ライフ&キャリアの制作現場

くらし、仕事、生き方のリセット、リメイク、リスタートのヒントになるような、なるべく本音でリアルな話にしたいと思います。

147.数字

2021-03-25 21:21:31 | 時代 世の中 人生いろいろ
 「結果を出せ」「目標未達は許されない」「数字を作れ」ーそんなことを日々言われ続けた時期があった。前世紀の終わりから今世紀の初めころがそのピークだった。当時私がいた会社では「お客様第一主義」を謳いながら、こんな言葉が上司や“本部”から飛んでくることは日常茶飯事だった。高圧的に、時に乱暴に、ヒステリックに。営業社員の中には数字至上主義に神経をすり減らし、振り回され、やがて社会の常識や職業倫理からずれて行った者も少なくなかった。そして今では許されないようなコンプライアンスに反する行為も、数字を出すことで上司から黙認された。むしろ賞賛されることすらあった。「営業殊勲賞」などの表彰や、「高いパフォーマンスを出す〇〇方式」なるものが、社内の営業部門を中心にもてはやされた。その後、それらの中には、偽装や虚構が判明したものもあった。数字に追われ、振り回され、人格までも数字で評価されるかのような風潮もあった。
 もちろん、きちんと努力してしっかりと結果を積み重ねていた社員もいた。しかし、そうでない社員も少なくなかったことは、後に会社自体が監督官庁から厳しい行政指導を受けた事実からも明らかだ。私も“そうでない”ことの方が多かった社員の一人だった。ただ、私個人としては、会社の行政処分に伴い一定の処分を正直に受けたのを機に仕事に対する向き合い方を是正し、その後別の事情や思いもあって退職したことで人生を軌道修正できたと思っている。

 数字は、物事の計測や分析などに必要不可欠であることは言うまでもない。統計や調査のデータだけでなく、論理的な思考や客観的な指標やエビデンス評価など、様々な場面で使われる。また、私自身、数字という目標に執着して仕事をした経験の全てを否定しているわけではない。目標達成して評価された時の自己肯定感。逆に達成できなかった時の劣等感など。今の仕事に生かされている部分もある。一方、数字では表せない人の感情や葛藤、計算通りに行かないプロセス、そして結果がすべてではないことを知った。数字は一つの事実を示すものだが、必ずしも現実を表してはいない。状況や捉え方によってその意味が変わってくることを体感した。

 最近、特にメディアの報道などを見聞きしていると、数字の扱いが粗雑で、稚拙で、盲目的と思われることが多い。企業の不祥事や行政処分の要因に、「数字至上主義」の負の側面があったと指摘されることが今だにある。数字を過信したり偽装したりしたことが社会の不安や不信を招く事件も後を絶たない。メディアなどの数字の発信者の偏った思考、利己的な意図、無責任が見え透いて感じられることもある。〇〇者数、〇〇率、〇〇回数・・・など。恣意的に不正確で不公正な数字をさも真実や正論であるかのように乱用している者もいると思われる。社会が混沌とした中ではやむを得ない面もあるが、いつの世にもそういう輩や曲学阿世の徒はいるのだろう。

 とは言え、私のような数字に強くない凡人は、どうしたら今後も数字に振り回されずにすむのか。改めて考えてみた。
 一つは、自分の判断や行動の軸を持つこと。私自身、計数的な思考や論理的な判断より、情緒的な思考や感覚的な判断をする傾向が強いので、現場感覚を大事にするという軸になる。現場感覚とは、仕事の現場や地域の状況に対する感覚だけでなく、周囲の人の様子や話を見聞きして実感するもの。
 もう一つは、数字の持つ意味や影響を冷静に考えること。自分の暮らしや仕事、家族や周囲の人にどんな影響があるのかという視点で考えてみること。メディアやSNSの情報は、発信元を確認して、鵜吞みにしないか無視すること。そして、自治体や一部の公正で客観的なサイトなど信頼できる所が公表している数字をもとに考えてみること。できるだけポジティブな情報も捉えてみること。そして、考えすぎないことと思う。

  私のこの春は、新年度の仕事の予定も立ってきた。心機一転。心や行動をポジティブに転じるには、できるだけ多く「人に会い、本を読み、旅に出る(=現場に行く)」こと(出口治朗さん)を心がけたいと思う。その中で、身近な数字を仕事やくらしを見直し、より良くする目安として役立てたいと思う。自分の軸と倫理観をもって働くことが仕事へのプライドにつながるし、人と関わりながら暮らすことが人生をリアルにすると思う。
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146.笑顔のリアリスト

2021-03-19 19:38:17 | 時代 世の中 人生いろいろ
  ヨガ教室が再開した。ヨガと言っても、呼吸や体の状態に意識を向けながら無理せず心身をほぐすような内容だ。座った前屈がほぼ直角の私でも、マインドフルネスの感覚で時々参加している。昨年に続き、2度目の休止期間が明けて、少人数で再開された。

 教室では、終盤に瞑想の時間がある。先生から、瞑想の間自分にとって神聖なものを思い浮かべるようにと言われる。雑念が沸いたら、それを脇に置いて、何も考えずゆっくり呼吸に集中するようアドバイスされる。

 私が、およそ2か月ぶりの瞑想で心に思い浮かべた、というより浮かんできたものは、身近な人の笑顔だった。行動の自粛を強いられていた間にも、食事、雑談、仕事など、日常のひと時に見せた笑顔だ。不安や迷いの中で、少しぎこちない笑顔、相手を気遣う笑顔、自然とこぼれた笑顔など。呵々大笑とか満面の笑みというものではない。そして、そのような笑顔を見せた相手に、私自身はどんな顔をしていたのだろうと振り返ってみる。固い表情が緩んだこともあれば、渋面のままのこともあった。こちらの笑いにつられて、相手も笑ったのかと思うこともある。

 リアリストとは、現実主義者という意味だ。どこかクールで冷徹。感情に左右されず、良くも悪くも理論的で計算高く、完璧主義のイメージもある。政治家や官僚、ビジネスマンなど、現実社会の中で葛藤しながら働いている人間もいれば、メディアやネットの中の「専門家」や訳知り顔の正体不明の者など。悲観論や批判ばかりだったり、虚栄心や自己顕示欲だけが見え透いていたり…。その実態は、有象無象の輩もいて、まさに玉石混交だろう。

 実際のリアリストは、現実の事態に即して物事を考え、対処をする。悲観も楽観もしない。まじめで計画性が高いという特徴があるらしい。そう考えると、混沌とした重苦しい空気の中でも、笑顔という他者への気遣いや心の余裕を忘れず、何気ない日々をまじめに粛々と生きている人。良い時も苦しい時も、なるべく右往左往したり人のせいにすることなく、自分が今できることを懸命にする人。先が見通せなければ、今日するべきことを計画的にする。起床、睡眠、食事、あいさつ、仕事、家事。あたりまえのことをあたり前にする。自身の弱さや痛みだけでなく、周りの人にも心の揺れや痛みがあるという事実に目を向けられる人。時には笑顔という心の手を差し伸べられる人。現実にただ追随するだけでなく、現実と折り合いをつけながら生きている。そんな人こそが、くらしや仕事を支えているリアリストではないかと思う。

 「笑顔のリアリスト」は、知恵も感情も、強さも弱さもある生身の人間。
瞑想しながら、そんな身近な人の笑顔がいくつも思い浮かんでくると、呼吸が暖かく軽くなった。そして、リアルな明日に意識が向いた。
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145.働く意味に思いをはせる

2021-03-08 11:01:29 | 仕事 キャリア ライフキャリア
  「おつかれさまでした」と、私は思わずなじみの居酒屋店主をねぎらいました。時短営業期間が終了した直後に、久しぶりに訪れて帰る時のことです。客がほぼいなくなった店で、店主はこう言って苦笑しました。「十年分休みましたからね。やる事がないから、おかげで家中がきれいに片付きましたよ。」
 お店を始めて20年。家族経営の小さな店は、ほぼ年中無休でした。しかし、店を開けても客が来ない、そうなると仕入れが難しいと、店を閉めることにしたのです。店主は疲れた目でこう続けました。「休業の補償金はもらったけど、仕事ができないことがこんなにしんどいとは思わなかった。」と。

 内閣府の「国民生活に関する世論調査」によると、働く目的の一番は、「お金を得るため」です。次に大きいのが「生きがいを見つけるため」となっています。仕事や働き方に対する思いや考え方は人それぞれです。仕事内容や職場環境、年齢や経験年数等によっても違います。
 私は、この店主にとって仕事は生きがいで、お金を得て家族と生きて行くためだけではなく、仕事を通じて自分を活かすために働いているのだろうと感じました。
 この春から新しい環境の中で仕事をスタートする人、心機一転して仕事探しを始める方。そのような方々は、この機会に「何のために働くのか」ということに思いをはせてみましょう。もし働く目的が分からなければ、やりたい仕事を探すより、できる仕事を始めてできるだけ続けてみましょう。困難や不安なことがあっても、そうする事で働く目的や自分が活かせる仕事が見えてくることもあるのです。仕事のやりがいや生きがいは、与えられるものではなく自分で見つけるか、時間をかけて気づくものだろうと思います。

 その後再びその店を訪れた時の帰り際です。座敷からお会計を頼むと、8席ほどのカウンターに並ぶお客さんに出す料理を作る手を止めて店主が言いました。「20年この仕事が続いたのは、若い時たまたまこの業界に入って修行して、これしかできないと思って独立して店持ってやっているうちに、好きな仕事になったからなんでしょうね。」勘定を渡す時、マスクの上の店主の目には力が戻っていました。私はいつものように「ごちそうさま」と、店を出ました。「ありがとございましたー。」と、大きな声が背中に響きました。

 多くの人は、生きるために働くだけでなく、働くために生きているのだろうと感じ、胸が熱くなりました。
 在宅ワークの長い友人が言いました。「人と会うストレスよりも、人に会わないストレスの方が大きくなった。」と。


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