フェリックス・ヴァロットン(オールポスターズの商品ページよりm(_ _)m)
(※キリスト教に関する考察を含んだ記事です。キリスト教に対してアレルギーのある方などは、閲覧は自己責任にてお願い致します)
「花子とアン」、とうとう歩ちゃんの亡くなる週がやって来てしまいました
以下は、「アンのゆりかご」からの抜粋となりますm(_ _)m
――9月1日、震災からちょうど3年の同じ日。道雄は6歳の誕生日を目の前にして、忽然と世を去ってしまったのである。疫痢は大正10年代から戦前まで、猛威を振るって日本の子供たちを襲った。発症して2日ほどで死ぬ劇症のものもあり、死亡率も高い。
弔いの日、「すべては神のみこころだ」と聞かされた時、花子は、心の中で反発し続けた。
神にみこころがあるのならば、何故罪のない幼い生命が断ち切られねばならなかったか。何故、血を流さんばかりの祈りが聞き入れられなかったのか。
神よ、我はかかる痛手に耐えうる勇者にあらず、離れ去りたまえ。
花子は告別式のあいだ中、教会の最前列で自分の腕から道雄を奪った神を畏れながらも呪っていた。みこころなんかではない、病気の妻と幼い子供を離れた儆三と、彼らから儆三を奪った花子に対する制裁、ふたりが結ばれた罪の代償なのだ――それは、与えて奪う、あまりにむごい仕打ち。
だが、たしかに自分たちは人を傷つけて省みず、痛みも忘れて幸せに陶酔したではないか。私たちが平安に生きることを神はお許しにならないのかもしれない。これから先の生涯、ふたりが犯した罪の償いとして、この悲しみを背負って生きろと命じられたのだろうか。
ひとり息子を失った花子は立ち上がる気力をなくしてしまった。悲嘆に打ちのめされ、ただ虚無の中に泣き暮らすばかり。
いとしみの六年(むとせ)の夏は夢なれや うつつはひとつ 小さき骨がめ
そのひとりあればまひるのかがやき そのひとりあらずばぬばたまの闇 いみじくも貴きそのひとりよ そのひとり子今は世になし
九月二十三日
(追悼文集『道雄を中にして』)
百ヶ日を過ぎたあたりから、少しずつ花子の心に変化が起こる。絶望の底で、ふと心の耳に聞こえてきた言葉があった。
「神はその独り子を賜うほどに世を愛し賜えり」
聖書のヨハネ伝3章16節である。
幼い頃から、数え切れないほど読みもし、聞きもした言葉が、最愛の道雄が帰らぬ人となった今、初めて、現実味を持って花子の胸に迫ってきたのである。
神は愛する独り子イエス・キリストを救世主として人の世に送るほどに、人を愛した。
独り子を与えて惜しまない「愛」とは?
(「アンのゆりかご」村岡恵理さん著/新潮文庫より)
太字の部分はわたしが太くしたところなんですけど、実はわたし、最初にここを読んだ時には、「神はその独り子を賜うほどに世を愛し賜えり」……村岡先生にとっては何故この聖書の御言葉が響いてきたのかが、実はよくわかりませんでした(^^;)
けれど、二度目に読んだ時、「もしかして、こういうことかな」と思ったことがあったので、今回はそのお話をと思いますm(_ _)m
そのためにまず、少し長いかもしれませんが、「ヨハネの福音書」の第1章を先に引用させていただきますね。
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人のいのちであった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
【中略】
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。
(ヨハネの福音書、第1章1節~5節、9~14節)
キリスト教の神は<三位一体>の神であって、第一人格としての神は御父であり、そして第二人格としての神が「ことば」でもあられるイエス・キリスト、第三人格としての神が個々の信者に与えられた聖霊なる神……ということで、この<三位一体>ということは、人間の限りある知性によってではよく理解が出来ない奥義といっていいと思います。
わたし自身、実をいうと今回「アンのゆりかご」を読んでいて初めて感じたことなのですが、正直、<神の子>であるイエスさまを十字架に磔にした御父なる神って、ちょっと冷酷な方ではないか……と思うことが以前はありました。
何故といって、いくらそれが全人類を霊的に救う道であったとはいえ――<神の子>としての自分の息子が十字架にかかって死んだことにより、御父の全人類に対する罪への怒りは宥められた……ということですから、それをほとんど黙って静観していた神さまって、やはり人間には理解できない冷酷な神……という印象がなんとなくあったのですよね。
けれど、村岡先生は御自身の子を亡くされて初めて、御父の深い愛がわかったということでした。ドラマ中に、龍一さんのお母さんの浪子さんが「母親にとって子供を失うことは心臓をもがれるよりもつらいことよ!」とおっしゃるシーンがありましたが、そことの繋がりでいうと、御父が御子をこの世に与えたということは、神さまが御自身の心臓そのものを与えたといっていいほどの愛だったのだなと、一信仰者としてはそのように思ったというか(^^;)
そして神の第二人格である<ことば>でもあられる方がイエス・キリストなのですから、村岡先生にとってはその<ことば>を訳するという過程において、ある種の神秘というか、秘儀のようなものすら感じることがおありになったんじゃないかな、と想像したりするのですよね。
詩人になろうとは思わない
耳を持つことの方がすばらしい
魅惑され 力を奪われ 満ち足りる
それは尊ぶべき許可証だ――
なんて恐ろしい特権なのだろう
その技術を身につけ
もしわたしが自分自身の気を失わせるとしたら
旋律の稲妻でもって!
(エミリ・ディキンスン詩集『続・自然と愛と孤独と』中島完さん訳/国文社より)
これはエミリー・ディキンスンの詩の一節なのですが、わたしも彼女の詩を少しばかり辞書を引き引き訳したことがあって、<旋律の稲妻>というのは、とてもわかる気がしたことがありました。
つまり、原語だとこういうことなんだ!とか、日本語の訳ではわからない韻が巧みに踏んであることを理解したりとか、そうしたことがわかった瞬間に、パルピテーションという以上の、それはもう<旋律の稲妻>としか呼びようのない歓喜というか喜悦のようなものがあるんですよね。
神さまというのは、そうした素晴らしい喜びといったものもたくさんくださるけれど、それと同時に、苦しみや悲しみといったものも同様に与える方であり、そうしたことから人間はある程度<教訓>や<訓練>を受けるにしても、それがあまりに度を超したものであると、村岡先生と同じように「神よ、我はかかる痛手に耐えうる勇者にあらず、離れ去りたまえ」と言いたくなるというか。
けれど村岡先生は、道雄ちゃん(歩くん)を失うという悲劇を通して、イエス・キリストを世に与えた御父なる神もまた、これほどまでに苦しまれたのだ……そう感じ取れるようになったことが、愛児の死から立ち直るきっかけだったのかなと思いました。
そして、村岡先生の生涯とモンゴメリの人生は重なるところが多いと思うのですが、「赤毛のアン」の作者であるモンゴメリもまた、ふたり目のお子さんを死産によって亡くしているのですよね。
梶原由佳先生の「赤毛のアンを書きたくなかったモンゴメリ」によると、
実際に書きはじめたのは、翌1914年4月18日だが(「アンの愛情」のこと)、その頃ふたり目を妊娠中でもあり、モードの体調はすぐれなかった。ついには執筆期間中の8月13日、次男ヒューを死産してしまう。へその緒が赤ん坊の首に巻きついていたことが原因であった。あまりの衝撃に、もう生きてはいけないとまで、モードは思いつめる。不運は重なるものだ。ユーアンが父親の重病の報せを受け、PEIへと急遽旅立つことになった。わずか十日ほどのこととはいえ、傷心の妻は家に残されて、孤独をかみしめた。体調もすぐれず気弱になっていたモードは、夫がもう自分のもとに戻ってこないのでは、とまで思いつめた。牧師館には、お見舞いの手紙が何通も届いた。赤ん坊は神の御心によって召されたのだ、などと読むと、心が慰められるどころか、胸をえぐられる思いだった。
(「赤毛のアンを書きたくなかったモンゴメリ」梶原由佳さん著/青山出版社より)
「アンの夢の家」で、アンもまたギルバートとの第一子ジョイスを産んでたったの一日で失っていますが、この時の気持ちはモンゴメリ自身のことが投影されているのだと思います。
ドラマの中では、まず歩くんと花子お母ちゃまの想像の翼がシンクロして出来た「雲が自分を犠牲にしてでも人々に与えた愛」といった物語が出てくるのですが、このお話はとても良かったです。原案のほうにあるキリスト教的思想を、別の形で巧みに表現してあるからとか、そうしたことはちょっと脇に置いておくにしても、歩くんを失ったことで、「自分の子」に注いでいた愛情が「日本のすべての子供たちへ」という普遍的な深い愛へと変わっていく……花子のその部分の心理などが、夫の英治さんや他のまわりの人々の支えを交え、とても自然な形で優しく美しく描かれていたと思いました。
私たちは天地の何者にも代えがたく愛していた子供を失いました。それは私の今日までの生活の間に味わった最大の悲痛でありました。
しかも、私は子を失って、はじめて子を愛する道を悟りました。自分の愛が、いかに浅はかなものであったということをも自覚したのです。子を愛すると思いつつも、それは自己の野心の満足を求めていた時もあったのを悟りました。
「我が子」という対象を肉眼の前にもたないで我が子を愛するいま、愛は醇化していきます。そうして、その醇化された愛は私をはげまして、有意義な生活をいとなもうとの理想に導いていきます。
七歳にして、世を去った道雄は私のうちなる母性に火を点じてくれた神の使でした。一度点じられた火は消えません。誇るべき男の子を持たぬ悲しみの母ではありますけれど、一度燃やされた貴い母性の火を、感傷の涙で消し去ろうとは決して思いません。高く、高く、その炬火をかかげて、世に在る人の子たちのために、道を照らすことこそ私の願いです。
美しきものは命短し、短きゆえに、不滅の印象と感激をのこすのです。その印象と感激は悲しみの母に不断の霊感を与えます。
(『若き母に語る』より「うろこのごときもの」)
神が定めた運命に従おう。自分の子は失ったけれど、日本中の子供たちのために上質の家庭小説を翻訳しよう。
花子の中で、ひとりの母としての母性が、広く普遍的なものへと成長を遂げた。
道雄の死は、「小我より真我」をめざす花子の再出発となった。花子は失意のどん底から、家庭文学の翻訳という天職――天から与えられた道――を見出した。
(「アンのゆりかご」村岡恵理さん著/新潮文庫より)
<小我より真我>……凄いですね。
わたしが村岡先生訳の「赤毛のアン」を初めて読んだのは、高校生の時だったんですけど、それでも<自分>というものがまだまだ固まっていない思春期の頃に読んだので、その頃はまだ村岡先生の「偉大さ」のようなものが本当にはわかってなかったと思います。
というのも、子供が母親の愛情を受けても「それが当たり前」と感じるように、村岡先生の訳された言葉に、どのくらい深く自分が影響を受けたのか、まだこの頃はまったく無自覚でした。でも、自分が書いた小説などを読み返してみると、日本語という<ことば>の扱い方というか、そうした点では物凄く影響を受けているのだとわかります。
一冊の本を訳するということは、本当に物凄く労力を消耗する大変なことですよね。けれど、村岡先生は道雄ちゃん(歩くん)を亡くして以後は、そうした作業が大変になるたびに、道雄くんの写真などを見ては「お母ちゃま、がんばりますからね」と、そんな気持ちで翻訳作業にあたられていたのでしょうか。
先週の「花子とアン」のエピソードは、愛児の死を乗り越えるという、とても難しい週だったと思うのですが、もしかしたらわたしの中では、これまであったエピソードの中で一番「成功している」と感じた週だったかもしれません。
ではでは、残りのエピソードはポイントとして大切なところばかりですので、ここからは肝心要の「赤毛のアン」に向けて、目の離せないところばかりと思って、毎週期待して見ていきたいです♪(^^)
それではまた~!!
(※キリスト教に関する考察を含んだ記事です。キリスト教に対してアレルギーのある方などは、閲覧は自己責任にてお願い致します)
「花子とアン」、とうとう歩ちゃんの亡くなる週がやって来てしまいました
以下は、「アンのゆりかご」からの抜粋となりますm(_ _)m
――9月1日、震災からちょうど3年の同じ日。道雄は6歳の誕生日を目の前にして、忽然と世を去ってしまったのである。疫痢は大正10年代から戦前まで、猛威を振るって日本の子供たちを襲った。発症して2日ほどで死ぬ劇症のものもあり、死亡率も高い。
弔いの日、「すべては神のみこころだ」と聞かされた時、花子は、心の中で反発し続けた。
神にみこころがあるのならば、何故罪のない幼い生命が断ち切られねばならなかったか。何故、血を流さんばかりの祈りが聞き入れられなかったのか。
神よ、我はかかる痛手に耐えうる勇者にあらず、離れ去りたまえ。
花子は告別式のあいだ中、教会の最前列で自分の腕から道雄を奪った神を畏れながらも呪っていた。みこころなんかではない、病気の妻と幼い子供を離れた儆三と、彼らから儆三を奪った花子に対する制裁、ふたりが結ばれた罪の代償なのだ――それは、与えて奪う、あまりにむごい仕打ち。
だが、たしかに自分たちは人を傷つけて省みず、痛みも忘れて幸せに陶酔したではないか。私たちが平安に生きることを神はお許しにならないのかもしれない。これから先の生涯、ふたりが犯した罪の償いとして、この悲しみを背負って生きろと命じられたのだろうか。
ひとり息子を失った花子は立ち上がる気力をなくしてしまった。悲嘆に打ちのめされ、ただ虚無の中に泣き暮らすばかり。
いとしみの六年(むとせ)の夏は夢なれや うつつはひとつ 小さき骨がめ
そのひとりあればまひるのかがやき そのひとりあらずばぬばたまの闇 いみじくも貴きそのひとりよ そのひとり子今は世になし
九月二十三日
(追悼文集『道雄を中にして』)
百ヶ日を過ぎたあたりから、少しずつ花子の心に変化が起こる。絶望の底で、ふと心の耳に聞こえてきた言葉があった。
「神はその独り子を賜うほどに世を愛し賜えり」
聖書のヨハネ伝3章16節である。
幼い頃から、数え切れないほど読みもし、聞きもした言葉が、最愛の道雄が帰らぬ人となった今、初めて、現実味を持って花子の胸に迫ってきたのである。
神は愛する独り子イエス・キリストを救世主として人の世に送るほどに、人を愛した。
独り子を与えて惜しまない「愛」とは?
(「アンのゆりかご」村岡恵理さん著/新潮文庫より)
太字の部分はわたしが太くしたところなんですけど、実はわたし、最初にここを読んだ時には、「神はその独り子を賜うほどに世を愛し賜えり」……村岡先生にとっては何故この聖書の御言葉が響いてきたのかが、実はよくわかりませんでした(^^;)
けれど、二度目に読んだ時、「もしかして、こういうことかな」と思ったことがあったので、今回はそのお話をと思いますm(_ _)m
そのためにまず、少し長いかもしれませんが、「ヨハネの福音書」の第1章を先に引用させていただきますね。
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人のいのちであった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
【中略】
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。
(ヨハネの福音書、第1章1節~5節、9~14節)
キリスト教の神は<三位一体>の神であって、第一人格としての神は御父であり、そして第二人格としての神が「ことば」でもあられるイエス・キリスト、第三人格としての神が個々の信者に与えられた聖霊なる神……ということで、この<三位一体>ということは、人間の限りある知性によってではよく理解が出来ない奥義といっていいと思います。
わたし自身、実をいうと今回「アンのゆりかご」を読んでいて初めて感じたことなのですが、正直、<神の子>であるイエスさまを十字架に磔にした御父なる神って、ちょっと冷酷な方ではないか……と思うことが以前はありました。
何故といって、いくらそれが全人類を霊的に救う道であったとはいえ――<神の子>としての自分の息子が十字架にかかって死んだことにより、御父の全人類に対する罪への怒りは宥められた……ということですから、それをほとんど黙って静観していた神さまって、やはり人間には理解できない冷酷な神……という印象がなんとなくあったのですよね。
けれど、村岡先生は御自身の子を亡くされて初めて、御父の深い愛がわかったということでした。ドラマ中に、龍一さんのお母さんの浪子さんが「母親にとって子供を失うことは心臓をもがれるよりもつらいことよ!」とおっしゃるシーンがありましたが、そことの繋がりでいうと、御父が御子をこの世に与えたということは、神さまが御自身の心臓そのものを与えたといっていいほどの愛だったのだなと、一信仰者としてはそのように思ったというか(^^;)
そして神の第二人格である<ことば>でもあられる方がイエス・キリストなのですから、村岡先生にとってはその<ことば>を訳するという過程において、ある種の神秘というか、秘儀のようなものすら感じることがおありになったんじゃないかな、と想像したりするのですよね。
詩人になろうとは思わない
耳を持つことの方がすばらしい
魅惑され 力を奪われ 満ち足りる
それは尊ぶべき許可証だ――
なんて恐ろしい特権なのだろう
その技術を身につけ
もしわたしが自分自身の気を失わせるとしたら
旋律の稲妻でもって!
(エミリ・ディキンスン詩集『続・自然と愛と孤独と』中島完さん訳/国文社より)
これはエミリー・ディキンスンの詩の一節なのですが、わたしも彼女の詩を少しばかり辞書を引き引き訳したことがあって、<旋律の稲妻>というのは、とてもわかる気がしたことがありました。
つまり、原語だとこういうことなんだ!とか、日本語の訳ではわからない韻が巧みに踏んであることを理解したりとか、そうしたことがわかった瞬間に、パルピテーションという以上の、それはもう<旋律の稲妻>としか呼びようのない歓喜というか喜悦のようなものがあるんですよね。
神さまというのは、そうした素晴らしい喜びといったものもたくさんくださるけれど、それと同時に、苦しみや悲しみといったものも同様に与える方であり、そうしたことから人間はある程度<教訓>や<訓練>を受けるにしても、それがあまりに度を超したものであると、村岡先生と同じように「神よ、我はかかる痛手に耐えうる勇者にあらず、離れ去りたまえ」と言いたくなるというか。
けれど村岡先生は、道雄ちゃん(歩くん)を失うという悲劇を通して、イエス・キリストを世に与えた御父なる神もまた、これほどまでに苦しまれたのだ……そう感じ取れるようになったことが、愛児の死から立ち直るきっかけだったのかなと思いました。
そして、村岡先生の生涯とモンゴメリの人生は重なるところが多いと思うのですが、「赤毛のアン」の作者であるモンゴメリもまた、ふたり目のお子さんを死産によって亡くしているのですよね。
梶原由佳先生の「赤毛のアンを書きたくなかったモンゴメリ」によると、
実際に書きはじめたのは、翌1914年4月18日だが(「アンの愛情」のこと)、その頃ふたり目を妊娠中でもあり、モードの体調はすぐれなかった。ついには執筆期間中の8月13日、次男ヒューを死産してしまう。へその緒が赤ん坊の首に巻きついていたことが原因であった。あまりの衝撃に、もう生きてはいけないとまで、モードは思いつめる。不運は重なるものだ。ユーアンが父親の重病の報せを受け、PEIへと急遽旅立つことになった。わずか十日ほどのこととはいえ、傷心の妻は家に残されて、孤独をかみしめた。体調もすぐれず気弱になっていたモードは、夫がもう自分のもとに戻ってこないのでは、とまで思いつめた。牧師館には、お見舞いの手紙が何通も届いた。赤ん坊は神の御心によって召されたのだ、などと読むと、心が慰められるどころか、胸をえぐられる思いだった。
(「赤毛のアンを書きたくなかったモンゴメリ」梶原由佳さん著/青山出版社より)
「アンの夢の家」で、アンもまたギルバートとの第一子ジョイスを産んでたったの一日で失っていますが、この時の気持ちはモンゴメリ自身のことが投影されているのだと思います。
ドラマの中では、まず歩くんと花子お母ちゃまの想像の翼がシンクロして出来た「雲が自分を犠牲にしてでも人々に与えた愛」といった物語が出てくるのですが、このお話はとても良かったです。原案のほうにあるキリスト教的思想を、別の形で巧みに表現してあるからとか、そうしたことはちょっと脇に置いておくにしても、歩くんを失ったことで、「自分の子」に注いでいた愛情が「日本のすべての子供たちへ」という普遍的な深い愛へと変わっていく……花子のその部分の心理などが、夫の英治さんや他のまわりの人々の支えを交え、とても自然な形で優しく美しく描かれていたと思いました。
私たちは天地の何者にも代えがたく愛していた子供を失いました。それは私の今日までの生活の間に味わった最大の悲痛でありました。
しかも、私は子を失って、はじめて子を愛する道を悟りました。自分の愛が、いかに浅はかなものであったということをも自覚したのです。子を愛すると思いつつも、それは自己の野心の満足を求めていた時もあったのを悟りました。
「我が子」という対象を肉眼の前にもたないで我が子を愛するいま、愛は醇化していきます。そうして、その醇化された愛は私をはげまして、有意義な生活をいとなもうとの理想に導いていきます。
七歳にして、世を去った道雄は私のうちなる母性に火を点じてくれた神の使でした。一度点じられた火は消えません。誇るべき男の子を持たぬ悲しみの母ではありますけれど、一度燃やされた貴い母性の火を、感傷の涙で消し去ろうとは決して思いません。高く、高く、その炬火をかかげて、世に在る人の子たちのために、道を照らすことこそ私の願いです。
美しきものは命短し、短きゆえに、不滅の印象と感激をのこすのです。その印象と感激は悲しみの母に不断の霊感を与えます。
(『若き母に語る』より「うろこのごときもの」)
神が定めた運命に従おう。自分の子は失ったけれど、日本中の子供たちのために上質の家庭小説を翻訳しよう。
花子の中で、ひとりの母としての母性が、広く普遍的なものへと成長を遂げた。
道雄の死は、「小我より真我」をめざす花子の再出発となった。花子は失意のどん底から、家庭文学の翻訳という天職――天から与えられた道――を見出した。
(「アンのゆりかご」村岡恵理さん著/新潮文庫より)
<小我より真我>……凄いですね。
わたしが村岡先生訳の「赤毛のアン」を初めて読んだのは、高校生の時だったんですけど、それでも<自分>というものがまだまだ固まっていない思春期の頃に読んだので、その頃はまだ村岡先生の「偉大さ」のようなものが本当にはわかってなかったと思います。
というのも、子供が母親の愛情を受けても「それが当たり前」と感じるように、村岡先生の訳された言葉に、どのくらい深く自分が影響を受けたのか、まだこの頃はまったく無自覚でした。でも、自分が書いた小説などを読み返してみると、日本語という<ことば>の扱い方というか、そうした点では物凄く影響を受けているのだとわかります。
一冊の本を訳するということは、本当に物凄く労力を消耗する大変なことですよね。けれど、村岡先生は道雄ちゃん(歩くん)を亡くして以後は、そうした作業が大変になるたびに、道雄くんの写真などを見ては「お母ちゃま、がんばりますからね」と、そんな気持ちで翻訳作業にあたられていたのでしょうか。
先週の「花子とアン」のエピソードは、愛児の死を乗り越えるという、とても難しい週だったと思うのですが、もしかしたらわたしの中では、これまであったエピソードの中で一番「成功している」と感じた週だったかもしれません。
ではでは、残りのエピソードはポイントとして大切なところばかりですので、ここからは肝心要の「赤毛のアン」に向けて、目の離せないところばかりと思って、毎週期待して見ていきたいです♪(^^)
それではまた~!!
私は、クリスチャンではないので、深い所までは読み解けないですが、牧師の妻だったモンゴメリと、長老教会とは何かと競い合ってたような印象のメソジスト系ミッションスクール出身の村岡花子さんは、作品上とはいえ、出会うべくして出会ったんだなあと思います。
マリラの言ってることが間違いということでもなくて……アンとマリラの間には、それだけの「繋がり」があるからいいと思うんですけど、「亡くなった子には亡くなった子の場所がある」っていうのは、次男ヒューを失った時のモンゴメリの心情そのものだったんだろうなあと思いました
実際の震災後というのは、ドラマで描かれていた以上に色々なことが物凄く大変だったろうなと思うんですよね。会社はなくなるし、弟さんも亡くなり……前妻とのお子さんの死もまた、儆三さんを罪悪感で苦しめ……でも、自分的に儆三さんってやっぱり凄い人だったんだなって思いました。「君に苦労をかけてすまないね。40までには会社を再建するつもりだ。それまで君の世話になるよ。ありがとう」って、本当に(男として)器の大きい人でないと言えない言葉だなあ……なんて思いつつ「ゆりかご」を読んでました(^^;)
今日(火曜日)の花子とアンもとても良かったです♪歩くんが兄やんの作ってくれた鉱石ラジオを聴いていたエピソードがとても生きていて……ここのところの、「最初は断ろうと思っていたげと引き受けた」っていう、花子の決断がとても良かったと思います。
ただ、自分的にこれから<歩文庫>っていうエピソードが出てくるとしたら、やっぱりそこは出来れば<道雄文庫>にして欲しかったなあと思ったりもするんですけどね(^^;)
わたし、アンシリーズを最初に読んだ時はクリスチャンではなかったんですけど、でもべつに物語を読む上で不自由したことは全然ない気がします。テニスンの詩の知識とかもほとんどゼロだったんですけど、松本侑子先生の本をお読みして「そこまでわかるのは凄いなあ」と思いはしたものの、べつにそこまでわかんなくてもいいや☆というくらいの感覚でした(笑)
ただ、最近あらためて「虹の谷のアン」を読みはじめて……結構びっくりしたんです本の中に、メソジスト教会との対立(?)というか、そんな描写がありますよね。あれって、モンゴメリの人生の中にもメスジスト派教会との合併とか、そうした問題が持ち上がったことがあったらしく……モンゴメリの伝記を書かれたモリー・ギレンさんも指摘しているとおり、メレディス牧師のモデルはモンゴメリの旦那さんであるユーアンさんといっていいと思います(^^;)
そう思って読んでいくと、色々と考えさせられるところがあり、「虹の谷のアン」って、わたしが最初読んだ時にはシリーズ中の評価があまり高くなかったものの、今はモンゴメリの人生と照らし合わせると、何か物凄く感慨深いものがある……と思うようになりました。もちろん、その次の「アンの娘リラ」へと続く伏線としては、本当に素晴らしいの一言なんですけど(^^;)
アンシリーズはほんと、何度読み返してもその度に何かしら新しい発見があって、今は「花子とアン」の関係から色々と思うところ・考えるところが変わってきたりと、今ごろ天国でモンゴメリと村岡先生はどんな話をされてるかしら?なんて想像すると楽しかったりww
「アンの夢の家」もまた、べのさんのおっしゃるとおり、「花子とアン」を見てから読むと、ところどころ、胸にこみ上げるものがまた違ってきたりするんですよね
べのさん、いつもコメント本当にありがとう~!!