声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

防災遺構

2015-08-15 22:30:05 | Diary
石巻から45号線を通って南三陸町へ移動…




南三陸さんさん商店街は仮設の商店街です。

本物のモアイ像を観てみようと立ち寄りました。




お昼時で、お盆休みを利用して訪れた観光客で賑わっていましたが、特に人気があるのは2500円のウニ丼です。


ここだけ見ていると活気もあって順調に復興が進んでいるかのように見えますが


私の頭の中に、拭いきれない疑問が湧きました。

( あの町は、今どうなっているのだろう…)

うっかり見過ごしていた事に気がついたのは
震災の記録をパネル展示しているコーナーで震災前と震災後の町の全景を映した写真を見てからです。

当時、避難場所だった志津川高校の位置を確認した後、

すぐさま引き返すと

そこには、膨大な量の盛り土をした広大な工事現場が拡がっていました。

その中に見覚えのある、鉄骨の三階建ての骨組みだけになった赤茶色の建物があったのです。

最後の最後まで町の人たちに、女性職員が
避難を呼びかけた場所です。





町は、ようやく土台となる盛り土ができつつあるところでした。

盛り土の高さから、かつてのような海に面した町のイメージとは、程遠い印象ですが

この盛り土の上に
新たな南三陸町が造られる…ということなのでしょうか。

町を土台から造る作業は途方もない時間を要すということです…

私が、もしこの町の住人だったら…

そう考えずにはいられませんでした。






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校庭のひまわり

2015-08-15 16:05:52 | Diary
「終戦記念日の黙祷のお願い」を告げる町の防災放送を聞いたのは

石巻市立大川小学校跡の校庭でした。



あの恐ろしい津波から4年5カ月が経ちました。

校舎の至る所に雑草が生え、朽ちた天井はむき出しになり、

当時の凄まじさを物語っています。




校舎の前では、お婆さんが黙々とたくさんの御線香を焚いているところでした。

きっと、このお婆さんは、
亡くなった子供達を弔うのを日課にしているのではないか…

そんな気がしました。



慰霊碑に刻まれた生徒たちの名前の中に
ご両親が必死に探していた6年生の女の子の名前もありました。

元気でいれば、高校生…

きっと今頃は夏休みで青春を謳歌していた事でしょう。




黒板には
震災の年の3学期始めに書かれたのでしょう

「あけまして、おめでとうございます」

という文字が薄っすらと残されていました。

誰が、その2ヶ月後にこんな惨事が起こる事を予想したでしょうか…



校庭の至る所に、向日葵が植えられています。




こんなに山が近い所にあるのに…

なぜ?

という思いを強く持ったご父兄が多かったという理由が、

実際に訪れてみて、よくわかりました。

今もまだ、4名の子供さんたちが見つかっていません。

















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