ライフ&キャリアの制作現場

くらし、仕事、生き方のリセット、リメイク、リスタートのヒントになるような、なるべく本音でリアルな話にしたいと思います。

142.創業62年の店で

2020-11-21 14:31:02 | 仕事 キャリア ライフキャリア
                                           
 創業62年のバーに行った。カウンターのみ10席ほど。細身で寡黙で職人気質に見えるマスターと、小柄で眼鏡をかけた奥様。二人とも白いシャツを着ている。マスターの首には黒い蝶ネクタイ。奥様の顔には人懐っこい笑顔。私が生まれるずっと前から、マスターはこの場所でバーテンダーとして生きてきた。昭和の半ば、戦後20年近くが過ぎ高度成長期の始まるころに、若干二十歳で店を始めたことになる。

 この店のメインはハイボール。「濃いめのハイボール」とか、「伝説のハイボール」とも言われている。10年ほど前に数回行ったことがある程度なので、酒の蘊蓄を語るつもりはないが、久しぶりに飲んでみて「あ~なんだかうまい」というような、深く柔らかい味わいを感じた。普段ハイボールは飲まないせいか、そのイメージや味の記憶とは違っていた。作り方は至ってシンプルに見える。グラスにウイスキーを入れ、氷を入れ、ソーダ水を注いでマドラーで軽く混ぜるだけ。それなのに、一杯のつもりがいつのまにか四杯飲んでいた。つまみはポップコーンだけなのに。

 マスターは62年間ほぼ毎日店を開け、ハイボールやカクテルを客に出し続けてきた。奥様は、人懐っこい笑顔と方言交じりの会話で客の相手をしてきたのだろう。その変わらない姿勢を想うと、癒される思いがした。お二人の姿勢だけでなく、店のたたずまい、一枚板のカウンター、棚に並んだボトル、灯り、程よい柔らかさの椅子、壁の色紙や客の服を掛けるフック、黒電話など。随所にお二人の歴史が染みついているようでいて決して押しつけがましくなく、居心地が良い。また、客も節度を持って、それぞれ楽しみ方で酒と会話と時の流れを味わっている雰囲気がある。

 久しぶりに店をのぞくと、マスターは白いマスクを、奥様は透明のフェイスガードをしていた。席はほぼ満席だったが、丁度3人組の中年客が「私たちもう帰りますから」と席を空けてくれた。少し待って座って「三つください」と注文すると、マスターが黙ってカウンターにグラスを並べて目の前でハイボールを作り始めた。1分もかからなかっただろうか。前にコースターとハイボールが置かれた。乾杯して一口味わったら、すぐに何か温かいものが胸の中に広がる感じがした。初めて来たという連れが、「あ~おいしい。」と言った瞬間、マスターがちらっとこちらを見て満足げな目をした。すると、奥様が「あなた初めてじゃないよね。声でわかるのよ。」と私に声をかけてきた。話してみると本当に覚えていてくれていたことがわかり、今度は少し胸が熱くなった。「男の人のことは良く覚えているのよ。」と奥様が笑った。

 三杯目の頃だったろうか。ふと、また来れるだろうかとの思いが頭をよぎった。その時、出張の一元客らしき男性が店の写真を撮って良いかと尋ねると快く応じていた。こちらも、マスターの手のあいたころを見計らって頼んでみると、お二人がマスクとフェイスガードをはずして並んで写真におさまってくれた。創業半世紀以上のいわゆる老舗に行くことはあっても、その創業者自身の仕事ぶりや人柄に直接触れることなど滅多にないだろう。そう考えると、心から敬服する思いだった。

 帰り際、マスターが顔を上げて「ありがとう」と声をかけてくれた。「久しぶりに来てよかったです。また来ます。」と、自然に言葉が出てきた。Since1958。。」ぼんやりとした温かい光の中にお二人の人生が映し出されているようだった。

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141.人生は勝負?

2020-11-05 16:28:56 | 時代 世の中 人生いろいろ
 「勝ち組 負け組という言葉がある。私はこの言葉が大嫌いだ」 TVドラマ「半沢直樹」の中で、主人公の半沢が言い放ったセリフだ。「どんな会社にいても、どんな仕事をしていても、自分の仕事にプライドを持って日々奮闘し、達成感を得ている人のことを、本当の『勝ち組』というんじゃないかと俺は思う。」私も共感したセリフの一つである。

 世間には、勝ち負け、優劣、白黒等、勝手に二分したがる者がいる。「勝ち組、負け組」「幸せか、不幸か」など、雑誌やネットメディアなどでもよく見かけるレッテル貼りのタイトルだ。だが、中身は陳腐で、日々の仕事や暮らしを地道に紡いでいる多くの人々には無意味な内容がほとんどだ。こんなコンテンツに金を使うくらいなら、目の前のことや周りの人を大切にすることを考えた方が良い。

 勝負事をすべて否定するつもりもなければ、幸福追求や金儲も人それぞれの生き方だから、どうしようと個人の自由と責任だと思っている。ただ、そもそも勝負に参加していない者まで巻き込むような偏見やレッテル貼りには嫌悪感を持つ人々もいる。これは、私のようなコンサルティングや講師を仕事としている者も心掛けた方がよいことだと思う。「勝ち組になる戦術」とか「幸せになる方法」とか、講師の自己満足にすぎないような話も、関心ある人は聞いてもいいだろうが、仕事も人生もそんな簡単なものではないだろう。私も、勝ち組とか負け組とか、幸せとか不幸とか、自分の人生に関係のない他人に言われたくはない。

 先日、首都圏の終電の時間が30分程度早まるというニュースがあった。都心の駅近くの飲食店などは影響があるのかもしれないが、世の中の変化に合わせて商売をして行くしかないだろう。一方、滑稽に思えたのが、一部のサラリーマン。仕事が終わってから飲む時間が減るとコミュニケーションが取りにくくなるとか。終電は早まったとはいえ午前零時頃。30分早く仕事を終わらせるとか、家の近くで飲むとか、それくらいの‘発想の転換’はできないものか。これも時代錯誤のマスコミが大げさに取り上げただけのこととは思うが。

 昨年の「老後2000万円問題」もそうだ。マスコミの問題の本質を外した煽り報道によって右往左往した人も都会では少なくなかったようだが、地方にいるとしらけた目で見ていた。もちろん、老後のお金はあった方が良いし、若い人なら早くから計画的に資産形成しても良いだろう。ただし、忘れてはいけないのは、お金は普通働くことで得られるということ。資産運用の基本は、長期、分散、積立という三原則があるということ。誰しもお金は大事だからこそ、自分や家族が得られるお金の範囲で日々を大切に暮らして行けばいいと思えば、大方気が楽になると思うのだが。実際、2000万円無くても心豊かに暮らしている人もいる。
 
 最近メディアで、「アフターコロ〇の生き残り~」「金持ち老人、貧乏老人」のようなタイトルを見た。まだこんな発想で記事を書いてる者に、私はどこか悲哀すら感じる。「生き残り」とか「金持ち」とか、仮に自分がそう思えたとしても、それは社会を支えてくれているエッセンシャルワーカーと言われる人々や、周囲の人々のおかげなのだ。自分だけが金を手にして生き残る社会など非現実的であるし、そこに人としての生きがいなどないと思う。

 仕事や人生においても、勝負をかける場面はあるだろう。ただ、人生は長いか短いか、いつ終わるかわからない。常に勝ち続ける者、逆に負け続ける者などいるのか。そもそも勝敗はいつ誰が決めるものなのか。他人との無用な“試合”に巻き込まれずに、自分が決めること。そして、もし勝ったと思った時は足元を、負けたと思ったら前を向く。できるだけ多くの人を信じ、手を差し延べられたら恩返しを忘れないことだ。

 この1年、いろいろな事に過敏になり窮屈な思いもした中で、見えてきたこともある。それは、仕事には結果に至るプロセスがあって、プロセスにこそプライドの種があること。長い人生の色彩には、濃淡やグラデーションもあるということ。そして、これからは「競争」より「共創」ということを考えて行きたい。競争は線、共創は面のイメージくらいしかないのだが。まずは今までよりも周りに目配り気配りを心がけてみようと思う。
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