(※漫画「エースをねらえ!」の二次小説です。内容にネタバレ☆等を含みますので、一応ご注意くださいm(_ _)m)
え~っと、今回は本文のほうがちょっと短めかなという気がしたり(^^;)
そんでもって、対モアランド戦は来週からプレイ開始っていうことになりそうです。。。
この二次小説は、ひろみが観客からさんざん野次られる夢を見る……っていうところからはじまってるんですけど、エースの原作ファンの方ならご存知のとおり、あの夢は旧こみくす14巻にあるのを少し変えたものなんですよね。
宗方コーチの跡を継いでコーチになったDAIGO☆監督でさえ、「どうした岡!!」と怒鳴り、レイノルズコーチも「何をしてるんだね、ひろみ!!」となじり、ダブルス・ペアのジャッキーですら「ぼやぼやしないで、ひろみ!!」と批難するという、なんとも恐ろしい夢……でも、目が覚めたあとでひろみが思いだすのは、宗方コーチの一言で。。。
ああ、本当に宗方コーチがすぐ隣にいて、ひろみのことを支えてくれているんだったら――ひろみもこんな夢を見ることはなかったんだろうにと強く感じる場面です(;ω;)
旧こみくすの11巻以降の展開っていうのは、読者が主人公のひろみとともに、宗方コーチの死と喪失感を受けとめていく章だと思うのですが、つくづく随所で感じますよね……「嗚呼、ここに宗方コーチがいてくれたら」、「宗方コーチさえひろみのそばにいてくれたら」ってorz
でもそれと同時に、宗方コーチが生きていたら、藤堂たんとひろみの関係ってどうなってたんだろうとも思い。。。
アニメでは、宗方コーチとひろみの関係っていうのは、師と弟子のラインが強調されていて、そこには恋愛的なものも含まれてるっていう微妙な描写があまりないと思うんですけど……まあ、当時の時代的なことも考えるとしたら、部活の先生が男子生徒と張りあってひとりの女生徒をとりあうっていうのは、公共放送の概念(?)としてはタブーだったのかなとも思ったり(^^;)
それと同時に、漫画で表現されてるあの微妙な「恋愛的匂い」って、アニメで表現するのは至難の技という気もするんですよね
なんにしても、「あのまま宗方コーチが生きていたら」と仮定した場合、ひろみがコーチの深い愛に恋愛的なものも混じってるって気づくのは、相当あとだったんじゃないかなっていう気がします(うん、あの子鈍いから・笑)
それでも、もし何かの拍子にひろみがそう気づいたとしたら――どうだったのかな~って想像したり♪(^^)
ひろみが藤堂たんに惹かれていったり、彼の存在を支えにしたのは、宗方コーチがあんまり厳しすぎて、そこに何か自分に対する愛情があるとはまったく感じられなかったせいもあると思うんですよね(これはあくまで最初のうちはっていうことですけど・笑)
あのコーチの厳しさに耐えていくには、優しく励ましてくれる人がひろみには必要であり、そんな時に手を差し伸べてくれたのが藤堂たんで……同じもみあげ仲間(?)の太田コーチが確か、宗方コーチについて「岡と会う前と後では全然人が変わった」みたいに言ってるわけですけど、これってなんかすごくわかります(^^;)
以前、とある本で「恋愛というのは、実は4人でするものだ」っていう説を読んだことがあるんですけど、これは4Pとかそういう話ではなくて(笑)、よくいうアニマとアニムス、男の人の中にある男性性と女性性、女の人の中にある女性性と男性性、その四者で恋愛はするものだ、という話。。。
これでいくと、宗方コーチは男性性=(極端にいったら)厳しく冷たいという側面しか、最初はないというか。
でも、ひろみのことを指導していく中で、「両手で庇うようにして岡のことは育てなければならない」ってコーチ本人が言ってるとおり、男性性一辺倒だった宗方コーチの心に、ひろみから受けるような形で「女性性」、「母性」といったものが強く育っていったというか(そしてこれが=恋愛的な意味も含めた愛ってことですよね^^;)
そんでもってひろみは、素直でよく耐えるという女性的な面のほうが最初は強いかもしれないんですけど、宗方コーチから男性的な愛(=とても厳しい一見愛に見えない愛情☆)を受けて、テニスで男性的なプレイが出来るようになっていくという
宗方コーチとひろみの中で、互いの男性性と女性性を分け合うという、完璧な師弟愛が育まれた時に、宗方コーチはお亡くなりになるわけですけど……まあこれ、師弟の枠を越えた恋愛的な意味でいったら、まさしく理想的な関係なんじゃないかと思います(^^;)
そんでもって、その点藤堂たんはというと、極めて男性的でありながら、優しくて紳士的でもあるという、藤堂たんは男性性と女性性のバランスが絶妙にとれてるっていう、素晴らしく稀な人なんですよね
なので、ひろみの中では宗方コーチと藤堂たんっていうのは、どっちから引き離されても心がふたつに裂ける……っていう存在ではあるんだけれど、それでもいなくなってどっちがより苦しくてつらいかって言ったら、それはやっぱり宗方コーチだろうという気がします(^^;)
うん、もし何かの拍子にひろみが藤堂たんと別れることになったとしても――それはある意味、誰もが経験する失恋のレベルを大きく越えたものではないと思うので。。。
でもその点、宗方コーチっていうのは、ひろみと魂がひとつになっている分、それを失うっていうのは、自分の半身を失うにも等しい喪失感があるというか(;ω;)
たぶん宗方コーチはひろみを指導していく過程で、「自分の中にもこんなものがあったとは」っていう、深い愛情の発見があったと思うんですけど、そんな愛情が自分の中にもあるって一生知らずに八十年生きるより、その素晴らしいものを得た27年のほうがより素晴らしいと、そんなふうに感じていたのかな~なんて、漠然と想像する次第です。。。
ではでは、次回こそはモアちゃん(笑)vsヒロミ・オカ戦ということで、よろしくです♪(^^)
それではまた~!!
Grand Stroke-12-
Side:ひろみ
――とても綺麗で美しい夢を見た。
ああ、ここは彰さんの陶房がある山の中だ、とあたしは思う。その近くに空の水色を映した小さな湖があって、秋になると白鳥がやって来ると、そうコーチが言っていた場所。
コーチ、あたしはコーチに初めて会った時、その眼差しを氷のように冷たいと感じたものでした。でも今は誰も知らない山奥の、澄んだ湖のようだと思う自分がいます。
「コーチ……」
湖の遥か上空、どこか遠くのほうから、白鳥が飛来してくる。
バサアッという、どこか清らかな羽音と、水面に着地した時の美しい音色が静かに耳を打つ。
あたしは、あんなに綺麗な白鳥がやって来たことを、コーチにすぐにでも教えたくて、コーチの姿がどこにあるのか探そうとした。でも、何かがおかしかった。何故といってその時、あたしの意識は完全にその白鳥の中に入りこんでいて――コーチの存在はといえば、その澄んだ湖そのものに溶けこんでいることがわかったからだ。
(ああ、なんだ、コーチ。こんなにすぐ近くにいらっしゃったのですね……)
白鳥のあたしがそう思って湖の水面をのぞきこもうとしたところで――あたしは夢から覚めていた。
「あ……っ!」
ぱっちりと目が覚めると同時、あたしは軽いパニックに見舞われそうになった。
(よくあたしも、こんな大胆なことが……)
今さらながらに数時間前にあったことが恥かしくなり、あたしはしわくちゃになったバスローブを着直して、早々に自分の部屋へ戻ることにしようと思った。
でも、その前に一言だけ、あたしは宗方コーチの耳元にこう囁いていた。
「コーチ、白鳥は澄んだ綺麗な湖に、休み場を見つけたみたいです」
それからあたしはコーチの部屋を出て、自分の部屋のバスルームでシャワーを浴びた。
今日の試合で、バーバラ・モアランドに勝てるかどうかはもちろんわからない……けれど、少なくとも負ける気がしないことだけは、不思議とあたしの中で確かな思いとしてはっきり決まっていることだった。
午前十一時三十分――ウィンブルドン、センターコート。
ウィンブルドンの長い歴史の中で、数々のテニスドラマが演じられたきた、最高の舞台といっていい場所で、あたしは今日、現在ランキングが第一位のプレイヤー、バーバラ・モアランドと対戦する。
あたしを応援しに来ている観客席の人たち含め、おそらく観衆の中であたしがこの試合に勝てる見込みがあると思っている人は、極めて少なかったに違いない。
あたしは控え室から出、廊下を一緒に歩いてモアランドとコートまで向かう途中、彼女のどこか傲岸不遜な横顔を見て、バーバラもまた、あたしに負けるなどということは絶対ありえないと確信しているらしいことをはっきり感じとった。
もちろん、今までの対戦成績などから見ても、あたしが彼女に一度も勝っていないことから――誰もがそう考えるのが普通ではあったろう。
勝負するからには、当然勝ちたいと思うのが人情ではある。けれどあたしは今、自分がもっと深い精神世界にいると強く感じる……つまり、今のあたしには少しだけ、コーチが以前に言っていた<テニスを愛するだけでなく、テニスからも愛される>ということの意味が、わかった気がするからだ。
力ではなく、技ではなく、心でもなく、もっと深い「これだ!」と思える何か――それをあたしは今、はっきりと自分の手の中に掴んでいる。しかも試合に勝っても負けても、それはあたしから離れていかず、これからも芯からあたしのことを支え続けるだろう……そうとわかっているからこそ、あたしにはもう、怖いものなど何ひとつとしてありはしなかった。
>>続く。。。
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