ライフ&キャリアの制作現場

くらし、仕事、生き方のリセット、リメイク、リスタートのヒントになるような、なるべく本音でリアルな話にしたいと思います。

157.朝のあいさつから見えること

2024-05-17 06:19:49 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 ある日の早朝、公園をウォーキング中に公衆トイレに駆け込んだら、膝をついて便器を磨いている女性清掃員の方がいた。一瞬用を足すのを戸惑って引き返そうとしたら、「おはようございます、どうぞ」と声をかけてくれた。間に合ったという安堵感と仕事の邪魔したという気持ちから、思わず「ありがとうございます。」と言った。清掃員の女性は、すっと出て行った。

 朝のウォーキングでは、知らない人とすれ違いざまに朝のあいさつを交わしたり、声には出さなくても軽く会釈を交わすことが多い。高齢者のグループは、お互いに“生存確認”しているかのように声を掛け合っている。中には、「今日も元気~?」「空気がおいしい~!」などと、顔見知りとすれ違うたびに声をかけている朝からハイテンションな女性もいる。近ごろは変わらないその様子を見てほっとする。体調を確認するかのように、ゆっくりと散歩する高齢夫婦もいたりする。また、黙々とランニングする男性の日に焼けた顔には活力を感じる。
 一方、一緒に散歩している人に、朝から自慢話や他人の愚痴、世間への文句を言っている高齢女性もいたりする。聞かされる方は適当に相槌を打っているだけ。日中は話し相手がいない人なのかもしれない。

 少し時間がたって通勤時間帯となると、知らない人と挨拶を交わすことなどまずない。集団登校の小学生の中に、挨拶をする子がいるくらいだ。地方都市には都会のような通勤ラッシュはないが、急いでいるせいもあるだろうし、仕事モードに気持ちが切り替わるからだろうか。職場に向かう人の中には、朝から忙しそうな人、闊歩する人、余裕を感じる人、しんどそうな人。歩き方もそれぞれだ。同じ職場の人と会えば、軽く挨拶してそれぞれのペースで向かっている。
 いまだにマスクをつけている人も少なくない。クールビズにあごマスクで、身だしなみがちぐはぐな中年男性。何事もどっちつかずで判断できない人なのかと感じる。あごの下まで覆うような大きなマスクに日よけの帽子を目深にかぶり覆面状態でビルの社員通用口に入って行く女性。自分に自信がない人なのかもしれない。職場では、どんな朝のあいさつをするのだろう。

 朝のあいさつには、その人の暮らしぶりや心の状態が垣間見える。誰にも良い時もあれば、そうでない時もあるけれど、毎日のちょっとした心がけの積み重ねが、仕事や人生も変えて行くのだろうと思う。
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156.好きこそ物の上手なれ

2024-03-03 22:03:07 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 令和4年から自主企画・開催している演芸会。一回目は、新春1月開催予定を4月に延期して「陽春ちょい自慢大会」。2回目は、昨年1月に予定通り「新春ちょい自慢大会」として開催。そして、今年は、1回目2回目の出演者の芸が「ちょいではなくてまじ」だったという観覧者の声を反映して、「立春まじ自慢大会」として、立春の日に開催した。
   
 これまで披露された芸は、落語、紙切り、粘土細工、インクアート、津軽三味線、書、など。他の仕事をしながら趣味としてやっている人、それで起業を目指している人、好きなことを仕事にして展開しつつある人など。皆、知人や知人の紹介から快く出演してくれた身近な人達。
     
 企画した当初は、世間の過剰な自主規制の雰囲気を和らげるような楽しめる場づくりができればとの思いだったが、思っていた以上に参加してくれた皆さんの評判が良くて、2回目3回目につながった。ちょっとだけお金をかけて舞台設営もした。
                
 出演者の皆さんも、自分の芸を披露する機会がなかなかなくてうずうずしていたのだろう。数か月前から仕事の合間に練習したという会社員、「100回の練習より1回の本番がありがたい!」と言ってくれたペア、作品を披露して製作を体験させてくれたリタイア世代の方、企画の主旨に共感して大サービスしてくれたプロ(はだし)の方など。普段の顔と違った一面や芸の意外性もあって、皆楽しませてくれた。手づくりの場には、和やかな時間が流れた。
  
 出演者の技と熱意は観覧者の感動と刺激と癒しにもなったと、終わった時の皆さんの表情や声から感じられた。やはり、同じ空間でリアルタイムで顔を合わせて表現する方が伝わるものは大きい。

 好きこそ物の上手なれ。それを続けることが、その人の印象が人の中に残ったり、交友関係が広がるきっかけになったり、あるいは本人の心の糧になったりすれば、「芸は身を助ける」ことになっているのかもしれない。
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155.疾風に勁草を知る

2024-02-23 01:40:03 | 仕事 キャリア ライフキャリア
「疾風に勁草を知る」激しく風が吹いた時にこそ、折れない強い草がわかる。困難に直面した時に初めてその人の本当の強さや価値がわかる。という意味。

 4年前の2月、その頃徐々に怪しくなっていた雲行きが、学校が一斉臨時休校になった時から、急に嵐のようになったことを思い出す。丁度4年前の投稿(127.エチケット)では、私自身が世間の状況の変化に戸惑いを感じ始めていたことがわかる。

 あれから4年。何度も疾風が吹き、その都度第〇波だと騒ぎ立てる者がいて、行動や移動や営業にも制限が加えられ、世の中が大きく変わったと言われた。心身の健康を損なったり、仕事を無くしたり、人間関係が壊れたりしてつらい思いをした人も少なくない。一方で、メディアやSNSの中では、金儲けまがいのことをしている者、ヒステリックな扇動や他者攻撃によって自己顕示欲を満たしているような者などもいた。社会にも過剰な同調圧力や閉塞感が広がり、いわゆる安全(客観)と安心(主観)が混同されていった。何度も瀬戸際だとか土壇場とか叫ばれるたびに、警戒感は疲弊感に変わって行った。

 今、社会は落ち着きを取り戻したと言われ、急落した株価は史上最高値を更新した。しかし、景気が回復しつつあるとはいえ、世間の空気はあまり浮かれた感じがしない。堅実であることは良いことだが、何か全体的な明るい雰囲気は乏しい気がする。この雰囲気の一因は、経済格差と言われるものだけではなく、まだ街中や職場でもマスクが“覆面”になっている人が少なくないこともあるように思う。個人の判断で着脱自由とは言え、表情が見えない相手と活発なコミュニケーションは難しいし、コミュニケーションが活発でなければ明るい雰囲気は生まれにくいだろう。

 何度も疾風が吹く中で、ただ安全な場所に身をひそめるだけでなく、人々の暮らしや社会を支えてきた人もいる。一部の医療従事者だけでなく、エッセンシャルワーカーと言われる人たちだ。もちろん、家族や自身のために働いていた多くの人も含めて。そのような人達を“勁草”に例えるなら、共通している点は、状況にひるまず、あなどらず、淡々とできることをしていたことではないかと思う。地に根を張るところまではいかなくても、浮足立つことなく、地に足をつけていたように思う。

 周囲の人やメディアに登場する人物も含めていろいろな人の強さや弱さ、良くも悪くも意外な一面が見えたこともあった。振り返ってみると、自分自身の強さや弱さもわかった。ストレスフルな状況の中で揺れながらも、なるべく人とのコミュニケーションの場を作り、楽観的に捉えて、できない理由探しでなくできることを探してやり続けていたから、今があると思っている。もちろん周囲の人の支えもあったことはありがたかったと思う。
 騒動が始まった頃、ある有識者が言っていた言葉が思い出される。「自分の周囲の人々や社会に対する一定の信頼感が回復すれば、騒動は“終息”するだろう。」というような内容だったと思う。
 
 疾風に勁草を知ることは、これからもあるだろう。自分も身を低くしていても吹き飛ばされることがあるかもしれない。心ならずも吹き飛ばされたとしても、新たな場所で立ち直ることもできるだろう。ただ、あの店(前回ブログ)が昨年秋に多くの人に惜しまれて幕を閉じたことは心惜しい。63年間も枯れることのない勁草だったのに。
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154.またまた、あの店のことが心配だ

2021-09-03 23:11:23 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 今、またまた、まだまだ、飲食店の時短営業と酒類提供禁止がされている。いちいち腹を立てたところで仕方ないと割り切ってはいるが、こう何度も同じことが繰り返されると、不安、うんざり、あきれを通り越して、感覚がマヒして来る。

 今までリーダーは、県民が多かれ少なかれ不安や不満や不自由を感じている中で、「正念場だ」「瀬戸際だ」「踏ん張り所だ」「難敵に打ち勝つためだ」「命を守るためだ」と勇ましい言葉と切迫感をもって県民に”理解と協力”をお願いしてきた。波が来ればそのたびに、「未知の変異株の脅威だ」「夜の店クラスターのせいだ」「市中感染蔓延だ」「家庭内感染がいかに危険か」「県外からの持ち込みだ」「帰省は中止せよ」などと記者会見で悲壮感を漂わせながら訴えてきた。そんなこの1年半余りだった。

 もちろん対策は必要であるし、成果の出ている面もあるだろう。リーダー、担当職員、医療、保健所などの関係者は苦悩と苦労を重ねているのはわかる。他に打つ手がなくもう手詰まりなのかもしれない。しかし、こう同じことの繰り返しでは、本当にこれでいいのかという気がしてくる。対策を取らざるを得ない原因や責任は他に、例えば飲食店にあるかのように言うが、行政としてやるべきこと全てに本当にリーダーシップを発揮してきたのかと疑問に思う。例えば、医療ひっ迫に対応して医療体制の拡充や再拡大したときの予防策を打ってきたのか。対応病床数や人員はあまり増えていないのではないか。簡単にはいかないとの弁明もあるようだが、そもそも、重症者数の推移を重視するのではなかったのか。昨年までは難しい面もあったのかもしれないが、法が改正されて自治体の指導力が強化されたのではないのか。

 自治体レベルでできることはまだ少ないのかもしれないし、国の方針が決まらないと動けないこともあるだろう。一方、それぞれの自治体で事情は違うだろうが、独自の対策を打ち出して感染を低く抑えている自治体もある。
 もういい加減に発想や対応を見直して腹を据えて経済・社会活動の正常化を図らないと、冬になってもしまた数が増えると、先手を打つと言いながら同じことを繰り返すのではないか。宣言も措置も各自治体から国に求めるものだから、数字しか見ない専門家の判断を待つのでなく、早く宣言や措置を解除できるように部下を動かし国を巻き込むようなリーダーシップを発揮するとか、本気で丁寧に直接実情を県民市民に説明し呼びかけた方が良いのではないか。一部の医師や学者の言うように、ゼロにするのは無理だから正しく恐れて共存するという方針に転換できないのか。

 顕微鏡の中をいくら覗いていても人の気持ちは見えてこない。記者会見場で同じパターンの状況説明を繰り返していても、人の気持ちはついてこない。
 今さらながら、専門家や医師会の中から、保身のためか言い訳のような方針転換や緩和の兆しも出てきたが、「仏の顔も3度まで」はもうとっくに過ぎている。多くの働く人が、もっと普通に遠慮なく声を掛け合い汗を流せる、そして自分の仕事が自由にできる環境を早く取り戻してほしい。黙って従い耐えているのは飲食店主だけではない。多くの人々は、生きて行くために淡々と、黙々と、平然と働くことに努めている。多くの県民市民はもう十分にやるべきことはやってきていると思う。

 国政も大きく動き始めた。地域の状況も、一部メディアの扇動をよそに、全体としては落ち着きつつあるのかもしれないが、一層好転するよう、理不尽なしわ寄せがフラットになるよう、そして人々の気分が明るくなるよう、そんなリーダーシップの発揮を願うしかない。

 何かまた大げさな記事になった。早く行きつけの店で、何事もなかったかのように、「ごちそうさま」と言って帰りたい。
(関連ブログ)↓
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153.ごちそうさま

2021-07-12 23:32:10 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 女性は、そっと箸をそろえて置くと、軽く手を合わせて頭を少し前に傾けて「ごちそうさま」とつぶやきました。その女性の服装から、出張で県外からやって来て、仕事の帰りにこの小さな居酒屋のカウンターで夕食をとっている様子でしたた。そして、食べ終わった皿を手に取り興味深げに見ていました。耳に入って来た店主との短い会話から、おととしまでは出張のたびにこの店に来ていたようでした。「久しぶりにお魚、おいしかったです。お皿も素敵ですね。」「ありがとうございます。」店主は両手で代金を受け取りながら、マスクの上の目が嬉しそうでした。
 
 その女性から一席あけて向こう側には、70代くらいのご高齢のご夫婦が並んでいました。「久しぶりに街に出たよ。まだ、人は少ないね。大将は元気だった?」「ええ、おかげさまで。仕事休んでたんで、ちょっと太りましたけど。」店主との会話から、月に一度はご夫婦で食事に出ているようで、この店も行きつけの一つのようでした。「今日は、この人の慰労会よ。何かうまいもん適当に出して。」奥様が隣で静かに笑っていました。そして、短い“慰労会”が終わると、「ごちそうさん、お会計して。」「ごちそうさま。」「あっ、いつもありがとうございます。」マスク越しに店主の声が響きました。高齢のご夫婦よりずっと若い店主の方が、元気づけられたように見えました。

 私は久しぶりにこんな何気ないやり取りを見ていて、お気に入りの冷酒を飲みながら温かい気持ちになりました。

 「ごちそうさま」という食後のあいさつは、漢字で「御馳走様」と書きます。この「馳走」(ちそう)という文字には、次のような意味があるそうです。昔、客人をもてなすには、多くの人が走り回って食材を集めて料理を作ったことを表しているのです。そのような手間をかけて食事を準備してくれた人々への感謝の気持ちを込めて、食後に「ごちそうさま」とあいさつする習慣ができたのだそうです。
 今では、物流、加工、保存法なども発達していますから、新鮮な食材を簡単に十分に手に入れることはできます。それでも、この店主は安くて良質な食材を仕入れに、毎日市場へ行きます。早い時間から仕込みをして、料理を切り盛りして、お酒を出し、客をもてなす。客が帰ると片付ける。こういう仕事を何十年も続けています。そして、この店には、市場、生産者、加工業者、卸し業者など、様々な仕事の人との長いお付き合いがあります。このささやかな日々の営みも、人の支えがあればこそ続けて行けるものなのでしょう。

 職場においても、仕事を手伝ってくれる人や教えてくれる人、取引先や出入り業者など、様々な関わりがあります。その中には、何かあたりまえにしてもらっていることもあるでしょう。持ちつ持たれつ、お互い様かもしれません。
ただ、誰かに何かをしてもらう時には、自分が思っている以上に頼んだ相手やその周りの人にも手間をかけているかもしれないという想いを忘れないようにしたいものです。見えないところで誰かが、その頼んだ人を通じて自分のために動いてくれていることもあるかもしれないのです。
 だからこそ、誰に対してもいい人になれという訳ではありませんが、普段から何気ない会話や気づかいやあいさつで、かかわりのある人に感謝やねぎらいの気持ちを表すよう心がけたいものです。そうすると、職場の人間関係や仕事の味わいも変わってくるかもしれません。
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149.資格の品格

2021-04-11 08:43:44 | 仕事 キャリア ライフキャリア
  私は「国家資格キャリアコンサルタント」の資格を持ち仕事の一つの柱にしているが、 資格は仕事をする際の「必要条件だけど十分条件ではない」と思う。
 「キャリアコンサルティング」を仕事として行うには、この資格が必要であある。キャリアカウンセラーなどと呼ばれる類似のものもあるが、それらとは異なり国(厚生労働省)の認定の名称独占資格である。合わせて、スキルアップを目指す場合の目標として「1級、2級、キャリアコンサルティング技能検定」がある。私は自己研鑽と他のキャリアコンサルタントとの差別化のために1級と2級の技能検定を目指し、各級とも複数回受検して合格した。受検にあたっては、テキストや過去問題集の勉強もしたし、実技試験対策講座にも参加した。地元には講座も少なく、受験会場もないので、県外まで時間とお金をかけて何度も行った。
 そこまでしなくても、キャリアコンサルタントとしての仕事はできるのだが、合格して改めて考えるようになったことが「品格」についてである。
 「国家資格」とか「国家検定」とか、「国」がやっている資格を持っているから品格があるというものでもない。服装や言葉づかい、立ち居振る舞いなど、見掛け倒しだったり、逆に砕け過ぎていたりということがないか。どんな仕事においても、ふさわしい見た目や態度というものがる。ふさわしいかどうかは、自分ではなく相手がきめることだろう。かつて、実技試験にサンダルとTシャツというような試験をなめた態度で来ていた者や、資格があってもホステスさんのような場違いな服装で学生相手の講師をするような者もいた。

 そう考えると、品格の一つの目安は相手目線の考慮や事情や心情への配慮があるかどうかということだと言える。キャリアコンサルティングの倫理綱領の中に、「人間尊重」という基本理念があり、職務遂行上の行動規範には「相談者の自己決定権の尊重」と言う項目もある。難しく考えなくても、時々、独りよがりになっていないかと自分を振り返る謙虚さを持っていればよい。

 もう一つの品格の目安は、やはり現場で仕事に向き合う姿勢から身につくものだ。「やってる感」やアピールは盛んだけれど、自己満足だったり、実績が伴わなかったりしていないか。ちょっと逆風が吹くとすぐに逃げたり心折れたりしないか。基本に忠実に進めているか。臨機応変もいいが、必要に応じて教えを請い助けを求めることができるか。真摯に相談者や仕事に向き合っているかということだろう。

 先日、ある技能検定対策講座の受講生が、働きながら数年かかって合格した感想をくれた。「ぎりぎりで合格できました。勉強はとても苦しかったけれど大切なものになりました。」
 やはり、努力し苦労したからこそ大切なものに気づくことができると思う。自己研鑽とは、講習会などに参加することだけでなく、合格までのプロセスや実務経験を積むことも含まれる。そうして、資質の維持や向上の姿勢を保ち続けることも品格につながると感じた。
 私も、技能検定の実技についてはぎりぎりに近い点数だった。それでも、技能士というレベルをクリアして新たなスタートに立ったことで、キャリアに関する視点や視野が広がった感覚もある。

 キャリアコンサルタントについては、資格取得者が増えてきたことで、これからは増やしながら淘汰して行く流れになるだろう。履歴書に書く資格を一つ増やしたいという程度の、金で資格を買うような感覚なら受けてもうからない。資格を取るか取らないかは自由だが、資格がなくても十分に仕事はできているという考えは見直した方がよいかもしれない。資格も仕事も、真摯に向き合ってみないとわからない事もあるのだから、講釈はやってみてからにした方がいい。キャリアコンサルタントは、様々な「人」を相手にする仕事なのだから。
 そうして、相談者に寄り添い伴走し、誠実に仕事のできるキャリアコンサルタントが残り、着実に増えて行けば良いと思う。品格は自然と備わってくるものなのだろう。自分自身も品格を備えて保持するように努めたいと思う。

(参照:80.キャリアコンサルティングの作法と型)
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145.働く意味に思いをはせる

2021-03-08 11:01:29 | 仕事 キャリア ライフキャリア
  「おつかれさまでした」と、私は思わずなじみの居酒屋店主をねぎらいました。時短営業期間が終了した直後に、久しぶりに訪れて帰る時のことです。客がほぼいなくなった店で、店主はこう言って苦笑しました。「十年分休みましたからね。やる事がないから、おかげで家中がきれいに片付きましたよ。」
 お店を始めて20年。家族経営の小さな店は、ほぼ年中無休でした。しかし、店を開けても客が来ない、そうなると仕入れが難しいと、店を閉めることにしたのです。店主は疲れた目でこう続けました。「休業の補償金はもらったけど、仕事ができないことがこんなにしんどいとは思わなかった。」と。

 内閣府の「国民生活に関する世論調査」によると、働く目的の一番は、「お金を得るため」です。次に大きいのが「生きがいを見つけるため」となっています。仕事や働き方に対する思いや考え方は人それぞれです。仕事内容や職場環境、年齢や経験年数等によっても違います。
 私は、この店主にとって仕事は生きがいで、お金を得て家族と生きて行くためだけではなく、仕事を通じて自分を活かすために働いているのだろうと感じました。
 この春から新しい環境の中で仕事をスタートする人、心機一転して仕事探しを始める方。そのような方々は、この機会に「何のために働くのか」ということに思いをはせてみましょう。もし働く目的が分からなければ、やりたい仕事を探すより、できる仕事を始めてできるだけ続けてみましょう。困難や不安なことがあっても、そうする事で働く目的や自分が活かせる仕事が見えてくることもあるのです。仕事のやりがいや生きがいは、与えられるものではなく自分で見つけるか、時間をかけて気づくものだろうと思います。

 その後再びその店を訪れた時の帰り際です。座敷からお会計を頼むと、8席ほどのカウンターに並ぶお客さんに出す料理を作る手を止めて店主が言いました。「20年この仕事が続いたのは、若い時たまたまこの業界に入って修行して、これしかできないと思って独立して店持ってやっているうちに、好きな仕事になったからなんでしょうね。」勘定を渡す時、マスクの上の店主の目には力が戻っていました。私はいつものように「ごちそうさま」と、店を出ました。「ありがとございましたー。」と、大きな声が背中に響きました。

 多くの人は、生きるために働くだけでなく、働くために生きているのだろうと感じ、胸が熱くなりました。
 在宅ワークの長い友人が言いました。「人と会うストレスよりも、人に会わないストレスの方が大きくなった。」と。


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142.創業62年の店で

2020-11-21 14:31:02 | 仕事 キャリア ライフキャリア
                                           
 創業62年のバーに行った。カウンターのみ10席ほど。細身で寡黙で職人気質に見えるマスターと、小柄で眼鏡をかけた奥様。二人とも白いシャツを着ている。マスターの首には黒い蝶ネクタイ。奥様の顔には人懐っこい笑顔。私が生まれるずっと前から、マスターはこの場所でバーテンダーとして生きてきた。昭和の半ば、戦後20年近くが過ぎ高度成長期の始まるころに、若干二十歳で店を始めたことになる。

 この店のメインはハイボール。「濃いめのハイボール」とか、「伝説のハイボール」とも言われている。10年ほど前に数回行ったことがある程度なので、酒の蘊蓄を語るつもりはないが、久しぶりに飲んでみて「あ~なんだかうまい」というような、深く柔らかい味わいを感じた。普段ハイボールは飲まないせいか、そのイメージや味の記憶とは違っていた。作り方は至ってシンプルに見える。グラスにウイスキーを入れ、氷を入れ、ソーダ水を注いでマドラーで軽く混ぜるだけ。それなのに、一杯のつもりがいつのまにか四杯飲んでいた。つまみはポップコーンだけなのに。

 マスターは62年間ほぼ毎日店を開け、ハイボールやカクテルを客に出し続けてきた。奥様は、人懐っこい笑顔と方言交じりの会話で客の相手をしてきたのだろう。その変わらない姿勢を想うと、癒される思いがした。お二人の姿勢だけでなく、店のたたずまい、一枚板のカウンター、棚に並んだボトル、灯り、程よい柔らかさの椅子、壁の色紙や客の服を掛けるフック、黒電話など。随所にお二人の歴史が染みついているようでいて決して押しつけがましくなく、居心地が良い。また、客も節度を持って、それぞれ楽しみ方で酒と会話と時の流れを味わっている雰囲気がある。

 久しぶりに店をのぞくと、マスターは白いマスクを、奥様は透明のフェイスガードをしていた。席はほぼ満席だったが、丁度3人組の中年客が「私たちもう帰りますから」と席を空けてくれた。少し待って座って「三つください」と注文すると、マスターが黙ってカウンターにグラスを並べて目の前でハイボールを作り始めた。1分もかからなかっただろうか。前にコースターとハイボールが置かれた。乾杯して一口味わったら、すぐに何か温かいものが胸の中に広がる感じがした。初めて来たという連れが、「あ~おいしい。」と言った瞬間、マスターがちらっとこちらを見て満足げな目をした。すると、奥様が「あなた初めてじゃないよね。声でわかるのよ。」と私に声をかけてきた。話してみると本当に覚えていてくれていたことがわかり、今度は少し胸が熱くなった。「男の人のことは良く覚えているのよ。」と奥様が笑った。

 三杯目の頃だったろうか。ふと、また来れるだろうかとの思いが頭をよぎった。その時、出張の一元客らしき男性が店の写真を撮って良いかと尋ねると快く応じていた。こちらも、マスターの手のあいたころを見計らって頼んでみると、お二人がマスクとフェイスガードをはずして並んで写真におさまってくれた。創業半世紀以上のいわゆる老舗に行くことはあっても、その創業者自身の仕事ぶりや人柄に直接触れることなど滅多にないだろう。そう考えると、心から敬服する思いだった。

 帰り際、マスターが顔を上げて「ありがとう」と声をかけてくれた。「久しぶりに来てよかったです。また来ます。」と、自然に言葉が出てきた。Since1958。。」ぼんやりとした温かい光の中にお二人の人生が映し出されているようだった。

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140.冷静な頭と温かい心

2020-10-19 12:09:20 | 仕事 キャリア ライフキャリア
「Cool Head ,but Warm Heart」-多分学生の頃に聞いた言葉で、何か問題にぶつかっている時に思い出すことがある。気になって調べてみたら、マーシャルという経済学者の言葉で、「冷静な頭脳と温かい心を持とう」という意味だ。意味は合っていたが、経済学者の言葉とは知らなかった。

 現在、私の仕事のおよそ半分はキャリアコンサルタントの仕事である。就職や就労、転職や再就職という人生の転機にある人や、そのような状況の中で迷ったりもがいたりしている人を対象に、セミナー講師や個別相談等の仕事を通じて支援する対人援助の仕事である。この仕事の基本的な作法と型は、このブログの80回目「キャリアコンサルティングの作法と型」に書いた通り、「傾聴」と「6ステップ」。その土台となるのが、理論と倫理だ。

 私はこの仕事を10年近く続けていて、講師や相談の様々な現場経験も積んでいる方だと思う。どんな仕事でも、それに真摯に向き合い続けてこそわかってくることや悩ましく思うことがあるし、上っ面だけなぞって自己満足したり面倒なことから逃げてばかりでは見えてこないこともあるのだろう。キャリアコンサルティングの仕事もそうだ。

 対人援助の仕事は、本来手間暇かかるし面倒なことも多い。時にはリスクもある。それは、人には様々な事情、置かれた環境、個性、欲求、価値観などがあって、こちらの思い通りには動かない事の方が多いからだ。また、キャリアコンサルティングは、対人援助の中でもいわゆるメンタルカウンセリングのような「治療モデル」ではなく、転機を乗り越え自分らしい生き方を選択できるように促すという意味で「成長モデル」と考えられている。こちらのアドバイスに従わせることが目的ではなく、あくまで自己決定を促すことが原則なのだ。人の人生に最期まで責任を持てるのは本人であり、キャリアコンサルタントの仕事は一期一会がよい。「(相談者を)変えようとするな、わかろうとせよ」。キャリアコンサルタントの基本姿勢を表す言葉の一つである。
 
 とは言え、特に相談の現場では、一定の期間にある程度の前進や結果も求められる。いつまでも相談に乗っているだけでは、支援とは言えない場合もあるからだ。ましてや、有料相談の場合は必要以上の負担を相談者にかけられない。そうすると、相談者の言動からの見立てや支援の進め方は、経験値や勘だけでなく理論や型に基づいて冷静に考える必要がある。一方、実際に相談者に接する時の態度や支援の中味は、共感的理解や人間尊重の倫理観など温かい心が求められる。これらのバランスが難しい。難しいのは、相談者にとってより良い自己決定を共に見出そうとするからであり、その答えがあるとすればそれは相談者の中にあるからだ。だから、やりがいもある。

 「智に働けば角が立つ 情に竿指せば流される 意地を通せば窮屈だ」
とかくに人にかかわる仕事は難しい。されど奥深い。改めて冒頭の言葉をかみしめるような思いがすることが増えたこの頃だ。
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138.人力車

2020-09-26 09:59:14 | 仕事 キャリア ライフキャリア
 夏が過ぎ、キャンペーンが始まり、連休中は本県の観光地も大分賑わっていた。つい最近まで観光スポットに並べて展示されているかのようだった人力車も出払っていた。半纏に地下足袋姿の車夫の中には女性もいる。赤いひざ掛けをした客を載せて、そぞろ歩く人々の中をゆっくりと進み、坂道では上りも下りもしっかりと舵棒を握り足を踏ん張っている。客や周囲の安全に目配りしているのだろう。もちろん、屋外での仕事だから冷暖房など無い。

 車夫は、ただ人力車に客を載せて引いているだけではないようだ。引きながら客と会話をしている。周回コースの説明だろうか。客に合わせた雑談だろうか。時折、観光スポットでは車を止めてその魅力や歴史のガイドもしている。写真撮影にも応じる。言葉づかいも態度も丁寧だ。前を向いてマスクもしているので、声の大きさにも気を使っている。やはり、客に快い思い出を作ってもらいたいのだろう。

 こうして見ると、車夫の仕事は肉体労働であり、運転手であり、接客・サービス業でもある。体と頭を使って、安全で快適なサービスを限られた時間の中で一人の力で実現しようとしている。「おもてなし」をしていると言っても良い。客に対して、ほとんど背中や後頭部を見せたままのおもてなしというのも珍しいと思うが。

 人力車は、客を載せて動き始める時や一度止まってまた動き出す時に最も力がいる。昔、物理の授業で習った最大摩擦力のせいだ。しばらく停滞していた経済・社会活動も動き出しの時は様々な反発や摩擦もあったが、ようやく動き始めた。さらに加速させるために、来月から各種キャンペーンも始まるようだ。動いている時でも、摩擦力はかかるのだから、動かせる時は動かしたらいいと思う。これまでの経済・社会の安全や快適な暮らしについても、十分ではなくとも動きながら考えて、できることからしてきたこともあるのだから。

 一見単純に見える仕事の方が、実は奥が深いし必要なこともある。久しぶりに動いている人力車を見ていて、人が人にサービスをする光景はあたりまえではなかったと思いながらも心温まった。そして、時が来たら動かせるように経済や社会を支えてきたエッセンシャルワーカーと呼ばれる人々のことを想うと、胸が熱くなった。
 
 固い地面を踏み締める車夫の足袋を見ていて、地に足をつけた仕事やくらしの大切さに思いを馳せることができた。
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