「国際社会」は1万回近い空爆を加えてリビアを破壊した。
続けていま、シリアの破壊を目論んでいる。
しかし、空爆という手口を封じられ、「国際社会」は苛立ちを募らせているように見える。
準備した歴史の歯車が狂い始め、焦りを感じているかも知れない。
「国際社会」という極めて限られたグループ
“ 国際社会 (International Community) ” いう言葉がメディアには頻繁に登場する。
「 国際社会の総意 」や「 国際社会による非難 」などというように使われる。
しかし、この枕言葉のような国際社会とはいったい何なのか。
メディアはまるで、国際社会という明確な意思決定の主体が存在し、世界の総意が形成されているかのように表現する。確かに国際社会は存在するだろう。しかしそれは、貿易やビジネス、観光や通信などの実務上のネットワークを構成しているにすぎない。この国際社会に、有効な意思決定機能があるかどうかは疑問だ。二国間の折衝ですら、容易には折り合いが付かない。たいていの合意は妥協や打算の産物だ。国際社会全体が一つの政治的総意を形成するなど、まずあり得ない。
結局のところ、国際社会の総意と呼ばれるものは、限られた少数の強者が利益を追求する過程で生み出されるものなのだ。総意など実際にはどこにも存在しない。集団が見てみぬ振りをする行為を「総意」と呼んでいるだけのことだ。
国際社会の問題解決の場とされている国連は、何らかの意思決定や調節を行う場ではない。実際は、集団的責任逃れの場だ。採択の結果、どのような事態が引き起こされたとしても、誰も責任を取る必要がない。責任を取る必要がなければ、どのような決議にも安心して加担できる。国連の最大の機能とは、責任の所在を深い霧の中に投げ入れることだ。
限られたグループの利益追求活動が、国連を通過すると、「国際社会」の名に置換される。国連決議とはそのための単なる儀式にすぎない。儀式さえ済めば、このグループの行為はすべて「国際社会の総意」を体現する正当な行為となる。したがって、たとえ爆撃によって、多くの市民の命が奪われたとしても、一顧だにされない。
国連の他にも、国際刑事警察機構や国際刑事裁判所、IMFや世界銀行、WTOなどの国際機関も、この小グループの利益実現のために機能している。またNATO軍や国連軍などの軍事部門を動員することもできる。これらすべては、この小グループの出先機関にすぎない。
民間部門では、欧米の主要メディアも、この小グループの利益を代表している。したがって、この小グループの利益に反するような報道はいっさい行われない。世界のメディア界は見えないピラミッド構造を形成し、主要メディアの論調が自動的に世界のメディアに行き渡るようになっている。シャンパンピラミッドの頂点に注がれたシャンパンは、もれなくすべてのグラスを満たしていく。この流れを無視するメディアは極めて少ない。第二のアルジャジーラにはなりたくないからだ。誰しも、精密誘導爆弾の誤差の範囲内で仕事をしたいとは思わない。世界中のメディアは、事実や真実などにはいっさい関心がない。上から流れてくるシャンパンにだけ注意を払っていればいいのだ。黙って流れを受け入れている限り、誤差の範囲外にいると確信できるのだ。
メディアが、「国際社会の総意」を大々的に報じるとき、それは一部のグループの利益が追求されているというサインだ。その結果、この地上のどこかで大惨事が引き起こされる。
「脅威」という資源
リビアやシリア、イラクやアフガニスタンは、なぜかくも強引に破壊されなければならないのか。
冷戦終結前後の出来事を俯瞰してみると、その理由と構造が浮かび上がってくる。
1988年 8月 イラン・イラク戦争終結。
1989年11月 ベルリンの壁が崩壊。東欧諸国の共産主義体制が次々と瓦解。
1990年 8月 イラクがクウェートに侵攻。
1991年 1月 湾岸戦争勃発。多国籍軍による陸海空の猛攻により、イラク軍敗走。
2月 ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が停戦を発表。
4月 停戦調印。フセイン政権は打倒されることなく継続。
12月 『悪の帝国』ソビエト連邦が崩壊。冷戦が終結。
1993年 2月 ニューヨーク、ワールドトレードセンター地下駐車場爆破事件発生。
1998年 7月 ナイロビとダルエスサラムの米大使館爆破事件発生。
2001年 9月 911事件発生。
東欧の共産体制瓦解とソ連邦の崩壊にサンドイッチされる形で、湾岸戦争が発生している。湾岸戦争によってサダム・フセインは極悪人として世界の憎悪を集める。
それからほどなくして、ソ連邦が崩壊する。世界は「赤い恐怖」や「核戦争の脅威」から突然解放されることになる。この歴史的出来事により、世界は平和に向って進むと誰もが信じた。しかし、冷戦終結後の世界は平和には向わなかった。
冷戦の終結は、西側世界の盟主であるアメリカの覇権の終焉をも意味する。『悪の帝国』が存在したからこそ、世界はアメリカの核の傘下に入った。アメリカの強大な軍事力の庇護がなければ、赤い悪魔に呑み込まれてしまうと世界は恐怖した。アメリカのご機嫌を損ねないことが、冷戦体制を生き延びる条件だった。つまり、アメリカにしてみれば『悪の帝国』とは、すなわち、絶対的な覇権を生み出す資源だった。この資源が枯渇したら、アメリカの覇権も失われる。そしてそれは、現実になろうとしていた。そうなる前に、新たな鉱脈が必要になる。それが、サダム・フセインだ。
1990年8月のイラクによるクウェート侵攻は、アメリカの事実上の同意を得た行為だった。在イラク・アメリカ大使は、フセインに対して、アメリカはアラブ間の問題には介入しないこと、そしてイラクとの友好の増進を望んでいる旨を伝えた。フセインは、この会談から一週間ほどで行動を起こした。しかし、そのとたん、アメリカは手のひらを返してフセインを非難した。フセインには何が起こったのかさっぱりわからなかっただろう。
「国際社会」と世界のメディアは全力でフセインを非難した。隣国を蹂躙する、ならず者フセイン。油田を破壊し、環境を汚染するフセイン。流出した原油にまみれて苦しむ水鳥。そして、涙の「ナイラ証言」。サダム・フセインはまたたくまに、世界の敵ナンバー・ワンに祭り上げられた(後に、これらの反フセイン・キャンペーンはでっち上げであることが判明している)。
『極悪フセイン』のイメージが世界中に焼き付けられたあと、『悪の帝国』ソ連邦が崩壊する。それは帝国の崩壊というには、あまりにもあっけなく、拍子抜けするような幕切れだった。『悪の帝国』は誇張されたイメージでしかなかったのだ。
『極悪フセイン』の登場、そして『悪の帝国』の退場。
もしこの2つの出来事の順序が逆になっていたら、どうなっていただろうか。
ソ連邦の崩壊が先であれば、この歴史的大事件の衝撃の陰に隠れて、イラクによるクウェート侵攻はほとんど関心を集めなかっただろう。世界が平和的気分に浸っているときに、そうした気分をぶち壊すようなニュースに人びとは目を向けない。しかも、『悪の帝国』ソ連邦に比べて、イラクはあまりにも規模が小さい。地図のどこにあるのかさえ知らない、そんな中東の一国家を誰も脅威とは認識しない。地域紛争は当事者間の問題と考え、自分たちは冷戦終結の平和的気分の中で過ごすだろう。順序が逆であれば、おそらく『極悪フセイン』は誕生し得なかった。
しかし、『悪の帝国』への憎悪が充満しているときなら、そこへ新たな憎悪を加えることは容易だ。『悪の帝国』と『極悪フセイン』への憎悪は簡単に両立する。そして、片方が消えたとしても、もう片方の憎悪は残る。
東欧の共産主義体制が次々と瓦解をはじめ、ソ連邦が崩壊するまでの期間に、湾岸戦争がサンドイッチされているのは決してたまたまではない。『極悪フセイン』の登場は、ソ連邦崩壊の前でなければならなかったのだ。
世界平和は覇権の終焉を意味する。
憎悪や嫌悪、恐怖や脅威は覇権を生む無限の資源なのだ。
この地上から憎悪や争いが消えないのは不思議なことではない。
世界に恒久的な脅威を
ソ連邦の崩壊を控えた西側世界は、フセインという新たな憎悪の対象を作り上げた。しかし、イラク一国やサダム・フセイン一人は、憎悪の対象にはなっても、世界の脅威に仕立てるには無理がある。本当に必要とされているのは、『悪の帝国』ソ連邦に匹敵するほどの脅威だ。
2001年9月11日、ニューヨークを象徴するWTCのツインタワーが姿を消す。これほど衝撃的な出来事はまずない。この事件によって「アルカイーダ」が歴史にデビューする。そして、中継ぎの役目を終えた『極悪フセイン』は退場する。常に、新しい脅威が登場してから、旧い脅威が退場する。この順序でなければならない。これが歴史制作の鉄則だ。
ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)は、対テロ戦争を宣言する中で「この戦いは5年で終わるかも知れないし、50年続くかも知れない」と示唆的な発言をしている。40年以上続いた冷戦に匹敵する戦いになるのだと世界に告げたかったのだろう。
世界は「アルカイーダ」のテロに慄いた。地上のすべての地域が彼らの標的になり得るのだ。そして、テロを未然に防ぐ方法はない。テロは準備期間も短く、少人数で実行可能だ。911以降、ロンドン、マドリッド、アンマン、バリなどで爆弾が炸裂する。そのたびにメディアには「アルカイーダ」の文字が躍る。
しかし、その後の世界が「アルカイーダ」を憎悪し、恐怖しているかというと、そうとは言いがたい。脅威を感じるほどの現実感がないのだ。それに比べると、ソ連邦は見たくなくても地図上の何割かを占領し、その存在を意識させた。そして、間違いなく核弾頭を何千発も保有していた。だが、「アルカイーダ」は、どこに潜んでいるか分からない、実態不明の組織体という設定なので、組織図や拠点を示すわけにはいかない。分かっているならさっさと叩けということになってしまう。実態が見えない組織体「アルカイーダ」は、憎悪や脅威を抱くほどの対象とはなりにくいのだ。嫌悪感を持つのがせいぜいだろう。
時おり不鮮明なビデオで登場するオサマ・ビンラディンも、あまりにも存在感が薄く、憎悪の対象になったとは言いがたい。そのビンラディン殺害作戦も、たいしたインパクトを世界に与えていない。アメリカの自己申告にすぎない都合のよい物語にしか見えない。
おそらく、「アルカイーダ」なる組織体などどこにも実在しない。あくまでも見えない脅威という設定なので、コストをかけて実在させる必要がないのだ。爆弾テロの要員など、その都度調達が可能だ。
もちろん、「アルカイーダ」の存在を疑っている人はほとんどいない。問題は「アルカイーダ」に対する憎悪と脅威が生まれていないことだ。「アルカイーダ」の存在を印象付けることには大成功したが、肝心の憎悪と脅威はほとんど生まれていない。それではまったく意味がない。
冷戦に匹敵するような、地球を包み込む憎悪と対立が生まれなければ資源とはならない。
冷戦から『文明の衝突』へ
憎悪や対立というのは一方通行では効果が少ない。
共産主義対自由主義のように双方向のものであることが望ましい。
冷戦後の世界に「アルカイーダ」が登場した以上、対をなすものが求められる。
つまり、イスラム世界を破壊する十字軍だ。
アフガニスタンでもイラクでも、当初、国際軍は解放者として迎え入れられた。しかし、占領からほどなく、国際軍は凄まじい蛮行を働きはじめる。夜中に住居を急襲して、理由なく人々を連行し、監禁、虐待した。それは日常的任務だった。イラクのアブグレイブ収容所での虐待や拷問、殺害は特に有名だ。アフガンでは拘束した市民をはるかカリブ海のグアンタナモ基地まで連行し、長期間拘留している。あるいは、単なる集会や結婚式を「誤爆」するという事件もめずらしくはない。民間軍事会社の要員は、接近する車両には容赦なく銃弾を浴びせる。アフガンでは駐留軍がコーランをトイレに流したことが報道されると、怒りの暴動が発生した。
つい最近も、アフガンの駐留軍がコーランを焼却したことが報じられると、暴動が発生し、米兵が射殺された。また、戦闘で殺害した死体に米兵が笑いながら小便をかけている動画も公開された。最も新しい事件としては、夜中に基地を抜け出した米兵が、市民16人を殺害するという快楽殺人的事件が発生している。
こうした事件が後を絶たないのは、それが十字軍としての本来の任務だからだ。イスラム世界の真ん中に、911事件の記憶の焼きついた十字軍を長期間駐留させ、考えられる限りの蛮行を行わせる。イラクの十字軍は2011年12月に撤退したが、アフガニスタンではいまだに駐留を続け、蛮行を繰り返している。
十字軍だけでなく、ヨーロッパ本土では、フランスやベルギー、スイスなどがブルカの着用を法律で禁止、もしくは検討している。スイスではモスクの尖塔の建設が禁止され、イタリアはモスクそのものの建設の禁止を検討している。FIFA(国際サッカー連盟)は女子選手がヘジャブ(スカーフ)を着用することを禁止した。こうした理不尽な法的措置や規則も、イスラム世界の憎悪を掻き立てるためだ。理不尽であればあるほど高い効果が期待できる。
イスラムと西欧の憎悪が世界各地で衝突し、対立が臨界点に達すると『文明の衝突』に発展する、というのがグランドデザインだ。ところが、911事件から10年が経過しても、そうはなっていない。それどころか、アメリカの大学では、アラビア語を履修する学生が急増するという現象が起きている。イスラムに対する関心と興味が高まっているのだ。イスラム教徒を見て、「アルカイーダ」を連想するような者も、ほとんどいないだろう。
「国際社会」は、あらゆる機会と手段を通じて、イスラム世界と西欧世界双方の憎悪を煽ってきた。
しかし、『文明の衝突』というほどの兆候はない。
そのことが、「国際社会」を苛立たせている。
資源がほとんど燃焼していないのだ。
歴史の境界
中東地域に吹き荒れる「アラブの春」が意味するものは明白だ。
911後、カダフィ大佐は西欧との対立をやめ、アフリカ地域の安定と発展に力を注ぎはじめた。シリアは、モデルになるような平和共存社会を築いた。『文明の衝突』にとって、それはあまりにも都合が悪い。
「アラブの春」は、イスラム世界を強引に破壊して、永遠の暴力と混沌の中に放り込むことが目的だ。地域全体を憎悪と憤懣で満たし、その憎悪を西欧世界に向け、『文明の衝突』に導く。
リビアは首尾よく叩き潰し、無秩序へと放り込んだ。しかし、続くシリアで足踏みを余儀なくされている。ロシアと中国が、国連安保理決議で拒否権を行使したからだ。こんなところでつまづいているようでは、中東の破壊、ひいては『文明の衝突』はおぼつかない。空爆がだめなら、地上戦しかない。「国際社会」は、シリア破壊を請け負う残忍な地上部隊を手配しているところだ。
もちろん、ロシアと中国は、これ以上の中東地域の不安定化を許す気はない。ベネズエラやイランも同様だ。だが、大半の国は、国連総会で投票を済ますと、「国際社会」の暴挙をいつものように見てみぬ振りを決め込んでいる。
いまシリアは、いっさい妥協の許されない過酷な戦いを強いられている。
この戦いに負ければ、中東どころか、世界は今後何十年間も偽りの歴史に呑み込まれる。
「国際社会」が描く、偽りの歴史が、われわれの目の前で堂々と進行している。
歴史の境界をしっかり見極めるべきだ。
「脅威」という無限の資源 : 資料編
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