天使の図書館ブログ

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動物たちの王国【第一部】-23-

2014-02-14 | 創作ノート
【悦楽の園、右扉(地獄)より】ヒエロニムス・ボス


 う゛~ん。今回も特にこれといって書くことないような

 もちろん、記述としてこれで正しいかとか、そういう言い訳事項はあるものの……でもそんなことを一回一回書いても仕方ないというか、むしろ鬱陶しいだけのような気がするので(^^;)

 ええと、そんなわけで↓の本文に関連して(?)、今回は人から聞いたことのある、とあるお話のことでもと思います

 糖尿病の末期になると組織が壊死して足を切断したりすることがあるって、時々聞いたりしますよね。

 んで、わたしそのことを初めて知ったのが、とある方から聞いたこんなお話によってでした。。。

 女癖が悪く、ずっと奥さんを泣かせてきたようなAさんという方が、ある時病いに倒れて寝たきりに……そんな夫のことを渋々ながら介護することになった奥さん。

 しかしながら、これまでも苦労ばかりかけさせられてきたのに、その上こんな状態の夫のことを介護しなきゃならないだなんて……奥さんは旦那さんの介護にあまり積極的ではなく、水が飲みたいと言っても無視したり、旦那さんの大好物を食べさせたりするようなことも、一切しなかったそうです。

 そしてそんなある日のこと、知り合いの方がAさんを訪ねてみると、ベッドの上からぽとりと一匹の蛆虫が……知人の方が布団をめくってみると、そこにはAさんの壊死した組織から蛆虫がわいていたそうな。。。

「ヒィィィィィッ!!」と叫んだほうがいいのかどうかわかりませんけど、その後病院にAさんを連れていったところ、「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!!」とお医者さんは激怒したとか。でも奥さんのほうはまるで「我関せず」といったような、涼しい顔をしていたということでした(おしまい☆)

 う゛~んまあ、難しいですよね。うちも父が浮気魔だったので、そんな父のことをもし母がまともに介護していたら、「お母さん、馬鹿じゃないの?」と思う感じなので、どっちかというとわかるのは奥さんの気持ちのほうなのです(え、そっち??笑)

 この話に関連していえば、うちのおばあちゃんもそういえば凄かったな~と思います。

 二階建ての家の一階と二階とで最後は別居してる感じだったんですけど、ある時この二階でおじいちゃんが具合悪くなって入院することに。

 でもおばあちゃんは病いの床にあるおじいちゃんのことを見ても一切同情しませんでしたし、絶食中のおじいちゃんの前でおにぎりを美味しそうに食べたりとかしてましたっけ。

 そんな様子を見てうちの母は「ばあちゃん、鬼だな」と言ってましたが、孫にはとても優しいおばあちゃんだったので、まあ孫の立場のわたしとしては「なんとも言えないな~」という感じでした。

 なんにしても<介護>とか<入院>っていうのは、それまでその人自身が溜めてきたものが全部さらけだされることになる事柄なのかなって、たまに思ったりします(いいものも、悪いものも)。

 それではまた~!!



       動物たちの王国【第一部】-23-

「やっとあの、原田って男がいなくなってせいせいしたわね」 

 鈴村はナースステーションで溜息を着きながら言った。原田は記憶を取り戻したのち、一週間ほど救急病棟に引き続き入院していたが、元の気弱な様子などは微塵もなく、目つきなどは「ワルそのもの」といったように、眼光も鋭く、目尻が釣り上がっていた。

「人って記憶がないってだけで、あんなに変わるものなんですねえ」

 藤森が驚嘆の念をこめて言った。

「ICUにいた頃の、記憶のない原田さんは不安でいつもびくびくしてて、こっちが守ってあげたいって感じの人だったのに……それがねえ。一瞬にしてあんなふうに変わっちゃうなんてねえ」

 藤森の言う<あんなふう>というのは、原田が一日の大半を病院の喫煙室で過ごし、そこにやってくる人間相手に賭け事や儲け話を吹っかけることや、病室に戻ってきたら戻ってきたで看護師相手にセクハラすること、また患者の床頭台の引き出しにしまわれた見舞金をこっそり頂戴することなどを指している。

「まったく、自分がこれまでコマした女の数を自慢したり、尻を触ってきたかと思えば、背中のブラジャーの線をなぞったり……あそこまであからさまなセクハラ患者は、あたしもお目にかかったことがないくらいよ」

「原田さん、鈴村主任に何度も言ってましたもんね。『俺ァあんたみたいな気の強いタイプが好きなんだよ』って。なんにしても、警察のほうに捕まって良かったですよ。黒田さんに対する傷害罪だけじゃなくて――前にも窃盗で捕まってた上、他にも原田さんに嫌疑のかかってる事件があるとかなんとか……」

「ほーんと、もしかしたらあのまま記憶が戻らないほうが、誰にとっても幸せだったのかもしれないのにねえ」

 看護師たちはそんなことを口々に言い合うと、「もうこんな話はやめやめ」とばかり、それぞれの仕事に集中しはじめた。ちなみに、黒田のほうは今もICUに入院中であり、こちらは音信不通であった家族に連絡が取れたまでは良かったものの、「あのろくでなしがいつ死のうと、わたしたちの知ったことじゃありません」と言われる始末であった。

 実際のところ、医師や看護師が「あの患者、早く死なないかなあ」と思う瞬間は確かにあるものである。ひとつは、黒田真一のように、生きていても誰も喜ばない患者である場合、ふたつ目は生きていることがどう考えても本人のためにはならず、家族の負担にもなっており、かといって医師が自殺幇助罪に問われないために生かし続けるしかないようなケース、また三つ目は「死ぬのは時間の問題」なのに、なかなか患者が息を引き取らないような場合だろうか。

 三つ目の場合は、「結局死ぬのであれば、なるべく早く息をお引取りいただいて、次の救急患者を受け入れたい」といった救急部に特有の事情があるかもしれない。また、死にゆく患者が臓器移植を希望していた場合は、送りだすほうではなく、待機している医療スタッフのほうが新鮮な臓器が一秒でも早く届くことを待ち望んでいる場合もある。

 こうした様々な事情から、黒田が仮に脳死という状態になったとすれば、家族と相談して体中の臓器を提供することに同意してもらったらいいのじゃないかと言う医師や看護師もいた。つまり、生前はろくでもない奴だったろうが、せめて最後に少しくらい人様のお役にたてば――御釈迦様がカンタダに慈悲の糸を垂れたように、黒田の魂が死後に救われるのではないかというのである。

「死後の世界ねえ」

 兵士宿舎で部下たちがそんな話をしているのを聞き、翼はうさんくさそうに鼻を鳴らした。

「臨死体験については、俺も少しくらいは興味があるが、黒田のおっさんの魂が地獄で悪魔どもにいじめられてたり、血の池地獄で鬼どもに足蹴にされてるとこなんか、想像するだけ無意味にしか思えんがな」

「じゃあ結城先生は、死後の世界や来世っていうものを信じてないってことですか?」

 この日も遅めの昼食を取りながら、他の医師や研修医たちと翼は四方山話をしていた。もちろん、こういう時に臨床上の真面目なことを話し、午後からの職務に生かすということもよくある。

「逆に聞くが、じゃあおまえは信じてるってことか、本郷。俺は人の死後には暗黒と虚無の茫漠たる虚しい世界が広がるばかり……とまでは思っちゃいないにしても、べつにそうであったとしても一向構わねえとしか思えねえな。けどまあ、これまでに見送った患者の中には「この子はきっと今ごろ天国にいるだろう」って思える患者もいたし、かといって黒田のおっさんみたいのは死後に是非とも地獄へ行くべきだとも思わない。つーか、そういう意味じゃあのおっさん、今十分そういう報いみたいなもんを受けてるとも言えるんじゃねえのか?」

「そうですかねえ」と、今度は堺が疑問を差し挟む。今兵士宿舎の一室にいるのは、彼と藤井、それに本郷と翼の四人だった。「あの黒田って男、相当ろくでもない奴なんじゃないですか。見舞いに来てたのって、ヤクザの幹部クラスみたいな、ごつい奴らばっかりだったし……しかもそんな奴らに「兄貴」なんて呼ばれてたんですからね。「兄貴、これ差し入れっす」とか言われて、ビールを一ダース受けとったり。まあ、そこへ飛び込んでいって「駄目じゃないですか、黒田さん」みたいに注意できない自分がなんとも情けないけど」

「そんなの、堺先輩だけじゃないですよ。僕だって絶対注意なんか出来ません。見て見ぬ振りして通りすぎるだけですよ」

 本郷がさも恐ろしいといったように、震える振りをして頭を横に振る。

「やれやれ。そんなこったからあのおっさん、肝硬変になっちまったんだろうな」

 ここで話は少し、これからの黒田の治療計画のことについて移り――翼は黒田真一の家族が「なんだったら殺してくださって構いません」と言っていることを話した。

「じゃあ、黒田の治療費とか、一体誰が支払うことになるんですかね。前に腹を刺された時の治療費は、奴さん、きっちり支払って退院したみたいですけど」

「ああ。そうらしいな」

 翼が八宝菜を食べ終わると、本郷が気を利かせて食後の茶を淹れてくれる。

「サンキュ。けどまあ、今度は意識不明ってことで、組のほうでは責任持ってくれないらしいぞ。そこで家族に電話したんだが、こっちはけんもほろろってわけだ」

「医事課の人たちも大変ですね。実際、救急部のICUで治療を受けたとなると、馬鹿高い請求書が行くことになるし……黒田みたいなケースの場合は、一体どこの誰から元を絞りとるんだろう」

「さて。俺も医事課の課長にせっつかれて、どうにかして家族に一度病院に来てもらってくださいって、そればっか言われてんだよな。果たしてどうしたもんか……」

「あんな奴、やっぱり最初に助けずに、出血多量で死んでりゃ良かったんですよ」

 ずっと黙って話を聞いていた藤井が、食べ終わった弁当のフタを閉じて言った。彼は実家から病院へ通ってきており、優しい母親が毎日、栄養満点の弁当を作ってくれるようであった。

「藤井、俺、前にもおまえに言ったろ。救急部ってのは因果なところで、黒田みたいな奴なんかべつに珍しくもなんともないんだって。前にヤクザ同士の抗争で、銃弾を受けた組員が何人も運ばれてきたこともあったし、高校生に殴る蹴るの暴行を受けたホームレスが来たことだってある。とにかく、どんな奴がやって来ようとここでは急患として受け入れなきゃなんねえ。おまえは前に、ホームレスみたいなクズ連中は助けるに値しないとかなんとか言ってたがな」

「それは……まあ、そいつの体が特に臭かったせいですよ。しかも糖尿病で足の先なんか壊死してて、そこから蛆がわいてたんですからね。でも羽生さんは……いや、なんでもありません」

(ははあ、なるほど)と、妙に合点のいった翼は、茶を飲みながら内心ニヤリと笑った。

「あいつはな、可哀想な境遇の奴ほど哀れに思って優しくしたくなるらしいぞ。だからもしおまえが恋愛的に唯のことを落としたいと考えるんなら、みんなに頼んで救急部で孤立してるっていう振りでもしたらいいかもな。ちょうどおまえ、あの能無しの綾瀬と喧嘩したばっかなんだろ?そのことが原因でまわりの医師とうまくいってないみたいにすれば、結構うまく話を運べるかもな」

 ――ほんの数日前のことになるのだが、藤井と綾瀬は殴りあいの喧嘩をしたらしい。以来綾瀬真治は欠勤を続け、そんな彼に「どうしたんだい?」と優しく電話する人間もいないという状態が続いている。

「あれは……あいつが悪いんですよ。羽生さんに対して、変に侮辱的なことを言うから……」

「ふうん。おまえらが喧嘩になったのは、唯のことが原因だったのか。けどおまえら、綾瀬が唯のことを落としたら、俺が横暴な上司だって書き連ねた直訴状に連署する予定だったっていうじゃねえか」

 ここで本郷が茶を吹き出しそうになりながら笑った。

「違いますよ。それはあいつにそんなこと出来っこないとわかっていての、売り言葉に買い言葉みたいなものだったんですから」

「そうですよ。あいつ、羽生さんのことを意外に尻軽だとか言いやがって。フェラーリの助手席に乗せたまではいいけど、あんまり物欲しそうな様子だったからすっかり気が萎えたとかなんとか……」

 翼は本郷孟と一緒になって笑ったが、堺だけは顔つきが怒りに変わっていた。

「結城先輩っ。この温厚な僕も、流石にもう我慢できませんよ。あいつもう三日も無断で休んでるんだし、このまま救急部から追いだしちゃってください!!」

「いや、俺もあの男がどうなろうと知ったこっちゃないんだがな。一応一言パンダに相談したら、このまま休み続けるようなら、奴の親父に話してみるってさ。救急は研修医が絶対受けなきゃならない避けて通れない科だし、息子さんを一人前の医者にしたかったら、うちじゃなくて別のところで研修受けさせてはどうかって、そう勧めるつもりらしい」

「本当ですか!?」

 ここで本郷と藤井が互いに顔を見合わせ、いかにも嬉しそうな表情になる。

「そんなことになったら、みんな絶対喜びますよ。いや~、工藤の奴が何かと脅してくるんですよね。あいつを敵に回したらマジでやばいみたいに……もしかしてなんか綾瀬に弱味握られてんのかなっていうくらいの従順さだったし」

「まあ、まだ本当にいなくなるかどうかはわかんねえぞ。俺としてもそうなることを願っちゃいるが、他の救急部だってうちと似たりよったりだろうからなあ。けど実際に、医者のぼんぼんの中にはそうやってなんとか自分の苦手な研修科目をくぐり抜ける奴もいるらしい。つまり、親父が病院長を勤める系列の病院とか、そういうところに息子や甥のことを放りこんで、うまくねんごろに扱ってもらったりとか、あるらしいな」

「なんですか、そのヤブ医者一直線なシナリオは」

 本郷は五日分の宿便がたった今出たとばかり、晴れがましい顔をしていた。そんなに綾瀬のことが嫌いだったのかと、翼としてはあらためて驚かざるをえない。

「ま、おまえらはそうならないように頑張れ。俺に色々言われて苦痛だったろうが、むしろ逆に俺がいなくなってからのほうが大変だろうからな。葛城先生は本気になったら半端なく鬼だし、パンダの奴はほとんどヤクザみたいな物の教え方しかしねえんだから」

 翼は藤井と本郷が不安そうに顔を見合わせるのを尻目に、午後からの仕事をこなすため、久しぶりにルンルン気分で兵士宿舎を出た。ICU病棟へ行くと、透明なプラスチックの窓越しに、唯の姿が見える。

「なんだおまえ、このしみったれた音楽は」

 黒田真一と、斉藤健二というまだ若い二十代の男がいる病室には、何故かラジカセから「ひとり酒」という演歌がかかっている。

「あの……前に黒田さんが言ってたことがあるんですよ。好きな演歌歌手は伍代夏子と藤あや子だって。で、ああいういい女と一発やりてえなとかなんとか……」

「ふうん。それで、意識不明の患者でも耳だけは聴こえてる可能性があるってセオリーどおり、音楽をかけてみたってことか」

「そうなんです。でも、斉藤くんはまだ若いでしょう?だから演歌ばっかり聴かされちゃ気の毒かなあと思って、この間お母さんがお見舞いに来てた時に、健二くんの好きな曲があったら教えてくださいって聞いたんです。それで、持ってきてもらったのがこのテープなんですけど……」

 唯は一度ラジカセを止めると、別のテープと入れ替えた。すると、尾崎豊の「卒業」が流れはじめる。

「やれやれ。よりによって尾崎か。このお兄ちゃんとは年代がちょっと違う気がするが、なんにしてもこの支配からじゃなくて、さっさとこの病院から卒業してくれってんだよな」

 そう口では言いながらも、翼は唯のつけた記録を見、特にこれといった変化のないことを見届けると、次の病室へ移ろうとして、ふと振り返った。

「おまえさ、斉藤の健二くんはともかくとして、黒田のおっさんなんかとっとと死んじまえみたいには思わねえ?他の看護師なんか、黒田と他のICU患者とは明らかに区別してるからな。リンリンさんはこいつの口を湿らせながら、口臭のあまりの臭さに「おえっ!」て言ったり、藤森と三枝なんか、背中をタッピングしてんのか、それとも単に憎たらしくて叩いてんのか、よくわかんないような感じだったぞ」

 このことは翼としても前から唯に聞いてみたいことではあった。だがどうせ、「患者さんの命は平等です」とかなんとか、優等生めいた答えしか返ってこないだろうと思い、あえて聞かずにいたのである。

「もちろんわたし、鈴村主任や奈々ちゃんたちの気持ちもわかるし、べつに自分だけいい子になりたいってわけでもないんですよ。ただ単に、なんていうか……それでも、前に意識のあった頃の黒田さんより、今の黒田さんのほうが好きだっていうのは確かだと思います」

「つまり?」

 ピーピー鳴り出す人工呼吸器の警告音を止めて、唯が続ける。特別な異常を告げ知らせる他にも、ほんのちょっとしたことですぐエラー音が鳴りだすのだった。

「えっと、なんていうか……意識のある時の黒田さんはまともに会話できないくらい怖い人でしたけど、もうこうなったらほとんど仏さんにも近い感じで、元は確かに嫌な人だけど、もうそんなことはどうでもよくて、変に意識あるよりは扱いやすい患者さんになったっていうか……」

「ふうん。なるほどね」

 何分仕事が詰まっていて時間がないため、翼はそれ以上のことは何も聞かず、その場を後にした。だが今の唯の言葉がきっかけで、やはり翼はもう一度だけ黒田の家族に電話してみることにしたのである。

『あんなろくでなし、死んでもわたしたちには何も関係ありません』……といった科白を聞くのは、何も翼はこれが初めてではない。また何度話をしてもその平行線で、取りつく島もないといったことも、特段珍しい話ではまるでない。だが、中にはやはりいるのだ。『あんなろくでなし』と口では言いながらも、意識がなく、人工呼吸器に頼らなければ生きられない状態の姿を見て、少しばかり仏心を起こす家族というのが……。

 そしてその数日後、翼がどうにか口説いたといった形で、黒田の妻が病院へやってきた。

「先生、わたし、言われたとおりあの人の顔を見に来ましたわ。けど、あんな奴のために涙を流そうなんて、これっぽっちも思いませんね。むしろせいせいしたくらい。さっき、看護師さんがいなくなったのを見計らって、耳元でこう言ってやりました。「ざまーみろ、ざまーみろ。とうとう天罰が下った、あはははは」って。ええ、ひどい女と思ってくださって結構。でもそのくらいわたしも娘も、あの男には泣かされてきたんですから、当然ですよ」

 黒田の妻が演歌歌手の伍代夏子に似ているのを見て、翼は思わずおかしくなった。そうか、あの男は確かにどうしようもない男には違いないが、若かりし頃は妻に本気で惚れていたのだろうと、そう思った。

「今回わざわざ病院までお越しいただいたのは、今後のご主人の治療方針のことだったんです。ご主人が夜の街で同じヤクザ者と喧嘩になり、ナイフで刺されたというのは電話でもお話したとおりなんですが……その後、また病院内でこの男と偶然出会って、今度はそちらの男に半殺しの目に遭わされたと言いますか。結果、黒田さんは意識不明の状態が長く続いています。このまま意識が回復して来ないとすれば、いわゆる植物人間と呼ばれる状態になる可能性が高いかもしれません」

「先生、先に申し上げておきますけどね、わたしたちはあんな男のために治療費をビタ一文支払う気はないんですよ。それでいいんなら、なんでも先生のお好きなとおりになさってください。わたし、黒田とはもう十年も昔に別居してるんです。離婚したくても出来なかったのは、そんなことをしたらあの男が何するかわからないと思ったからですよ。娘にも言われたんです。というのもうちの娘は病院で医療事務員をしてまして、救急で手術を受けてICUに入院したとなると、一桁違うんじゃないのってくらい高額な治療費の請求が来るって言ってましたから。そんなもの押しつけられたら大変だから、絶対その医大病院になんか行っちゃ駄目だって……」

「賢い娘さんですね」

 ざっくばらんに話をしようと思い、翼はここで笑った。

「ええ、うちの遙はわたしにとって自慢の娘です。けどあの男はどうしようもない呑んだくれでね。わたしにだけじゃなく、娘にまで暴力を振るうような始末でした。先生も、そんなふうに虐待を受けた子供を、ここで見たりされるんじゃありませんか?」

 思い出したくない過去のいくつもの記憶を、翼はとりあえず頭の隅に留め置いた。

「まあ、確かにそうですが……じゃあ奥さんは今回、何故ご主人に会いに来たんですか?」

「そんなの、先生がしつこかったからに決まってるじゃありませんか。というより、先生から最初にお電話をいただいて以来、心がざわついてましてね。あの男に昔こうされたとかああされたとか、そんな記憶が色々甦ってきて……ようするに、自分のためですよ。黒田の惨めな姿を見て、今じゃあ心がすっきりしました。あんな男がベッドを一床塞いでるってだけでも、人様の迷惑になるでしょうから、延命措置なんてとらずにとっとと殺してしまってくださいな」

「そう言われても、我々にはどうすることも出来ません。そもそも、植物状態というのと脳死では、話がまるで別になってくるので。もっとも、これからもし黒田さんが脳死と呼ばれる状態になったとすれば、ご家族のほうでも延命を望まないということで、人工呼吸器を切ることは出来ます。けれど、今はまだ僅かなりとも回復の希望がないわけでもないですから」

 ここで翼は、今の黒田真一の置かれているいわゆる植物状態と呼ばれる状況と、脳死の違いとを黒田の妻に説明した。脳死とは、呼吸や心臓の拍動など、生命活動上欠かせない機能を司る脳幹を含めたすべての脳の機能が不可逆的に停止することであり、一方植物状態というのは大脳や小脳が機能を停止していても脳幹は生きている状態を指す、といったようなことを。

「先生、不可逆的なんて言葉、わたしのような素人に言われてもまるでわかりませんよ。ただ、大脳や小脳が駄目になっても、呼吸や心臓の拍動なんかを司る脳幹が無事であれば、人は意識のない植物状態でも生き続けることが出来るというのはわかります。で、黒田は今そういう状態なんですか?」

 意外なことに、黒田の妻の綾子が、ここで手を震わせて泣きはじめるのを見て、翼は驚いた。

「ええ。先に説明したとおり、黒田さんはこの病院内で怪我を負われました。ですが、脳挫傷の程度があまりにひどくて……手は尽くしましたが、一か月が経過した今も意識が戻ってこないといった状態なんです」

「あの原田とかいう男、いっそのこと主人を殺してくれたら良かったのに。最後の最後まで人様にもわたしたちにも迷惑をかけるだなんて……先生、わたし昔聞いたことがありますよ。人っていうのは、その人が生きてきたように死んでいくものだって。その言葉を聞いた時にはね、そうとは限らないんじゃないかしらと思いましたけど、あの男にはまったくもってぴったりの言葉ですよ」

(俺もそう思いますよ)などと言うわけにもいかず、その後患者説明室には気まずい沈黙が流れた。

「とにかく、あんな男、煮るなり焼くなり先生方の好きなとおりになさってください。高額な医療費の請求なんてきても、間に弁護士を立てて突っ返しますから、そのおつもりで」

「…………………」

 翼なりに、模範的な医者を演じてみたつもりであったが、どうも話のほうはうまくまとまったとはいえない。だが不思議なことに、黒田真一は妻が会いに来たこの日の夜――まるで彼女が会いに来るのをずっと待っていたとでもいうように、静かに息を引き取ったのであった。

「良かったよねえ、先生。あの奥さんじゃなくて、黒田の弟さんが遺体を引き取りに来てくれてさ。じゃなきゃ今頃無縁仏だったろうけど、『死んだらもう誰にも迷惑かけないだろうから』だって……あの弟さん、もしかしたらあのしぶとい男のことだから、死地から甦ってくるんじゃないかと思って怯えてたのかもね」

「かもしんねえなあ、藤森。なんにしても、一件落着ってことになって良かったって話だよな。さてもう一回寝直して、いい夢でも見るとするか」

 せっかく比較的平穏な夜だったのに、夜中の三時に人を叩き起こしやがって……などとブツブツ思いながら、黒田真一が亡くなり、彼のことを霊安室へ見送った明け方、翼は邪悪な社会のゴミがひとつ掃除されたことを実に喜んだ。

 もっとも、彼がICUから消えたことで、次に救急部で電話が鳴った時、すぐにも受け入れるということには当然なるのであったが……。



 >>続く。





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