お菓子を勧めてくれる時ぐらいだが、

一度だけ、
ひろしさんから声をかけてくれた事があった…

あれは、私が退院して間もない頃だったか
いつものように義母と一緒に叔母を見舞うと、

珍しくひろしさんから、

「身体の調子はどうかね?」と嗄れた小さな声で訊いてきた。

「おかげさまで、大丈夫です」
と答えると、

いつもの穏やかな笑顔で頷いた。


次に話したのは叔母の葬儀に参列できなかった私が、初七日に訪問した際だ。

ひろしさんは、少しやつれていたが
長男のお嫁さんと一緒に、私を仏間に迎え入れてくれ、
長かった叔母の闘病生活の事を話してくれた。
あの時のひろしさんは気が張っていたのか、別人のように、しっかりとした口調でよく話してくれた。


ひろしさんの告別式は30人程度のこぢんまりした式だったが、

かつての仕事仲間は、
「若い頃から真面目で仕事が終わると一目散に帰るんだよ」と言い、

誰もが
「真面目でよく働く人だったねぇ」

そう言って、ひろしさんを偲んだ。


いつも、畑で作った農作物を届けてくれた。

今年の夏にもらったひろしさんが作ったスイカは、とても甘かったが、

夫と食べながら、
「ひろしさん、大丈夫かなぁ」
と話した事があった。

仲の良い高齢夫婦の場合、
妻に先立たれると2年以内に夫も亡くなる…

そんな話を聞いた事があるが、

夫の伯父夫婦も
今回の叔母夫婦も、そうだった…。

「後を追うように…」と誰かが言っていたが、
ひろしさんは自分で納得して
人生を終えたのではないかな…

もっと生きていて欲しかったけれど、

それはそれで、
かっこいい人生の終い方だと、

私には思えてくるのだ。




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