( 8½ )(67)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2023-01-20 | バーチャルリアリティ解説
Number67 / パーク VRアトラクションの 品格
                          【( 8½ )総目次
 〇 維摩経義疏  日本の国宝とその時代  ⑨ )
   本(67)最下段に『維摩経』目次を追記 2023.06.14 
   ( 日本の国宝と その時代 55、② 55½ ②、③ 58 59、④ 60、⑤ 61、⑥ 63、⑦ 65、⑧ 66 )

《 本Blogの 今回の頁は引用できます。本頁は近く鋳型化されます。2023.6.xx 鋳型化ここから 》 

 「国宝VRデジタル復元」ですが、思っていた以上に「強力な」技法です。

   品格のある国宝、例えば『三経義疏』や 金堂壁画 に、上から「透明なトレース用紙を
   (デジタル的に)載せて、”国宝をなぞって” 復元する演習を続けることで、
   ”オリジナルの作者が作品に込めた品格” が「復元するひと」に伝承されます。

 どうして デジタル復元という方法で 復元者に品格が備わるか、と言えば、例えば 法隆寺の金堂壁画では 1935年にガラス原板が作成された時点で 既に 1300年が経っていました。それで 618年頃の 製作されて間もなくの頃の色あいを VRで再現しようと考えた時には、幅広い調査を通して 復元者が ”こうだったことに 間違いない”と納得・確信することが マウスを握る前に必要だからです。何より、壁画作者が 観客に何を訴えようとして この壁画を描いたのか(壁画作家は、在家の仏教徒でした)を理解しようとすることは、「輪廻する人間」の果たす役割を理解することになると思います。

   観客 ← 壁面 に作者の描いた壁画 ← バーチャルな世界観(観音菩薩の救済など)
        ↓
        国宝VRデジタル復元では、この作者の気持ちを復元しています。

 VR奥儀皆伝で この技法を思いついた理由は、IVRCに応募する学生・社会人学生の方々に「四書五経と歌物語」の教養と品格を 身につけてもらうには どうすれば良いか、を考えたからでした。
 ※ そう書くと、ヘルメス主義科学を身につけても「オカルトなので」厳密には科学ではない、と 機械論者が権威をふりかざす可能性もありまするが、国宝VRデジタル復元を手掛ける技術者は「そもそも 作者の気持ちが推測できなければ仕事ができないはず」なので当時の製作者が神仏を敬っていたのですから その気持ちを尊重して描けば良い、というだけのことです。ちなみに、ルネサンス時代のヘルメス主義科学者(化生論科学者)は その方法論も含めて「まっとうな科学」でした。

 ということで 日本の名著2「聖徳太子」は、大変に役に立ちます。
 中村元氏の名解説が、中公クラシックス『勝鬘経義疏、維摩経義疏(抄)』に ないからです。
 氏は 日本の名著2 の名解説に十七条憲法の英訳を加え、『聖徳太子』1990年を刊行されました。

 ここで ついでに 瀬戸内寂聴著『源氏物語 上下』2009年も推奨しておきます。少年少女古典文学館の一冊ですが、重要な せっくす場面を省略せず、注釈も図解入りで とても親切。注釈は他の古典の VRデジタル復元 にも役立ちます。古文を捨てた元受験生に親切で、天野喜孝氏の挿絵も抜群です。

 ところで、

 これは、仮説ですが、仏陀の説く「空」と、プラトンの「洞窟のイドラ」は、じつは同じものを指していたのかも知れません。化生論(「スケッチパッド」の機構)を 数理モデルで考えてみると、プラトンが説いたのは「映画館」のイドラでした。
 皆さんは 3時間の映画を観ている間、「何も描かれていない白い壁」に向かって 3時間座っておられますが、そのことは格別 意識もされず、しかも今日のスクリーンの反射率は最高だったという感想も持ちません。プラトンは、私たちの認識は、焚火に照らされた人影が洞窟の壁に影を作っているのを見て、そこに人物がいる、と誤って思い込んでいる人間のようなものだ、と言いました。

   「洞窟のイドラ」の話は、Fellow 武田の VR構成要素図と、特撮監督ダグラス・トランブル氏の『バックトゥザフューチャー・ザ・ライド』(BTTR、23)を頭に思い浮かべれば一気に分かり易くなると思います。
 【 観客 VRの表示装置(大画面、揺動など) バーチャルな世界
                          
        入力装置(マウス、スイッチなど)――      】

 ※ 「BTTR」は VRではなく体感劇場ですので、「入力装置」が ないことに注意。

 映画 SW5 のスクリーンの上で、俳優マーク・ハミルさんが 相手の黒カブトの 和風騎士から「I am your father」だ、と伝えられると、観客は「ああ、この二人は親子だった」と思います。特撮監督のダグラス・トランブル氏が 観客がそう思い込む理由を解明していて、視野の3分の 2以上の大画面で観た 高精細フィルム映像や 毎秒 60コマ以上で描画された映画は「現実に目の前で起こっている、と人間の感覚が(演出上の工夫が無くても)思い込むから」だそうです。トランブル氏は、この発見で特許を取りました。


 ライドフィルム社『バックトゥザフューチャー・ザ・ライド』宣伝資料


   Fellow 武田の VR構成要素図。例えば、『バーチャルリアリティ学』(コロナ社、7.2.4. )。文献初出は 1995年。

 養老孟司氏も『唯脳論』で、同じ説を解説しておられますが、それは次回以降に。

 ともあれ、観客が「映画を観ている」状態は、隣家で夫婦が大喧嘩をしていて ”妻が なべや釜を夫に投げつけている”のを、近所の人が心配そうに 窓から 覗き込んでいる、という場面に例えられるかも知れません。
 隣家での出来事は、窓から夫婦のいる台所まで「空間」があり、夫婦はその中で喧嘩しています。他方「夫婦げんかしている映画を 映画館で観ている観客」にとって スクリーンから登場人物までの距離は「空」です。仏陀は、トランブル氏の特許と同じに「映画の夫婦喧嘩の場面と、隣家の夫婦喧嘩は 観客の認識の上で 等価だ」と言っておられたのです。トランブル氏も養老先生も その認識を「等価だ」と認めておられました

   【 観客 表示装置(大画面、揺動など) バーチャルな世界 】

 仏陀は この映画スクリーンの向こうに観える「空」の概念を使って、私たちが思い込みで「自分たちは、機械論科学で記述された時空間にいて、それは所与の『運命』だから変えようがない」などと考えているとき、こう説きました。「空」は 本来 フィードフォワードなのですから「量子力学的な宇宙」と同じで 観客の視点を変えれば 異なる世界が観えます。自分が最も落ち着く視座を探して、その立場を友人と共労して精一杯生きれば「世界は替えられる」のです、と。

   隣家の夫婦げんかも、窓の外で眺めているだけではなく、
   カメラを持って中に入り、鍋を抱えた奥さんの すぐ後ろで カメラを回す記録法もあります。
   三経義疏を執筆中の 上宮法皇によりそった視点で、わたしは 本稿を書いています。

   ※ あなたがカメラを持って 3D双方向映画の場面に飛び込めれば、そこは VR作品の世界です。

 BC.4世紀頃に 仏陀は「BC5世紀のウパニシャッド に書かれた 宇宙の根理」を 大悟しました。仏陀の、直感による理解です。ウパニシャッドを起点とした「宇宙の起源と構成」の探求は、西洋にヘルメス科学として 12世紀以降に「大ルネサンス」として伝えられました。現在は、機械論科学の枠内で その研究が進められています。混乱の生じた原因は、教会が「有機体論と機械論の 科学」だけを公認 して、ゾロアスター教起源や仏教の科学(化生論)を悪魔の思想だ と決めつけたことが原因でした。

 全ては、教会の間違い、特に プロテスタントが カトリック教会の愛人や飽食を批判したとき(16世紀の宗教改革)カトリック教会が それまでは認めていた天使による「宇宙の根理」の示唆と そこから導かれる有用な発明品の創造(ヘルメス科学)について勘違いをしてしまい、プロテスタントが主張していた「”教会”を介さずに、直接 神の恩寵にあずかることができる」という教理と ヘルメス科学を混同して否定してしまったことから生じた間違いでした。化生論の科学は、こうして抑圧されました。
 VR奥儀皆伝が「歪珠」反宗教改革以降を扱うのは、それを明示して正すためです。
 詳しくは、また次回以降に。

 ということで、ここからが、お待ちかねの 維摩経義疏 です。

   (九州王朝の上宮法皇の先見性は、ここでも輝いています。)

   『維摩経』は、藤山寛美さんの松竹新喜劇みたいに笑いを取って その最後に真理を観客に告げるシットコム。釈迦が ”在家の維摩さんが病気だから お見舞いに行っておあげ”と言ったのに、有名な菩薩や 仏弟子は 全員が 維摩さんに論破されていたことで、行きたがりませんでした。文殊菩薩が釈迦に指名されて、維摩さんは 話しにくい相手だから いやだなあ、と思いながらも お見舞いに行くと、菩薩や仏弟子も「これは見ものだ」と ぞろぞろついていきました。(65)

   維摩さんの病気は、このとき維摩さんが「文殊菩薩相手に 空についての対話」をすれば、きっと仏陀に喜ばれると 維摩さんが考えた「仮病」だったのかも知れません。ここでは 仏陀の「空」の思想を解説するために、全体が喜劇仕立てになっています。

   余談ですが、この仏典などが喜劇仕立てだったことから、後の 流行歌、歌舞伎、講談、浪曲、そして 落語などが「仏陀の方便としての説話」を3万Hz以上の演者の声色で演じているエンタテインメントとして、在家の信者に歓迎されました。

   維摩さんと 文殊菩薩とは 対話をして、「空」とか「世俗に関われ」などのディベートをした後に、「不二の法門」(改めて解説)を「どういう意味ですか?」と 維摩が質問されたとき「ただ黙して 語らず」。その場の文殊菩薩と 後でそれを聞いた釈迦は、維摩の返答(無言)を絶賛しました。維摩さんは 在家のままで、このように 菩薩や仏弟子に悟りを教えたのでした。・・・はい、ここは、
   「観客、置いてきぼり」
   で、維摩経では、
   舞台上の演者ばかりが そうだ そうだ と盛り上がっている場面です。

   先代の 林家三平 師匠でしたら「ぽかん」として ついて来れていない観客に『おばあちゃん、どこが面白いかと言うと・・・』と親切に注釈を加えた場面でした。まず、維摩経義疏 では、日本の名著2 の抄訳でも pp.241-328 に びっしりと、

   実在した「仏教研究者」維摩さんが 細かく 仏弟子の修行内容にダメ出しして、
   仏弟子が いくら 言葉を重ねて「人間の存在理由」を理解したつもりになっても、
   言葉では「ザ・フォースの覚醒」に至らない理由を説明しています。

   ここで説明すると 余計に混乱させる「余談」ですが、ここでは Dalidaと Delon
   の『あまい囁き』( Paroles, paroles、1973年)を例に挙げるほうが 維摩さん
   の言葉に近い、かも知れません。 歌詞 歌詞(男女別) (41)
   真理は、言語で(仏像のように)近似できますが、グルに ”喝”を浴びせられて
   自分の内なる「真理」に気づく、直感することでしか到達できません。

   生と滅、垢と浄、善と不善、罪と福、有漏(うろ)と無漏(むろ)、世間と出世間、我と無我、生死(しょうじ)と涅槃、煩悩と菩提などは、みな相反する概念であるが、それらは もともと二つに分かれたものではなく、一つのものである。(Wikiより)

   というように、「人間の存在を言葉で現象学的に理解すること」は
   とても難しいこと、なのですね、と、
   「波動は粒子(言葉)での理解は 難しい」と、繰り返し語られました。

   Dalidaの『あまい囁き』では、女性は言葉でなく「慈悲」を ドロンに感じさせて欲しかった
   のです、と 仏教哲学の奥儀が歌われました。
   従って VR奥儀皆伝でも、ワーグナーの『パルジファル』や 高見沢路直の ロシア構成主義
   美術の手塚治虫氏への影響といったマイナーな視点から VRを 化生論の理解につなげると
   いう分かり難い経路で、ややこしく話を進めているのです。 

   つまり、このお経 維摩経 は、全体が シットコムに よくあるような、
   相反する言葉を かけあいで繰り返す、古典的な「ギャグ」仕立てでした。
   こんな難しい話題を、例えば、ヘーゲル先生や カント先生みたいに「厳密に定義された哲学用語」で「繰り返し」「繰り返し」て 授業形式で 教室で講じられたら、学生は全員が単位をあきらめます

   ということで、
   「倭国民の品格 が、他国民から 一目置かれ、高く見られるようにする」
   ために、上宮法皇の選んだ ご本が、
   博多の 漫画キッサの書棚に並べるための
   エンタメ本の『維摩経義疏』でした。落語の『寿限無』と同じ方法です。

   ※ 『寿限無』では、相反語ではなく 同意語を繰り返して 笑いにしています。

 と (もっともらしく)私は VR奥儀皆伝を 書いてきましたが、このままでは

   きっと、在家の維摩さんから 直ちに反論されて、
   「『不二の法門』の説明が抜けている じゃあないか!」と叱られます(笑)
   「長くなったので、それはまた 次回以降に。。。」(あっ、先生が 逃げた!)

   《 鋳型化ここまで 》
   フェロー武田 「日本の国宝と その時代 ⑨
 「維摩経義疏」(VR奥儀皆伝(8½)(67))
   Blog TP-VR Attract.のトリビア 2023.6.xx

 【おまけ】 よしだたくろう『人生を語らず』 歌詞 動画

   このお経 維摩経 は、「BTTR」を教科書に VRの奥儀を語るには 格好の素材でした。ということで、維摩経の解説は、少なくとも あと一回は 続けます。
   【BTTR】(41) 6分半のビデオ

   『維摩経義疏』は 後世の写本しか伝わっていませんので、伝 聖徳太子の「漢字」の お勉強をされる方は『法華義疏』のお写真を デジタル復元して下さい。『維摩経義疏』を筆写した場合は、空についての議論が詳しく頭に入ります。

   「空」については、般若心経に「五蘊は皆空なりと照見し、一切の苦厄を度したもう。・・・ 菩提薩埵は、般若波羅蜜多によるが故に心に圭礙なく、圭礙なきが故に、恐怖の有ることもなし」と書かれていて、「困ったときには、唱えましょう。オブラディ・オブラダ、じゃなくて、gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā. 」という呪文が 文末についています。
   この呪文を唱えれば、あなたが 誰かのために何とかしてあげたい、と考えている希望が かなってしまう呪力が発揮される、と言われていて、みだりに唱えてはいけない、とする お宗旨もあるそうです。

   ※ うちの実家は 高野山真言宗の檀家なので、法事で よく般若心経を唱えています。

   『サンスクリット版全訳 維摩経 現代語訳』 (角川ソフィア文庫、2019)

目次
第一章    ブッダの国土の浄化(仏国品第一)
第二章    考えも及ばない 巧みなる方便(方便品第二)
第三章前半  声聞と菩薩に見舞い派遣を問う(弟子品第三)
第三章後半  声聞と菩薩に見舞い派遣を問う(菩薩品第四)
第四章    病気の慰問(文殊師利問疾品第五)
第五章    ”不可思議”という解脱の顕現(不思議品第六)
第六章    天女(観衆生品第七)
第七章    如来の家系(仏道品第八)
第八章    不二の法門に入ること(入不二法門品第九)
第九章    化作された菩薩による食べ物の請来(香積仏品第十)
第十章    「尽きることと尽きないこと」という法の施し(菩薩行品第十一)
第十一章   ”不動であるもの”という如来との会見(見阿閦仏品第十二)
第十二章前半 結論と付嘱(法供養品第十三)
第十二章後半 結論と付嘱(嘱累品第十四)
 序論   大乗仏教の興起と『維摩経』の思想(訳者 植木雅俊氏 による解説)

   ※ 「観客おいてきぼり」についての 植木氏の解説は、同書 p.292。
   世界の名著2「大乗仏典」責任編集者 長尾雅人氏による『維摩経』の要約された解説は、
   最寄りの図書館で読んで下さい。

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