ブログ原稿《「ミロのヴィーナス」とその時代背景――西洋美術史の中での比較――》その1
【はじめに】
「ミロのヴィーナス」の本物を見てみたい。この欲求は、美術好きの人には必ずある。美術ファンならずとも、「ミロのヴィーナス」と聞いて、誰しも何がしかの関心があろう。
周知のように、「ミロのヴィーナス」はパリのルーヴル美術館にある。「モナ・リザ」、「サモトラケのニケ」と並んで、ルーヴル美術館で必見(must-see)の美術品である。
ただ、「ミロのヴィーナス」について、どれだけのことを知っているのだろうか。この疑問を「ミロのヴィーナス」像を目の前にして抱いた。高校の世界史レベルの知識では到底追いつかないのである。
例えば、彫刻のヴィーナス像にもいろいろあるが、「ミロのヴィーナス」と他のヴィーナス像とどこが違うのか。彫刻に限らず、ヴィーナスを主題にした絵画も、西洋美術史の中に膨大に存在するが、「ミロのヴィーナス」と、どういう関係にあるのか。また「ミロのヴィーナス」が制作されたとされるヘレニズム期とはどのような時代であったのか。こうした疑問にすぐに答えられる人は、現在の日本人には数少ないのではないだろうか。
私も大学時代は歴史学科に籍をおき、博物館学の講義を受講し、実習まで受け、学芸員資格を取得したにもかかわらず、こうした疑問に即答できるか、心もとない。
2004年に「ミロのヴィーナス」を実見して以来、「ミロのヴィーナス」について書かれた文献を探しているのだが、日本には意外と、これが少ないのである。現在、検索エンジンでトップにヒットするのは、西洋美術史の大家である高階秀爾先生が執筆された次の本である。
高階秀爾『ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?――ギリシャ・ローマの神話と美術――』小学館、2014年
しかし、この本も、先の疑問には、十分に答えてはくれない。そこで、洋書の翻訳本である次の書を参考として、「ミロのヴィーナス」について理解を深めることにした。
C・M・ハヴロック(左近司彩子訳)『衣を脱ぐヴィーナス――西洋美術史における女性裸像の源流』すずさわ書店、2002年
原題は、
Christine Michell Havelock, The Aphrodite of Knidos and her successors :
a historical review of the female nude in Greek art, The University of Michigan Press, 1995.
訳書の邦題『衣を脱ぐヴィーナス』は、“ちょっと怪しげ”なタイトルだが、本書は、直訳すれば、『「クニドスのアフロディテ」とその後継者たち――ギリシャ美術における女性裸像の歴史的再検討――』という学術書で、西洋美術史において「クニドスのアフロディテ」を源流とするヴィーナス像の歴史的変遷を様々な学説を紹介しながら、考察した労作である。
さて、今回のブログでは、高階秀爾氏と、ハヴロック氏の上記2冊の本を紹介しながら、改めて「ミロのヴィーナス」について考えてみたいと思う。
また、西洋美術史の大家であるイギリス人のケネス・クラーク氏の(高階秀爾・佐々木英也訳)『ザ・ヌード――裸体芸術論・理想的形態の研究』(美術出版社、1971年[1980年版])を合わせて参照した。
そして、若桑みどり氏による『ヴィーナスの誕生――ルネサンスの女性像』(ジャルパック・センター、1983年)は絶版の小冊子だが、若桑の西洋美術史に対する基本的理解を把握するには良書であると思うので、その内容を紹介しておく。
「ミロのヴィーナス」が、ルーヴル美術館を出て海外へ渡ったことはただ1度だけ、1964年4月~6月、日本の東京と京都で行われた特別展示のみであるが、その時の図録がある。それが、朝日新聞社編『ミロのビーナス LA VENUS DE MILO』(朝日新聞社、1964年)である。現在では、入手しにくいが、この図録も随時参照としたい。
そして、近年のギリシャ美術史の見解を紹介する意味で、中村るい氏(以下、敬称を略す)の『ギリシャ美術史入門』(三元社、2017年[2018年版])をあわせて、紹介したい。
なお、私は「フランス語の学び方あれこれ」と題したブログ記事を執筆しつつあるが、当初「ミロのヴィーナス」については、「ルーヴル美術館の歴史」と一緒に論じようとしたが、記事が長くなりすぎたので、今回のテーマを独立させることにした。先の2著作の紹介と同時に、フランス語の次の著作も一緒に読んでみたい。
・Félix Ravaisson, La Vénus de Milo, 1871.
・Jean-Jacques Maffre, Que sais-je? L’art grec, Imprimnie des Presses Universitaires de France, 2001.
今回のブログの構成は次のようになる。
・はじめに
・高階秀爾による「ミロのヴィーナス」理解
・ハヴロックによる古代ギリシャ彫刻史 ヴィーナス像の変遷――「クニドスのアフロディテ」を源流として
・ケネス・クラークによる「ミロのヴィーナス」理解
・若桑みどりによる西洋美術史におけるヴィーナスとマリア概観
・中村るいによるギリシャ美術史理解と「ミロのヴィーナス」
・フランス語著作の読解
・むすび
上記した著作の目次情報を併記しておく。
高階秀爾『ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?――ギリシャ・ローマの神話と美術――』小学館、2014年
高階秀爾氏のこの本の購入はこちらから
目次は「はじめに」と「あとがき」以外は、次の10章から構成されている。
第一章 ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?
第二章 二人のヴィーナス
第三章 「神々の王」の恋物語――ゼウス
第四章 悩み多き女王神――ヘラ
第五章 女神たちの美のコンテスト――アテナ
第六章 厄災の卵を産んだ娘――レダ
第七章 残酷純潔な月の女神――ディアナ
第八章 追い回される娘――ガラテイア
第九章 花を差し出す女神――フローラ
第十章 黄金の誘惑――ダナエ
本全体のタイトル『ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?』は、実は第一章のタイトルにすぎず、「ミロのヴィーナス」が全篇を通じて論じられているわけではない。
C・M・ハヴロック(左近司彩子訳)『衣を脱ぐヴィーナス――西洋美術史における女性裸像の源流』(すずさわ書店、2002年)
ハヴロック氏の本はこちらから
「はじめに」「序章」「まとめ」以外は、次の5章から構成されている。
第1章 クニドスのアフロディテ
第2章 ギリシャ美術史におけるプラクシテレスの位置
第3章 後期ヘレニズム期:クニディアの再発見
第4章 その後:クニディアに触発された諸作品
第5章 文脈の中のアフロディテ
ケネス・クラーク(高階秀爾・佐々木英也訳)『ザ・ヌード――裸体芸術論・理想的形態の研究』(美術出版社、1971年[1980年版]
ケネス・クラーク氏の本はこちらから
「序」以外は次の9章からなる。
I はだかと裸体像
II アポロン
III ヴィーナスI
IV ヴィーナスII
V 力
VI 悲劇性
VII 陶酔
VIII もうひとつの流れ
XI 自己目的としての裸体像
若桑みどり『ヴィーナスの誕生――ルネサンスの女性像』(ジャルパック・センター、1980年
第1章 キリスト教文化の中から
第2章 人間的な光のもとに
第3章 同一の地平線上に
第4章 神と人間の狭間で
朝日新聞社編『ミロのビーナス LA VENUS DE MILO』(朝日新聞社、1964年)
この図録は、巻頭に当時の駐日フランス大使とフランス国立博物館総長のフランス語の序文があるのが特徴である。フランス語の参考文献と地図(古代ギリシャ世界)が付してあり、次の7つのテーマを扱っている。
・ ミロのビーナス――作品調書
・ ミロのビーナス――発掘からルーブル美術館に納まるまで
・ ミロのビーナス――制作年代、原形復元についての諸説
・ ミロのビーナス頌
・ 神話にあらわれたビーナス
・ ギリシャ美術にあらわれたビーナス
・ ギリシャ彫刻の流れ
中村るい『ギリシャ美術史入門』(三元社、2017年[2018年版])
中村るい氏の本はこちらから「はじめに」「おわりに」以外は、次の11章から構成されている。
第1章 古代ギリシャと西洋美術
第2章 エーゲ美術――クレタ島とテラ島
第3章 トロイ神話と発掘
第4章 陶器の世界1
第5章 陶器の世界2
第6章 アルカイック期の彫刻
第7章 デルフォイ――アポロンの聖域
第8章 オリュンピア――ゼウスの聖域
第9章 クラシック期の彫刻と絵画
第10章 パルテノンとフェイディアス
第11章 クラシック後期~ヘレニズム時代
※「ミロのヴィーナス」については、「第11章 クラシック後期~ヘレニズム時代」において、著者も5頁にわたって記述している(198頁~202頁)。
「ミロのヴィーナス」は、おそらくギリシャ彫刻のなかでいちばん知られている彫像かもしれないといい、ルーヴル美術館の必見の作品として挙げている。
ただ、この本には、“衝撃的な”ことが書かれている。すなわち、「ミロのヴィーナス」は、美術史学の観点からは、決して傑作とはいえないというのである。また、「ミロのヴィーナス」の美しさを一般的に解説する際に、「黄金分割」という概念が使われているが、この語は近代に生まれた概念であり、ギリシャ美術史では、ほぼ使われることのない言葉だそうだ(200頁~201頁)。
参考文献の入手はこちらから
【参考文献】
高階秀爾『ミロのヴィーナスはなぜ傑作か?――ギリシャ・ローマの神話と美術――』
小学館、2014年
C・M・ハヴロック(左近司彩子訳)『衣を脱ぐヴィーナス――西洋美術史における女性裸像の源流』すずさわ書店、2002年
若桑みどり『ヴィーナスの誕生――ルネサンスの女性像』(ジャルパック・センター、1983年)
ケネス・クラーク(高階秀爾・佐々木英也訳)『ザ・ヌード――裸体芸術論・理想的形態の
研究』美術出版社、1971年[1980年版]
ケネス・クラーク(加茂儀一訳)『レオナルド・ダ・ヴィンチ』法政大学出版局、1971年
朝日新聞社編『ミロのビーナス LA VENUS DE MILO』朝日新聞社、1964年
中村るい『ギリシャ美術史入門』三元社、2017年[2018年版]
Félix Ravaisson, La Vénus de Milo, 1871.
Jean-Jacques Maffre, Que sais-je? L’art grec, Imprimnie des Presses Universitaires de France, 2001.
澤柳大五郎『ギリシアの美術』岩波新書、1964年[1998年版]
エルヴィン・パノフスキー(浅野徹ほか訳)『イコノロジー研究――ルネサンス美術における人文主義の諸テーマ』美術出版社、1971年[1975年版]
中山公男『レオナルドの沈黙―美の変貌―』小沢書店、1989年
高階秀爾『近代絵画史―ゴヤからモンドリアンまで(上)(下)』中公新書、1975年[1998年版]
高階秀爾監修『NHKオルセー美術館3都市「パリ」の自画像』日本放送出版協会、1990年
星野知子『パリと七つの美術館』集英社新書、2002年
若桑みどり『絵画を読む―イコノロジー入門』日本放送出版会、1993年[1995年版]
瀬木慎一『名画はなぜ心を打つか』講談社、1992年
宝木範義『パリ物語』新潮選書、1984年[1997年版]
浅野素女『パリ二十区の素顔』集英社新書、2000年
鈴木杜幾子『ナポレオン伝説の形成――フランス19世紀美術のもう一つの顔――』筑摩書房、1994年
鈴木杜幾子『画家ダヴィッド――革命の表現者から皇帝の首席画家へ――』晶文社、1991年
鈴木杜幾子『フランス絵画の「近代」―シャルダンからマネまで』講談社選書メチエ、1995年
飯塚信雄『ロココの時代――官能の十八世紀』新潮選書、1986年
赤瀬川原平・熊瀬川紀『ルーヴル美術館の楽しみ方』新潮社、1991年[2000年版]
ジュヌヴィエーヴ・ブレスク(遠藤ゆかり訳)『ルーヴル美術館の歴史』創元社、2004年
小島英煕『ルーヴル 美と権力の物語』丸善ライブラリー、1994年
ミッシェル・ラクロット(田辺徹訳)『ルーヴル美術館 ヨーロッパ絵画』みすず書房、1994年
岩渕潤子『ルーベンスが見たヨーロッパ』筑摩書房、1993年
黒澤明夫編『ワールドガイド街物語 パリ』JTBるるぶ社、2001年
Jean-Michel Dulin, Le Guide Vert : Paris, Michelin Editions du Voyage, 2000.
Françoise Bayle, Louvre : Guide de Visite, Artlys, 2001.
Marc Ferro, Histoire de France, Éditions Odile Jacob, 2001
Pierre Quoniam, Louvre, Réunion des Musée Natinaux, 1997.
Hervé Deguine, Le Guide Vert : France, Michelin Editions des Voyages, 2003.