天使の図書館ブログ

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手負いの獣-22-

2013-03-23 | 創作ノート
【リリス】ジョン・コリア


 さて、今回は前回も言ってた失敗談について、です(^^;)

 その患者さんは男性で70歳近い年齢のUさんという方でした。体に麻痺があって、あとは痴呆の症状も進んでいたんじゃなかったかなと記憶してます。

 で、Uさんの奥さんはほとんど毎日病院にやって来られるという方で、朝・昼・夜と、時に来られないことがあっても、旦那さんの食事介助などをしてくださるという方でした。

 いえ、週に一度週末だけやって来て、食事介助や洗面などをする……というだけでも、家族には大変なことだと思います。

 それをほとんど毎日欠かさずやって来られるというのは、凄いことだなって思いました。と同時に、食事介助の患者さんが多い時などは、Uさんの奥さんがいてくださるというだけで、本当に大助かりでした。

 あっちの患者さんに前掛けつけて、スプーンを握ってもらって、こっちの患者さんは全介助……なんて朝の忙しい時にやってると、ひとり見なくていい患者さんがいるだけで、本当に助かるんですよね。

 そして、ある日勤が終わりそうな五時過ぎ頃のこと、婦長さんが「ちょっと手伝って」と言って、Uさんの部屋までわたしを連れていったというか。で、何を手伝えばいいんだろうと思ったところ、ベッドの上の布団を下におろして寝てもらおう、ということでした。

 まあ、なんでそんなことになったかというと、最近のUさんは夜勤の時間帯に動かせる体をいっぱいに使って暴れるというか、そういう症状がでてきていたんですよね。その前から、自分で補聴器を踏み潰しておきながら、「俺の補聴器どこだ!?」といったような感じではあったものの、さらにそうした症状が進行しつつあったというか。

 そこで婦長さんとしては、夜中に暴れるような時には抑制帯をつけることもあるし、でも抑制帯をつけるような可哀想なことをするのもどうかということで、それだったら夜はベッドの下の床に寝てもらったほうがいいんじゃないかと奥さんに提案したんですよね。つまり、抑制帯をつけるのは暴れてベッドから落ちたら危険なので、その防止策だったんですけど、最初から床の布団の上で寝ていたら安全だという考えのようでした。

 で、他の職員さんと一緒にベッドの布団を下におろそうとした時、奥さんが涙ぐみながら言ったんですよね。「そんなにテキパキやろうとしないで!!」って。

 普段は気丈に旦那さんの相手をしてる奥さんが、涙ぐんでさえいる……この時わたし、なんだかちょっとおかしいなと思ったというか。

 わたしの心の中では確かに、もうすぐ勤務終了時刻だし、さっさと片付けて帰ろう、みたいな気持ちはあったと思います。それに婦長さんから手伝ってと言われて、言われたとおりにしただけなのに、「テキパキしないで!!」ってどういうことだろうとも思いました。

 まあ、とりあえずそのまま、婦長さんの言うとおりにはしたものの――家に帰ってからも心の中に違和感があって、Uさんの奥さんは何が言いたかったんだろうと考えてました。で、最終的にわたしが思ったのは、その頃Uさんは症状が悪くなってきていたので、旦那さんがベッドの上から下に寝かせられるというだけでも、ショックなことだったんじゃないか、ということでした。

 そしてそのことが「そんなにテキパキやろうとしないで!!」っていう言葉に表れていたんだろうなと思います(^^;)

 あくまでもこれは、今にして思えば……ということなんですけど、病院によく来られる家族の方の中には、病院の職員を信用していないからこそ、自分で食事介助もするし、洗面とか身の回りのこともやろうとする方がいるんですよね。

 Uさんの奥さんがそうだったかどうかはわからないんですけど、毎日病院にやって来て、だんだんに悪くなっていく旦那さんを見るというのは、Uさんの奥さんにとって本当につらいことだったんだろうなって思います。

 なので、わたしが取らなきゃいけなかった態度としては、もっとこう、そういう奥さんの気持ちを汲んであげるような態度っていうんでしょうか。そういうことだったのかなって思います。

 まあ、失敗談というほど大したことじゃないかも、ですけど、毎日寝たきりの人ばかり見てたりすると、ちょっとそういう部分で無神経になったりすることもあるというか(^^;)

 わたしにしても冗談で、「Uさんて暴れるとフランケンシュタインに似てる☆」とか言ってたこともあるので(ひどいよ!)、そういう自分の態度全般について考え直したということでした。。。

 あと、よくその病院に来ていた奥さんで思いだすのが、Aさんの奥さんかもしれません。

 Aさんは半身麻痺で、片方の目は瞬きできるんですけど、片方の麻痺のある側の目は濁りがあって閉じることが出来ないという方でした。

 そして、痩せていてわりと介助しやすいこのAさん、ある時転院することになりました。

 でも奥さんが「本当はずっとここにいさせてもらいたい。家からもここのほうが近くて通いやすいし……」と溜息を着いていたのをぼんやり思いだします。

 なんていうか、入院して三か月過ぎた患者は旨味がない、みたいな話はよく聞いていたものの、その病院では三か月すぎてもいる人はずっといるし、大体似たような症状でわたしが来るずっと前からいるという患者さんも何人かいたと思うんですよね。

 まあ、これからもし機会があったら、脳梗塞で患者がひとり入院したような場合、病院ではどのくらい儲かるものなのかとか、少し調べてみたいと思っています(=ずっといたい病院から転院しなきゃいけない理由についてっていうことですけど^^;)。

 それではまた~!!


P.S.出来ればこんなところで切りたくなかったものの、今回もまた文字制限の関係でやむなくこんなことに(泣)お話としては大分終わりに近づいてきたとはいえ、後日談っぽいものもあるので、もう少しおつきあいいただけると嬉しいです♪(^^)



       手負いの獣-22-

 翼が山田優太、それに館林恒彦の三人で釣りにいった十月の最終週の日曜日――その翌日に、飯島将馬が警察に逮捕された。

 といっても、逮捕された罪状は殺人に関することではなく、贈収賄容疑であった。ロベルティエ製薬及び、ヴァルキサス・グループより、数百万単位の金を都合してもらった角で、逮捕状が出たのである。

 翼はそのことを事前に赤城警部より知らされることはなかったが、自分の言った言葉の影響といったものを考え、飯島将馬には申し訳ないような気はしていた。本来なら逮捕されることなくうまく隠蔽されたままであったろう罪が露見したのは――おそらくそうすることで、院内関係者をひとり捕まえ、殺人に関しても何か知っていることがないかどうかと、聞きだす意図があったに違いないからである。

 眼科医の諏訪晶子が医局で殺され、事務員の金井美香子が事務室で殺されたのちも、K病院では大幅に患者数が激減する、入院患者が転院を申し出るといったことはほとんどなかった。飯島将馬の逮捕により、K病院にまつわる黒い金のウワサといったものが週刊誌記事として書き立てられもしたが、院長は相も変わらず朝礼で「心を乱すことなく、これからも気を引き締めて業務に当たってくださることを望みます」などと、素晴らしい厚顔無恥ぶりで弁舌をふるっていたほどだったのである。

「実際のところ、ひどい話っすよね、よく考えてみたら。人がふたりも死んだってのに、その一か月後にはみんな通常どおりの業務を平常心でこなしてるだなんて。俺もそうかもしんないけど、毎日の仕事の忙しさに追われてると、だんだん殺人事件の衝撃ってのも薄れてきて……自分たち医師の中に殺人犯がいるかもしれないだなんて、あんまり考えなくなってきてるっていうか。というより、そういう自分たちにとって都合の悪い記憶は隠蔽しちゃって、そもそも<なかったこと>にしたいみたいなところがあるんですよね。俺はまわりがそういう態度だと逆に、『おまえら、人として本当にそれでいいのか!?』とか、つい思っちゃうけど」

「結城、まさかおまえから人の道をとかれるとはな」

 長くかかった手術が終わったあとで、茅野は愛妻の作った豪華な弁当を食べているところだった。可愛いリスが夫のクマのために、栄養のバランスまで考えて作ってあるという、三段重ねのジャーに入ったお弁当である。

「ま、今のは冗談っすよ。俺が犯人が本当は誰なのかを知りたいのは、ただの好奇心。医局のバスルームのほうは、あれから清掃業者の人たちがピカピカに掃除していったそうですけど――やっぱり誰も使いたがらないって話ですよね。でも、今は秋だからまだいいにしても、夏場は必要だと思うのは俺だけなのかな。ま、来年の夏くらいになれば、事件の記憶も大分薄れて、気にしないでみんな普通に使ってるかなあ」

「これもまた、ただの噂だがな。仮眠室にはそれぞれの部屋にふたつずつベッドがあるだろう?でも、実際に当直の医師がそこを使う場合は、ひとりで一部屋使用することが多い。だが、諏訪先生の事件があったあとは、一部屋にふたりで寝たりしてるそうだ。確かに、犯人が誰で何が目的だったのかがはっきりしないうちは……気持ち悪い部分があるんだろうな。当直の時には、違う科の大してよく知らない先生と一緒になることがあるから、『もしこいつが犯人だったら』なんて、そんな考えが脳裏をよぎったりすることもあるかもしれんし」

 今、時刻は午後の六時近くである。茅野が執刀医だった、骨盤内臓器全摘術で第一助手を務めた翼もまた、遅い昼食――いや、この場合はすでに夕食だろうか。とにかく昼飯抜きで飢えている胃腸を満たすため、売店で売れ残っていたパンや助六巻きセットなどを翼は口に放りこんでいた。

「茅野さん、茶、足りてますか?」

「ああ。別に気にしなくていい。必要になったら自分で入れるさ」

「まあ、そう言わずに。俺も茶をつぎたすところだから」

 そう言って翼が立ち上がり、電気ポットの湯を急須に注いでいると、コンコンと二度ほどドアがノックされた。

(今時分、誰だろう?)などと思いつつ、「ほいほーい。開いてまっせー」と翼がいい加減な返事を返すと、そこには赤城警部と白河刑事の姿があった。

「ああ、こりゃどうも」

 翼がクマのマグカップを茅野の机に置いていると、ぺこりとお辞儀をしながら、赤城警部が室内に足を踏み入れる。ふたりがアイボリーのソファに身を落ち着けると、翼は彼らに対しても緑茶をふるまってやることにした。

「これ、京都の八つ橋。なんとかいう患者さんがさ、わざわざ茅野さんに診てもらうために京都からK病院にやって来たんだって。ネットって怖いよな~。医者ランキングのコメントに書いてあったことを読んで、人間じゃなくクマに是非診察してもらいたいと思うなんてさ。俺も絶対にかかってはいけないブラックな医者ランキングに入らないように、日々研鑽を積むことにしようっと」

「おまえの場合はあれだな、結城。顔は格好良かったけど、態度がぞんざいで最低な医者とかなんとか、どっかに書いてありそうだぞ。もっとも俺は休日の日にまでネット検索するほど、暇でもなければ自虐的な気分にもなれんがな」

 彩り豊かな愛妻弁当をあっという間にクマは食べ終わり、翼の淹れた茶をずずっと最後にすすっている。翼もまた自分の机に戻ると、カレーパンと助六巻きの残りを、口の中へ放りこんでいた。

「いやいや、なんだかお忙しいところをお邪魔してしまったようで、申し訳ありませんな。ただ、飯島先生が逮捕されたことで、少しばかり捜査が進展しなくもなかったものですから……結城先生の貴重な御意見をお聞かせいただければと思いまして」

「貴重な意見って、おまえ、まさか院内の本当かどうか出どころのはっきりしない情報を、刑事さんたちにリークしてるってわけじゃないだろうな?」

 茅野の言葉が久しぶりに怒気をはらんだものであったため、翼としては亀のように首を竦める以外にない。

「いい加減なことを話してるってことはないっすよ、茅野さん。それに俺、ある程度信頼性の高い情報についてしか、刑事さんたちには話してないし。あと、ちょっと情報源があやふやかなって時には、先にそう注釈して話すんですよ。なんにしても、飯島先生は馬鹿みたいに高い保釈金を院長が積んだことで、釈放されたらしいですね。要の奴、お陰で仕事をほされちまったんですよ。今、院内はそうした状況だから、現在制作中の絵を一階のロビーに飾ったら、それ以降の仕事は延期ということでって、事務長に遠まわしに言われたんだって。ま、ある意味、要に払うはずの金もまた、馬鹿高い保釈金のほうに回されたっていうことかなあ」

「ええ。おそらく裁判では、実刑を食らうことはないと思いますが……それでも、医師のモラルの低下であるとか、そういう方向からのバッシングはこれからも続くと思います」

 赤城警部は溜息を着いて緑茶をすすり、八つ橋に手を伸ばしながら話を続けた。

「飯島先生を拘留中、彼はまさか高畑院長が保釈金を払ってまで自分を助けてくれるとは思ってなかったのでしょうな。取調室に入るなり、知っていることはなんでも話すと言って、実に滑らかな舌でぺらぺらと色々なことを喋ってくださいました。ご自分の家庭環境のことや、腹違いの姉に対して感じていること、また彼女ならば諏訪晶子や金井美香子を殺してもおかしくないということなどなど……他に、自分以外でロベルティエ製薬やヴァルキサス・グループから裏金をもらっている医師たちの名前、高畑院長に恨みを抱いているかもしれない人間のことも、わたしの見たところ、ほとんど一日の内に機関銃のように喋り倒したのではないかと思われます」

 翼は飯島将馬逮捕のことについては、自分にも責任の一端があるように感じていたのだが――今の赤城警部の話で、少しばかり良心の呵責の疼きが薄らいだ。警察には当然警察としての目的があり、思い切ってそのような逮捕に踏み切ったのであるから、そう考えた場合に自分のリーク問題は罪が軽かろうという気がしたのである。

「その、ですな」

 ここで赤城警部はこほん、と咳払いをして、体をひねると茅野のことを見返していた。どうやら翼同様、彼がいると自分の言いたいことのすべてを話しずらいと、赤城もまた感じているようだった。

「刑事さん、俺のことなら心配はいらんよ。何分、クマは人間と違って口が堅いんでな。ここで聞いた捜査情報については、他言はしないと約束しよう。だが結城、おまえは自分で犯人を割りだそうとか余計なことは考えないほうがいいぞ。おまえが善意でやろうとしたことがきっかけで、医局内でまた騒ぎが起こらんとも限らんからな」

「そりゃそうっすよ、茅野さん。第一、流石に俺だって、そんなことまでしてる物理的余裕はないですからね。俺はただ、刑事さんたちから捜査に関する話を聞いて、自分の下世話な好奇心を満たしてるってだけの話です。あとはもうとにかくひたすら、医学に我が身を捧げる献身の日々って奴ですよ」

(まったく調子のいい奴め)と、茅野がそう思っていることが翼には見てとれたが、なんにしても目線によって赤城警部に話の先を勧める。

「では、お医者さん方の守秘義務に信頼をおくことにして話を進めますと、ですな……飯島先生が取調室で話したことによると、自分は愛人の子かもしれないが、そのことで何か引け目を感じたことはないということでした。高畑院長は、本妻との家庭よりもむしろ、自分たちのところにいることのほうに安らぎを感じたはずだと。もっとも、小さい頃には何故父親がずっと家にいないのか不思議だったそうですがね。でも母親の『お父さんは偉いお医者さんだから忙しいのよ』という言葉に、ずっと騙され続けてきたのだとか。そしてそのことが嘘だとわかった時にも――不思議と、反発したりすることはなかったそうですよ。そのくらい、高畑院長は愛人である彼の母親と息子の自分を大切にしてくれたし、経済的な面に関しても十分すぎるほど援助をしてくれたと。ところが逆に、本妻の家庭は常に修羅場だったろうと飯島先生はおっしゃっていましてな。また、彼とは腹違いの兄にあたる、高畑京子先生のお兄さん……高畑悠馬さんが交通事故で亡くなったことが、本妻の家庭にとっては壊滅的な打撃だったのではないかと。その、高畑京子先生は戸籍上は別としても、院長と血の繋がった娘ではないそうです。彼女は高畑院長の本妻の麗子さんが、夫の浮気に腹を立て、あてつけとして生んだ愛人との間の子だったとか。そこで、飯島先生はこうおっしゃっていました。『ですからね、刑事さん。諏訪晶子や金井美香子を殺すとしたら、絶対にあの女ですよ。諏訪晶子は高畑京子の弱味を握るために自分に近づき、ロベルティエ製薬との癒着のことを知るなり、すぐ離れていった。そして金井美香子の夫はあの女の元亭主じゃないですか。俺よりも、高畑京子のことをここへ連れてきて、殺人犯として絞りあげるべきだ』とね。おそらく動揺のあまりなんでしょうが、飯島先生のおっしゃっていることにはまったく論理性が欠けていましたな。何故ならこの言葉で彼は、自分もまた諏訪晶子と関係を持ったと自白したも同然なんですから。そして金井美香子のことに関しては、癒着していたのは自分も同じなわけですからね、高畑先生への疑惑も彼に対するそれも、我々にとってはほぼイーブンなわけですよ。それに、彼もまた殺人事件が起きた夜についてはアリバイがないんです。というより、自分が懇意にしているホステスに、その夜は一緒だったと警察に証言してほしいと頼んだことが、何より警察が彼の逮捕に踏み切った一番の決め手だったといっていいと思います」

「そっか。じゃああと、ヴァルキサス・グループから裏金もらってた医師のリストとかは、まあ俺にはどうでもいいんだけど……他に院長に恨みを持ってる人間なんてのが、院内にはいるってことだよな?」

 阿修羅像か金剛仁王像のように、茅野がこちらを睨む視線を感じ、翼は居心地の悪いものを覚えながらも、やはり自分の好奇心を抑えることが出来なかった。

「その、高畑院長は過去に手術ミスで、ある女性とその家族の一生を台無しにしてしまったそうなんですよ。それも、何か難易度の高い手術というのではなく、さして難しくない簡単な動脈瘤の手術だったそうなんですが……高畑院長は、その患者家族に対し謝罪し、また彼女の夫である医師に対しては、毎月慰謝料を含め結構な給料を支払っているということでした。まあ、これはあくまで飯島先生がおっしゃってることなので、十分な裏付けを取る必要があるんですが、彼はK病院にいるこの十年の間、父に対する恨みつらみを養い育ててきたのではないかと……その手術が失敗した女性というのは、ここからそう遠くない海辺の療養所で暮らしておられるそうです。なんといいますか、この女性は認知症ではないのですが、認知症のかなり進んだ症状と、状態が極めてよく似ているらしく……今は大分落ち着かれたそうですが、以前はよく錯乱しては徘徊したり、自殺未遂を繰り返しておられたそうですね。これもまた、飯島先生の言い種なんですが、妻が療養所にいる間、ずっと女っけなしでやってきて、金だけはたくさんあるとしたら、浮気しない男がいるかと、こう言うわけです。彼は諏訪晶子と関係を持つも、絶えず男を変える彼女に嫉妬心を抱いて殺し、毎月振り込まれる多額の給与に不審を抱いた金井美香子にも、何か神経に障ることを言われて彼女を殺害したのではないかと……とりあえず、我々は『形式上のこと』として、それぞれの事件の夜のアリバイを聞いてみたところ、彼はその日は妻と一緒だったとおっしゃるんですな。月に二度ほど、奥さんを療養所から連れて来て自宅で一緒に過ごすのだと……残念ながら、これではアリバイとは言えません。何故なら、奥さんに強い睡眠薬でも飲ませてからK病院の医局へやって来た可能性もなくはないでしょうから。そこで、我々は困ったのですよ。わたしの上司などは飯島将馬がペラペラと色々なことをしゃべりまくったことに気を良くし、医者というのはインテリで社会的地位を重んじるから、保身ためならどんなことでも話すだろう。だから次は高畑京子か院長に恨みを抱いている医師のことでも連れてこい、と……そこで、まあ、その……」

 腕組みをしたまま、じっとこちらを睨みつけている茅野とは目を合わせず、赤城は救いを求めるように翼に視線を転じた。

「高畑院長に恨みを抱いてる医師って、ようするに内藤先生のことだろ?」

 翼がそうズバッと言ってのけると、茅野は驚いた顔をして腕組みを解いていた。実をいうと、茅野は妻のヴィーナスにせがまれて、結婚以来煙草を吸わなくなっていた。ゆえに、翼ほど内科の内藤聖司とは親しくもなければ、さして話をしたこともなかったのである。

「どんなことにも絶対ってことはないけど……でも俺、内藤先生が犯人とは、俄かには信じ難いな。時々喫煙室で一緒になった時に話すって程度で、何がわかるって言われてしまえばそれまでだけど……あの人は、なんかこう、もうすでに達観してるんだよ。内藤先生は内科医かもしれないけど、外科医が医者やってる間にはそういうミスを犯すこともあるだろうってわかってる人だと思う。もちろん、それが自分や自分の身内に降りかかったら、当然許せないし、こんな馬鹿なことがあるかと、院長のことも相当恨みもしただろう。でもそれでいったら、遠まわしに諏訪晶子を殺したり、金井美香子を殺すより、公衆の面前で出刃包丁でも持ってきて、高畑院長をブッ刺すっていう、内藤先生はそういうタイプだと思うな。それじゃなくても、奥さんのことで色々心労の重い人なんだから、警察にしょっ引いていくなんて、ひどいことだと思うよ」

「いえ、飯島将馬の場合とは違って、今回はあくまで任意の同行……」

 そう赤城警部が言いかけると、ずっと口を噤んでいた茅野が、明らかに顔色を変えてその言葉を遮った。

「こんなことは俺も言いたくないんだが……内藤先生はガンなんだ。二か月前にそのことがわかって、別の病院で手術を受けることになってる。ステージⅢの大腸ガンでな、一日も早く手術したほうがいいんだ。担当の医師は高畑先生なんだが、俺も少し相談を持ちかけられてな。高畑先生は自分か俺が執刀するのがいいんじゃないかと考えていたようだが、本人はどうしてもK病院では手術を受けたくないと言い張っていて。だが、その理由がたった今、わかったような気がするよ。もし内藤先生が自分の先は長くないと悲観し、長年の恨みを晴らすべく、今度の事件を起こしたのだとしたら……」

「次のターゲットは院長っていうことか?」

「いや、わからん。それに、俺が思うには、この場合の容疑者はひとりではないということだ。今、内藤先生の息子さんがK病院に研修医としてやって来てる。山田先生の下で働いているはずなんだが、金井さんが殺された日は、彼が当直だったし……いや、でもやはり違うな。彼は真面目ないい子だから、そんなはずは……」

(今は真面目ないい子が一番やばいんだって!!)という言葉を飲みこみ、翼はいてもたってもいられず、内線で七階の緩和ケア病棟へ電話をかけた。



 >>続く……。





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