天使の図書館ブログ

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死の島。

2011-08-22 | 絵画
(アルノルト・ベックリン【死の島】1883年、ベルリン・国立美術館所蔵)


 わたしがアルノルト・ベックリンの「死の島」という絵を知ったのは、NHKの迷宮美術館を見て、だったと思います。

 以下は、いつもどおり(笑)まずはウィキからの引用☆


 >>『死の島』は暗い空の下、墓地のある小さな孤島をめざし、白い棺を乗せた小舟が静かに進んでいくさまを描いた神秘的な作品である。
 彼自身、このモチーフに魅せられていたようで、その生涯にこの題材で5点の作品を残している(内、4点が現存)。
 この作品に見られるように、写実的で緻密な描法と、画面にただよう神秘的・幻想的な雰囲気がベックリンの特色である。
 第一次世界大戦後のドイツでは、非常に人気があり、一般家庭の多くの家に、複製画が飾られていた。
 中でも代表作の『死の島』は特に人気が高かったと言われ、複製画の他にポストカードの題材としても盛んに使用された。


 ここからは例によって(?)、この絵を初めて知った時の、わたしの心の感想です(^^;)

 いえ、正直いってこの種の絵って、描いた画家さんが生きている間は埋没していて、その後画家が亡くなってから実に評判になり現在に至る……といったタイプの絵なんじゃないかな~って思うんです。

 でも、多くの家庭で複製画が飾られるくらい、人気があった……って、すごく不思議な感じがしませんか?

 そもそも、タイトルが「死の島」であるとおり、<死>というのは人の日常にとって忌避されるべきものなはず……それなのに、むしろその<死>を思い起こさせる絵画を家に飾っておきたいと思うのは、おそらくこの「死の島」という絵が死という現象を恐ろしいものとしてではなく、静かで荘厳なものとして描いていることに原因があるような気がします。

 島の三方に岩壁が聳え立ち、その中央には樹木が生い茂っていて、先を見通すことが出来ません。

 普通に考えたら、何か未知なるものに対する不吉な不安をかき立てられてもまったくおかしくないはずなのに――わたしたちは、海のさざなみに耳を澄ませたり、杉の樹の風にそよぐ音を感じたりといった、あくまで安らかな音楽しか、この絵の中から聴きとることが出来ない気がするんですよね。

 静寂と安らぎ……もし、死がこのようなものであるとしたなら、もはや何を恐れる必要があるだろうか?といったような。

 おそらく、ベックリンのこの絵が人気があったというのは、そうした人の無意識に働きかける力が強かったからではないか、という気がします。

 たとえば、この絵には<死>に対するキリスト教的強迫観念が一切感じられません。

 つまり、人は死んだあとに審判を受けて、天国か地獄のいずれかに行く……という、死後も我々の意識は存続し、生前に犯した罪などがすべて一切明らかになるという死後の世界――西洋絵画の中にはそうしたモチーフを扱った名画がたくさんありますが、人にはどこか(これは国籍、宗教を超えて、ということなのですが)、死んだら天国でも地獄でもない静かな場所へ逃れたいという願望があるものなのではないでしょうか。

 たとえば、この「死の島」のように、亡くなった後に白装束の清らかな生と死の渡し守のような人に連れられて、「今日からはここで静かに暮らしなさい」と言われてみたいといったような願望です。

 必要なものがあれば彼(あるいは彼女)が持ってきてくれるし、特に魂を拘束されるような法律もなく、小さくても自由な世界で、ここだけは誰にも永遠に奪えぬ領土だ、といった場所で「本当の生」を生きてみたいといったような願望が。

 おそらくここは、仮に天国と呼ばれる死後の世界であるにしても――たとえば、天国の地図の片隅にのっている伝説の島といったような場所で、何がしかの魂の冒険がまだ残されている世界なのだ……と想像することも可能かもしれません。

 島の奥のほうは構造がはっきりとはわからず、隠されているということに、何か途方もない神秘を感じて、安らぎと静寂、それでいて奥に何があるかわからないという人の冒険心をかきたてるものがあるという、相反する感情がこの絵からは流れてきていて、それで人はこの「死の島」という絵から目が離せなくなるのではないでしょうか。

 ――というのがまあ、ベックリンの「死の島」を見た時の、私個人の感想なんですけど、彼の他の絵についても、そのうち機会があったら是非調べてみたいと思っています♪(^^)

 たとえば、次の絵は「生の島」(至福の島)というタイトルの絵なのですが、「死の島」ほどに感興を覚えないのは何故なのかとか、色々思うところがあるので……。


(アルノルト・ベックリン【生の島】1888年、スイス・バーゼル美術館所蔵)



 でも、次の「聖なる森」という絵には、「死の島」と同じ、不思議な静寂と荘重さのようなものを感じて、「死の島」の向こう側には実はこんな広い空間が存在しているのではないかとさえ、つい想像してしまいます。
 あるいは、生と死の橋渡しの役を負う司祭のひとりとして、聖なる任命を受けるために連れてこられた……といったような、どこか連続したドラマ性を感じる、というか。


(アルノルト・ベックリン【聖なる森】1886年、スイス・バーゼル美術館所蔵)



 ――ちなみに、ラフマニノフの交響詩に「死の島」というのがあって、ベックリンのこの絵に触発されて彼は作曲したと随分前に聞いたことがあるんですけど……今回軽くググっていたら、なんと25動にラフマ指揮の演奏があって、驚きましたww

 以下は、うp主様のコメント引用です♪(^^)

 >>ラフマニノフの自作自演の録音です。「死の島」はベックリンの絵画から触発された曲と一般的に言われていますが、実際ラフマニノフが見たのはベックリンのオリジナルではなく、マックス・クリンガーの「死の島(ベックリンの原画による)」というモノクロの銅版画だったそうで、この動画の画像もそれを使っています。


 そうだったんですね……こちらはまた、ウィキからの引用となりますm(_ _)m

 >>『死の島』(しのしま、Toteninsel )作品29は、セルゲイ・ラフマニノフが1909年に作曲した交響詩。
 ドイツの画家アルノルト・ベックリンの同名の油彩画に基づく標題音楽であるが、作曲当時のラフマニノフは原画を知らず、マックス・クリンガーの「死の島(ベックリンの原画による)」というモノクロの銅版画から霊感を得た。
 後に原画を見る機会を得て、予想していたより明るい色調に衝撃を受け、「これを見ていたらあの曲は書かなかっただろう」と述懐したという。





 ……あの、わたしの感受性が安っぽいせいかどうか、映画音楽などにそのまま使えそうな曲だな~って思ったり(^^;)

 というか、ラフマのこの曲を聴いてからあらためてベックリンの「死の島」という絵を見ると、この「死の島」に辿り着くまで一体何があったんだろう!?って、つい壮大なドラマを想像してしまいますww

 いえ、なんか途中で間違いなく、人がひとりかふたり、死んでそうですよ(笑)

 たぶんクラシック音楽界ではラフマの「死の島」って演奏頻度低いような気がするんですけど――前にアシュケナージさんがラフマの「死の島」をお好きだと聴いて、それで初めて聴こうかな~って思ったという記憶が薄らぼんやり☆とあります(どうでもいい話ですね^^;)

 それではまた~!!





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