1月6日(日) 15:00~ TBSテレビ で
いのちの輝きSP(2) 難病と闘う子供たち…私たちはこんな病気と闘っています
と、いう番組の再放送を観た。
命の重さをしっかり受け止め、
「生きること」を信じて頑張っている子供たちと親御さんの姿を見せて頂いた。
難病の子供たちは無論頑張っているのだが、
その子供たちの一番近くにいて、
でも、我が子の身代わりになってあげることのできない親御さん。
我が子の難病の宣告、
「手遅れだった」と第二の宣告も遠慮なくついてくる。
観ているだけなのに息が止まる。
自分と重なる部分は多い。
多いけれど、何かが大きく違う・・・と感じる。
なんでだ?
何が違う?
重い風邪を患う少し前から取り切れない疲労感に付きまとわれていた。
疲れが取れないで次の日が来てしまうことなんて、誰にでもあることだ。
だけど、この自分の身体に蔓延り根付いてしまっている疲れに対して、
婆さんは何も対策を講じていない。
そうだ、
今の婆さんには
パッション が ない。
元々底の浅い人間なんでパッションの持続力はないのじゃが、
その場しのぎに近いパッションは持つことができていた。
なのに、今は・・・ない。
ないから、疲れが目立つんじゃ、きっと。
だらしないなぁ。
悔しいぞ。
生きていくことに困難さを持っている子供の親御さんは
パッションの持続ができる人が多い。
いつも、その方々に背中を押されて、こんな婆さんでもパッション持てたのにな。
ここの所、すーさんに声をかける回数がめっきり減ってるし。
萎れててどうする?
すーさんの就学先も決まってないし、
来月にはピアノの発表会もあるし、
卒園式対策委員だぞよ。
そんなことどうでもいい。
ブログの自己紹介にある
「自閉症のすーさんとの毎日を心から楽しめるようになりたい」
と、いう 誓い は どこに行った?
気付いたら、amazonで読んだこともない噺家(はなしか)の本を3冊も購入してしまった。
難病と障害の違い、
大きな違い、
「命」
障害があるお陰で事故の可能性も多くはなるが、
直接的には「死」には繋がらない。
でも、難病も障害も治す術が無い。
そこを楽しく過ごすには、やっぱ親の
底力なんだろうけども、
うーん、私も最近叱ってばかりで
すずちの力量をわかってやってないみたいで、
とっても後ろめたい。
いいところを伸ばしてやりたい。
楽しい人生にしてやりたい。
そう誓ったはずなのに。
パッションほしい。
パッショーーーーン
そそっ、情熱大陸
ただ今、干ばつ大陸
>親の底力
空っぽ
たまに口を開くとすーさんに「なんで?」「やめてよ」「うんぅ、もう~」とだけ。
いかんな~
誠にイカン
私、情熱を持って育ててるか?
っていうと自信ないなぁ
ただね
今週は、洗剤をぶちまかれないように
視線をそこまで持っていかないように
シャンプーの死守とか
食材の死守とか
そんなのには、いっつも情熱を持ってる
あ~方向性が違う???
>「なんで?」「やめてよ」「うんぅ、もう~」
あぁ
どこかで聞いた台詞
と思ったら・・私の口癖だわ
おっと、Defendingママ。さん じゃな?(笑)
いや、死守もパッションだとわしは思うぞよ。
>「なんで?」「やめてよ」「うんぅ、もう~」
改めて読むと・・ユニチカ・・エロチカ?(爆
目標立てても、成果が見えないとトーンダウンしがちです。”あ~~~、やれてない”と思うことしばしば。休んでも疲れがスッキリしなくて、そろそろ気力の立て直ししないとなぁ、とは思うのに。
私は自分が楽しいことをひとつすれば、子供にむかっても元気になれたりしますが、これって反動かなぁ?
脱シスターして僅かな寄付で障害者施設運営をされているあのお方・・・。
脱シスターと言えど、婆さんには”神様”に映りました。
対、我が娘(スローペースの成長)との生活に笑みを増やすにには安易な目標は逆効果だということはなんとなくわかっているのでございますが・・
トーンダウンは笑み減少に直に作用します。
ならば、直球で”母ちゃん本人が楽しいことをやって疲れを消滅させる”ことを最優先することから始める。
とは言え、それも「やりたいけどなかなかできない」のが実情。
しかし、”母ちゃん本人が楽しいことをやって疲れを消滅させる”ことを最優先する努力はし続けなければどうにもならんと思うのであります。
掲げることとできることの差異を身を持って知っている者同志、今年も大声で笑えるようにしたいもんです。