ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

福岡いじめ自殺、その痛ましい事件の真相は?(2)

2006年10月15日 23時54分14秒 | Weblog
教育の現場で働く教師の皆さんや、子供を持つ家庭の両親の皆さんは、
生徒、あるいは 子供 にしっかりと伝えて欲しい。
・・・・
たとえイジメられていても決して死んではいけない。彼ら(イジメを行う者)は決して気が付かない。自分たちがいじめたのであなたが死んだとは記憶に残さない(自分への苦痛にはしない)。だからあなたが死んでも『無駄死に』になってしまう。もし、いじめられていて苦しんでいるのならためらわずにサインを送って欲しい。かならずあなたを助ける決心がある。と、
イジメを受けているサインを送ることは決して恥ではない。と。
・・・・

昨年のこと父親に、
「いまさらだけど、実はあのとき『イジメ』を受けていたんだぞ」と伝えた。
すると父親も「そうかお前もか、自分も小さいときいじめられたことがあった」と応えて、相手を見返す為にとった行動をえんえんと伝えてきた。
我ら父子は話をすれば自分の自慢話(経験話)をしたがるので、伝えたいことも伝えられず、お互い相手の話は聞きたくもないのだ。

私の場合は、家庭内で起こった事件がイジメの原因となった。
日本の”ムラ社会”を象徴すべく、我が家の事件は簡単に広まった。
そして、彼らの家庭内で交わされる両親の話を聞いた子供達は(彼らの親の考えを)私へのイジメで表し始めた。
地方の出来事だから、学校内の事件では先生方に簡単に分かる。
だから私は、下校時の通学路、男女の同級生や下級生までが混じって毎日殴る蹴るの暴行を受けた。
こちらも応戦するのだが、男子生徒には反撃できるとしても、女子生徒には手が出せない。
ひたすら暴行を受け続ける毎日だった。
その状態で学校から自宅まで数キロの一本道を一緒に帰らざるを得ない。

イジメられる事は子供にとって『不名誉』であり、教師や両親に話す事は『負け』なのだ。
イジメられている間は『戦っている』のだ。
毎日毎日、応戦しても、応戦しても解決策が見いだせない。当然である。理不尽な行為を受けていて、原因が無いのだ。
相手を負かしてやりたくても、勝ち負けを決める『原因』が無いのだ。
そして『死』が頭をよぎりだす。
自分が存在しなくなることで『相手に冷静になって欲しい』からだ。死をもって抗議するしかないと追いつめられる。

自分の抗議の意志を伝える為に 『手紙』 を残す。相手に効果的なインパクトを与える為に死に方を考える。だからひっそりとは死ねない。『勝つために死ぬ』のだから。

・・・・

私の場合、勝つための死ぬ方法を探していたら...、
相手に強烈なインパクトを与えるために、イジメの構造を考えていたら...、
イジメられる前の自分と、イジメられるようになってからの自分の変化を考えていたら、あることに気が付いた。

・・・・・

人間は誰しも、自分の弱点を隠したがる。
自分の弱点を隠そうとして 他者から自分の痛い部分をつつかれる のだと気が付いた。
そして、自分の弱点を認める事を思いついた。

次の日、いつものように相手は私の弱点を(言葉で)突いてきた。
イジメの前段階だ。
私は相手の言葉を認めた。「そうだよ。子供の気持ちも知らないで困った親だよ」と本心を答えた。

相手たちはイジメの理由を失って、戸惑いながら帰って行った。
そして翌日から私は『(村の)英雄』になった。

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