天使の図書館ブログ

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動物たちの王国【第二部】-40-

2014-04-17 | 創作ノート
【トゥーライツの灯台】エドワード・ホッパー(オールポスターズの商品ページよりm(_ _)m)


 今回でようやく最終回です♪(^^)

 そんなわけで、何を前文に書こうかな~と思ったんですけど、特にこれといって何も書くことがないような

 とりあえず、最初は最後のほうに入れられたらいいな~と思ってて、結局入れることが出来なかったのが、仲村哲史くんのその後と水原さんのことかもしれません。

 哲史くんはK病院の中材を辞めて、翼と雁夜先生の病院で看護師として働くことになるんですよね。なんていうか、てっちゃんは看護師としての仕事自体はとても好きなんですけど、ナース同士の女のドロドロ☆を見て職場が嫌になったという人なので

 でも翼と雁夜先生の病院なら面白そうだと思って、ナースマンとして復帰することになるのでした

 んで、水原さんもまたお嬢こと花原さんのことが大好きなので、十年以上も勤めて結構お給料もいいだろうK病院を辞め、翼と雁夜先生の病院を手伝うことになるという(笑)

 それと、江口の姐さんも「親戚を手伝う」といったような形で、K病院を辞めてそちらへ行くことになるので、こうなるとまあ、人事のことで頭痛いのは当然、宮原総師長ですよね。

 美園もまた、てっちゃんが中材をやめるって言った時に、「じゃああたしもー!!」って手を挙げたみたいなんですけど、彼女のことは総師長が止めたらしく……「あんたまでいなくなったら、オペ室はどうなるのっ!!主任としてもっと責任持ってちょうだい!!」みたいに言われて(^^;)

 他の人材としてはまあ、R医大の栢山先生がK市に引っ越してきて勤めるようになったり、司書のサニーちゃんが医療事務員として参加してくれたりといったところでしょうか。

 というのもこのサニーちゃん、某キツイ事務員さんが突然いなくなった時に、事務室の仕事を片っ端から手伝わされたということがあって。

 その時に某さんの気持ちが初めてわかったというか。「確かにこれだけの仕事量をこなしてたら、それ以下の仕事をしてお医者さんと何やらくっちゃべってる廊下の向こうの女をやりこめたくもなるなあ」みたいに(笑)

 そしてこのことをきっかけにサニーちゃんはその後、医療事務員の資格を取ったりしていて、翼がそのことを知った時に「うちに来ねえか?」みたいに誘ったみたいですね。

 そんなこんなで、翼と雁夜先生の新病院は、これまで物語の中に出てきた登場人物が結構いるっていう感じの場所になるかもしれません♪(^^)

 とりあえずまあ、わたし続きを書く気はないのですが、ここまで長い話を最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございましたm(_ _)m

 それではまた~!!



       動物たちの王国【第二部】-40-

 結城家での食卓とは打って変わって、羽生家でのそれはざっくばらんで打ち解けたものになった。唯の両親は娘から「ちょっと挨拶してすぐ帰る」と聞いていたため、一時的に店を閉めるだけでよかろうと判断していたのだが、すぐに表のシャッターは閉じられ、そこには<本日臨時休業>の札が下がるということになった。

「いやー、こんな立派な人がうちの唯を嫁にねえ。こっちが結納金支払って、のしつけて返ってこないようにしねえと……」

「お父さん、うちには結納金払うお金自体、ありゃしませんよ」

「そんなことわかっとるって。もののたとえだっての」

 唯の両親は割烹着姿のまま、店の座敷に翼と唯のことを通していた。そこにはニラレバ炒めや餃子など、<竜琴亭>の自慢料理がいくつも並んでいる。

「お偉い先生の口に合うかどうかはわかりませんが、ま、良かったらどうぞ」

「どうも」と一礼してから割箸を手にとり、伸びないうちにと翼は真っ先にラーメンをすすった。

「うまいっすねえ。いやいや、K市でこんなにうまいラーメンは食ったことがないです」

(まったく、先生は調子いいんだから)

 唯はそう思って隣の翼を見ていたが、ある瞬間、彼が新品のスーツに餃子のタレを垂らすのを見て、慌ててハンカチでふいた。

「あー、べつにいいってそんなの」

「良くないでしょ。お母さん、この人ね、さっきまでこんな立派な格好してなかったんだけど、やっぱりスーツにするっていって、そこの青山さんでこれ買ったの。馬鹿みたいでしょ?」

「へええ。青山さんでスーツを……」

 唯の父と母は、互いに顔を見合わせて笑った。お偉いお医者先生ではあるが、そのくらい自分たちに気を使ったのだということがわかり、ここでふたりの相好はすっかり崩れた。

「時に先生」と、ビールが三杯ほど進んだ頃に、ただの世間話から唯の父親が話を本筋に戻した。「うちの娘はまあ、こう言っちゃなんですが、色んな意味で先生とは……そのう、釣り合いが取れとりませんわな。にも関わらず、なんでうちの唯が良かったんでしょう?いや、あとになってからのしつけて返されても困るっちゅうのもあるし、世間体だなんだで別れられないとか、そういうのも困りますんでな。先にひとつ、父親として聞いておきたいと思いまして……」

「お父さん!」と唯の母が小声で言い、隣の夫の膝をつつく。父の清司のほうでは「おまえは黙っとれ!」とやり返している。

「お嬢さんは……素晴らしい女性だと思います」

 ここでぷっと唯が笑ったので、今度は翼のほうが彼女の膝を叩かねばならなかった。

「え~と、だからようするにそういうことなんですよ。俺はちょっとこう性格に曲がったところがありまして……最初は、お嬢さんのことが嫌いだったんです。なんでって、一緒にいると性格の歪みが矯正される感じがして、なんとなく好きになれなかったというか。でもまあ、本人に悪気はないと言いますか、そういうことがわかってくるうちに……その、なんていうか……逆にこう、最初は色々誤解もあって嫌いっていうのが、オセロがひっくり返るみたいに、どんどん盤面が白く変わって最後は好きになって……こういうパターンって、実際滅多にないんですよ。しかも俺、自分が洞察力があるとか、変に自惚れた小生意気な小僧なもんだから、最初の自分の思い込みが全部外れたことがわかると、今度は絶対「自分のものにしてやろう!」とか思って。でもこいつ、全然なびかなかったんです。俺も最初の衝突以降唯とはゴタゴタしてたので、こいつのほうが俺のことをなんとも思ってないっていうのもよくわかってて……それで一度諦めたんですけど、それなのに唯の奴が本当に偶然、K病院に来ることになって。俺、馬鹿だからその時も「運命だ!」って、勝手にそう思いました。ところがこう、なんか色々あってまたうまくいかなくて……「ああ、やっと手に入った」と思ったのが、本当に割とつい最近のことなんです」

 翼がそう言い終わると同時、羽生家の食卓には沈黙が落ちた。いくらなるべく素直にありのままを……と思ったとはいえ、自分の言った言葉が失礼ではなかったかどうかと、翼がもう一度チェックしていた時のことだった。

「結城先生、唯をどうかよろしくお願いします!!」

 清司は、畳に頭をこすりつけんばかりにして、翼の前で土下座していた。次の瞬間には、母の珠美もまた同じように頭を下げている。

「ああ、本当に良かった。良かったなあ、母さん……香の奴は全然連絡も寄こさないし、唯の奴は不器用で損な子だから、男ったってなあ、ろくなの連れてこないとばっかり思ってたが、こんな立派な人が一緒になってくれるなんて……唯、おまえはこんなボロいラーメン屋のことは考えなくていいから、この人に大切にしてもらえ。それが一番の親孝行だぞ」

「お父さん……」

 唯の両親が思わず泣きだしたため、唯もまたハンカチで目元を拭うということになった。それから翼は、自分がそれほど立派な人間でもないこと、これから開業しようと思っているが、一般に考えられるような<楽>を唯に与えられるかどうか先行きが不透明なこと、でも彼女がいればこそ自分はそうしたことを考えついたということを、順に説明していった。

 特にこの最後の部分は、唯自身も初耳だっただけに驚いていた。

「俺、さっき実家でそのことを説明したら、案の定母親に叱られました。おまえはいい加減な人間だから、今ごろになって金貯めておけばよかったとか、後悔してるんだろうって。確かにそのとおりでした。というのも、救急で働いていた時、つくづく思ったんですよ。『真面目に働いてさえいれば必ずいいことがある』っていうのは、絶対嘘だなって。そんなことは関係なく、毎日色んな人間が何かの罰が当たったっていうのでもなく――まあ、たまにはそんなこともあるにしても――様々な疾患を抱えて病院に担ぎこまれてくる。正直、そこには法則性なんて何もないんですよ。あるとすれば、『神さまっていうのは何考えてるんだろうな』っていう、ただそれだけです。でもこいつが……唯が横にいると思うんですよ。「真面目に働いてると、確かにいいことがあったな」って。俺も、今までは自分のことしか考えてなかったし、ぶっちゃけ、患者のことさえ除けば明日のたれ死んでもどうってこともないなと思ってました。でも唯の奴が横にいると、まだ当分の間は生きてたいなと思うし……もっとその先のほうまで見て、子供が出来たあとのことまで最近は考えるようになったっていうか。新しく病院をはじめる責任とか、そういうのは正直重いと思ってます。それでも唯が隣にいてさえくれれば、俺はたぶん、大抵のことはなんでも出来ると思ってるので……」

 清司も珠美も、最後には何度も繰り返し「うんうん」と頷いてばかりいた。客商売をしているから人を見る目があるなどというつもりはないのだが、翼が変に嘘をついたり誤魔化したりしていないということが、彼らにはよくわかっていたのである。

 食事が終わり、話が一段落した頃、翼は二階のほうに上がって、前まで唯と姉の香が自分たちの部屋にしていたという場所を見せてもらうことにした。二階へ上がる階段は急で、ホラー映画のようにギシギシしなったが、翼はその感触が何故か妙に面白く、年季の入った壁紙なども見ていると、昔ここに住んでいたような不思議な懐かしさすら覚えていた。

「なんかいいなあ。古き良き昭和の住居の見本って感じでさ」

「そう?ここにお姉ちゃんがいる間は、わたしは喧嘩が絶えなくて大変だったけど……境界線から一歩はみだすと、「出てけ!」とか「罰金百円!」とか、そんなことばっかり言うんだもの」

 唯が<境界線>といったのは、天井に取りつけられたカーテンのことだった。そのカーテンがちょうど狭い部屋をふたつに区切り、テリトリー内には勉強机がひとつずつ置いてあるといった具合だった。

「ふうん。でもおまえ、姉ちゃんのほうの敷地に本棚が並んでるってことは、そっちにいってものとるたんびに百円ってことか」

「そうよ。不公平でしょ?」

「なるほどねえ……」

 姉が家出して以来、ずっとそのままにしてある机から、翼はアルバムがあるのを見つけてそれを捲った。唯の姉の羽生香は、もしや<自分病>にかかっていたのではないかと思えるほど、そこには彼女ひとりだけののった写真が何枚も並んでいる。

「あのさ、唯」

「うん?」

 隣で一緒に写真を見ていた唯が頷き返す。

「おまえの姉ちゃんってのは、その……ファッションデザイナーになりてえって言って、家を飛び出していったんだよな?」

「そうだけど……」

 自分とはやはり笑いのツボが違うのだろうか。翼は羽生香だけの写っているアルバムを見ていて、途中でおかしくて仕方なくなった。というのも、サングラスの縁が蝶の羽のようになった馬鹿でかいサングラスを彼女がかけていたり、1960年代のヒッピー風スタイルをしているのを見るにつけ――父親が「やめておけ!!」と言ったのは、まったくもって真っ当な親心としか思えなかったからである。

(いや、むしろ逆にここまでイッてるほうが、ある種の才能を感じさせるといえるか?)

 翼は唯が「ちょっとトイレに行ってくる」と言って部屋から出ていくなり、その場に卒倒したようになって笑い転げた。

「はっはっはっ!!やっぱりあいつの姉ちゃんってだけのことはあるな。ただもんじゃねえ。いやいや、むしろ一度会ってみてえな」

 翼が「だっせえな。もっとこうデート用の服みたいの着ろよ」と言うたび、唯は必ずこう言い訳していた。「わたしにファッションセンスがないのは、全部お姉ちゃんが持っていったからよ」と……。

「あーあ、もうその言い訳は俺に通用しねえっての」

 ひとしきり笑ったあとで、翼は今度は、唯や姉の香が一緒に写っている、家族写真が多くのったアルバムをゆっくり見ていくことにした。トイレをすませた唯が、階段をギシギシいわせながら上ってくると、椅子に座っている翼の横からひょいと写真を覗きこむ。

「わたしも、先生の家で小さい頃のアルバムとか見せてもらったら良かったな。先生、小さい頃からきっと可愛かったと思うから」

「自慢じゃないけどな、『この子は大きくなったら絶対女を泣かす』とはよく言われてた。でも可愛いっていや、おまえのほうが百倍可愛いかもな。ほら、この写真とか」

「もう、そんな変なのばっかり見ないでったら!!」

 唯は翼からアルバムを取り上げようとしたが、彼はまだ見終わっていないので当然離さなかった。

「べつにいいだろ。鼻の穴にコンセントを差し込んでる写真くらい……」

「もう、駄目ったら絶対駄目!!」

 ――こんなふうに楽しい時間を過ごしたあと、大体夜の九時近くだろうか。翼は唯と一緒にK市へ戻ることにした。翌日はいつもどおり八時半までに出勤しなくてはいけないため、ふたりは翼のマンションに戻るとそのままバタンキュー状態ですぐに眠った。

 唯も幸せだったが、翼は彼女以上にもっと幸せだと、自分ではそんなふうに思っていた。『人間、真面目に生きているといいことがある』……その証拠を抱きしめて眠りに落ちたその日、翼はこんな夢を見た。

 はじまりは、翼の実家の入口だった。

 翼はそこで、太っていて短足なデブ犬(コーギー犬に似ている)と一緒に散歩へ出かけるところだった。母親が玄関口から出てくると、翼は「お母さんも一緒に行かない?」と誘った。

 ところが母親のほうでは、「買い物があるからいい」と言って、逃げるように翼とは反対の方角へ去っていってしまった(現実の世界でも、確かにそちらの方角によくいくスーパーがある)。

 母親がいなくなると、翼は心底ほっとした――何故といって、一応親だと思う義理堅い心から「一緒に行かない?」と誘ったものの、本当は彼女に来てほしくなかったからである。

 コーギー犬はリードを引く翼のことを、絶対の信頼と服従をこめた眼差しで見上げ、トコトコと翼の横を歩いてきた。やがて公園へやって来ると、翼は緑萌える小山に登り、犬のリードを外して自由にしてやった。

 すると、犬のほうでは恐ろしいスピードで気が狂ったように公園内を走りまわり、「ハッハッ」という激しい息遣いをさせながら、もう一度翼の元へ戻ってくる。

「よしよし、気がすんだか。いい子だ」

 翼は犬の頭を撫で、体全体も撫でまわすと、もう一度リードに犬のことを繋ごうとした。ところが犬のほうではその瞬間にサッと身を引き、またも公園中を気が狂ったかとばかりに走りはじめる。

「やれやれ。しょうのない奴だ」

 翼は犬がまた戻ってくると、頭を撫で、体全体を撫でまわした。そしてまたリードに繋ごうとすると、犬はサッと身を引くどころか、翼の顎に頭突きを食らわせることさえして、そのまま逃げるように公園中を走りまわる。

「こいつめ!駄目じゃないか」

 それでも翼はやはり犬が可愛いため、彼女(犬はメスだった)のことを叩いたりぶったりはしない。だが翼がリードに繋ごうとすると、犬のほうでは二度と捕まってたまるかとばかり、やはり逃げだしてしまう。

 そして翼は最後にようやく悟った。リードに彼女のことを繋ごうとするから、犬のほうでは逃げるのであって――もうそんなものは捨ててしまったほうがいいのではないかと。

 そのあと翼がすっかり困りきった様子で犬のほうに近づいていくと、犬のほうでも彼が「困っている」ということがわかったのだろう。今度は彼女のほうから翼の胸の中に飛びこんできた。しきりと尻尾を振りながら……。

「ごめん、俺が悪かった。もうあんなふうにはしないから、許しておくれ」

 こうして翼は犬と一緒に歩きはじめたのだが、何故か不思議と元の実家のほうへは戻らなかった。夢の中の翼にもよくはわからないのだが、全然別の違う方角に彼と犬の新しい家があるということが、彼にはわかっていた。そして翼は夢の世界から目が覚めたのである。


 * * * * * * * * * * * * * * *


(そうか。縛っちゃ駄目なのか)

 夢から目が覚めた時、翼がまず思ったのがそのことだった。もちろん翼は、唯のことを犬にも等しい自分の玩具(ペット)と密かに思っていたということではなく――唯の存在が夢の中で犬の姿として現れたのは、それ相応の意味があるような気がしていた。

 まず、結城家ではテストでいい点をとると、何かしらの<ご褒美>が与えられるのだが、そこには犬や猫や亀、うさぎといった動物類は絶対的に除外されていた。理由は、隣に病院があるため、患者に<不潔な印象>を与えるからだと、そのように翼は母親より説明されていた。

 けれども、ある時翼はどうしても犬が欲しくなった。というより、近所の公園に捨てられていた犬を実際に拾ってきた。当然「そんなもの、早く捨ててきなさい!」と母親は怒り狂った。

 だが今回ばかりはどうしても翼は譲れないと思い――珍しく、父親に相談しにいったのだ。確か、小学四年の頃、翼が十歳の時のことだったと彼は記憶している。

『ごめんな、翼。うちじゃ動物は飼えないんだよ』

 白衣姿の父は、見るからに申し訳なさそうに息子にそう言った。翼は父親のこの顔の表情を見ているといつも思う。この顔の表情さえしていれば、自分も母も大抵のことは見逃してくれると、この人は勘違いしているのではないかと。

『でも、俺もう拾ってきちゃったし、またもう一度捨てるなんて可哀想だよ。外犬ならいいじゃん。家の中にさえ入れなければ……面倒は俺が全部見るからさ。毎日、散歩にも連れてくし、勉強ももっといっぱい頑張るから』

『そういうことじゃないんだよ、翼。家の隣が病院だからとかなんとかいうのは、ただのお母さんの方便だ。お母さんはね、犬が嫌いなんだよ。昔、小さい時大きな犬に咬まれたことがあって……それ以来、可愛いと思えないらしい』

『じゃあ、猫は?猫だったらいいの?うさぎは?なんだったらハムスターでもいいよ』

『翼、お父さんは忙しいんだ。困らせないでくれ。お母さんはね、とにかく毛むくじゃらの動物が全部嫌いみたいなんだ。だから諦めて、犬を元の場所に戻してきなさい。お父さんも一緒についていってあげるから……』

『嫌だよ。可哀想だよ。絶対嫌だよぉぉ!!』


(あんなこと、もうずっと前に忘れてたのに、なんで急に思いだしたかな)そう翼は思った。

 結局その子犬のことは、泣く泣く元のダンボールがあった場所にもう一度捨てるということにした。一度拾ってからもう一度捨てるのなら、最初から拾わなければ良かったと、つくづくそう後悔した。以降、翼は両親に対して動物が欲しいとは言わなくなった。かわりに多少高価でも、ねだれば彼らが「しょうがないわね」と言って買ってくれるもの――ゲームの新型機やそのソフトなど――を自分のテストの点数と相談し、計画的にねだるということにしたのである。

 そういう時、相手が自分の要求を拒むと、翼は相当執拗だった。彼の母親が「なんであんたはそう諦めが悪いの!!」とか「この頑固者!!」と怒鳴ったのも無理はない。翼の心の根底には常に「だって本当に欲しいものがもらえないんだぜ?じゃあそのくらい当然だろ」という、ひねくれた物思いが潜んでいたものと思われる。

(でもまあもう、犬はいいっか。こいつがいるしな)と、翼はぐっすり眠っている唯のことを抱き寄せて思う。それから少し笑った。

「もう縛ったりしないから許してくれか。随分大人な話だな」

 唯は実際には細いし、足もまったく短足でないのだが、夢に出てきた犬は脂肪でブヨブヨだった。また毛並みもゴワゴワしていたが、翼は実際に唯の肌を撫でて確認し、「つるつるだよなあ」などと、寝ぼけたことを呟いた。

 そしてふと思い至る。あの毛並みのブヨブヨ感はおそらく、そのくらい自分の愛情が濃くて分厚いということの象徴なのではないかと。それとも、唯のほうの自分に対するそれが……と真面目に考えてから、翼はまた笑った。

「ま、どっちでもいいよな、そんなの」

 なんにせよ、翼はこののちも、母親と完全に決別したように思われるこの夢の内容を決して忘れなかった。実際には亜季からは定期的に電話がかかって来、そのたびに「うるさいな」とか「わかってるよ、そんなこと」だのと、彼女と翼が喧嘩腰に話すことも変わりがない。

「病院が出来たら、お父さんと見にいくからね。あと、父さんの患者さんで、九州に転勤になった人がタラコを送ってきたから、そっちに半分くらい送るわ。父さんと母さんのふたりじゃ食べきれないから」

「なんだよ。タラコなんて塩分高いとか言って、俺が家にいる時は食卓に出たことなんかないじゃねえか」

「まあ、タラコと漬物は別だよ。そのうち、唯さんにも薄い味つけの調理法を教えにそっちに行くって言っといておくれ」

「あ~、いらんいらん、そういうのは。来なくていい、来なくて」

「あたしはあんたに言ってんじゃないよ、翼。唯さんにそう伝えてくれればいいの。じゃあね」

 いつもは翼のほうが話の途中で電話を切るのだが、亜季はそのことを常々苦々しく思っていたのだろう。最近は話の落としどころを見つけて、向こうのほうがうまくプツッと電話を切るようになっている。

「お母さん、なんて?」

「なんかさ、俺とおまえが引っ越したから、新居見にくるって。あと、おまえに薄味の料理の作り方教えるとかって……まあ、適当にかわしておいて」

「うん、わかった」

 ――翼と唯はその後、結婚式は挙げず、籍だけ入れて一緒に暮らしはじめた。といっても、翼が元いた部屋に唯が引っ越してきたのではなく、不動産会社をまわって適当な場所を探し、葵ヶ浜近くにある一軒屋を借りるということにしたのである。

 正直いって、そう大した家ではないのだが、ふたりは一目見てその家が気に入り、そこを新婚の住居とすることに定めた。翼は仕事の合間に雁夜医師と相談して、理想の病院を建設すべく、まずは土地を購入するところまでこぎつけた。現在はその建物の設計についてふたりで頭を悩ませている最中であり、翼は子供のようにその計画にすっかり夢中になっている。

 翼は実際に病院が建て上がって動きだすまではK病院に勤務する予定だったが、唯はその後オペ室勤務を辞めた。子供が出来たからではなく、彼女は新居から歩いてそう遠くないところにある、<葵ヶ浜精神療養所>というところに、看護師としてパートで勤務することにしていた。

 翼と雁夜医師の病院が実際に動きだせば、当然そちらを手伝うことになるし、車を運転できなければ不便ということもあり、唯は最近免許をとりに車の教習所へも通いはじめている。唯が最後に精神病院へ勤務したかったことには少しばかり理由があるのだが、そのことを話した時、翼は意外そうな顔をした。

「えっ!?じゃあおまえ、うちの救急に来たのは、看護学校の先生が最初から精神に行くのはどうかと思うって言ったからなのか?」

「うん、そう。進路指導担当の先生に、羽生さんの場合はもう少し外科とか内科の看護師を経験してから精神に行ったほうがいいんじゃないかって言われて。つまりね、最初に精神にいって仮にそこで三~四年勤めたとするじゃない?それでそのあと外科とか内科にいったりしたら、当然それぞれ勝手が違うわけだし……そうじゃなくて、少なくとも内科的な手技をもっと身につけてからそのあと精神に行くっていうのはどうって言われたの。でね、救急っていうのも当然、先に精神科にいったりしたあとだと、すっかり腰が引けて経験しようと思わなくなるだろうって……羽生さん、色々経験できるのなんて若いうちだけなのよって、そう言われて」

「それでうちに来たってわけか」

 もちろん、<うち>などと言っても、翼も母校とはいえR医大病院はすでに辞めている。だがやはりそこは翼にとって昔懐かしい古巣、<うち>と呼べるような場所だった。

「けどおまえ、最初に紹介された時、おばあちゃんが救急病院で助けてもらったのがどうこうって言ってなかったっけ?」

「うん。それも本当のことなの。前に先生、うちの実家に来たじゃない?」

 唯はこの話を、今の新居に引っ越してきたばかりの頃に話した。荷物を部屋に積み込み、ある程度片付けがすむと、なんとなく海辺に散歩へ行こうという話になった時のことだった。

「一階のお店の横の部分にも、一応わたしたち家族の生活スペースがあって、お風呂とかトイレもそこにあるわけ。で、ある時お父さんのほうのお母さん――まあ、わたしのおばあちゃんってことだけど、おばあちゃんをうちで引き取ることになったの。突然倒れて介助が必要になったそのせいなんだけど、おばあちゃんは一階でね、大体お母さんとわたしが看病することになって……でも、お店に来てた酔ったお客さんにある時言われたの。『なんだかババアのしょんべんくさい匂いがすると思ったら、そういうことか。不衛生な店だな。もう二度と来ねえぞ』って。おばあちゃん、そのことがすごくショックだったんだと思うの。翌朝、部屋に様子を見にいったら意識がなくて、すぐ救急車を呼んだの」

「それで、行った先の救急病院の医者とか看護師がやたら親切だったってことか」

(そりゃ見習わねえとな)と嫌味を言うでもなく、翼は唯と連れだって砂浜を歩いていた。潮の香りが鼻腔をくすぐり、波の音に耳を澄ませていると、なんとも心の生き返る思いがする。

「そうなの。おばあちゃんはそのあと、無事意識が戻ってはきたんだけど……片麻痺と言語障害があったから、もう誰の厄介にもなりたくない、適当な施設に入りたいって、お医者さんの前で泣いたみたいで……それでね、いい老人福祉施設を紹介してもらって、そこに入所することになったの。おばあちゃんはその二年後くらいに亡くなったんだけれど、救急病院にいる短い間もそこのスタッフの人にすごく良くしてもらって。その時にね、わたし、思ったの。看護師さんって素敵だなあって」

「でも、夢と現実は違ったろ?」

「ううん、そんなことないわ」と、唯は笑った。「確かにね、救急に来たばかりの時は思ってた。なんで看護学校の先生の言うとおり、救急なんて来ちゃったんだろうって。あのまま自分の希望どおり精神科にでも行ってれば……って。でも、今はわたしにとってそれこそが人生の正解だったんだって、そう思ってる」

 唯は照れ隠しのために、先に走っていって、画家の時司要が譲ってくれた<巻貝別荘>のあたりでようやく立ち止まると、後ろの翼を振り返った。

「おまえ、ここ寄ってくか?」

「うん、あとでね。今日はもう少し歩いて向こうの岩場までいって、そこで気違いになってからまたここへ戻ってきて、コーヒーを飲むの」

「気違いか。よしきた」

 実をいうと、その岩場のことを教えたのは翼だった。要が「新婚祝いにやるよ」と<巻貝別荘>をくれた時、彼女と三階の部屋で過ごした翌朝、散歩がてら連れていったという場所だった。

 海岸の上に突き出したゴツゴツした岩場をてっぺんまで上っていき、そこから翼は「うおおおおおッ!!」と、下の波が砕け散る海に向かって叫んでいた。そして次に唯に対して「おまえもやってみ」と促したのである。

「うあああああッ!!」と、叫んでみると、唯は自分が思った以上にスッキリしてることに気づいて驚いた。

「な、スッキリしたろ?俺、たまーに仕事で煮詰まったりした時に、ここ来て今みたいに気違いになるわけ。すると理由はわかんないんだけど、ちょっと前向きな気持ちになるんだよな、不思議とさ」

 その日も、翼は唯とふたりで一時的に頭がおかしくなったあと、岩場から下りてきて、また元来た道を歩いていった。

「これからもさ、もし喧嘩でもした時には、お互いむっつり黙ったまんまでいいから、ここまで歩いてきて気違いになろうぜ」

「なあに、それ。変なの」

「だっておまえ、一度怒ると黙りこんで陰湿になるじゃん。でもこうやって歩いて海を見て潮の匂いを嗅いで……地平線に沈む太陽でも見てたら、そのうち自分が怒ってるのもちっぽけなことだなーみたいになるだろ。地球がちょうど、太陽から一億五千万キロ離れてるみたいにさ」

「うん、そうね。ここから太陽までは一億五千万キロも離れてるから、もしわたしが「太陽のバッキャロー」って叫んでも、太陽さんの耳には届いてないんでしょ?でも人間が太陽をそんなふうに擬人化するのが<心>っていうものなんだって、結城先生前に言ってたものね」

「そうそう。俺がおまえのことを好きとか愛してるって思うのも、それと同じ原理なわけ。けど、太陽に自分の言ってることが実際には聞こえてないからって、太陽を擬人化するのは無駄なことだとか、唯はそんなふうに思うか?」

「そんなこと思うわけないじゃない」と、唯は笑った。「結城先生は本当に馬鹿なんだから」

「そうだよ。俺は馬鹿だからおまえのことが好きなわけ。馬鹿だから結婚もしたし、新しく病院も建てる……でも、こんなに幸せなこともないな」

 そう言って翼は唯の手を握り、唯のほうでも彼の手を握り返した。ふたりが歩いていった浜辺には、少しガニ股気味の足跡と、明らかに内股のそれとが隣あってどこまでもどこまでも続いていき――やがてそれもまた、打ち続く波に飲まれ、最初から何もなかったように消されていった。



       終わり





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