天使の図書館ブログ

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動物たちの王国【第二部】-38-

2014-04-15 | 創作ノート
【法悦】マックスフィールド・パリッシュ


 え~と、今回も特に書くことがn……と思うので、何やらテキトーなことを少しばかり

【35】のところで書いた認知症のおばあさんは介護度が5だったんですけど、「こちらの話を聞いていない」、「理解しない」(座ってくださいと何度言っても座らず、立ったまま独り言を続ける)といった感じの方だったのですが――わたし、この方のことが大好きでした(^^;)

 たぶん、人間として相性の問題もあるのかなとは思うんですけど、まあ次に会った時にわたしのことを(も)覚えてないとか、不穏になると悪者扱い(人殺し扱いともいう・笑)されても、本当の意味で「このババア、マジで勘弁してくれ」みたいにはあまり思わなかったというか。

 ただ、忙しい時に同じ話を繰り返されたり、他の方が全員寝てるのにYさんだけお目々ぱっちり☆っていうことになると……ずっと彼女の相手をしていて、夜勤の時は休めなかったりするんですよね(^^;)

 そういう時は流石に、「Yさん、好きだけどそろそろ解放してちょ☆」とか思うという(笑)

 う゛~ん。自分的にはこの「Yさん、わたし結構好き」みたいに気持ちを、出来れば御家族の方にお伝えしたかったかな……と思わなくもありませんでした(ある日気づいたら施設長が「もう手に負えない」とばかり、違う施設に移ってもらってたというか

 他の職員さんの方もやっぱり、忙しい時に不穏になられると「ババア、マジでいいかげんにしろ」みたいになると聞いてはいたんですけど、わたし、ほんとにYさんのことは「この人のことはボランティアでもいいから、出来れば見たいなあ」と思ってました。

 まあ、御家族の方になんで「わたし、Yさんのこと好きなんですよ」みたいに言いたかったかというと、一応理由があります。

 家でもずっとあの状態ということは、御家族の方も相当大変だと思うんですけど、施設に来た時には「誰からも厄介者扱いされてる」ってわけじゃなく――「人間的に好きだと思ってます」、「結構相性いいんですよ」みたいに言ってくれる人がひとりかふたりいるだけでも、すごく違うんじゃないかなっていう気がしたので(^^;)

 そして、当然あるのがこの逆のパターンだったり

 人間として相性悪いといったらいいのか、「どうしても好きになれない」といったらいいのか……同じ介護度が5の認知症の方だったのですが、この方のことは「ババア、ほんっとーにカンベンしてくれ」とか思ってました(笑)

 夜中にベッドの上にう○ちがあったのですが、それを手づかみにして投げながら、「これはわたしのじゃない」とか言うんですよね。「誰かがここに置いていった」みたいに。

 いや、わたしがこの方のことを好きになれなかったのはう○ち云々ではなく……性格があんまり好きじゃなかったのです

 同じことばかり繰り返すとか、こっちの言うことをなかなか聞いてくれないとか、それはYさんと一緒なんですけど――にも関わらず、Yさんのことは人間としてすごく好きになれたというか。

 このおばあさんの他に好きになれなかった人として記憶に残ってるのは、オムツを交換する時に何度やっても「気に入らない」と言ってクレームをつけてくるおじいさんでした。

「(中に入ってる尿取りパッドを)もう少し右に」……そんで若干右目にすると、今度はもう少し左とか言い出す(笑)

 おじいさんなので、「それはちょっと性的なこともあるんじゃないのー?」と思われそうなんですけど、この方の場合はほぼ100%そういうのじゃなかったと思います。

 かといって、そう言うことで構ってほしいというわけでもなく……「なんとも言えんジジイだな☆」というのが、職員さんの一致した意見だったというか(^^;)

 あと、この方のことで印象に残ってるのが、家まで迎えにいった時に、家庭内にどこか「ノイローゼ的雰囲気」が漂ってたことかもしれません。

 かといって家族の方に「あんなジジイの面倒を見てたらそりゃあ、ノイローゼにもなるわな☆」などと言うわけにもいかず、とりあえず車椅子に乗せたりなんだりするんですけどね(^^;)

 まあ、歳をとったら自分もそうなる可能性があるわけですけど、とりあえず他人の家の介護について「わたしだったらもっとこうするわ」とか、今はそういう理想みたいなもんは打ち砕かれてしまって見る影もないという気がします(笑)

 それではまた~!!



       動物たちの王国【第二部】-38-

 その後、唯はマンションの管理人に苦情を言われたことがきっかけで、違約金を支払い、そこを出るということになった。

「あのね、羽生さん。あなたの部屋をあやしい男が出入りしてるのを、何人も目撃しているんですよ。もしここから出ていきたくないというのであれば、あの男性が親戚にあたるというきちんとした証拠を見せてくださるか、彼のことは今後決して部屋に出入りさせないと、約束してくださらないと」

 言葉だけを聞くと、頭の固い大家がうるさいことを言っているようだが、もちろん唯には管理人の女性の言っていることのほうが正しいとわかっていた。実際唯にしても、以前ストーカーのような行為にあい、怖かったからこそ、安心して住めるマンションを探していたのだ。そして色々と厳しい規約があることに同意した上、そこに違反した際には違約金を支払って出ていくという誓約書にサインしていた以上――これ以上嘘をつくということは当然出来なかった。

「ふう~ん。あっそう。じゃあおまえ、俺んちに越してくれば?」

 この話を聞いた時の翼の反応というのは、実に軽いものだった。カーテンから覗いていた管理人のことを「しょうもないババア」と断罪し、「でもまあちょうどいいから一緒に暮らそうぜ」と言った。

「でも……そういうのわたし、ちょっと困るっていうか」

 翼の部屋のダイニングで、彼のリクエストによりコロッケを作りながら、唯は言った。唯の作るじゃがいものコロッケは、茹でたじゃがいもをすり潰して塩こしょうし、それに衣をつけて揚げるだけの、とてもシンプルなものだった。だが翼は子供のようにこれが大好きで、最低でも週に一度は作ってほしいとねだっていた。

「困るって、一体何が?」

 ほくほくのじゃがいもに横から手を出して食べながら、翼が聞き返す。

「そういうの、嫌なの。結婚する前からずるずる一緒に暮らしたりとか……それに、今まではそれぞれ別に暮らしてたからそうでもないにしても、今度はもう自分の部屋っていう避難場所もなくなるわけでしょ。そしたらお互いの欠点がすごく大きく拡大したように見えたりとか、すると思うの。だからわたし、やっぱり他に部屋を借りるわ」

「ふう~ん、ふう~ん。ああそう……」

 翼は右手の人差し指と中指をなめると、一旦そこから退却した。拗ねたというわけではない。唯はといえば、料理を邪魔する人間がいなくなったので、野菜を切ったり、味噌汁を作ったりという他の作業に集中できてほっとした。

 とりあえず翼は寝室にある机の前で、何やら仕事しているという振りをしながら――自分が若干のショックを受けていることに驚いた。何故といって、「一緒に暮らそうぜ」、「ええ、そうするわ」といったような答えが即座に返ってくるものと期待していただけに……相手が自分と同じ気持ちでないことが、僅かばかりショックだったのかもしれない。

 もちろん、翼にもわかってはいる。自分と彼女との関係というのは、翼が提案し、彼女が従い、翼が我が儘を言い、彼女が受諾する、何かそうした相互の依存関係によって成立しているということは。ゆえに、いつもなんでも唯が言うことを聞いてくれるだけに、時々こうした拒否に合うと、翼のほうでは思った以上に受け容れるのが難しかった。

(どーすっかな)と、脳の一部で英語で書かれた論文を訳しつつ、また別の回路を使って翼は考える。(さっきも、「じゃあ結婚すれば問題ねえんだろ」って言いそうになったよな、俺。いや、あとでメシ食ってる時にでも言ってみるか?「君のじゃがいもコロッケを死ぬまで食い続けたい」とかなんとか……)

「先生、ごはん出来ましたけど」

「ああ、うん」

 廊下に出ると、そこにはじゃがいもコロッケを揚げた時の匂いや、味噌汁の匂いが混ざりあった、夕食に特有の香りが漂っていた。翼の頭の中ではっきりしているのは何より、自分はもうこれなしには生きていけないだろうということなのだが、もちろん翼はそんな魔法の絨毯が欲しいためだけに唯との将来を考えているわけではない。

「唯、あのさ、俺……」

「うん。なあに?」

 いつものように、「こんなに野菜ばっか刻むんじゃねえよ」と文句を垂れるでもなく、翼の態度がどこかしおらしいことが、唯には少し不思議だった。

「その、俺がもしそのうち、K病院辞めるって言ったら、おまえどうする?」

「……辞めるって、いつ?」

 東京の病院のほうにでも戻りたいのだろうかと、唯は少しショックを受けた。K市には海があり、山もあり、もし子育てするとしたら都会よりも絶対こちらのほうがいいと、唯はそんなふうに思っていたのである。

「んー、なんつーか、そのさ……今すぐどうこうってことはねえんだけど、そのうち俺、一本どっこで勝負してみようかな~なんて思うわけ。けど、結婚してガキも生まれたって頃に不意打ちみたいにそういう計画明かすってのは、フェアじゃねえだろ?だから先におまえに相談しとこうと思って……」

「…………………」

「あ、一応先に言っておくとな、当然おまえにも拒否権はある。たぶん、俺みたいのは絶対独立開業とか向いてねえと思うし、不愉快な印象を持って帰った患者が速攻ネットで文句を書き込みそうだもんな。それに、救急ってのはリスクが高いから、患者から医療訴訟とか起こされてさ、借金だけ背負ってジ・エンドなんてことにもなりかねんし。で、しがない勤務医にもう一度逆戻りなんつーことになって、その頃には俺、性格もすっかりやさぐれて、外に女作っておまえに暴力とか振るったらどうしようとか、悲観的に想像しなくもない」

 翼が最後に言ったことはもちろん冗談なのだが、唯がずっと黙ったままでいたため、フォローする必要が生じた。

「あ~、いやさ、俺、このこと実はおまえよりも先に、茅野さんと雁夜先生に相談しにいったわけよ。茅野さんはさ、俺より先に独立開業してて、そこらへんの難しさとかよくわかってると思うし……雁夜先生にはさ、時々こっちに帰ってきた時にでも、ちょっちでいいから手伝ってもらえねえかと思ったわけ。そしたら、なんか自分が金だしてもいいとか言いだしてな、あの人。あちこちの病院を渡り歩くより、ここに自分の基幹病院を持って、患者に来てもらったほうがいいかもしれないって思いはじめてたとこなんだって。唯も知ってると思うけどさ、脳梗塞とかくも膜下出血とか、救急で運ばれてくる率が相当高いだろ?雁夜先生はそこのところを受け持つのに、なんかすげえ興味があるってことだった。いや、雁夜先生みたいな人が救急ってのは、割合わないと思うって言ったんだけど、なんかもうそういう理屈みたいのはどうでもいいんだって。で、MRIとか色々、雁夜先生はご自分の力量に見合った最新型の機械を入れたいだろうから、俺と雁夜先生が理想とする病院を建てようと思った場合、まあ軽く四億はかかるっていうか……」

(ちなみに、ほとんど借金になるから)とは、流石の翼にも言い出せず、その点は言葉を濁らせることになる。すると唯は、翼とは違いずっと箸を止めていたのだが、そんな彼女の指から木製の箸がカランと床に落ちる。

 見ると、唯は泣いていた。やがてそれがしゃくりあげを伴った激しいものに変わっていき、流石に翼も狼狽する。

「あ~、おまえ、いくらショックでも泣くことはあるめえよ。『四億?馬鹿じゃないの、この人』って言いたいおまえの気持ちももちろんわかる。けど、雁夜先生、あの人アメリカにいた頃に相当儲けた人らしくてな。いずれアメリカか日本のどちらかで開業しようと思って金貯めてたんだって。だからまあそこらへんは折半できるし、俺が心配なのはどっちかっていうと金よりも人っつーか。俺とかりりんは今んとこは仲良くうまくいってるにしても、一緒にやってくうちにまずいことになってったらどうしようと思わなくもねえからな。あとはあの人のとこだけ妙に繁盛してて、俺んとこは閑古鳥が鳴いてるとか……」

「そんなことないっ!!結城先生の腕はピカイチだものっ。人なんて放っておいても絶対たくさん来ますっ!!」

 翼が箸を拾い上げて流しに置き、別の新しいのを一本持たせると、唯のすすり泣きはより一層激しいものに変わっていった。

「じゃあおまえ、泣いてっけど、この件は賛成ってことでいいのか?」

 唯は何度も激しく縦に首を振って頷いた。ただ単に、彼女は嬉しかった。すべて外堀を埋め尽くしたたあと、事後承諾的に彼がこの話をしたのではなく――前もって先に相談してくれたことが。そしてそこには、唯自身との将来のことがきちんと含まれているということが。

「俺もさ、一応おまえには悪いなーと思うわけ。普通女ってのは、医者と結婚すればその後の自分の人生は安泰、子供をいい塾に通わせてあげる傍ら、わたしも趣味にお金使っちゃおうかしら……とか、なんかそんなふうに思うもんなんだろ?けど、雁夜先生が参戦してくれるってことで、少しは見通しが明るくなったものの――唯に苦労かけることに変わりはないと思う。病院の経費を浮かせるために、昼・夜問わずこき使って、家に帰ったら俺が「メシまだー」とかうるせえこと言って、ガキが出来たのに臨月まで働いた上、金のない夫が自宅で生めって言って自宅出産……あ、最後のは冗談だかんな。本気にすんなよ」

「いいわよ、べつに。どうせ先生は救急の専門病院なんて立ち上げたら、そっちに夢中になってわたしのことなんかどうでもよくなるに決まってるもの。わたし、うまくやってへそくり貯めて、先生が「今月ちょっとは残ってないのか」って言っても、「ありません」としか絶対言わないわ。そしたら外にも遊びにいけなくて浮気もしないし、一石二鳥よ」

 唯はようやく自分の作ったコロッケに箸をぐさりと刺し、ぱくぱく食べはじめた。我ながら美味しいと、自画自賛的にそう思う。

「……おまえも言うようになったもんだな、唯。昔は『ゆ、ゆ、結城先生』なんて言って、そりゃあ可愛いもんだったのに。まったく、こうやって女は変わっていくんだな」

「しょうがないでしょ。女が変わるんじゃなくて、男の人がやむなく変わるようにさせていくんですもの。でも先生、わたし……」

 自分がそう言ったからではなく、唯がまるで昔に戻ったように突然顔を真っ赤にしていることが、翼にもわかった。

「『でもわたし』、どうした?」

「先生は、わたしみたいので本当にいいの?もっとほら、他に……先生には選択肢がいくつもあると思うの。わたし、最終学歴は看護学校だし、実家もラーメン屋で貧乏だし……」

(俺はおまえがいいんだからいいんだっての)と力説するのも恥かしいので、翼はそこは軽く流した。

「そっか。そーいやそうだよな。そのうち唯のラーメン屋の実家に行って、ラーメン三杯くらい食う傍ら、『お嬢さんを僕にください!!』とかいう芝居をやんないとな。いや、芝居っつーのは冗談で、これはそんくらいの気持ちになるだろうなって意味。おまえ、ストーカーにあったあとはホストみたいなろくてねえのとつきあってるって、両親には言ってあんの?」

「ううん。特には……でももしかしたらえっちゃん経由でお母さんの耳には入ってるかも。それに、うちは大して問題ないと思うけど、結城先生のご両親は……」

 一度は意気込んでいた唯が、再びまたしょんぼりしぼんだようになるのを見て、翼はおかしくなった。それでいうなら、自分の家のほうこそ問題ないと、どう説明すれば彼女にわからせられるだろうか?

「あー、前にも言ったけどさ、うちはまったく問題ナッスィンなのな。とゆーのもだ、俺とおふくろの間の精神の糸ってのは、相当昔に切れちまってるからな。ここのところの問題を唯にわからせるのは無理なのはわかってる。けど、そのうち真っ白い布にうっすらどくだみ茶の色が染み渡るような具合で、いつかおまえにもわかる時がくるさ。唯が善意でやったことに対して、おふくろが周囲にどう言って聞かせたかとか、じゅんぐりじゅんぐり悟るうちにな……唯おまえ、どくだみ茶くらいなら可愛いもんだし、むしろ美味しいとか今思ったろ?」

「う、うん……」

 実際そのとおりだったので、唯は素直に頷いた。

「まあ、おまえはそういういい人間だから、最初はたぶんわかんないと思う。明日あたりさ、俺、嫌々ながらだけど家に電話入れとく。本当はさ、俺としては唯の家だけ行って、自分の両親には事後承諾みたいにしたいとこなんだけど……ま、そういうわけにもいかんわな。うちのおふくろ、唯の家に先にいって自分のほうは後まわしだったってあとから知ったら――嫁のせいで俺の頭がおかしくなったとか、なんでも曲解して受け止めるっていう、そーゆー人だから」

「えっと、でもじゃあ、先生のお父さんは?」

 あさりの味噌汁の味が、標準並に濃いことを心から喜びつつ、翼は肩を竦める。

「あの人はさ、なんでも事なかれ主義の人だから、いてもいなくても全然関係ねえの。俺が結婚するって言って、唯のことを紹介したとするわな。そしたら100ワットの電球が輝いたみたいな具合で、たぶん喜ぶと思う。なんでかっていうとさ、俺がおふくろに対する嫌がらせみたいな女を連れて来なくて良かったと思って安堵するっていう、あの人はそういうことだけはちゃんとわかってる人だからな。けど、俺とおふくろの間に入って戦おうとか、自分の息子を守るために味方しようとか、そういう面倒くさいことまでは絶対してくんないわけ。わかる?」

「なんとなく、だけど……」

「うん。俺さ、おまえみてるとすんげえよくわかるのな。おまえの両親は貧乏とかなんとか、そんなことは関係なく、たぶん人間としては相当まともだろうなって。けどなー、うちは親父はともかく、間違いなくおふくろのほうの頭がおかしい。唯もさ、うちの実家とはなんか適当に表面のうわっ面だけ合わせておくだけでいいから。で、おふくろがさ、うちの息子はろくに孫の顔も見せに来ないとか、それは嫁が悪いからだとか言ったりしても、俺は100%おまえの味方だから何も心配しなくていい」

「…………………」

「いいか、最初に忠告しとくぞ。おまえは善意の人間だから、最初はおふくろが隠してる悪意にはまったく気づかないと思う。で、なんでもいいほうにいいほうに解釈して、自分にも悪いところがあったとかなんとか思うかもしんない。けどまー、俺に言わせりゃそんなの、最終的に非常に無駄な努力。なんでって、俺も昔はそんふうに思って母親に気に入られようとした経緯があるからこそわかることなわけ。俺がそのことで葛藤した葛藤量な、たぶん計測したら東京ドーム五百個分だ。あとはマレーシアのツインタワー、あれを百回建てて壊してを七兆回くらい繰り返したんじゃねえか?けどまあ、そこまでしたのに相手が変わらなかったとあっちゃ、それはもう俺の責任ではないわな。以上、俺には親のことではもうまるっきり責任はない!!ってところだ」

(「でも、やっぱりそれでも、結城先生を生んでくれたお母さんなんだし……」)といったように唯が言うかと思ったが、翼の予想に反して、彼女は黙ったままだった。というのも、唯には唯で、家族のことで悩みがあったし、翼の家の事情というのも内部にいた彼の言い分こそが、おそらくもっとも正しいのだろうと理解していた。

 唯は食事の後片付けをしながら、自分でも少し不思議な気持ちになっていた。唯の父親は完全なる亭主関白を絵に描いたような人物で、料理人としてはプライドが高く職人気質、本質的な仕事以外の面倒はすべて母任せにするという人間だった。

 つまり、料理の仕込みや調理に関してはともかく、そこに付随する掃除、伝票整理といったことはすべて唯の母が行うことになっていた。唯が小さな頃からそんな両親を見ていて思ったのは――とにかく、同じようにはなりたくないということだった。朝から晩まで自分の旦那に顎でこき使われ、仕事が終われば終わったで風呂がぬるいだなんだの文句を言われ……もし自分も結婚して同じようになるくらいなら、一生独身で通したほうが遥かにましだと、ずっとそう思っていた。

 そして実際、唯の姉の香は、十代を通してそんな親に反抗してばかりいた。「わたしはラーメン屋になんて生まれてきたくなかった」、「仕事を手伝えだって?ふざけんなっ!!」、「子供は親を選べないんだよ。だったら、少しは金でも貰わないとやってらんないよ!!」などなど、姉と父の凄まじい喧嘩はラーメン屋の常連客にはほとんど見世物だったといっていい。

「お姉ちゃんはああなのに、唯ちゃんは借りてきた猫みたいに大人しいね」……それが近所の人々の言い種だったが、あんなに口が達者で激しい気質の姉を持ったとすれば――元の性格もあるかもしれないにせよ、自分は大人しくならざるをえなかったのだと、唯はそんなふうに思う。

 姉は高校を卒業後、「わたしはデザイナーになる!!」と言って家から飛び出していったのだが、以来ずっと家族とは音信不通のままだった。けれど最近、唯はこの姉のことを思い出すことがとても多い。何故といって、翼と話していると、姉の香の気性の激しさのことをつい連想してしまうそのせいだった。そして思う。もしかして性格が正反対の姉と小さい頃から育ってきたからこそ、自分は同じように性格がまるで違う恋人と一緒にいることが出来ているのではないかと……。

「なんだ、唯?せっかく俺が食器洗浄器買ったってのに、おまえ全然使おうとしねえのな」

 いつもどおり、たらいにお湯を張って食器を洗いはじめると、隣で翼がそう言った。

「だって、軽く洗って順番に立てかけるっていうのもなんか……むしろ逆に面倒なんだもの」

「ああもう、だったら貸せ」

 翼はイライラしたように、唯の手からスポンジを取り上げた。そして皿や茶碗などを、「ここにコップ、ここは皿、それでここには箸とかスプーン」などと言いながら、順にちゃっちゃっと片付けていく。

「で、最後に洗剤入れてスイッチオン。そしたらな、手で洗うよりも食器がピカピカに磨かれたみてえになってっから。俺はこれ、自分のためじゃなく、おまえのために買ったわけ。だから有効活用してくんなきゃ困る」

「う、うん……」

 翼は唯が手を洗う間もなく、彼女の手を引いて、いつものソファの定位置にではなく、寝室にまで連れていった。そこでいつものように抱きあったあと、翼が独り言をつぶやく時間がはじまる。独り言などといっても、もちろん唯はそれを概ねきちんと聞いてはいる。だが大抵は特に何か意見することはなく、ただ何度も頷き返すという、それだけだった。

「おまえってさ、自分って実際大したもんだなとか思わねえ?」

「うん……べつに」

「いや、普通はさ、『なんで救急なんて、そんな儲からないことするのよ』とか言うだろ。『どうせ開業するんなら、内科とか外科の看板ぶら下げてりゃいいでしょうよ』って。まあ救急なんていってもさ、自分たちのとこで手に負えないようなケースはK病院に回したりとか、そういうことにはなるんだけどな。けど、大したことない怪我から心筋梗塞まで、なんでもかんでも救急指定病院に搬送する前に、こっちで分類して専門の対応が必要なものだけ回すっていうようにすれば、大分変わるだろ?そう思ってさ」

「結城先生って、馬鹿なのね」

 唯はくすりと笑って言った。

「そんな損なことするより……今のままK病院にでもいれば、地位も安定してて、ずっと儲かるかもしれないのに」

「まあなあ、なんで俺はこんなに馬鹿なんだろうな、実際」

 そう言って翼もベッドの中で笑った。

「おまえさもさ、馬鹿のとばっちり食って悪いとは思うけどさ、この分の悪い条件でもいいっていうんなら、俺と結婚してくれ」



 >>続く。





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