大阪キタで創業40年以上の小さな老舗のバーがある。私はその店を約20年ほど前に知り、週末に時々寄っていた。大体一人で行き、バーボンやスコッチウィスキーを1、2杯飲んで帰っていた。あまりお酒は強くはなかったが、仕事の疲れやストレスを少しでも癒したくて、カウンターで一息ついていた。
当時のマスターは、この業界では有名人で、大阪人ということもあってか、少し太った体にいつも赤いベストを着て、大きな声と笑い声で客と歓談していた。特に洋酒に対するうんちくと愛着は他の追随を許さないほどで、よくお酒の種類や中味や歴史も語っていたが、それが私には決して押し付けや自慢話には聞こえず、こんなに好きなことを仕事にして生きて行けたらと、うらやましくも感じた記憶がある。その後、転勤したこともあって、足が遠のいていた。
その店に機会あって、十数年ぶりに行ってみた。狭い階段を上がって行く時、少し緊張した。店の扉を開けた時、当時まだマスターの手伝いだった息子さんが、「あれっ、お久しぶりです!」と目を細めて声をかけてくれた。連れと一緒にカウンターに座ると、「元気にしてましたか?」と白いおしぼりを広げて差し出してくれた。「この笑顔、対応、光景、昔と変わらない。」と安堵感に包まれた。少し近況など話した後、どんなお酒が飲みたいか丁寧に注文を聞いてくれた。その間、先ほどまでカウンター越しに会話をしていた別のお客さんも、しばし一人で酒を味わっていた。この一人ひとりのお客との距離感を大切にしながら、丁寧な仕事をする姿勢も変わっていなかった。
先代のマスターは、今は療養中とのこと。息子さんが二代目として立派にお店を引き継いでいる。それぞれの客にとって変わらないお店であり続けるために、息子さんも変わり続けて(成長し続けて)来られたのだろうと思うと、お酒の味も自らの身も心地よく引き締まる思いがした。
当時のマスターは、この業界では有名人で、大阪人ということもあってか、少し太った体にいつも赤いベストを着て、大きな声と笑い声で客と歓談していた。特に洋酒に対するうんちくと愛着は他の追随を許さないほどで、よくお酒の種類や中味や歴史も語っていたが、それが私には決して押し付けや自慢話には聞こえず、こんなに好きなことを仕事にして生きて行けたらと、うらやましくも感じた記憶がある。その後、転勤したこともあって、足が遠のいていた。
その店に機会あって、十数年ぶりに行ってみた。狭い階段を上がって行く時、少し緊張した。店の扉を開けた時、当時まだマスターの手伝いだった息子さんが、「あれっ、お久しぶりです!」と目を細めて声をかけてくれた。連れと一緒にカウンターに座ると、「元気にしてましたか?」と白いおしぼりを広げて差し出してくれた。「この笑顔、対応、光景、昔と変わらない。」と安堵感に包まれた。少し近況など話した後、どんなお酒が飲みたいか丁寧に注文を聞いてくれた。その間、先ほどまでカウンター越しに会話をしていた別のお客さんも、しばし一人で酒を味わっていた。この一人ひとりのお客との距離感を大切にしながら、丁寧な仕事をする姿勢も変わっていなかった。
先代のマスターは、今は療養中とのこと。息子さんが二代目として立派にお店を引き継いでいる。それぞれの客にとって変わらないお店であり続けるために、息子さんも変わり続けて(成長し続けて)来られたのだろうと思うと、お酒の味も自らの身も心地よく引き締まる思いがした。