いま、世界は「百年に一度の津波」が残した無惨な爪痕を前に手をこまねいている。
世界の中央銀行は、この事態にただ傍観しているだけのように見える。
中央銀行は、それほど無力な存在なのだろうか。
肝心なときに動こうとしない組織に、なぜ「独立性」を認める必要があるというのか。
中央銀行はますます「独立性」を磐石なものにしようとしている。
本当にこのままでいいのだろうか。
国家が中央銀行に法的独立を与えるなどということを、アメリカ創成期の指導者たちが聞いたらどんな顔をするだろうか。何人かはそんな荒唐無稽なよた話は信じないかも知れない。しかし、別の人たちは、ああやっぱりか、とうなだれるのかも知れない。
アメリカ建国の父たちが合衆国憲法の草案を創ったとき、多大な時間を費やして通貨について議論を交わした。彼らが最終的に署名した合衆国憲法によると、連邦が「貨幣を鋳造」するとなっている。つまり、通貨の発行権は連邦にこそある。
連邦議会は次の権限を有する。
合衆国の信用において金銭を借り入れること。
[第一条 第八節 (二)]
貨幣を鋳造し、その価値および外国貨幣の価値を定め、また度量衝の標準を定めること。
[第一条 第八節 (五)]
各州は……、貨幣を鋳造し、信用証券を発行し、金銀貨幣以外のものを債務弁済の法定手段としてはならない。
[ 第一条 第十節(一)]
アメリカ合衆国憲法
在日アメリカ大使館HP
http://tokyo.usembassy.gov/j/amc/tamcj-071.html
合衆国の法貨は金貨と銀貨である。したがって、合衆国憲法には、紙幣の発行に関する記述はない。合衆国創成期の指導者たちにとって、通貨とは金と銀であり、それ以外のものを想定する気はなかった。彼らが、兌換紙幣や不換紙幣の機能について知らなかったわけではない。知っているからこそ記述しなかったのだ。
憲法制定会議の三カ月前、ワシントンは不換紙幣を否定する理由をはっきりと述べている。
正貨不足から生まれる必要性は、実際より過大評価されている。わたしたちを利するのはものの影ではなくて実体だ、とわたしは考える。卑見に寄れば、人類の知恵ではまだ紙幣の信用を長期的に支えるしくみは考え出されていない。したがって紙幣の発行量とともにその価値は低下するし、交換される商品の価格はそれ以上に上がるだろう。これのどこが農業者や農園主、職人の利益になるのか?同様に大きな悪は、投機への扉がただちに開かれ、陰険な企みの最も少ない者、そして共同体にとって最も大切な人々が、悪知恵の働く狡猾な投機家に食い物にされるだろうということである。
これが憲法制定議会に集まった代議員の大半の意見だった。彼らはどの州にも、まして連邦政府自身には二度と不換紙幣を発行させてはならないと憲法に定める決意を固めていた。
p380-381 『マネーを生みだす怪物』 エドワード・G・グリフィン
彼らは、不換紙幣や部分準備紙幣のカラクリを十分理解していた。そして、それがもたらした災厄も経験している。したがって、憲法を創り、国家を造るとき、国家と国民に対して通貨が危害を加えないよう細心の注意を払った。
しかし、こうした認識を持っていたにもかかわらず、初代アメリカ大統領となったジョージ・ワシントンは、中央銀行の設立を認めることになる。銀行に近い初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンは、中央銀行の設立を強力に提唱した。トーマス・ジェファーソン(初代国務長官:当時)をはじめ多くの閣僚や議員は、憲法に記載のないこの構想に猛反対した。しかし、ハミルトンは最終的にワシントンの同意を得る。アメリカ合衆国はその出発点から、憲法の理念と、金融界の意志との間で大きく揺れ動くことになる。
このとき設立された中央銀行は「第一合衆国銀行」と呼ばれ、20年間の期限付きで認可された(1791~1811年)。1000万ドルの資本金のうち、政府が200万ドルを出資したが、民間所有の中央銀行である。政府は、第一合衆国銀行からの融資で財政をまかなった。憲法では連邦政府の借金は認められているので、この方法だと憲法上の問題はない。ただし、合衆国銀行の存在が合憲であるかどうかの問題を無視すればの話だ。
合衆国銀行は、政府預金と政府への貸付を独占したが、紙幣発行の独占権までは与えられなかった。したがって、州法銀行も独自の銀行券を発行した。合衆国銀行は、州法銀行券を受け取ると、ただちに兌換を要求し、州法銀行の準備金(金貨・銀貨)を吸い上げた。そのため州法銀行は、銀行券の発行を抑制せざるを得なかった。つまり、シェアを奪われた。紙幣の乱発傾向のある州法銀行の行動を抑制したとして、合衆国銀行は、現在の研究では評価されている。
しかし、このマネーシステムの根本的な問題点は見過ごされる傾向にある。その問題点とは、たとえ政府収支が黒字になったとしても、政府債務を返済することができないという点だ。黒字なら返せばいいではないか、と思われるだろう。しかし、政府債務を返済すれば、マネーサプライが収縮する。倒産や失業などの混乱が生じる。このシステムの下では、政府は永遠に債務を減らすことができない。これが今日に至る中央銀行システムの根本的問題点だ。現在のアメリカ政府が際限なく債務を膨張させるに至る雛形がここにある。アメリカ創世記の指導者たちは、すでにそのことを理解し、予見し、警鐘を鳴らした。
祖国の目を覚まさせようとしたジェファーソンは、不誠実なマネーと債務の悪について語ることを一度も止めなかった。
……わたしたちは子孫に債務のつけを遺せると考えてはならないし、倫理的にも借金の返済は自分ですべきものである。……世界は生者のものであって、死者のものではない。……わたしたちは各世代それぞれが権利を有し……義務を負う一つの国であると考えるべきであって、次世代以降に負担を残してはならない。
p409-410 『マネーを生みだす怪物』
銀行の敵を自認する第三代大統領トーマス・ジェファーソンの在任期間中(1801~1809年)、第一合衆国銀行も存在し続けた。ジェファーソンは大統領退任後も、銀行の敵であり続け、彼の闘志は多くの支持者を生んだ。
トーマス・ジェファーソンは、預金目的のための銀行には賛意を表したが、銀行が紙幣を発行することにたいしては、強く反対した。一八一六年にジョン・テイラーにあてて書いた手紙のなかで、彼は、銀行という組織は常備軍以上に恐るべきものだという考え方に同意している。またジョン・アダムズは、金庫の中の金銀の量を越えて発効されるような銀行券は、その一枚一枚が「何ものをも代表しておらず、したがって誰かをだましているに等しい」と述べたのであった。
p44 『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス
(※ ジョン・アダムズ:独立宣言起草委員、第2代アメリカ大統領)
第一合衆国銀行の認可期限が近づくと、政府内で議論が沸騰した。認可を延長するか、それとも拒絶するか。またもや、憲法の理念と銀行の意志とが激しくぶつかりあった。結果、認可延長は一票差で否決された。こうして第一合衆国銀行は退場することとなった(1811年)。
しかしその後、乱立した州法銀行が経済を混乱させてしまう。第一合衆国銀行の設立当時、州法銀行はたった4行だったが、認可期限の20年後には88行に増え、その後の4年間で246行に急増した。州法銀行は、わずかな準備金で、大量の兌換銀行券を発行した。正貨への兌換要求が高まると銀行は兌換を拒絶するか、もしくは銀行を閉めた。この事態に政府が取った行動は、多くの銀行はインチキの産物であると国民に知らしめることではなく、再度、中央銀行を設立して問題を手っ取り早く塗り込めてしまうことだった。
第一合衆国銀行が廃止されてから5年後の1816年、第二合衆国銀行が20年間の期限で設立された。確かに、第二合衆国銀行の締め付けで、州法銀行による紙幣乱発はおさまった。しかし、不誠実な銀行の体質が改まったわけではない。
この時期、アンドリュー・ジャクソンが第7代大統領となる(1829年)。ジャクソンは、正貨(金貨・銀貨)こそ真実の通貨であるとして、まっこうから第二合衆国銀行の存在を否定する。そして、頭取のニコラス・ビドルと激しく衝突する。ビドルはジャクソンの機先を制するため、議会を動かして認可期限の4年も前に認可延長の決議を勝ち取ってしまう(1832年)。これに対してジャクソンは、大統領拒否権を行使して、法案への署名を拒否する。しかし、それで勝負がついたわけではなかった。
この二人の戦いは、その年の大統領選挙という形で頂点を迎える。ジャクソンが落選すれば、第二合衆国銀行は生きながらえる。ビドルは、ジャクソンの再選を阻止すべく、無から創造したマネーで政界、実業界、メディアなどを自陣につけ、ジャクソンへのネガティブ・キャンペーンを張った。それに対してジャクソンのとった戦法は、自分の生の声で直接有権者に訴えかけるというものだった。ジャクソンは、全国遊説を行った最初の大統領となる。交通機関の未発達な当時としては、かなりの難行だったはずだ。結果、ジャクソンの生の声が、ビドルの創造したマネーに勝った。ジャクソンは大統領に再選され(1832年)、これで勝負がついた……と思われた。
認可期限が切れる前年(1835年)の真冬、黒光りする銃口が、狙いを外すことのない至近距離でジャクソンに向けられた。引き金がしぼられ、撃鉄が落ち、爆発音が響いた。襲撃者はすぐに、別の拳銃を取り出し、また爆発音が響いた。周囲にいた人々は騒然となった。ジャクソンは、アメリカ史上初の暗殺を企てられた大統領となった。
襲撃者の狙いは正確だった。ただ、当時の拳銃は発火したからといって、弾丸が発射されるとは限らなかった。二回の爆発音を立てたのは、パーカッションキャップという点火用の小さな雷管だった。その火花が銃身内のガンパウダーに誘爆すると、はじめて弾丸は発射される。パーカッションキャップは画期的な発明だったが、それでも不発は発生した。キャップが発明される前は、火打石を撃鉄に装着して火花を起こした。火打式の前は、有名な火縄式だ。いずれにしろ、現代の薬莢が開発されるまでは、不発はめずらしいことではなかった。真冬の首都に降る冷たい小雨も、ジャクソンに味方したことは間違いない。
ジャクソン大統領暗殺未遂事件の翌1836年、第二合衆国銀行はついに認可期限を迎え、中央銀行としての地位を失う。ビドルは州法銀行へ転換すべく認可申請を行ったが、申請は拒否された。やむなく個人銀行として再出発したが、しばらくして倒産した。一時期はアメリカ政財界をも支配したビドルだが、マネーの源泉を絶たれると何の力も持たなかった。逆に言えば、民間の中央銀行というものが持つ権力が、いかに強大であるかが分かる出来事でもある。
第二合衆国銀行の退場により、州法銀行の乱脈経営が再燃したことは、第一合衆国銀国の場合と同じだった。今回は、恐慌というすさまじい代償を払うことになる。しかし、合衆国は返済を許されない債務の連鎖から解放された。ジャクソンとビドルについて、どちらを評価するかは、今日、真っ二つに分かれている。
第二合衆国銀行の退場以降、約80年間アメリカでは中央銀行が設立されなかった(連邦準備制度の設立は1913年)。中央銀行が存在しなかったこの期間は、アメリカにとってどんな時代だったのだろうか。
資本主義路線に基づく一国の工業化過程の中で銀行を中心とする金融システムの果たす役割は大きく、多くの先進資本主義国では、その中心に中央銀行を設置してシステム全体の調整を図ってきた。ところが、合衆国においては、イニシアル・ステージとしての産業革命を1810年代ころに開始し、その後、次第に工業化過程の進行を加速させ、やがて世界経済の覇権をイギリスから奪取するまでの期間のうち、その大半を中央銀行なしで済ませてしまったのである。
第二合衆国銀行における中央銀行機能
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000405035
アメリカは中央銀行を必要とせず産業革命を達成し、イギリスを追い越してしまったのだが、何がその原動力となったのだろうか。
合衆国の此の五年間に、かって類例を見ない程大量の人員、資金、資材を戦争遂行(南北戦争)の為に投入したにも不拘(かかわらず)、北部に新しい溶鉱炉、製粉工場、製革工場、新しい鉄道云々の異常な増加という如き誰の目にも明らかな富を創出したのである。……南北戦争が産業革命の速度を速め、資本主義発展の速度をはやめたのである。実際此の戦争をば百年前の英国産業革命にも比すべき産業革命の開始点と看做す見解もあり、カークランドも本格的な産業革命は寧ろ南北戦争後に於いて強力に進められたとさえ見る事が可能であるとする。
p七〇-七一
南北戦争期の「グリーンバックス・インフレーション」
http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bitstream/10441/7649/2/HIKONE%20RONSO_040_059-081Z%20katayama.pdf
つまるところ、南北戦争(1861~1865年)の需要が産業の拡大を促進し、戦後の本格的な産業革命につながったということだ。ここで最も重要なのは、この戦争と産業革命をまかなったマネーは、いったいどこから来たのかということだ。この期間、中央銀行は存在しないのだ。
第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、南北戦争の戦費調達にひどく苦労した。州法銀行は、北軍が敗北して債権の回収ができなくなるのを恐れて金を貸したがらなかった。外国政府も同じだ。残された最終的な手段は 「政府紙幣」 の発行だった。連邦政府自身が紙幣を発行するのだが、これは金銀の裏打ちのない完璧な不換紙幣だった。裏面が緑色のインクで印刷されていたので「グリーンバック」と呼ばれた。「政府紙幣」の発行は、もちろん憲法には記載されていない。しかし、明確に禁止もされていない。
グリーンバック発行の圧力はまず議会で始まったが、リンカーンも熱心に指示した。彼の見方はこうだった。
政府は通貨と信用をマネーとして創出、発行する権限を有し、また通貨と信用を課税その他によって流通から引き上げる権限を有しているのであるから、利子を払って資金を借りる必要もなければ、借りるべきでもない。……マネーの創出と発行の特権は、政府の最高特権であるばかりでなく、政府にとって最高の創造的な機会である。
p462 『マネーを生みだす怪物』
政府自らが通貨を発行して財源にあてれば、当然、政府の債務にはならない。つまり、利息など発生しない。利払いのための余分な徴税の必要もない。その効果は絶大だった。
当時の不換紙幣発行、価格上昇が投機的、非生産的刺戟を与えた事は事実であるが、それ以上に生産への効果が強調されうるのである。
更にグリーンバックスの回収は……、実際には大いなる回収は行われず、三億五千万弗内外が長期に亘り流通を続け、七三年には更に発行されるという状態も見られた。
南北戦争期の北部には悪性インフレは起こっていないと云えるであろう。
p八〇
南北戦争期の「グリーンバックス・インフレーション」
南北戦争期の産業拡大と、その後のアメリカの産業革命を推進した最大の原動力は 「政府紙幣:グリーンバック」 だった。政府自らが通貨を発行し、流通量をコントロールして、経済の拡大を達成したのだ。産業拡大や経済発展のために、必ずしも中央銀行が必要なわけではないことをグリーンバックは示した。この重大な歴史的事実はあまり省みられることがないようだ。
それどころか今日、「政府紙幣」は貨幣的無秩序の代名詞のように喧伝され、口にするのも忌まわしい貨幣的タブーなのだ。政府紙幣が経済拡大を達成できるという事実は歴史の片隅に封印された。
金融の専門家と呼ばれる人々は、選挙で選ばれた議員が構成する議会が金融政策を執るのは非効率的であるとして、国家から「独立」した中央銀行がその任に当たるのが最適であるとする。それが現在のグローバル・スタンダードなのだ。どこをどうすれば、そんな屈折した理屈がひねり出せるのか理解に苦しむ。伝え聞くところによると、それはすでに「数学的に証明」された真理らしい。どこか遠い別の惑星の話ではない。われわれが住むこの青い地球での話しだ。
アメリカ創成期の歴史は、政府と銀行との戦いに満ちている。多くの政府指導者は、マネーに関する深い洞察力を備えていた。ワシントン、ジェファーソン、アダムズ、ジャクソンなどなど。凶弾に斃れたリンカーンも。
マネーの権力は平時には国を食い物にし、有事には国家に対する策略をめぐらす。絶対君主よりも横暴で、独裁者よりも傲慢で、官僚制度よりも利己的だ。近い将来、きっと危機が起こるに違いなく、それを思うとわたしは不安にさいなまれ、わが国の安全が脅かされることを考えて身内の震えるのを覚える。
リンカーン、ウィリアムズ・エルキンズへの書簡
p468 『マネーを生みだす怪物』
新大陸に移住した人々は、何が貨幣的真実かを常に問い続けた。
彼らの歩みは実に紆余曲折を重ねている。
利害に流された時もあり、信念を曲げた時もある。
しかし、時には命を懸けて初志を貫き通した。
そこには正答は存在しない。
大切なのは常に問い続けることだ。
解を得たなどと錯覚した瞬間、思考は死ぬ。
われわれはいま、歴史的な出来事のただなかにいる。
いまほどマネーについて考えなければならないときはないはずだ。
銃口と紙幣 : 参考資料
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/4891b4236301b8184e4bc99ed020b38e