菅直人首相、消費税発言の真意
民主党は楽勝で勝てるはずの選挙を取りこぼした。
日本政治史上の珍事と言うしかない。
国民の期待を背負って誕生した鳩山政権は、一年もたたずして著しく支持率を下降させ、参院選を有利に展開するため、鳩山首相は泣く泣く辞任した。代わって菅直人氏(以下敬称略)が民主党政権の二番目の首相に就くと、支持率は57%に跳ね上がった。そのまま選挙に臨めば、余裕で参院選を制していたはずだ。しかし、菅首相は、唐突な消費税増税発言をおこなった。
民主党議員ですら寝耳に水の発言に、国民は詐欺か裏切りにあったような気分になった。かくして民主党は楽勝のはずの参院選で大敗した。そんなできすぎた間抜話がこの世にあるだろうか。
菅首相は、なぜ有権者の誤解をまねくような不明瞭な消費税増税発言をしたのだろうか。財務官僚が消費税増税の必要性を菅直人に巧妙に刷り込んだ、という観測もある。たとえそうであったとしても、民主党は4年間は消費税を増税しないとはっきり公約している。選挙前の微妙な時期にわざわざ誤解をまねくような発言するのは、あまりにも不自然というしかない。菅直人のようなベテラン政治家が、そんなボンミスを犯すとは考えにくい。
菅首相の発言は意図されたものだと考えるのが妥当だ。発言の真意がどこにあるのかは、民主党が政権について以降の短い歩みを見ればわかる。
昨年九月に政権について以来、民主党は公約をほとんどまともに実行できていない。というより、実行する気があるようにはとうてい見えない。方針は二転三転し、まったく焦点が定まっていない。国民の期待をかわして、適当なところで決着をつけたいというような様子だ。民主党への期待が絶大であっただけに、国民の失望感は大きく、内閣支持率は急降下した。普天間基地問題では、社民党が連立を離脱し、郵政改革法案先送りで、亀井静香金融・郵政改革担当大臣が辞任した。国民だけでなく、連立相手さえも呆れるほどの迷走ぶりだ。
民主党は、公約を実行する能力がないのではなく、もともと実行する気がないのだ。民主党のマニフェストは人気取りの単なる大風呂敷だったのだ。マニフェストを実行するためには多大な軋轢と果敢に戦わなければならない。民主党は、そんな面倒な事態と立ち向かう気は最初からなかったのだ。したがって、あらゆる局面でボロを出し続けた。大風呂敷を国民に見透かされる前に、マニフェストを実行しないですむような策を考え出す必要があった。
その答えが「ねじれ」だ。かつて民主党が「ねじれ国会」で自民党を翻弄したように、今度は、自民党がねじれを利用できるようにしてやればよい。つまり、民主党が選挙で負ければよいのだ。野党に落ちた自民党が参院選で勝てば、民主党が提出する法案をこれみよがしにつぶしにかかるだろう。民主党は自動的にマニフェストを実行しなくてもすむ。民主党はマニフェスト実現のために全力で戦っているのだという演出ができる。
菅首相の唐突な消費税増税発言は、選挙戦を不利に展開するための意図的な作戦だった。民主党は思惑どおり選挙に敗れた。これで、マニフェストの実行という重圧から開放される。もちろん一般議員や党員はそんなことなど知る由もない。
しかし、今回の出来事は、民主党がまんまと自民党を利用したというわけでもない。もともと民主党は、自民党なしではとうてい独り立ちなどできない。それは、社民党も共産党も、その他の政党も同じだ。自民党の存在によって、その他諸政党ははじめて存在できるのだ。
惑星と衛星
自民党はとっくの昔に国民の求心力を失っている。にもかかわらず自民党が長期政権を維持できたのは、日本には「野党」政党が存在しないからだ。
戦後、多数政党による議会制民主主義が導入されたが、それは名目上の制度にすぎない。自民党とその衛星政党によって議会制民主主義の体裁を整えたにすぎない。日本の議会は実質的な一党支配体制なのだ。
野党諸政党は、自民党の強力な引力圏を、ただくるくると回っているだけの存在だ。自民党の引力が弱まると、衛星は宇宙の彼方に放たれてしまう。惑星あっての衛星なのだ。
90年代前半、自民党が国民の求心力を失ったとき、消滅したのは自民党ではなく、なぜか社会党だった。自民党の危機に慌てふためいたのは、社会党の方であり、社会党は自ら消滅することで自民党を守った。そして、名前を変えてまた所定の位置にもどった。つまり、現在の民主党だ。
国民の意見が大きく二分された2005年の「郵政選挙」の時、国民の盛り上がりとは裏腹に、民主党にはまったく戦う気概が見えなかった。共産党も社民党もやる気のなさは同じだった。精力みなぎる小泉首相の絶叫だけがこだまするような選挙だった。結果、自民党は歴史的大勝を手にした。ただし、有権者は自民党を圧勝させるつもりはなかった。自民党は安定多数を確保したが、得票数はほぼ二分されていた。衛星諸政党の露骨なサボタージュがなければ、自民党の圧勝はなかったはずだ。
しかし、2009年の選挙では、国民は明確な意思をもって民主党を大勝させた。民主党のマニフェストを信じたのだ。だが政権担当後の民主党の無惨な迷走ぶりは、かつての社会党に通じるものがある。民主党とは、自壊した社会党と分裂した自民党が、弱い引力でつながっているだけの集団だ。基本的には衛星時代と何も変わっていない。
惑星の仮面をつけただけの民主党にとって、政策の実行を迫る国民の圧力は、あまりにも荷が重過ぎるのだ。かといって衛星にはもどりたくない。仮想惑星にとどまったまま、政策の実行という重圧からは開放されたい。その答えが、「ねじれ」だった。死に体の自民党を救済すると同時に、国民の圧力からも解放される。あとは、無意味なパフォーマンスでお茶を濁していればいいのだ。
今後、国民は、自民党の躍進は避けたいが、しかし、民主党にも期待はできない、というジレンマに陥ることになる。どちらも野党の間は国民受けする耳ざわりのいい言葉を口にするが、政権に就いたとたん、あっさりすべてを忘れる。国民はどちらも選びたくないが、どちらかを選ばなければならない。このジレンマを恒久的に制度化するのが、二大政党制だ。
二大政党制とは、惑星と衛星の関係が、連星の関係に変わるだけだ。彼らは手を取り合ってダンスを踊るだけで、国民の生活や日本の将来には何の興味もない。
衰退し続ける日本
1990年のバブル崩壊以来、日本の「失われた10年」は、ついに20年になった。世界第2位の経済大国日本は、ゆっくりと貧困化に向かっている。「一億層中産階級」はすでに今は昔の話だ。中間層はしずかに貧困層へと滑り落ち、「二極化」へ進んでいる。今後も日本が先進国に分類されるとしても、国民生活の質は先進国とは呼べなくなるだろう。
戦後の日本の優位性を保障してきた技術開発力も、とっくに陰りはじめている。革新的な技術や発明はほとんど生まれていない。過去の技術的貯蓄によって、何とか「技術立国日本」のメンツを保っているにすぎない。技術的貯蓄も遠からず枯渇する。
日本がモノづくりが好きだとか、匠の技だとか、メディアでも色々と特集をやっていますけど、あれは1980年代の「モノづくり」なんです。何度も言いますが(笑)。その後は何もできていないんです。
2009.10.14 出井伸之氏に聞く(後編)「もはやニッポンはモノづくりでは勝てない」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091007/206549/?P=2今年(2003年)4-9月の業績を比較すると、サムスン電子1社の営業利益に日本の電機9社が束になってかかってもかなわない。
2003.11.12 9社でもサムスンに届かず/電機決算、ソニーだけではない低収益
http://www.nikkeibp.co.jp/archives/275/275462.html今年(2009年)10月末、主要企業の7-9月期の実績が公開されると、日本は騒々しくなった。日本経済新聞が「韓国の三星(サムスン)電子1社の収益(4兆ウォン)がソニー・パナソニック・東芝・日立など日本上位9社の収益の合計(2兆ウォン)より多い」と報じた。
2009.12.24 ソニー・東芝など日本ビッグ9を抜いた‘韓国のライジングサン’ http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=124323
日本を代表する電機大手9社の営業利益の合計が、サムスン1社の半分にさえ届かない。この原因を、ソニーは「商品力」、パナソニックは「グローバル展開力」の差と認めている。バブル以前に、誰がそんな事態を想像しただろうか。革新的なものを生みだす創造的土壌が日本から失われつつある。これが「技術立国日本」の現状なのだ。
次代の人材を育成する日本の教育の地盤沈下が、この傾向に拍車をかけている。1993年以降、少子化が進行しているにもかかわらず、なぜか新設大学や学部がどんどん設立されてきた。そのため大学の関心は教育の質よりも、学生の獲得に向かった。有名大学も例外ではない。学生を確保するため、たいていの大学が一般入試に加え、推薦、OA入試などを採用している。さらに、付属校の増設で入学者を確保する。一般入試枠は水増ししないので、学生数を増やしても、大学のランクは維持できる。大学進学率や学生数は上昇しているものの、教育の質は逆に低下している。
少子化の進行の中で、大学や学部の新設ラッシュという矛盾が発生したのは、大学設立のプロセスが、厳しい認可制から事実上の届出制に変更されたからだ。その理由は、グローバル・スタンダードである自由化、規制緩和の圧力が教育行政にも及んだためだ。タイミングとしては最悪というしかない。自由化、規制緩和すれば、教育の質まで神の手が最適化してくれるわけではない。
あらゆる分野でシステマティックに日本の破壊が進んでいる。その根底には必ず、自由化、民営化、規制緩和が顔を出す。日本の政治は、こうしたグローバル・スタンダードだけは、積極的に実行する能力がある。菅直人も、G20でしっかりグローバル・スタンダードの信者に変心したようだ。IMF(国際通貨基金)も菅首相に熱いエールを送っている。
いいかげん、グローバル・スタンダードに盲従するのはやめるべきだ。
それよりも経済成長するのアジアに学ぶべきだ。
そこには、かつての日本の姿があるはずだ。
ルック・アジア
リーマン・ショック以来、先進国経済はドロ沼に足を取られ、身動きできない状態にある。今後さらに深みに落ちていきそうな勢いだ。それに比べてアジア経済は、金融危機の影響からいち早く抜け出し、順調に経済成長を続けている。しかし、なぜアジア経済はすばやく回復できたのだろうか。
アジア経済の中で、インドと中国はリーマン・ショックの直接的影響をほとんど受けていない。中国は輸出減という影響はあったが、輸出に頼らないインドは、ほとんど何の影響も受けていない。この両国の政策の特徴は、自由化や民営化、規制緩和といったグローバル・スタンダードとは明確に一線を画してきたことだ。
他のアジア諸国も、97年のアジア通貨経済危機によって、過度な自由化や民営化、規制緩和は、欧米資本の勝手気儘な振る舞いによって、自国経済に大惨事をまねくということを学んだ。ただ、インドや中国のような大国ではないアジア諸国は、グローバル・スタンダードとは一定の協調と妥協を強いられてはいる。しかし、決して警戒を怠ってはいない。
アジアの経済成長の要因とは、政府による一定の介入にある。「政府介入」は、グローバル・スタンダードのタブー中のタブーだ。この地上から葬り去るべき悪のナンバーワンなのだ。競争原理による自由市場こそが世界経済を明るい未来へと導く。しかし、実際は逆だ。自由市場は世界経済を混沌の渦の中に放り込んだ。自由市場によって、世界の富は一部の企業や金融資本に集中しただけだ。
自由市場の本場である欧米諸国が、金融危機の中で多大な打撃を受けたのは当然の帰結だった。しかし、欧米諸国は危機の原因が自由市場にあることを認めるわけにはいかない。世界の市場が閉ざされば、先進国の優位性は脅かされる。欧米諸国は、金融危機の責任を一部の金融機関に押し付けて、自由市場を守ろうとしている。
しかし、今後も発生するであろう世界的金融危機から自国を守りたければ、アジアを見習い、自由市場とは一線を画すべきなのだ。そのアジア経済は過去何十年も、日本の政策を見習って経済成長を遂げたのであって、決してグローバル・スタンダードのおかげではない。しかし、当の日本はバブル崩壊以来、グローバル・スタンダードの信者になってしまった。
いま「小さい政府」「市場原理」が最優先だと言っている国はほとんどない。つまり、日本は世界の動きから大きく同期ズレしてしまっているのではないか。
2009.10.14 出井伸之氏に聞く(後編)「もはやニッポンはモノづくりでは勝てない」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091007/206549/?P=2
日本は、かつての日本を見習えばいいだけなのだ。
そして、グローバル・スタンダードとはきっぱり縁を切ることだ。
消費税の増税などまったく必要ない。
民主党は参院選で勝つ気などなかった : 資料編
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/1a0f7a12afec7652850aa3deec958188