goo blog サービス終了のお知らせ 

ライフ&キャリアの制作現場

くらし、仕事、生き方のリセット、リメイク、リスタートのヒントになるような、なるべく本音でリアルな話にしたいと思います。

94.地道な仕事に癒される

2018-07-12 10:20:55 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 梅雨の長雨と災害報道の連続に何となく心が萎えて、このコラムの『78.変わらない姿勢』に書いた串焼き店に気分転換のつもりで行ってみた。先日からの記録的豪雨により、近隣地域でも多大な災害があったが、自分の生活圏では幸い大きな被害はなく、事業所や店舗等もほぼ通常業務を行っていた。

 店に入ると、「はーい、いらっしゃーい。」と変わらない元気な声。自分の顔が少しほころぶ感じがした。とりあえず飲み物から頼もうと、カウンターのお品書きを手に取ろうとすると、高さ15センチほどの卓上型のPOP広告が目に入った。地酒の冷酒の小瓶で、銘柄も酒蔵もあまりなじみがなかったが、好きな純米大吟醸生貯蔵酒だった。よく見ると、「400年余の伝統の技で醸した最高の一品」との誇らしげなキャッチコピーが控えめに書いてある。値段はお手頃。さっそく連れと二人で一本頼んでみることにした。

 うまく表現できないが、「すっきりと飲みやすくて上品な味わい」と言った感じだった。その店は、日本酒をあまり置いていない店なので、もう一本注文しながら店主に聞いてみた。「おいしいお酒ですね、こういう冷酒も置くことにされたんですね。」店主が言った。「そうですか、それは良かった。手売りで、置いてくれって(営業に)来たんで。」店主に頼んだ。「これからも置いておいてください。ワイングラスにも合うと思う。」

 伝統の技で作られた日本酒とワイングラスはミスマッチな感じもするが、初めて飲んだ時の印象を、「手売り」で店にやってきたという営業マンに伝えたいと、そして暖簾を守り続けてきた酒蔵に行ってみたいと思った。地味でも地道に地域に根差して働いている人々に思いを馳せると、萎えていた気持ちが直った。店主や店員のひたむきな姿勢と快活な声、伝統の技の一品を作り売る人々への想像、たっぷりとニンニクをつけた串焼きで元気づけられたひとときだった。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

93.リーダーの責任

2018-06-24 23:14:55 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 組織の中のリーダーには様々なタイプがある。その役割や責任もいろいろある。組織の体制や方針、風土によっても違いはある。また、「リーダー」とか「〇長」などの肩書がなくても、率先垂範、調整、環境づくり、問題解決、重要な判断など、それぞれの立場でリーダーシップを発揮することはできる。

 組織が人の集まりである以上、共通の目標や方向にリードする人間がいないと、いずれ統制が取れなくなることは言うまでもない。プロスポーツチームのように、メンバーのスキルやモチベーションが高い組織なら、競い合う中で最も信頼される人物がリーダーの役割を担うことになるだろう。しかし、企業などの組織ではリーダー不在ではまとまらないから、誰かをその役割に据えるのは当然のこと。

 そのリーダーの責任感が希薄であればどうなるか。順風や凪の時はよいかもしれないが、横風や逆風が吹いたら組織はバラバラになる。形は保っていても、生産性は下がり責任の所在も曖昧になる。「責任」とは、問題やトラブルが起きた時に頭を下げて職を辞することよりも、その前に問題解決に逃げずに向き合うことと思う。誰かに対応を任せたとしても、最終的な判断は行いその責任を負うこと、困難があっても仕事をできるだけ前に進めて行くこと、メンバーが働きやすい環境を作るよう努めることが大事。

 地位や肩書に人から寄って来られるリーダーは多いかもしれないが、いつか地位や肩書がなくなっても人が寄り添ってくれるリーダーは少ないかもしれない。人間だから自分の身はかわいいだろうけど、役割や責任から逃げようとすればするほど保身に追われることになる。結局、その場しのぎや責任転嫁も効かなくなり行き詰まることになる。そんな時、組織は非情だ。役割には覚悟が、判断には責任が伴う。時に間違うことがあっても、その姿勢を人は見ていると思う。かつての自分を振り返ると、忸怩たる思いはあるが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

92.キャリアのささくれ

2018-06-11 20:07:57 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 10年以上前になるが、懲戒処分を受けたことがある。「訓告」という軽い方から2番目の処分であったが、およそ20年勤めて初めてのことだった。今世紀に入る頃から会社は、業界再編の影響もあってか規模の拡大に邁進していた。特に、営業現場では数字至上主義が絶対的な価値観とされ、結果が全てという風潮だった。「目標必達」「未達は許されない」などの檄文メールとともに、店舗や担当者のランキングが頻繁に統括部門から送られ、競わされていた。

 勿論、営業担当者に優劣はあるし数字の結果に波もあったが、私のような地方の中小企業や個人をマーケットとする販売代理店の担当としては、役職を問わず数字を「かき集める」ような泥臭い仕事をしていた。代理店の育成や提案にも努めていたが、毎月の達成期限が迫ると目前の数字に追い込まれることも多々あった。目標を達成すると評価され、未達だと原因や対策を詰められたものだった。

 そんな中、会社は監督官庁から「業務停止命令」を受け、同時に社員数百名の処分があった。それ以前から、度重なる「業務改善命令」にもかかわらずその場しのぎの対応を繰り返し、「お客様第一」を謳いながら業法違反を含む行き過ぎた営業活動が続いていたとされた。マスコミからも批判され、社長辞任に至った。

 対照的な当時の記憶がある。一つは、「どんな手段を使っても数字を作る執念は勲章だ」と部下のルール違反を黙認しながら、責任問題になると「そこまでやれとは言ってない」と逃げた上司の姿。もう一つは、周囲が大勢に流される中でも、自分の立場で役割を誠実に果たそうと努めていた同僚の顔。

 最近、ニュースや周囲の光景を見ていて、ささくれのような痛みを思い出すことがある。今の私は、相手のことを慮りながら納得できる仕事をするよう努めている。迷ったら、自分の信念や倫理観に照らしてみる。それが今の仕事のプライドになっている。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

88.離れる力

2018-04-14 22:59:32 | 仕事 キャリア ライフキャリア
キャリア支援の仕事をしいると、段々と意識するようになる事がある。「いつ離れるか」。特に、様々な事情で就職困難となっている方の就職・就労支援の場合、先が見えてこないことが多い。関係構築はできても、その後の自己理解や仕事理解を踏まえ、啓発的経験を経て意思決定をし・・・というステップに沿って進むことは稀である。もちろん、本人の経験、能力、希望などを踏まえて求人とマッチングさせることもあるが、就職後に長続きしない事も多い。本人の意欲の問題かもしれないし、支援する側のスキルの問題かもしれないが、原因究明にあまり意味はない。なぜなら、行政からの紹介で〝支援″を受けに来る対象者が次々といるからだ。そもそも他の機関ではマッチングがうまく行かないから来ている。

 もう何年も、何十回も面談している方もいる。基本的には傾聴の姿勢で相手を尊重し、ステップを意識しながら相手の自己決定を促すのだが、教科書通りに物事が進むことは少ない。うまくいっていると感じている時こそ、こちらの独りよがりになっていないか注意する必要もある。焦りや苛立ち、ストレスを感じることもある。

 そんな中で、意識するようになったのが「いつ、離れるか」ということ。「相手の自己決定を促す」ことは、見方を変えると、人はこちらの思い通りには動かないということと痛感している。そして、自己決定のタイミングは、その人の性格や能力、経験値、心身の状態や置かれた環境によっても違う。寄り添うことや伴走することも大事だが、こちらが負担や限界を感じたり、なれ合いになってきたりしたら、時機を見てうまく離れて行くことが必要と思う。情が移ることもあるが、なおさら自分でなければ・・・などと思わない方が良い。まして自分のスキルアップのために支援を続けるなど論外だ。何人もの転機にいつまでも寄り添い、他人の人生に責任を持つことなどできないのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

87.ワークキャリア スタート

2018-04-06 23:10:09 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 街中を真新しいスーツ姿の若者グループが闊歩する。男女数人から十数人。談笑しながら歩いている者、緊張した面持ちの者。入社式や新人研修の帰りだろう。

 自分の入社式を思い出した。約30年前のこと。同期入社は百人余り。式の内容や訓示など忘れたが、社会人生活への不安と、会社生活に束縛されて「同期の〝仲間”と競争する」ことへの抵抗感を覚えている。いわゆる安定した大手企業に就職したことの誇らしさもあっただろうが、早く辞めようと思った記憶もある。望んでいた仕事ではなかったのだ。結局、20年余り勤めることになるのだが。

 先日、あるサービス業の店舗の入社式に立ち会った。社長を含めスタッフ8名。二十歳前の男女1名が新人だった。場所は殺風景なミーティングスペース。雰囲気作りは、ホワイトボードに「入」「社」「式」と色画用紙に描いて貼ってあるくらい。仕事柄、皆カジュアルな服装だが緊張していた。新人の1年先輩スタッフが言葉を贈った。「入ったころは何もできなくてつらいこともあったけど、皆が助けてくれたのでやってこれました。」と感極まって涙した。新人が挨拶した。「憧れていた仕事につくことができて嬉しいです。早く仕事を覚えて皆さんとがんばっていこうと思います。よろしくお願いします。」目が輝いて堂々としていた。クールな印象の女性店長が色紙を二人に渡した。「来てくれてありがとう。嬉しいです。一緒にがんばっていきましょう。」固かった表情がゆるんだ。最後は皆で記念写真。笑顔がはじけた。社長が言った。「こういうこと初めてでどうなるかと思ったけど、本当にやって良かった。ありがとう。」涙を堪えているようだった。

 いろいろな形のそれぞれのスタートがある。皆に、自分のやりたい仕事につけて助け合える人が周りにいる有り難さを忘れないでほしい、今の純粋な気持ちを持ち続けてほしい、と思いながら温かな感動で胸が詰まった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

86.実るほど頭を垂れる稲穂かな?

2018-04-01 20:31:58 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 キャリア支援関連の仕事に携わるようになって、8年近くになる。最初の頃は、職業訓練の就職支援に関する講義で、仕事の選び方や履歴書の書き方などを話すことが主な内容だった。それも月に数回程度、1回数時間程度だった。当時は、まだ仕事が少なかったので、依頼のあった仕事はありがたく引き受けていた。地方で仕事をしていると、大きな仕事が新米のキャリアコンサルタントにやってくることはない。小さなことからこつこつと積み重ねて行くことが、自分に合ったやり方と考えていた。

 それでも、リーマンショックの余波による不景気の中で失業者や求職者が増えていた影響で、職業訓練や再就職支援のニーズは高い状況だった。おかげで、少しづつ仕事は増えて行った。FP資格を目指す職業訓練コースも設定されて、ファイナンシャル・プランナーとして講義することもあった。その後、就労支援に関わることになったことが仕事の幅を大きく広げることになった。それまでの講師中心の仕事から、個別面談のウェイトが大きくなっていった。主に、様々な事情から長期離職していたり就職困難となっていたりする人の話を、ひたすら聴きつづける日々が続いた。無力感や腹立たしさを感じることもあったが、人の人生の格差や多様さを垣間見たり、人の本音や人情に触れることもあった。特にこの5年くらいは、現場経験を通して自らのスキルを高めるだけでなく、研鑽にも努めた。その結果、仕事も増えたし目指していた資格も取得できた。

 振り返ってみると、地方のキャリアコンサルタントとしては、よくやってきた方だろうという自負もある。これからも、パートナーや陰ながら支えてくれた関係先のスタッフのおかげという思いを忘れずに、人の転機や再出発を支えられるように、志の高い同士との研鑽も続けたいと思う。「自分は頭を低くしているかな?」と振り返りながら。
 
 


 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

85.意地を通せば窮屈?

2018-03-25 01:54:37 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 A氏とB氏はL社において、個人事業主(フリーランス)の立場で行政からの受託事業(プロジェクトX)に携わっていた。公共の事業は、毎年入札により指名業者が決まる。よって、年度末には一旦区切りがつけられるので、継続されるか否か気がかりになる。フリーランスとしては、仕事の予定や収入にも影響するからだ。

 そのプロジェクトXの委託先が、ある年L社から競合のS社に変わった。A氏は、入札結果を見て次年度S社へ移りプロジェクトXに携わることにした。一方、B氏はそのままL社に残り他のプロジェクトの入札結果を待ったが、指名を得られることはなかった。それでも、B氏はS社には移らずに担当者と新たな仕事を開拓することにした。

 A氏もB氏も、フリーランスだからどこで仕事をするのも自由である。収入の安定のためには、仕事は欲しい。では、B氏はなぜS社に移ってやり慣れた公共プロジェクトXに携わろうとしなかったのか。L社で、当てのない新規事業開拓に携わることにしたのか。それは、長年L社で仕事をさせてくれた人への恩義、L社のスタッフと協力して仕事の質を維持向上させてきたという自負、そして仕事の筋を通す意地である。

 私は昔、企業の営業職として取引先との関係構築に腐心した。その中でも、逆風の状況でお互いに関係維持に努めた取引先とは、信頼し合えた。そのような取引先には、かえって甘えずに緊張感を持ってメリットのある提案に努めたものである。一方、多少の条件や金額差等でも自利を求め右往左往する取引先は、頭は下げながらも心では軽んじていた。

 筋を通すことは、時に窮屈な思いをする。頑なな姿勢はチャンスを逃すこともあるだろう。しかし、長い目で見ると、意地を通すことが信頼関係の維持や双方の利にも繋がると思いたい。ただ、信頼関係は相手のあること。筋や意地が自己満足にならないようにしないと・・・。

 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

84.潮目が変わる

2018-03-21 05:49:10 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 政治の世界で「潮目が変わる」という表現がある。情勢、流れ、パワーバランスなどが変わることを潮の流れや干満に例えたものである。そのような事は、職場においても起きる。退職、入社、人事異動、あるいは年度末総括や新年度方針等の影響で、職場の雰囲気や仕事のやり方が大きく変わることがある。特に3月から4月にかけては、程度の差こそあれ環境変化が起こりやすい時期だ。自分にとって良い方向に変わることもあれば、逆の場合もある。

 中学生の頃、夏の海水浴場で友人とのんびり貸しボートを漕いでいたら、気づかぬうちに沖合に流されて遭難しかけたことがあった。潮の流れに逆らって必死で陸に戻ろうとして焦っていたところ、幸い監視員のモーターボートで引っ張ってもらって陸に戻れたことがある。叱られた記憶もあるが、その時の疲労感や恐怖感、助かった時の安堵感の方が脳裏に残っている。

 仕事や職場においても、気づかぬうちに自分のあるべき姿や目標から遠く離れたところまで流されてしまい、自力で戻ったり軌道修正したりすることが難しくなっていることがある。飛躍した表現かもしれないが、「キャリアの遭難」という状況である。そうなる要因には、上司や同僚などとの人間関係や任される仕事の質量の問題など、個人の力では抗えない事柄もあるだろう。

 「潮目を読む」という言葉がある。状況の変化を見極め先を読むという意味である。潮の流れに身を任せるのも逆らうのも人生だが、節目では自分の身の振り方は自分で決めたいものだ。様々な環境変化から不安になりやすいこの時期。不安から逃れようと焦れば焦るほど追いかけられるもの。腰を据えて潮の変わり目を読み、できることから先手を打つことが必要と思う。もし、変えたくても変えられない状況なら、力のある人の助けを借りてもよい。漂流したり遭難したりするよりは避難する方が良い場合もある。潮目がいつか変わる。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

83.仕事の流儀(服装)

2018-02-27 19:26:44 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 どんな仕事にも「流儀」がある。流儀とは、「芸道・武道などで古くから伝えられてきた様式」「(独特の)やりかた。」という意味がある。そう考えると、仕事の服装も流儀の一部と言える。例えば、プロ野球選手が所属球団のユニフォームを着て試合するのも、営業マンがビジネススーツを着てお客様訪問するのも仕事の流儀だろう。服装自由にしても、その仕事や職場にふさわしい一定の常識や慣習はあることが多い。周囲に不快感を与えないことや清潔感については、人によって価値観や感覚の違いもあるから、企業や職場によってはその目安をできるだけ具体的に表したガイドラインを作っている所もある。

 私は今、仕事で公共の就労・就職支援関連のセミナー講師や個別相談を行うことがある。その際、参加者や支援対象者によって服装に気を使うよう心掛けている。原則はビジネススーツにしている。標準的な色合い型、価格のものである。シャツやネクタイ、靴もスーツに合わせるようにしている。それは、服装選びの手間が省けるし無難であるという理由もあるが、ビジネススーツのスタイルが自分の仕事の流儀と考えるからである。相手(セミナー参加者や相談者)に自分をどう見せるかということよりも、自分が相手からどう見られるか、どうすれば自分と相手の関係構築に適しているかということを考えた結果でもある。

 しかしながら、講師や相談員の中には、場違いな服装や身だしなみの者もいる。自主開催のセミナーや自分のお客様を相手にするなら自分が目立つのも勝手だが、公共のセミナーや相談業務で、周囲のアドバイスにもかかわらず自分中心に物事を考え自己流でされると、チームワークもうまく行くはずがない。仕事の流儀や組織のルールや常識も、軽んじると安易な方に流されるもの。

 服装は相手に対する心遣いや仕事に対する心構えの表れ。今のこの仕事の流儀を大切に守りたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

82.講師の仕事の責任感

2018-02-06 19:43:12 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 いろいろな所から研修やセミナー講師の仕事の依頼をいただくようになった。ありがたいことなので、できる限りお引き受けしている。中には報酬の良い仕事もあるが、公共セミナー等は予算制限があるので、拘束時間や労力からすると、正直なところもう少しいただけないものかと思うこともある。いずれにしても、引き受けた以上は、天変地異等で中止にならない限り責任もって完遂することは当然のことだ。

 この冬の寒波により、普段雪の少ない地方でも雪が積もり交通機関に大きな混乱が出た。こんな時、遠隔地のセミナー会場へ行くのに、交通機関も道路もストップすると困る。しかし、会場には近所の参加者の方々が来る予定だから、主催者としては中止にはできない。講師に何とか来てほしいと要請がある。交通機関を乗り継いで、早朝に出発してでも前泊してでもたどり着かねばならない。行ける所までは行かねばならない。理屈はそうだろう。でも、寒い中、間に合うかどうかわからない、暗い夜に当日中に帰れるかどうかもわからない、そんな不安の中で行き来することは大きなストレスだ。そこまでしなければいけないのか、これじゃあ割に合わない、体調不良や万一事故に遭っても自己責任なのか。そう考えるのは甘いことなのか。

 それでも、行ってみると報われることもある。参加者の方々から、雪の中遠方からたどり着いたことへの感謝の言葉をもらったり、疲れも見せずいつものように懸命に講義をしたことを認めてアンケートに良いコメントを書いてくれることだ。気持ちが通じたり、わかってくれたりする人がいることで責任感や苦労が報われる。

 講師も参加者も人間。心がある。ただ話をしたり聞いたりするだけでなく、少しでもお互いの気持ちが通じたり、何か気づきがあれば苦労の甲斐がある。こうした経験の積み重ねが講師力や現場感覚を磨くことにもなるのだろう。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする