天使の図書館ブログ

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動物たちの王国【第二部】-39-

2014-04-16 | 創作ノート
【青いアイリス】ファブリス・デ・ビルヌーヴ(オールポスターズの商品ページよりm(_ _)m)


 え~と、一応次で終わる(予定☆)なんですけど、あと2回分、前文で何を書こうかな~なんて(^^;)

 なんていうか、何やら唐突な気もしますけど、<絆>ということについて(笑)

 何やら<絆>って聞くと、がっちりと結びついて、分かち難くなっている二人以上の人間……というイメージがなんとなくありますよね。

 でも確か、河合隼雄先生の本だったでしょうか。

<絆>の語源を遡っていくと、ほだしという意味があるというか、何かそうしたことが書いてあった記憶があります(※例によって記憶曖昧なので、出典の正確さに欠けますm(_ _)m)

 そして<絆>(きずな)という意味をネットで検索してみると、


 >>絆は犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱のことをいい、平安中期の辞書『和名抄』にもその意味で使用例が見られる。 絆は離れないよう繋ぎとめる綱の意味から、家族や友人など人と人を離れがたくしている結びつきを言うようになった。

(語源由来辞典さまより)


 今度は、絆を絆(ほだ)しと読ませて検索してみると、


 ①馬の足にからませて歩けないようにする綱。
 ②手かせ。足かせ。身動きできないように人の手足にからませるもの。
 ③妨げ。さし障り。束縛するもの。

(Weblio古語辞典さまより)


 ということになるらしく。。。

 普段は基本的に、絆っていう言葉はたぶん、いいほうの意味で使われてますよね。

 でもそれはどちらかというと、言葉の陽の部分だけであり、陰の部分としては「自分という存在を犠牲にしても相手(家族や親戚や学校や会社、その他社会全般)と嫌々ながらでも繋がっていなくてはいけない」という意味にも取れる気がします。

 河合隼雄先生が書かれていたその文章を読んだ時、妙に心にストン、と落ちるものを感じた記憶があったというか(^^;)

 たとえば、前回書いた「あまり好きになれないジジババ☆」(笑)とか、「いやいやながらも一緒にいる」ということが、実は一番大切なことなのかなと思ったんですよね。

 いつも美しい綺麗な心で感謝をこめ、真心のある介護を……というのが理想ですけど、実際はそんな簡単なものでもないので、心が荒れた時には時々、「嫌々ながらも面倒を見る」、「ただ一緒にいる」というだけでも、実は十分な「介護」になってる部分があるんじゃないかな……と思ったりしたというか(^^;)

 なんていうか、自分が心から好きと思える相手との間に愛情があるっていうのはそりゃ結構なことなんですけど(笑)、それは「愛」という言葉の表の部分であって、「裏」の部分、影の部分としては「一緒にいたいと思えない時にも一緒にいて、それが積み重なっていつしか<絆>になった」……というのが、本来の絆という言葉の意味なんじゃないかなって、そんなふうに思ったんですよね。

 なんにしてもまあ、動物~も次回で最終回です♪(^^)

 それではまた~!!



       動物たちの王国【第二部】-39-

 初めて翼の両親と会うことになった三月の第四日曜日――当然のことながら、唯はとても緊張していた。
 
「先生のお母さんって、どんな格好の女性ならいいの?」

 そう聞くと翼は、パーカーにジーンズという自分の格好を指差し、「こんなの」と笑っていた。

「もう、それは先生だから普段通りでいいにしても……わたしはそういうわけにいかないの!!」

 結局唯はさんざん迷った揚げ句、清楚なお嬢さん風ワンピースを選んでいた。翼はといえば、そんな唯のことを見て、「もっといかにもビッチって格好にすりゃいいのに」などと、適当なことを言っている。

 なんにしても、東京の下町にある<結城医院>に唯が辿り着いてみると、病院の前庭にはソメイヨシノが満開に花開いていてとても綺麗だった。内科と外科の看板がかかる下の診療時間を見てみると、診療は月曜から金曜の九時から五時まで、また土曜日は午前中のみ診察しているらしい。

「あの、先生……」

「うん?」

 病院前の駐車場にシトロエンを停め、医院の奥のほうにある二階建ての一軒屋へ向かう途中、不意に唯が翼の手を後ろへ引いた。

「わたし……なんていうか……」

<うらぶれた今は流行ってない小さい病院>と翼が言ってたわりに、結城医院が小さいながらもなかなか立派な建物であることに、唯は戸惑っていた。また、その奥にある家のほうも自分の実家のボロ屋とは比べ物にならないほどの門構えをしている。

「ああ、べつに気にすんな」

 近頃ではすっかり唯の言いたいことを先回りする能力の発達した翼が言った。

「おまえさ、今、こんな真っ白いペンキ塗りたてみたいな病院見て、俺の親父の心情ってやつを考えたんだろ。口ではなんと言おうとも、息子に後を継いでもらいたいはず……とかなんとかさ。けどまあ、うちの親父はそういうんじゃねえんだ、ほんと。ま、長くなるからこの話はまた後でな」

「………………」

 そして唯は、翼がぎゅっと強く握り返してくれた手を信頼して、翼言うところの吉良邸へと乗り込んでいった。いくら純日本風の風格のある家であるにしても、自分の母親を仇にたとえるのはどうなのだろうと思いつつ、唯は翼と一緒に呼び鈴を鳴らした(というより、彼が唯の手を握ったまま、彼女の人差し指にピンポンを押させたのである)。

「あら、待ってたのよお、唯さん」

 ピカピカに磨かれた玄関に出てきたのは、五十代半ばくらいの(実際には六十一)分厚い眼鏡をかけた<普通のおばさん>だった。翼の容貌を見ていて、物凄い美魔女だったらどうしようと思っていた唯の想像は、いい意味で裏切られていたかもしれない。

「よう、親父。テレビで碁を見る時間を邪魔して悪いな」

 居間のほうからひょいと顔を出した人物も、唯の見る限り<普通のおじさん>といったような感じだった。廊下はまるでおとつい二スを塗ったばかりというように、玄関と同じく塵ひとつなく磨かれていたが、それでもどうということのない<普通のお宅>といった印象を唯は受けていた。

 実際、居間に入ってみると翼の父親が座椅子に腰掛けてNHKの碁の対局を見ているところだった。居間には毛並みの柔らかな薄いグリーンの絨毯が敷かれており、中央には食事の皿がたくさんのったテーブル、そのまわりに高級そうに見える座布団が四つほど置いてあった。

「なんだか上から目線で申し訳ないんだけど……最近膝が痛くてね、ソファに座ったままの格好でごめんなさいね、唯さん」

「い、いえ……」

 唯はなんとなく、翼の母、亜季の近くに座るべきでないかという気がしたが、翼がそんな彼女のことを押し、自分のすぐ隣に座らせた。つまり、ソファの亜季、翼、そして唯の順である。そして翼の父、馨は、テーブルを挟んで翼の真ん前にいた。

「あ、若い人には碁なんてつまんないかな」

「そんなことないです」と唯が答える前に、翼がリモコンを手にしてチャンネルを変える。

「そうだよ。つまんねえに決まってんだろ。親父も常識でものを考えろよ」

「いやいや、すまんすまん」

 ――この時も唯は、(なんだかおかしい)と思った。翼は両親のうちのどちらにも似ていなかった。これも遺伝のなせる不思議な業なのかどうか、彼は明らかに何かの突然変異で生まれてきたように、唯には見えていた。そう、かつて唯の姉がよく言っていた言葉がちょうどそのままぴたりと当てはまる。「わたしはラーメン屋になんか生まれていい人間じゃないのよ、本当は!!」

 テーブルの上には特上のお寿司が四人前並んでおり、他にも亜季の作ったと思しき手料理の品がたくさんあった。味付けのほうは翼が言っていたほど薄くもなく、あとから彼に聞いたところによれば「来客用はまた別」とのことだった。

 話のほうは概ね和やかに進み、馨は唯の職業が看護師であると知るなり、仕事のことを色々と聞きたがった。そこで最初は救急で翼と出会い、その後こってりしごかれたこと、またその二年後に再会し、今回結婚に至ったということなどを順に話していった。

「へえ、そうなの。じゃあこの子、あなたのことが本当に好きなのね。わたしはね、てっきりこう思ってたんですよ。ついうっかり病院の看護師さんに手を出しちゃって、まわりの評判もあるし、そんなこんなで結婚することになったのかなって……」

「それはないって。俺は本当にこいつのことが好きなの。じゃなきゃ一体誰が結婚なんかする?」

「そりゃそうだよなあ」

 馨が不自然なほど大きな声でそう言ったのには理由があった。「ついうっかり」病院の看護師に手を出した過去が彼にはあり、亜季はそのことを知っているのに知らない振りをして過ごした数年間があったからである。

「でも翼、あんたうちの病院を継ぐ気はないんでしょ?じゃあこれから一体どうするつもり?」

「俺、こいつに手伝ってもらって、K市で新しく病院を開くことにした。他に脳外科の超有名な先生にも手伝ってもらう予定でいるから」

 翼のこのいかにも軽い物言いには、亜季も流石に顔色を変えた。あとから唯が翼に聞いたところによれば、人前(それも初対面の人間の前)で彼女がここまで態度を豹変させたのは珍しいことだという。

「許しませんよ、そんなことっ!!病院を開業するにしても、なんでここじゃいけないの!!人がどれだけ苦労してあんたのことを医者にしたか、わかってて言ってるんでしょうね!?」

「苦労したのはおふくろじゃなくて、俺だろ。何遍言わせりゃわかるんだよ。あんたが先にレールを敷いて、俺がそこから逸れそうになるたび、鞭や飴を使って元のレールに戻そうとした。そのことには、確かにある意味感謝もしてる。けど、そのせいでこっちはやたらと窮屈だったんだからな。何しろ、家の外だけじゃなくて、中でも糊のきいたワイシャツをずっと着てる感じだったからな」

「あたしはあんたに、糊のきいた服をずっと着せた記憶はありませんけどね」

「だからたとえだっつってんだろ。悪いけどおふくろ、今日は俺に勝てないぜ。いいかげん気づけよ。普段は一応親だと思うから、俺はあんたにずっと勝ちを譲ってきた。でももうこいつが手に入ったから、そんなこともどうでもよくなったんだよ。あんたは俺のためじゃなく、自分のために俺を医者にしたかったっていう、それだけだろ。こっちの医院のほうは、随分前からべつに継がなくてもいいって親父も言ってる。そうだったよな?」

 翼が父親に相槌を求めると、彼は曖昧に頷き、ビールに手を伸ばして飲み干すというそれだけだった。

「お父さんはね、本当は継いでほしいんだけど、あんたが自由に自分の道を生きるためならそれも仕方ないと思ってるっていう、それだけよ。どうしてあんたはそういうことがわかんないの、この親不孝者っ!!」

「俺は親不孝かもしんねえけど、そっちも同じくらい子不孝だったと思うぜ。テストでいい点を取れば、確かになんでも欲しいものは買ってくれた。でも本当の愛情っていうのはそういうもんじゃないからな。あんたらが俺にしたのは、それを与えられないから常に別の代替品を与えるっていう、その繰り返しだっただろ?俺だって小さい頃はわかんなかったさ。というより、そんなに早い段階で気づいちまってたら、自分のアイデンティティってもんを支えられなくて大変だったろうな。だからまあ、結果としてはこれでいい。けど、俺のおふくろに対する親孝行は医者になった時点で終わった。これであんたは一生の間、俺を医者にしたのは自分だって、まわりの人間に吹聴して歩けて良かっただろ。でもおふくろの選んだ相手と俺が結婚してここの病院まで継ぐってのは明らかに求めすぎだって俺は言ってるわけ。わかる!?」

 ――ここで数分、結城家の食卓には沈黙が落ちた。おそらく、会話の言葉だけを聞いたとすれば、医者になったドラ息子が久しぶりに実家へ帰って来、<普通のまともな親>に対し我が儘放題の発言をしている……そんなふうに聞こえたかもしれない。

 けれど、唯にはわかった。彼がこんなふうに言ったのは、自分がいるからだということが。同じことを言うのは何も、<今>である必要はない。もっと前でも後でも、また翼の両親にとっては一生聞かないでおきたいことだったかもしれない。でも唯とのことや、将来の人生設計を真剣に考えている今――翼にはおそらく一度、はっきりさせておく必要があったのだろう。

「親父、なんか言いたいことねえのか?」

 だがやはり、翼の父親は何も言わなかった。亜季のほうは面白くない顔をして、藤色のスカートをいじりつつ、ただ俯いたままでいる。

「じゃあ俺、こいつと……唯と近いうちに一緒になる予定だから。病院を開業するのにさ、金がいるから結婚式は挙げない。出来た嫁だろ?俺はこいつのためにも、これから働きまくって少し余裕が出来たら、外国かどっかでそういう真似事でもしようかなと思ってる。じゃあ、そういうことだから」

 翼は立ち上がると、房のついた常盤色の座布団から、唯のことも同じように立ち上がらせようとした。

「お金だって?一体いくら必要なのよ。翼、あんたは昔から計画性のない子だったよ。ただ働いて、自分の好きなことのために使って……こんなことならもうちょっと貯金でもしておくんだったって、今ごろになってから後悔してんだろうね。あんたがうちに送ってきた金が少しはあるから、それと必要な分の金、足してだしてやるわよ。一体いくら必要なの!?」

「あーもう、だからそういうことは本当にいいんだって。俺はさ、俺が医学部でるまでかかった金とか全部、きっちり支払ったらここの家と関係なくなりてえの。親不孝なこと言うようだけどな。でも、あんたらだってなんで今ごろ俺がこんなことを言うのか、自分の胸に手を当てればわかるだろ?もちろんここまで育ててくれたことには感謝してる。親父とおふくろのうち、どっちが欠けても俺が医者になることはなかったろうからな。けど、これからはこいつに感謝してくれ。もし俺がこれから親孝行らしいことをするとしたら――唯が一言「それでもお母さんでしょ」とか「お父さんでしょ」って言うかどうかにかかってると思っておいてほしいわけ。いい?」

 これはもしかしたら、翼にとっては最高の捨て科白だったのかもしれない。唯は彼が自分のことを片手に抱きしめて廊下を歩く間、なんともいえない不敵な笑みを浮かべているのを見た。

「翼、あんたっ!!この親不孝者っ!!待ちなさい、こらっ!!」

 そう叫びながら亜季が追いかけてきても、翼は玄関の引き戸をピシャッと閉めていた。結城医院と奥の家とを繋ぐ庭には、藤棚がトンネルのように頭上を覆っていたが、その下の土の上にはいくつもの春の花――スノードロップや福寿草など――が咲き初めている。

「あの、先生……」

「うん?あれは言いすぎだったとか言うんじゃねえぞ、唯。おまえも五年後とか十年後には、俺が最初にグサッと言っておいたことを感謝するようになるだろうからな。もしおふくろがあの程度でどうにかなるようだったら、俺は苦労してない。親父もな、実際には言葉以上にその下の底のほうで何が起きてるのか、よくわかってるから心配ないわけ。あの人が何も言わないのには当然理由がある……まあ、まずは車に乗れよ。続きはおまえんちまで移動しながら話す」

 そう翼に促されて唯がシトロエンの助手席に座ると、翼はカーナビに唯の実家のラーメン屋の住所を入力しているところだった。いつも思うことだが、翼はこうしたコンピューターに関係した入力が異常なほど手速い。

「さてと、これでよしと。まあ心配すんな。おまえの家では俺、見た目に反して結構まともそうな男ってのを演じる予定だから。けど、うちの実家と唯んちの実家ってそんな馬鹿みたいに離れてもねえよな。もしかしたら同じ電車に乗ったことがあったかもーみたいな距離っつーか」

 車をバックさせて進行方向へ向けたあと、翼は「やっぱスーツとか着てくりゃよかったかな」などと、ブツブツつぶやいたあとで、先ほどの話の続きをしはじめる。

「唯さ、さっき俺んち見てどう思った?」

 ラジオからプライマル・スクリームのカントリー・ガールが流れるボリュームを下げて、翼がそう聞いた。

「先生が下町のうらぶれた小さな病院だなんていうから……そのまま想像してたら、すごく立派でびっくりしたっていうか。裏のほうにあるおうちも庭の手入れが行き届いてて、それに比べたらうちなんてすごく恥かしいなと思って。あのね、先生。うちの場合は謙遜とかじゃなくて、本当に家自体がオンボロなの。たぶん、先生のお母さんがうちのラーメン屋に来たら、店の衛生状態を疑いそうな感じ」

「あ、やっぱりおまえにもわかったか」

 ここで翼はげらげらと笑った。

「そうなんだよ。あの人、軽い潔癖症なんだよ。実際はそうでもねえのに、自分のこと埃アレルギーだと思いこんでるしな。まあそれはともかく、俺の家はな、見てくれだけが立派な以外なんにも取り得がないから、おふくろはそこを磨くしか生きようがなかったわけ。俺も随分でかくなってから知ったことなんだけどさ、親父は女関係がちょっとだらしない人でな。ある時変な女にとっつかまっちまったらしい。それが結婚してくんなきゃ死ぬとかいう狂言自殺を繰り返す女で、しかも同じ病院で働く看護師だったわけ。それが他でもない、R医大病院に親父がいた頃の話でな、そのことが原因で親父は大学病院辞めて実家のほうを継ぐことにしたらしい。けどまあ、面白いんだけどな。蓮見院長もブルックナーも、俺の顔見るたんびにやたら親父の話をしたがるわけ。『君の親父はいい奴だった』、『あいつがいた頃が一番面白かった』みたいにさ。たぶんその時からかな……俺の親父に対する見方が変わったのは」

「ブルックナーっていうと、外科の朝比奈教授のこと?」

「うん、そう。ブルの奴、俺がいい外科医になれるようにって、かなり目をかけてくれてたんだよな。対する俺はといえば、なんでこいつ、俺にだけこんなに厳しいんだとか、俺にばっかりオペ中に嫌な質問してくんじゃねえとか、最初はそんなふうに思って腹立ったんだけどさ。まあブル公が言うには、自分が今の役職にあるのは俺の親父が途中で出世コースを諦めたからだって、そういうことらしい。いわゆる女で身を持ち崩したってやつだな。そこで親父は女なんてもうこりごりと思ったのかどうか、突然見合いなんてして、おふくろと一緒になっちまったわけ。うちのおふくろはいい女子大出てるいわゆるお嬢さまで、昔の写真見ると結構可愛い。今は見る影もないにしても……で、親父は女で失敗したのが理解できるって感じの、当時でいうナイスガイだった。まあそんなふたりが見合いの席で出会ったら、確かにそんなことになるわな。で、俺が生まれたと」

「でも、結婚してからあまりうまくいかなかったってこと?」

 先ほど、結城家の食卓で亜季と馨はほとんど言葉を交わしていなかった。馨のほうはしきりと唯にばかり話しかけ、病院や患者のことを聞きたがったし、亜季のほうではそんな夫のことを忌々しげに睨むというそれだけだった。

「まあ、簡単にいやそんなとこだな。俺、全然文系じゃねえけど、それでも死ぬまでになんか一作書けって言われたら、『戯曲:底冷えのする家』とかっていうの、書けんじゃねえかと思う」

「もう、先生ったら……」

「いやいや、冗談はさておきな、唯。実際俺は、そういう家で育ったわけ。夫婦の間のことってのは、一緒に暮らしてる子供にですらわからんとこがあってさ、小さい頃はよく『どうしてお父さんはこうなんだろう、お母さんはああなんだろう』みたいに思ってた。で、少しでかくなって知恵がついてくると『親父とおふくろは愛しあってもいねえのに、なんで一緒にいるんだ?気持ち悪ィな』みたいになってくる。ちなみに、両親が大して愛しあってもいねえのにうっかり生まれた子供が俺……とか、そういうことはあんま考えなかったりな。なんにしても、生まれて今の<俺>って意識を持ってるもんがいる以上、生きていくより仕方ない……なんかそんな感じだ。それにこの程度ならまだ全然<恵まれた不幸>ってもんの範疇に入る。けど、それでも大変なことには大変だったわけ、俺なりに。テストでいい点とればとりあえずおふくろの機嫌が良くなるから、そう思って頑張ったりな。でも俺、大学に入ってから相当心理学の本読んだぜ。というのも、結局のところ俺はおふくろの欲求不満の犠牲になってたんじゃないかと思ったからな」

「えっと……」

「いや、俺が言ってんのは変な意味じゃなくな。あの人はあの人で大変だったんだろうなって意味。医者で見た目もなかなかの男と見合いして、結婚できたまではいい。けど、さっきも見たとおりうちが立派なのは病院と裏手にある家っていう<入れ物>だけなんだよ。そこに人間が三人住んでんだけど、完全に機能不全の家族なわけ。親父はなんか都合悪かったり、居心地が悪くなったりすると、日曜でも病院のほうに逃げて、そこの待合室で競馬とか見てんだぜ。それは俺が小さい時からずっとそうだった。で、俺はそういう親父にも結構同情してたりするんだけど、おふくろが常にヒステリー気味なのは間違いなく欲求不満が原因だ。変な意味でいうんじゃなく、精神的に一番欲しいものを与えてもらえなかった八つ当たりの症状が俺にでるわけ。わかる?」

「うん。なんとなくだけど……」

「そうそう。実際なげーんだよ、この話。つか、俺も自分で説明できるようになるまで、すごい時間かかった。まあ、見合いして「この人ならいいかな」と思って結婚したまでは良かった。けど、問題はそのあとだよな。親父がおふくろに対して本当はどう思ってんのかは俺にはわかんない。でもあの人はさ、言ってみれば過去の幻想をいまだに引きずってる人なわけ。もしあのまま大学にいたら今ごろ自分は……とか、俺にはもっといい女と結婚する道もあったとか、そういう青春の影みたいなもんをずっと追っかけてるっていうかな。俺の観察する限り、どうもそれっぽいところがある。でもおふくろが親父に言いたいのは、今現実目の前にあるのは、小さい個人病院と自分、それにあんたの血の繋がった息子ですよっていう、そういうことなわけ。でもまあ、親父にとって<現実>なのはもしかしたら、目の前にいる患者くらいのもんかもしれねえな。なんにしても、家にいる時の親父が豆腐みたいにふにゃけててどうしようもないってのは確かだ。病院で働いて疲れてるから、それ以外のことで俺を煩わすなよっていうバリヤーを常に張ってやりすごすわけ。おふくろもまあ、たぶんそんな親父に対して随分がんばったんだと思うよ。自分にも悪いところがあるとか、もっとこうすればとかああすればとか……で、万策尽きたのが今のおふくろのあの姿なわけ」

 説明するだけでもああ疲れた、といったように、翼は溜息を着いた。煙草を一本吸いたくなるが、副流煙という害のことを考えると、唯の前では煙草を吸えない。

「先生、偉いね。小さい子には特に、それだけでも結構なストレスなのに。お父さんの気持ちも考えて、お母さんの気持ちも考えて……テストでいい点とれば、ふたりが仲良くなるかもしれないとか、そんなことまで考えてたんでしょう?」

「ま、確かにそうだな。実際そうじゃないと、おふくろがむっつりした顔になるし、そういう時だけ何故か親父も機嫌悪かったりな。で、大体中二くらいの時かな。俺、この人たちのことは諦めようって思った。親っていうのは、自分が生きるための都合のいいツールでしかないって、考えを変えることにしたわけ。テストでいい点とると、オモチャのガチャガチャみたいになんか出てくるわけだから、そこのとこの<物>と<金>の部分でだけ親のことは利用しようって心に決めた。それと同時に、もうひとつ大事なこともわかった。「あの人たちが俺にしたのと同じことを、もし俺が自分の子供にやったら、絶対おかしくなる」って」

 唯にしては、こういう気持ちになるのは珍しいことなのだが――もし自分の実家へ挨拶しにいくという用がなかったら、彼女は翼のことをベッドに誘っていたかもしれない。それと同時に、彼が何故いつもあんなに独り言が多いのかの謎も解けた気がした。もちろん、もともと本人の性格的なこともあるにしても、「自分の話を実際は誰も聞いてない」という長い年月の蓄積がそこにはあったのだろう。

「あー、やっぱ俺、まずいよな」

 唯の実家のラーメン屋を通りこして、突然翼はそんなことを言い出した。

「この格好、『お嬢さんを俺にください』とかいうにしては、ラフすぎるもんな。ほら、地図のここんとこにさ、洋服のブルーマウンテンがあるから、俺、ちょっとスーツ買って着てくるわ。まだ時間もあるし」

「べつにいいわよ」と言って、唯は笑った。大腸癌の手術であまり緊張して見えない男が、すっかり自分のものになってる女の親に会うのに、何故こうも緊張するのだろう?「それに今、通りすぎた時にちらっと見たでしょ?壁も黄土色でしみったれた色合いだし、しかもそこにヒビも入ってて、のれんなんかそろそろ取り替えたらどうだってくらい、色あせてるし……そんな程度の家だもの、うちなんて」

「いやいや、よかねえ。つーか、最初は俺、こう思ったわけ。スーツなんかビシッと着てくとさ、実際はそうでもねえのに向こうがお偉い先生みたいに誤解すんじゃねえかと思ってさ。けどよく考えたら、こんな適当な格好してきやがって、うちの娘をなめてんのかって話だよな。いやいや、実際なめてますとか、そういうことじゃなくさ」

 唯が翼の頭を軽くはたくと同時、翼は<洋服の青山>の駐車場に車を止めた。そこに入っていくと、何故か男の店員ではなく女性の店員が素早く近づいてきて、唯は少し苛立つ。

「ほら、唯。おまえもこんなのいいんじゃねえのとかって、探せ」

「先生はもともと格好いいから、何着ても似合うでしょ?だったら、どれでも同じじゃない」

「あーそう。そうくるわけ。じゃあまあ、こんなところでいいか」

 そう言って翼は、なんの変哲もない黒のスーツの上下を鏡の前で合わせる。

「それと同じようなの、先生のクローゼットにもあると思ったけど……だったらこっちの、黒っぽく見えて実は紺色っぽいのとか……」

「ふう~ん。ま、とりあえずおまえの両親の前でまともそうに見えればそれでいいわな。あとはワイシャツとネクタイか。こんなことだったら、最初からスーツ着てくりゃ良かったな」

 若い女性の店員がメジャーを片手にやたらと、「ぴったりしたサイズ」とやらを測りたがるのに唯はイラっとしたが、とりあえず我慢した。本当はネクタイをもっと色々見ようと思ったのだが、そちらが気になって目を離すということが出来ない。

「おお。なんだかこれから商談をまとめにいく、エリート証券マンみたいな感じだな。まあ、悪くねえ。つか、もしかしたらわざと地味目にしたほうが、相手に対する信頼度ってのが上がるかもしんねえしな」

 翼が「これ、このまま着てくから」と言ってカードを差し出すと、若い女性店員は会計を別の店員に任せ、もう一度戻ってきた。それから値札などをハサミでやたら丁寧に外していく。

「お客さま。ほんの十五分か二十分お時間いただければ、お裾のほう、無料で上げさせていただきたいと存じますが……」

「あ、いーのいーの、こんくらい。今はちょっち急ぎの用があるんで、是非ともそうしてえのは山々なんだけどさ、それはまた今度ってことにしとく」

「さようでございますか。では……」

 男性の店員が恭しくカードを差し出したのを受け取り、翼はサインすると同時に、値札や替えのボタンなどがしまいこまれた、パーカーとジーンズの入った紙袋を受け取る。

「ありがとうございました」

 翼は上機嫌で<洋服の青山>を出ると、そこからそう離れてない唯の実家のラーメン屋まで取って返した。ところがラーメン屋の裏手の駐車場に車を止めるなり、唯が若干不機嫌であることに気づく。

「どうした?こんなことなら自分も釣り合いがとれるように、もっといい服着てきたのにとか、そういうことでムカついてんのか?」

「ううん、べつに」

 唯が少し膨れた顔のまま車から出ていこうとするのを、翼がその手をとって止める。

「なんだよ。言いたいことがあるんなら言えって。これから俺、頼みの綱はおまえだけってところに乗りこんでいくんだからな。吉良邸討ち入りとは訳が違う」

 ここで唯はいつものとおり笑って、「本当になんでもないのよ」と言った。

「ただ、さっきの女の人……どうしてわたしの目の前であんなに先生とベタベタするのかなと思って。っていうより、先生っていつもああなの?服を買おうと思っただけで、女の人が素早くやってきてサイズはかったりなんだり……フォーマルなものを急いで着てく用があるって先に言ってあるのに、あんなふうにベタベタするなんて、ちょっとどうかと思うんだけど」

「あー、そんなんどうでもいいだろって言いたいけどまあ、おまえが嫉妬するなんて珍しいな。それを言ったらおまえ、前にスキーいった時、俺以外の男と浮気したろ。あれ、実際どうよ?人が一滑りして戻ってきたか来ないかってところで、他の男にスキーなんか教わりやがって」

「あ、あれは別にそんなんじゃないもの。わたしがあんまり転んでばっかりいるから、気の毒に思ったっていう、そういう……それに、先生だってプールに行った時……」

「そうそう。だからそんなこといちいち言ってもしょうがねえの。それより、俺がいかにもなヤブな医者に見えないように、おまえうまくフォローしろよ。ヤブをつついたらホストに見えない名医が出てきたってくらいの芝居を打たねえとな」

「もう、先生ったら……」

 唯がすっかり機嫌を直すのを見届けると、翼は彼女と手を繋いでラーメン屋の裏口から中に入っていった。店の表玄関には「本日は都合により、午後は六時からの開店とさせていただきます」という張り紙が貼ってある。

 唯よりも先に翼が中に入っていくと、厨房で仕込みの仕事をしていた唯の父親は、それまでいかめしい顔をしていたにも関わらず、手から包丁を落としていた。

「お、おい、母さん……」

 自分の夫の、なんともいえない狼狽ぶりを見て、唯の母は怪訝そうに首を傾げる。

「あら、お客さん。今日は……」

 そこまで言いかけて、唯の母親は息を呑んだ。

「まあ、お父さん!!唯が芸能人を連れてきましたよ、芸能人!!」

 ――これが唯の両親が翼を見た時の、最初の反応だった。



 >>続く。





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