ライフ&キャリアの制作現場

くらし、仕事、生き方のリセット、リメイク、リスタートのヒントになるような、なるべく本音でリアルな話にしたいと思います。

118.古民家で感じたこと

2019-09-17 22:27:52 | 人、本、旅 日記
 先日、市内の古民家でセミナーを開催した。築140年。昔は廻船問屋だったという、木造2階建て。中の間取りや建具や残された家具類も、ほぼ当時のままだ。と言っても、そのまま保存されていたのではなく、数年前、古民家として再生された。一般の人にも開放したいとの思いを持った人々が、手間をかけて清掃し雨漏りする屋根を補修し修復したものだ。まだ手がかけられていない部分も残っている

 残暑の中、予想以上に蒸し暑かった。扇風機が室内の空気をかき回し、扇子や団扇であおぐ人もいた。エアコンはなかった。屋内は裸電球で照らされ、外からの光も入ってはいるが、うす暗かった。書類の文字や外光を背にした人の表情は見えにくかった。廊下の床の一部が朽ちているので気をつけるようにと、管理者の方から伝えられた。固いところを踏んでそっと通った。終了後、藁のほうきで畳を掃いた。ほうきを持つのはいつ以来か、思い出せなかった。

 古民家にいた時間は、懐かしく、心地良く、ゆったりと感じられた時間だった。便利で快適な暮らしに慣れてしまった身に、遠くで何かを呼び覚まされるような感覚があった。時空を超えた空気感、光、手触り。年齢ゆえか、忘れかけていた感覚、感触。

 管理者の女性に聞いてみた。なぜお金や時間や手間をかけて、大変な思いをしてまでこの古民家を再生しようと思ったのかと。「初めてここを知った時、自分にしっくりとくるものがあって、このまま朽ちてしまうのはもったいないと思いました。もう無理かと思った時に、運よく助けてくれたり一緒にやってくれる人がいたおかげです。」遠慮がちに語られた。こんな人もいるんだとちょっと感銘を受けた。
 
 うっすらと艶のあるこげ茶色の外壁、柱、建具。黒の瓦屋根。少し色あせた畳とふすまの白。色あいの少ない古民家が、自分の感覚にしっとりとした彩りをくれたような夏の終わりの一日だった。

 

 

 
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115.猫が気づかせてくれたこと

2019-08-25 23:02:53 | 人、本、旅 日記
 近所の小さな寺に住み着いていた猫がいなくなった。誰かが拾ってきた野良猫だった。子猫の時からおよそ2年たっていたから、猫年齢は2~3才だった。この寺には、他に2匹の猫が住み着いている。年長の黒猫と、若い猫。年長の黒猫とあまり折り合いが良くないのか、黒猫がいないときに2匹が餌を食べ、仲良く昼寝し、時々じゃれ合ったりけんかしたりしていた。
 
 1年くらい前から、この寺にはいろいろな人が寄ってくるようになった。地元商店街の人や近所の子連れママさん。自転車整理係の高齢者や仕事中のサラリーマンが境内で一服していることもある。テレビの街ネタニュースで「猫のいる寺」として紹介されてからは、遠方から愛猫家らしき人々や観光客なども立ち寄るようになった。また、働いていないのか昼間行き場がないのだろうと見える人なども涼みに来ていた。老若男女。ただ見物に来たり、毎日餌をやりに来たり、スマホで写真を撮りに来たり。猫たちは人々から可愛がられていた。住職一家も猫たちの世話を毎日していた。

 そんな猫たちの一匹がいなくなった。おとなしくて、マイペースで、ほとんど境内から出ずに、大体いつも境内でゴロゴロしているか草陰で寝ているような猫だったので、かわいがっていた人たちは大いに心配した。近所を探し回った人もいた。皆、いつか帰ってくると待っていた。

 「猫を探しています」という写真入りの貼り紙が外壁に貼られて間もなく、住職のもとに猫はもう帰ってこないという知らせが入った。どこかで生きていると信じていた人たちは、ショックを受けた。号泣した人もいた。住職も涙をこらえた。残念な思いで気持ちが沈んだ。
 
 私は、もう帰ってこないと知った時、喪失感があった。泣いた人の話を聞いているうちに、悲しくもなった。いなくなって初めて、自分も猫たちに癒されていたとわかった。あたりまえと思っているささやかな日常も、当たり前ではないと気づいた。あたりまえのように自分の周りにある物、あたりまえのように周囲にいる人に、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思った。

 「猫を探しています」という貼り紙は、しばらく貼ったままだった。皆の心のどこかに「猫違い」であって欲しいという気持ちがあったのだろうか、忘れたくない気持ちもあったのだろうか。猫を探しその名を呼ぶ人の声に、命を守りたいという思いを感じた。人それぞれの思い、良心、人情の一端を垣間見る出来事だった。今もいる若猫に「どこにも行くなよ。」と強く言いつける声には、慈しみの響きがあった。

 若猫は、いつものように餌をもらい、ゴロゴロしている様に見えるが、遊び相手がいなくなって寂しそうと話す人もいる。一方、境内には毎日餌をやったり見守ったりという役割が減って、寂しそうな人もいる。

 人もまばらになった境内に、ツクツクボウシが鳴き始めていた。

 

 


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106.笑門来福 千客万来

2019-05-01 17:19:03 | 人、本、旅 日記
 「笑門来福 千客万来」行きつけの居酒屋の座敷の戸にかけてある暖簾に染められた文字。何度も来慣れている店なのに、平成の終わりにカウンターで話しながら飲んでいると、初めて目に飛び込んできた。

 暖簾をながめながら、自分なりの意味を考えてみた。「笑う」ことは、人に対する気づかいと考えてみた。「笑う」ことは、まず気持ちに余裕がないとできないことだし、いわゆる「笑顔」に象徴される朗らかな表情や穏やかな態度は、相手の気持ちを和らげる気づかいと思う。こちらも和やかになる。また会いたい、話したいとお互いに思う。一緒に何かをしたいと思うことや、誰かを紹介したいと思うこともあるかもしれない。そんな人が少しづつでも増えて行くといい。消えてしまう「点」、切れてしまう「線」、欠けて行く「面」もあるかもしれないが、長い目で見て、点が線になり、線が面に広がって行くように努めていれば、自分にも相手にも福が来るのではないか。

 この居酒屋の店主夫婦は40代。おそらく小難しい理屈よりも思いを大事に商売を続けて来られたのだろう。綿密なプランニングとかデザインなど無くても、一日一日、一人一人のお客様を大事にしてきたのだろう。注文すると返事をして微笑む。提供が遅くなると謝る。客の酒や食材に関する質問にも笑顔で答える。帰り際、必ず客を見て礼を言う。気持ち良いからまた行く。人を連れて行っても顔が立つ。そんな繁盛店の常連として、礼節をもって長く付き合いたいと思うようになる。

 人を相手にする仕事をしている以上、人に対する自分なりの理念や芯となるものを大事に持ち続けたい。人は必ずしも損得だけを考えているわけでなく、居心地の良さや自分らしくいられる場を求めていると思う。そして、和やかに人が集まる所に情報も集まり、機会も生まれ、それぞれの福も来るのだろう。

 「笑」を忘れないこと。「和」には「礼」も大事。
 

 
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46.50代の同窓会

2016-08-16 13:51:53 | 人、本、旅 日記
 先日、中学の同窓会があったが、都合により欠席した。前回出席した際は同学年の約100名が参加したが、今回はどうだったのだろう。

 今年は、高校の同窓会には出席した。出席者の中には、大手企業や官庁の役職者もいれば子会社等へ転籍した者もいた。弁護士、教師、僧侶などの専門職の者もいた。都会のキャリアウーマンや、子育てが終わり仕事に復帰した女性もいた。地元一筋に働き暮らしてきた者、私のような個人事業者もいた。出席者の多くは、これまでの人生で紆余曲折はあれど、50代になって同窓会に参加できるありがたさや懐かしさのせいか“いい顔”をしていた。40代の頃までは、お互いの仕事や地位や暮らしぶりを比べたりすることもあったが、50代になって、「定年までもう少しあるし、人生の先は長いけど、ここまでお互いがんばってきたし、今もがんばっているんだなあ」という、お互いの人生を認め合うような空気があったと思う。

 中学校の同級生となると、卒業後の進路やキャリアもさらに多様だ。前回の出席者は、地元中小企業で働く者が多かったが、親の事業を継いだ経営者や、飲食店主、高校中途退学後大きく道を外れた後社会復帰した者、孫の面倒を見ている者などもいた。当時のあだ名で呼び合うなど懐かしさを感じる場面もあったが、どこか当時の力関係の名残や相互のキャリアの距離感のような感慨もあった。

 考えてみると、同窓会の参加者は、同級生の4分の1から5分の1程度の人数である。毎回参加している者もいれば、全く顔を出さない者もいる。他界した同級生もいる。参加しない同級生は、どこでどうしているのだろうか。気になる当時の親友もいる。次の同窓会は、還暦に近い頃だ。まず、自分も健康であって、なるべく多くの同級生に会って、お互いのキャリアを認め合い共感し合うことができたらと思っている。(写真はフリー素材です)
 

 
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13.動物とする仕事

2016-06-04 23:08:21 | 人、本、旅 日記
 世の中には動物を相手にする仕事がある。動物園の飼育員、獣医、牧場、騎手、盲導犬や警察犬の訓練、ペットショップ、日光猿軍団など、思いつくだけでも結構ある。それらの中でも、動物に曲芸をさせたり人間の補助をするように訓練する仕事は、おそらく相当の努力や忍耐、対象動物に対する深い知識や愛情、仕事に対する強い思いがないとできないのだろう。まあ、どんな仕事もそうなのだろうが、動物相手ならではの苦労は多いと思う。
 
 何年も前だが、水族館でアシカのショーを見たことがある。アシカが逆立ちのポーズを取ったり、鼻の上にボールを乗せたり、輪投げのリングを首でキャッチしたり、飼育員の軽妙なトークと掛け声に合わせてアシカが曲芸を決めるたびに、館内の大人も子供達も歓声を上げ拍手が起きる。

 そこまでできるようになるのに、何年かかったのだろう。その間も、飼育員はアシカの食事や排泄物の掃除、水槽の環境管理やアシカの健康管理など日常の作業を欠かさず続けながら、時間を見て曲芸の練習を続けてきたのだろう。結果、同じ曲芸は別の飼育員にはできないのではないかと思う。それは、単に技量やアシカとの相性の問題ではなく、信頼関係の問題だろう。そして、その信頼関係は簡単にできたものではなく、試行錯誤や失敗の繰り返しの中で、丁寧にコミュニケーションを取り、時にはアシカの状況を見極めながら、作り上げたものだろうと思う。

 同様のことは人間社会でも言えると思う。ただ、人間の方が知能が高い反面、様々な感情や欲も絡んでくるから、難しいのかもしれない。

 では、アシカはただ餌がほしいから曲芸をしているのだろうか?アシカの決めポーズに、ニッと笑っているようなポーズがあった。「飼育員さんにほめられ、お客さんに喜んでもらえて、素直に嬉しいです!」と言っているように見えた。
 

 
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12.半世紀前の記憶

2016-06-02 21:24:32 | 人、本、旅 日記
今年の春、出張の帰りに関西の私鉄の駅で、ぶらり途中下車したことがある。親の仕事の都合で、幼児期を過ごした町の幼稚園の前まで行ってみた。かすかに記憶にある建物、運動場。おそらく当時のままだった。正門から見て一番奥の教室あたりで、お遊戯をしたり、毎日、先生から肝油ドロップをスプーンで口の中に入れてもらった記憶がある。私は、シャイな子供だった。連絡ノートに「はずかしがりやの○○くん!」などと書かれて、顔が赤くなってたらしい。「はずかしがりや」ってどういうことなのか、親に聞いた覚えもある。自我の芽生えだったのかもしれない。

 そんな私も、小学校の転校が最初の転機だった。新しい学校で友達を作るにはどうしたらいいか、考えていた。おとなしいほうで、わがままを言うことは少なかった。皆と一緒によく遊んだ。ドッジボールも縄跳びも缶蹴りも他の遊びや運動も、特別上手くはなかったが仲間には入れてもらっていた。勉強は、好きではなかったができたほうだと思う。学級委員長のような役もさせられた。しかし、それはリーダシップがあったとか、人気者だからとかということではなく、何となくさせられたと言う方が近いと思う。だから、偉そうにはせず、皆を笑わせて気に入られようとがんばっていたと思う。冗談や駄じゃれ、下手な物まねがうけた時は、照れながらも喜んでいた。

 そのような、幼児期から少年期の生育環境、体験、記憶は、その後の自身の性格や人格、コミュニケーションにも大きな影響を与えたと、振り返ってみて思う。

 
 幼稚園の建物を見て、はっと気がついた。防犯カメラがこちらを向いていた。今は、携帯端末等で常に位置情報を把握することもできる。世の中がおよそ50年前とは大きく変わったとは言え、いつも親や先生や誰かに〝見守られている"子供も多い。どのように育って行くのだろう。

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10.「人間関係は大変なんでしょうか?」

2016-05-29 21:51:13 | 人、本、旅 日記
 「あのぉ、人間関係は大変なんでしょうか?」応募者の50代女性が、最後に遠慮がちに尋ねた。
 

 「うちは、人数が多くて女性が中心ですからね、いろんなことはありますよ、グループができるっていうか」
 「でも、チームワークでやってもらわないといけない現場なんでね、リーダーや長くやってる人に教えてもらって、
 しっかりやってもらえれば、問題ないと思いますよ。」若い事業所長が応じた。


ある食品関連の会社の作業系職種の、パート採用面接のやり取りの一部である。確かに、職場の人間関係は、作業効率アップや
モチベーション向上につながることもあれば、逆にストレスや離職の要因にもなる。その女性はどんな答えを望んだのだろう。 「うちは、皆仲良く和気藹々とやってますから大丈夫ですよ!」と言ってもらいたかったのだろうか。


以前に、ある30代の職業訓練生の女性が、こう言って皆の共感を得たことがある。
「和気藹々なんてアピールする会社はうそ臭いですよ。もし和気藹々があったとしても、そんなのいつもじゃないだろうし、和気藹々の中に入れなかったら、どこでも同じじゃないですか。だから、私は役割分担して、協力するところはして、仕事ができて、ちゃんとお給料もらえたらいいんです!」

応募者の女性は、かつて人間関係に苦労したことがあり、気になって尋ねただけかもしれない。しかし、採用する側としては、 安全配慮義務や職場環境づくりの責務はあっても、基本的に人間関係の問題は本人がうまくやるか折り合いをつける問題であるし、チームでしっかりと仕事をしてもらうことが一番大事なことである。

結局、応募女性は「今すぐに働かないといけないわけではないので、少し考えさせてもらいます。」と言って帰って行った。
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9.お礼状

2016-05-28 00:18:28 | 人、本、旅 日記
 再就職支援のセミナーを受講した人からお礼状をもらった。習ったことを実践して内定をもらえたという報告や、当方が本人の質問に時間を取って答えたことなどへの感謝の言葉が、便箋2枚に綴られていた。自慢するわけではないが素直に嬉しかった。確か30代前半くらいの男性で、営業職を希望していたと思う。セミナー参加者は多いので、はっきりとは覚えていない相手である。
 
 お礼状には、本人も驚くほど早く内定通知があり、地元の会社だったので安心したとも書かれていた。まあ、セミナーの内容や当方の対応の成果というより、1,2度話を聞いただけのセミナー講師にお礼状を書くような気遣いができる人物だからこそ、採用につながったのだと思う。セミナーの中で、先方に面接の時間を割いてくれたことのお礼状をすぐに出すことが、今のビジネスマナーという話もしたので、そのことを当方に対しても素直に実践したのかもしれない。お礼や感謝の言葉は、それが素直な気持ちからのものであればあるほど、相手に伝わるものだと実感した。
 
 異業種交流会などで名刺交換した相手から、時折送られてくる「出会いに感謝」などと筆文字で書かれたはがきがある。全てとは言わないが、商売っ気を感じるものが多い。昔、顔も忘れたはがきの相手に後日会ったら、案の定、商品販売の話をされ、やんわり断ったら何の連絡もなくなったことがある。営業のきっかけ作りだろうが、後味の悪い思いをした。 

 振り返って、自分自身お礼や感謝の気持ちをきちんと伝えられているか、そもそも感謝の気持ちを忘れていることがないかと考えてみると、内心忸怩たるものがある。
 
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8.面接対策

2016-05-26 01:05:29 | 人、本、旅 日記
 再就職支援のセミナーには、さまざまな仕事や生き方をしてきた人が参加する。公共のセミナーだとなおさら。年齢も幅広い。思いもいろいろ。
 そんな中で講師をする際に心がけていることがある。不器用な人や自信のない人もいるという感覚を持つこと。
 
 先日、面接対策のセミナーがあった。ポイントや一般的な注意事項なども話すのだが、参加型のロールプレイも行う。まずは、緊張している応募者の見本と、少しリラックスした応募者の見本を演じて見せる。前者はわりと地で演じるのだが、参加者の笑いが起きることがある。「あ~、わかる、自分もあんな感じかもしれない。」といった感想か。後者は、少しがんばって演じてみるのだが、参加者の表情も緩む。「なるほど、あんな感じでいいのかぁ」といった感想か。

 私は、元CAやホテルマンではないので、接遇プロのような立ち居振る舞いはできない。それをやったところで、実際に真似できる器用な人は多分いない。何十年も厳しい環境の中で仕事をして来た人に、急に笑顔を作りましょうと言っても、ぎこちない。

 面接は、話がうまい人を選んでいるわけではない。その人らしさが、会社に必要かという観点が大きい。自分の良いところや思いをいかに表現するかという工夫を自分なりにしてみるようにと話すと、多くの方が深く頷く。立ち居振る舞いや第一印象は、大事なことだけれど、それはひとつの手段。もっと大切なのは自分らしさや思いを伝えること。付け焼刃のテクニックやノウハウだけで乗り切れるほど甘くはないかもしれない。面接する側も採用のプロとは限らないし。

 実際にどうするか。答えは自分自身の中にあると気がついてもらえると、自分を少し変えて行けるかもしれない。転機や挫折を乗り越えるには、しんどくても自分と向き合ってみる努力が一番だと思う。
 
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7.60歳、男性、三者三様

2016-05-24 23:48:18 | 人、本、旅 日記
ある再就職を支援するセミナー参加者の中に、60際の男性が三人いた。他の大勢の30代~50代くらいの参加者と一緒に、熱心に、時折うなずきながら受講していた。セミナーの中で、簡単な自己PRを考えて書いてもらうことにした。60歳の3人はどうだったかというと・・・ (内容は少し変えていますが)

Aさん:何を書いたらいいのかよくわからん!この歳で雇ってくれるところがあったらどこでもええんよ。

Bさん:前に勤めてた事業所を辞めたのは何故かと応募先で聞かれていつも困るから、どうしたらいいのか・・・

Cさん:自分は技術屋で金物のことしかわからんから、他に何か考えろといわれても思いつかん!

作業中、会場内を見て回りながら3人に声をかけたら、口々にこのようなことを言った。3人ともに、これまで仕事一筋で生きてこられた様子。急に自己PRを考えましょうといわれても、思いつかないのも無理はない。ほんの短い時間だが、3人それぞれの言い分や話を聴いてから、こう問いかけてみた。

Aさんには→雇ってくれるところならどこでもいいのなら、まず、これからやってみたいことはありますか?

Bさんには→辞めた理由の説明より、なぜこれからも同じ仕事に応募したいのかその気持ちを聞かせてもらえますか?

Cさんには→技術屋一筋40年ですか、おつかれさまでした!その貴重なご経験や技術を伝えたり、深めたりできるといいですねえ。

ちょっと話を聴いて問いかけてみると、皆さんよく話す。話を聴いてもらいたいのだろう。話すことでその人なりの気づきがあったり、頭の中が整理されたりすることもあるので、講師としてもできるだけ話に耳を傾ける。短くても対話を心がける。
AさんBさんは、セミナー終了後も少し残って私と3人で話の続きをした。Cさんは、今度いつあるの?また来るよ!といって帰って行った。どちらに進むか迷ったり立ち止まっている人にも、「案外何とかなるかもしれないな。」という気持ちになってもらうことから、次の一歩が始まる。こちらも、「大丈夫ですよ、何とかなりますよ」というような楽観的な態度や相手の人生を尊重する気持ちがないと、悲観や否定から得るものはないと思う。




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