天使の図書館ブログ

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花子とアン-最終回-

2014-10-30 | 花子とアン
【アンの家~プリンス・エドワード島~】(密林さんの商品ページよりm(_ _)m)


 よよよ、ようやく見終わりました~!!(>_<)

 なんていうかもう、感想書く時期を逸しちゃった気がするので、かなりざっくり目な感想になるかと思いますm(_ _)m

 というのも、実は途中で結構続きが気にならなくなってきて、ちょうど「アンとの出会い」ところから、自己都合により見れなくなってしまったという事情もあり……「ここから!ここからまた面白いから!!」と自分で思ってたところから見れなかった感じなんですよね

 そんなわけで、そこからの週は出来れば一週間ずつ感想を書きたかったと思うものの、4週間分くらいまとめて見てしまうと、なんかもう記憶が途切れ途切れになってしまったというか

 あと、戦争前後のエピソードに関しては一切、お笑い系のことは思い浮かばなかったので、バルタン閣下はたぶん、吉兄と甲府に戻ってきて、ぶどう酒作りでも一緒にしてるのかなあ、なんて(&ピグモンも一緒に!笑)

 う゛~ん。(わたし的に)途中で迷走してることは時々あったにしても、「アンとの出会い」以降は良かったんじゃないかな……という印象でした。本当ならたぶん、もうちょっとハイテンションになってていい気もするんですけど、これはわたしが村岡先生のことを敬愛するあまりの、「ちょっと微妙な感じ☆」というのが残ってるせいなんだと思います(^^;)

 わたしがもし、村岡先生のファンでなくて、「アンのゆりかご」も読んでなかったとしたら、たぶん「花子とアン」は結構いいドラマだったんじゃないかなと思います。あと、蓮子嬢≧花子みたいな描き方でも、まったく気にしなかったどころか、白蓮サイドのエピソードが面白いがゆえに「花子とアン」は見る……という感じですらあったかもしれません。

 息子の純平くんが亡くなった時、蓮子さんは「あなたのせいよ!」みたいに花子のことをなじってたと思うんですけど……ここもちょっと自分的に馴染めませんでしたいえ、蓮子嬢の気持ちはすごくわかるし、結局あとで仲直りもしてるので、べつにいっか☆といえばいっか☆な話なんですけどね(^^;)

 全体としてはまあ、「アンとの出会い」の週以降は消化しなくてはいけないエピソードを出来るだけ入れて、最後までもっていったという感じだと思うので、終わり方もとても良かったと思うし、視聴率がとても良かったということも、わたし的にすごく嬉しいことではありました

 ただわたしの場合、見てる途中で萌え尽きてしまったところがあって、べつに何か特別文句を言いたいわけじゃないんですけど、「………」という、何かそうした感じが最後まで残ってしまったのが事実という気がします 

 わたし的にHKの連ドラでドラマ化されて良かったと思う点は、村岡先生のことが全国規模でたくさんの方に知られたということと、わたし自身もまた村岡先生のファンでありつつ、先生の御生涯についてはあまりよく知らなかったので、そのことを知ることが出来て良かったということかもしれません♪(^^)

 それと、この機会に初めて「赤毛のアン」を手に取った方もいらっしゃると思うので、こうしてファンの輪がさらに大きく広がったように思えることも、すごく嬉しいことでした。まあ、わたしの書いてることはもう、感想でもなんでもないですね(^^;)

 とりあえず、ある程度ずっと感想を書いてきてたので、最後に何か文章書かねば……というのに近い気がします

 あと、自分的に今プライヴェートのほうが不調なもので、あんまりこう力の入った文章が書けないっていうのもあって、なんか申し訳程度のことしか書けなくって本当にすみませんm(_ _)m

 でも、最後のほうでモギー脳科学者先生がアンを出版する出版社の社長で良かった!とか、最後の4週間あたりのエピソードは中身も詰まってて良かったと思ってて。ただ、わたし的に「………」と思う気持ちはやっぱり最後まで残ったという、ただそれだけだと思います(←いえ、実際これも終わってみれば大したこっちゃないのです^^;)

 本当は一週間分くらいずつ、ちょうどいいところで細かいエピソードに触れることの出来るのが理想だったんですけど、まとめて見てしまうと、どこのエピソードが何週目のものだったっけ??という感じになってしまって、どうもいけない気がしたり(汗)

 それと、「アンのゆりかご」にない、史実でない部分として一番良かったのは、吉兄とおとうの本当の意味での和解シーンだったでしょうか。実際の花子のお兄さんだった方は、もっと悲惨というか、大変な人生を送った方だと思うんですけど、ドラマの中では醍醐さんとも結ばれて、ここはちょっとしたカタルシスだったと思います。加えて、梶原さんと富山先生も何気に最後にはくっついたみたいで……大体のところすべてがハッピーエンドというところに、若干嘘くささを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、これはモンゴメリのお話に通じるメッセージ性の反映だったりするのかな、と思ったり(^^;)

 モンゴメリのお話の書き方って、大体そうした形でハッピーエンドで終わることが多いと思うので

 ではでは、ちっとも感想らしくない感想で本当に申し訳ないのですが、「花子とアン」にまつわることで、放映期間中にわたしが経験したちょっとだけ微笑ましいエピソードを書いて、記事の終わりにしたいと思いますm(_ _)m



 ――某本屋さんにて、「赤毛のアンコーナー」を見ていた時のことでした。

 六十代くらいの女性その1:「『赤毛のアン』はこの方の訳が一番だそうよ!」

 六十代くらいの女性その2:「あら、奥さんが1巻目のを買うんだったら、わたし2巻目のを買うから、あとで取りかえっこしましょうよ」

 その1の女性:「でも、最初から読まないとわからないんじゃない?」

 その2の女性:「ううん、わたし、1巻目の内容は大体知ってるから……」

(ここでわたしが白蓮さん関係の本を手に取る☆)

 その1の女性:「あら、白蓮さんの本もあるわ!」

 その2の女性:「この方も、大変な生涯を送った方よねえ!」


 いや~、なんていうか、ふたりともわたしの母と同じくらいの世代の方だと思うんですけど、話し方がなんていうか、「少女」だったのです。ただ文章にしてしまうと、あんまり伝わらないと思うんですけど(汗)、なんていうか「赤毛のアン」にはそういう力があるんですよね。それが仮に三十代でも四十代でも、六十代でも七十代でも――その人の中にある<少女>が生き生きと甦ってくるという、そうした力が……わたし、それがたぶん「赤毛のアン」がこれまで読み継がれ、さらにこれからも読み継がれ続ける一番の理由なんじゃないかなって思ったりしてます。

 なんにしても、六十代くらいの方がアンの本を手にするのを見て、きっともっと若い世代の方も「花子とアン」をきっかけに「赤毛のアン」を読んでるだろうと思うと、なんだか幸せな瞬間でした


 ――某クリーニング店にて☆

 クリーニング店の店主らしきおじさんと、その奥さんらしきおばさん、それと馴染みのお客さんらしき中年のおばさんが三人で笑っていたところ……。

 別の客(わたし)がやって来たので、中年のおばさんは引き戸を開けて去っていこうとしました。

「それではみなさん、ごきげんよう」

(一礼ののち、ドアが閉まる)←引き戸じゃないし・笑。

 店主らしきおじさん:「ごきげんようだってよ。あいつ、頭どうかしたんじゃねえのか」

 奥さんらしき女性:「ほら、「花子とアン」で今よくやってるじゃない」

 店主らしきおじさん:「あーあ、あれの真似か(大笑い)」


「ごきげんよう」はいい言葉だと思うんですけど、使うところが結構難しいですよね(笑)

 こぴっと!以上に流行るかなという気もしたんですけど、なかなかどうして難しい(←?)

 なんにしても、全国規模でこうして村岡先生のことや赤毛のアンのことが一般的に知られたことっていうのは、ファンとして本当にとても嬉しいことでした♪途中、酷評しちゃったりもしましたが(汗)、でもわたしもドラマをきっかけに「アンのゆりかご」を読んだ口なので……そういう意味では連ドラでドラマ化されて本当に良かったと思っています。

 ところで、今やってる連ドラの「マッサン」、超面白いですね!ある意味、「花子とアン」以上に威力があるなあ……と思いながら見ていたり♪(^^)

 本当に、最後のまとめの記事だというのに、なんかどうでもいい感じの手抜き記事で本当にすみませんww

 それではまた~!!





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2 コメント

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Unknown (べの)
2014-10-31 14:27:38
 村岡さんの人生、アンを出版した後からが凝縮した濃い生き方ですよね。むしろ、最終回からが始まりのようです。モンゴメリという作家と出会えた事は、村岡さんにとっても、翻訳した作品を読む者にとっても僥倖でした。たとえ、欠落した部分や情報や知識不足による誤訳があったとしても。
 本当は、翻訳シーンで色々想像したり、言葉の選択推敲する場面とか見たかったです。でも、戦時中に原書を守り抜いた村岡さんの必死な思いだけでも、伝えられたなら、それだけでも充分なのかも。ラジオのおばさんとしてしか知らなかった方も以外に多いようですし、反対に翻訳家としての村岡さんしか知らない世代もいて、面白いです。このドラマが契機になって、村岡さんのドキュメント番組や本格ドラマが出来たらいいですね。
 村岡恵理さんが、ある月刊誌のエッセイで、「花子とアン」が放送されてから、大森のご近所の方達からよく村岡さんの昔話を聞かされるようになったとのこと。あるご老人から「灯火管制しているのに、村岡さんの家から灯りが洩れる事があって、ウチの親父が『あそこは、親米だから』って言ってたよ」と言われたそうです。ドラマの中で「非国民」と投石された場面がありましたが、きっとご心労も大きかったでしょうね。
 家族に対する村岡さんの思いは、かなり複雑だったそうで、東洋英和に編入した時は、「退路を断たれた」思いだったとか。弟さんが、長男なのに他家の養子になって、音信不通というのも普通あり得ないですよね。でも、父親が社会主義思想に傾倒してたのなら、養子先の方から距離を置かれたのかもしれませんね。養子待遇も反古にされたのかも。結局父親の死に目にも立ち合えず、行き倒れ同様の最後でした。それが、ドラマとはいえ、自分で自分の人生を選択し、父親と思い切りぶつかり合い、葛藤しながら自分の生き方を貫いて、最後父親に認められ和解できた事、村岡さんのわだかまり、少しは軽減されたでしょうか。
 そして、醍醐さんとの恋愛、一口に20年というけど具体的に大正末から昭和の戦後にかけてだから、改めてよく待てた、待たせたよねとも思います。アンシリーズにも15年プロポーズしなかった「ルドヴィック・スピードとテオドア」や、20年交際した「ジョン・ダグラスとジャネット」がいます。ルドヴィックの場合は、本人の気質が理由としか(それもどうかと思うけど)いえませんが、コミカルでした。しかし、ジョン・ダグラスの場合、初めて読んだのが小学生でしたが、本当にこんな母親いるのかと思ったくらいの、ダグラス夫人の今でいう「毒親」っぷりに唖然とさせられました。理不尽な約束に縛られての苦しみの20年、事情を知らないジャネットには苛酷過ぎる年月なのに、全てを知った上で許そうとしてる彼女に、きっとダグラスさんは死ぬまで頭上がらないよなあとも思いました。
 マッサン、見て思ったのですが、花子が3杯も飲んで酔っ払ったウィスキーは、模造ウィスキーだったんですね。だから、口当たりがよくて、3杯も飲んで悪酔いしたのかも。どうして、ビールがあんなに高いのかと不思議でしたが、模造ウィスキーなら理由もわかりそう。同時代だから、あの頃花子はこうだったよねとか、ミス・ショーはこの頃、大阪のプール女学校にいたはずとかチラリと頭をかすめます。それを別にしても、マッサン面白く見てます。
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Unknown (ルシア)
2014-10-31 19:56:57
 べのさん、こんにちは~♪(^^)

 わたしも「ゆりかご」を読むまで、村岡先生の人生があんなに波乱万丈だったとは、まったく知りませんでした……一応、本の訳者紹介などに経歴的なものは書いてあったとはいえ、アンを訳すまでにあんなに色々な御苦労があったなんて、思ってもみなかったのです

 確か、村岡先生があとがきとしてどこかで、モンゴメリと直接知り合うことが出来ていたら、良いお友達になれたと思う、といったことを書いてた気がするのですが、本当にそんな気がします。わたしも、アンを訳す過程のことをもっと知りたかったというか、そうした描写がドラマ内であるといいなと思ってたんですけど、戦争の最中に原稿を守り抜いただけでも……そうであったればこそ、わたしたちは今「赤毛のアン」を読めているんだなと思うと、本当に感動するものがあるというか

 わたしも、村岡先生がラジオのおばさんだっただなんて、全然知りませんでしたしかも、旦那さんに薦められて引き受けることを決めただなんて、素敵ですよね

 戦争中は、親米派というだけでも……ドラマ内にもそうした描写がありましたが、家の中に洋書を持っているというだけでも、相当危険なことですよね。でも、カナダの先生たちのご恩や愛情のことを思えば、決して捨てることも出来ず……「赤毛のアン」の原稿が戦時中無事守られたというだけでも、おそらくそれも奇跡に近いことだったのかなとあらためて思います

 ドラマ内で描かれていたのよりも、実際の村岡家のダークサイドは深いものがありますよねおとうがクリスチャンだったので、おかあもそれに倣いはしたものの、おかあは精神的には仏教徒であったため、お葬式は仏式であげたのもそうですし、実際はもっとたくさんお子さんがいらっしゃって、みんなそれぞれ養子や奉公に出されたりしてたこととか……兄やんは、実際はどこへ行っても余され者で、最後はほとんど行き倒れ同様っていうのも(涙)、なんか本当に悲しい。でもドラマ内では立派な青年(?)として描かれていて、本当に良かったなあ、なんて。こうしたフィクションの描き方にはすごく賛成できるものの、他の点ではいくつか「う゛~ん」と思うところがあったというのが、わたしにとっての「花子とアン」だったかもしれません(^^;)

 あ~、その短編、懐かしいです!懐かしいなんて言っておきながら、今ちょっと記憶おぼろげですけど(汗)、モンゴメリの描く恋人同士って、ちょっとした行き違いで喧嘩してたりとか、そうしたパターンが多いですよね(笑)ルドビック・スピードさんは、名前スピードなのに……みたいなのがなんとなく記憶に残ってたり(笑)あの時代って結婚するとなると、今以上に親の承諾とか、そういうのが重かったんでしょうね。反対していた親が死んで初めて……とか、モンゴメリのまわりでも実際にあったのかなって思います(←もしわたしの記憶違いだったらごめんなさい

 マッサン、めっちゃ面白いですよね~♪(^^)自分的には「花子とアン」よりも全体的に面白い感じがします。ただ、わたしの中の<特別感>としては、「花子とアン」は雲を突き抜け成層圏……いや、宇宙にまでも到達してるってだけの話(なんのこっちゃ☆^^;)史実的なことはまったく知らないのですが、エリーさんがとにかくめっちゃ可愛い玉山鉄二さん、本当は二枚目だと思うんですけど、ドラマ内では「辛気くさい顔」と連呼され……相武紗季さん演じる優子さん、このままエリーとは平行線なのかなと思いきや、友達になってたり……マッサンのウィスキー作りの夢が叶うといいなあと、つくづく思いながら見てます(←これはワイン・笑)

 それはそうと、「花子とアン」の感想のほうがもうグダグダ☆(いつも・笑)で、本当に申し訳なかったです 本当はモンゴメリの生涯についてとか、モンゴメリの生涯と村岡先生の人生を比較してとか、そうしたことも色々書こうと思ってたんですけど、何故かこんなことに

 でもべのさんのコメント、毎回本当に楽しみでした♪また「赤毛のアン」や村岡花子さん関連で、何かお話できれば……と思います♪(^^)

 べのさん、コメント本当にいつもありがとう~

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