おカネにまつわる真実はごく単純だ。
しかし、壮大な誤解が生じている。
銀行は市中から集めたおカネを不足部門に貸出しているのだ、という誤解だ。
実際は、あとさきが逆だ。
銀行は「無」から創造した預金通貨を不足部門に供給している。
したがって事前に預金など必要としない。
銀行貸出こそが、その預金を生み出しているのだから。
銀行は預金を貸出しているのではなく、貸出によって預金を生み出しているのだ。
確かに、銀行は預金を集めている。
しかしそれは、自行から流出した預金通貨を回収しているだけだ。
貸出を受けた企業の支払いによって預金通貨は他行に流出する。
銀行は不均衡になったバランスシートを均衡させるために、預金を回収する。
創造→貸出→流出→回収、創造→貸出→流出→回収、~
このサイクルがランダムに繰り返されているのだが、預金創造という起点は傍からは感知できない。
貸出を受ける当事者もそれが創造されたものであることなど知る由もない。したがって一見すると、
銀行は集めたおカネを貸出しているようにしか見えない。
収集→貸出→収集→貸出~
こうした銀行業に対する事実誤認は、今に始まった事ではなさそうだ。
一九六〇年代に、大いに成功を得た弁護士であり、政治家かつ外交官であったジョージ・W・ポール氏は、官職を辞してウォール・ストリートのレーマン・ブラザーズ社のパートナーとなったが、その直後に、「なぜもっと早く誰かが私に、銀行業について教えてくれなかったのか」と尋ねたといわれる。
p31 『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス
貨幣と銀行の真実について知ると、誰しもポール氏のような気分になるかも知れない。
銀行が自己裁量で通貨の大部分を生み出しているなんて、誰が想像できるだろうか。
経済の中の通貨の約9割は預金通貨であり、預金通貨は銀行にしか創造できない。
銀行は貸出による信用創造によって、無から預金通貨を生み出し、経済の不足部門に供給する。
創造された預金通貨量だけ、経済の中の通貨が増加する。
したがって、一定期間の銀行の貸出総額がその期間の通貨供給量になる。
これが通貨供給のプロセスであり、供給された通貨量の測定は本来は容易だ。
ところが主流的な経済学の通貨供給に関する説明は、実際の通貨供給プロセスとはかなり違っている。
その説明が実際のプロセスに修正される気配はない。
不可解というしかない。
迷宮の迷宮 貨幣乗数論
現在の主流的経済学による通貨供給プロセスを説明する理論を「貨幣乗数論」という。
この理論は、最初に投入された預金(本源的預金)が銀行組織を通じて貸出と預金を繰り返すことで何倍にも増加すると説明している。そしてこれを銀行の 「信用創造」 機能としている。信用創造が行われるということは、「預金通貨」 が創造されていなければならない。でなければ通貨の約9割を占める預金通貨の出所を説明できない。果たして、貨幣乗数論は預金通貨の創造を説明しているだろうか。
※ 貨幣乗数論は様々な呼び方がされている。「信用乗数論」、「乗数的信用創造論」、「通説的信用創造論」、「フィリップス流信用創造論」、「所謂フィリップスの信用創造論」など。
ひとまずここでは「貨幣乗数論」を使う。
貨幣乗数論は一見すると、問題があるようには見えない。どちらかというと、なるほどというような気分になる。しかし、慎重に検討して整理していくと、最終的には唖然とさせられる。
その実体をごく単純化して説明すれば次のようなものになる。
解りやすくするためにここではX、A、B、C、D、E ~という個人を想定する。
いま個人X は現金100万円を持っている。
X はA に100万円を貸出す。
A は100万円の内、1割の10万円をポケットに入れ、残りの90万円を B に貸出す。
B も1割の9万円をポケットに入れ、残りの81万円を C に貸出す。
C も1割の8.1万円をポケットに入れ、72.9 万円を D に貸出す。
これを E ~ へと延々と続けていく。
元金がゼロに収斂したところでこの連鎖は終わる。
さて、X→A→B→C→D→E→~ へと現金が貸出され移転する過程で通貨は増えただろうか?もちろん、増えてなどいない。現金100万円が少しずつ各自のポケットに納まっていっただけだ。これで通貨が増えるなら友達と輪になるだけで誰でも大金持ちになれる。世界の貧困も今日中に解決するだろう。
貨幣乗数論はこのばかばかしい連鎖で通貨が増加すると言っているのに等しい。その理屈はこうだ。
A、B、C、D、E ~のそれぞれの貸出合計は、90万 + 81万 + 72.9万 + ~= 900万となる。したがって最初の100万円は900万円という新たな通貨を創造する!と。しかし、この連鎖のどこにも900万円という新たな通貨は存在していない。900万という 「貸出残高」 が存在するだけだ。貸出残高は通貨ではない。貨幣乗数論はこの貸出残高を通貨創造と主張しているのだ。
A、B、C、D、E ~ を個人ではなく銀行に置き換えてもまったく同じことだ。「現金」で預金されたものを「現金」で貸出せば、上記の説明とまったく同じ連鎖になる。貨幣乗数論とは、現金が銀行を通過しているだけのモデルであり、銀行には貸出残高が残るだけだ。もしくは、現金を預けた際の預金残高が残るだけなのだ。いずれにせよ創造された 「預金通貨」 はどこにも存在しない。つまり、信用創造はいっさい行われない。
そのことは標準的な貨幣乗数論の図式を見れば明白だ。
この図式では、銀行A、B、Cには現金で預金が入り、現金で貸出が行なわれている。企業間の代金の支払いが現金で行なわれていることからそれは明白だ。このモデルは、現金の出し入りでなければ成立しないのだ。なぜなら、銀行A、B、Cが「支払準備」を自行に残すためには現金での預入が絶対条件だからだ。支払準備とは「中央銀行券」と「中央銀行当座預金預け金」のことだ。したがって、上記の預金 → 支払準備 → 貸出 → 代金 → 預金 →という流れは、すべて同じ現金(最初の預金100万)が何度も預金され、貸出されていることを示している。
この図式のどこにも預金通貨は創造されていない。100万、90万、81万という預金は、個人と企業によって現金で預金されている。したがって、銀行が創造した預金ではない。90万、81万、 72.9万も、現金で貸出されている。ここでも預金通貨は創造されていない。本来ならばこの段階で預金通貨が創造され、企業P、R、T は預金通貨を手にするはずだが、そうすると企業Q、Sは現金での預金ができない。そうなると銀行B、Cは支払準備を残せない。預金通貨を創造すると、この連鎖は完全に破綻する。
貨幣乗数論が預金創造と主張しているのは、現金による預金の90万、81万の方なのか、それとも現金による貸出の90万、81万、72.9万の方なのかは、よく分からない。解説の文脈によって預金ととれるものもあるし、貸出ととれるものもある。どちらなのか分からないものもある。統一された見解は存在しないようだ。いずれにせよ、預金通貨は創造されないのだから、どちらであっても関係はない。貨幣乗数論というのは、理論ではなく主張と言った方が妥当だ。通貨が創造されたと勝手に主張しているにすぎない。しかし、それはどこにも存在しない。
貨幣乗数論は、信用創造についても、通貨供給についても、いっさい説明していない。
銀行とノンバンクとの決定的な違いは、信用創造を行なえるか否かにある。
しかし、貨幣乗数論のモデルは、ノンバンクどころか個人でも成立してしまう。
このモデルは、単に現金のたらい回しを説明しているにすぎない。
手本は金本位制下のモデル
この貨幣乗数論のモデルには手本がある。
金本位制下のアメリカで発表された理論だ。
金本位制下の理論を、不換紙幣制度の信用創造と通貨供給の説明に流用しているのだ。
そのため理論上の不具合が多々生じているのだが、今日までそのまま放置されている。
異なる説明が乱立しているのも、理論的不具合を糊塗しようとする様々な試みの表れなのだろう。
貨幣乗数論の手本となった理論とは、1920年にC.A.フィリップスが発表した『銀行信用』だが、もちろん、フィリップス自身には、今日の事態の責任はない。
貨幣乗数論の説明には、たいてい個人X などによって銀行組織に投入される最初の現金が登場する。金本位制ならば、最初の金(ゴールド)は銀行組織の外部から投入されるので、この設定には問題はない。しかし、不換紙幣制では、この個人X による最初の現金はあり得ない。
なぜなら不換紙幣制では、現金は預金創造の結果として生じるからだ。銀行が預金を創造した結果として、中央銀行が必要な現金準備を供給する。つねに預金創造が現金準備に先行しているのだ。現金が投入された後に、預金創造が行なわれるわけではない。したがって貨幣乗数論では、最初に投入される個人X による現金の出所を説明できない。銀行外部から金が投入される金本位制の理論を、そのまま不換紙幣制に流用したために発生した理論的不具合のひとつだ。
貨幣乗数論にはまだまだ不具合があるのだが、すべてを挙げ連ねても意味はない。
貨幣乗数論は、信用創造を行えないモデルであるというだけで十分すぎる。
もともとが借り物であり、不換紙幣制度下では理論として成り立ち得ない。
貨幣乗数論そのものを問題にするよりも、不換紙幣制度下では完全に破綻しているこの「主張」が、いつまでも経済学の解説書や教科書に存在し続けている理由を考える方がはるかに重要だろう。
貨幣乗数論の解説者が、いったいどこまで本気でこの主張を信じているかは、かなり疑問だ。おかしいことは分かっているのだが、すでに主流的経済学の定説になり、世界中の解説書や教科書に載っているものに、内部から異議を申し立てる勇気はない、というのが実状ではないだろうか。そんなことをすれば教皇の逆鱗に触れ、破門は間違いないだろう。ほとんどの解説者が、見て見ぬふりをしているうちに今日に至ってしまったのではないだろうか。
だとすると、事態は深刻だ。経済学を科学と考えるべきなのか、という問題が持ち上がる。事実にそぐわない単なる主張にすぎないものを自己修正できない学問が果たして科学と呼べるだろうか。
経済学の他のいかなる分野にも増して、貨幣の研究は、真実を明らかにするためではなく、真実を偽装し、あるいは真実を回避するために、複雑さが利用される分野なのだ。
p9 『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス
参考資料
『通説的信用創造論(所謂フィリップスの信用創造論)の批判的検討』 井汲明夫
http://libir.josai.ac.jp/il/user_contents/02/G0000284repository/pdf/JOS-KJ00004176289.pdf
http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?id=JOS-KJ00004176289
『マネー その歴史と展開』 ジョン・ケネス・ガルブレイス ティビーエス・ブリタニカ
『決済システムと銀行・中央銀行』 吉田暁 日本評論社
『現代金融と信用理論』 信用理論研究学会 大月書店
『貨幣と銀行』 服部茂幸 日本経済評論社
『スティグリッツ マクロ経済学』 ジョゼフ・E・スティグリッツ 東洋経済新報社
『マンキュー マクロ経済学Ⅱ』 N・グレゴリー・マンキュー 東洋経済新報社
『経済学』 西川俊作 東洋経済新報社
『経済学入門』 鬼塚雄丞 東京大学出版会
『明快マクロ経済学』 荏開津典生 日本評論社
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