大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌一首(并短歌)
叩々 物乎念者 将言為便 将為々便毛奈之 妹与吾 手携而 旦者 庭尓出立 夕者 床打拂 白細乃 袖指代而 佐寐之夜也 常尓有家類 足日木能 山鳥許曽婆 峯向尓 嬬問為云 打蝉乃 人有我哉 如何為跡可 一日一夜毛 離居而 嘆戀良武 許己念者 胸許曽痛 其故尓 情奈具夜登 高圓乃 山尓毛野尓母 打行而 遊徃杼 花耳 穂日手有者 毎見 益而所思 奈何為而 忘物曽 戀云物呼
ねもころに 物を思へば 言はむすべ 為(せ)むすべもなし 妹と我(あ)れと 手携(てたづ)さはりて 朝(あした)には 庭に出で立ち 夕(ゆふへ)には 床(とこ)うち掃(はら)ひ 白栲の 袖さし交へて さ寝し夜や 常にありける あしひきの 山鳥こそば 峰向(をむか)ひに 妻問ひすといへ うつせみの 人なる我れや 何すとか 一日一夜(ひとひひとよ)も 離(さか)り居て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き そこ故に 心なぐやと 高円(たかまと)の 山にも野にも うち行きて 遊び歩けど 花のみ にほひてあれば 見るごとに まして偲はゆ いかにして 忘れむものぞ 恋といふものを
大伴宿祢家持が、坂上大嬢に贈る歌一首(ならびに短歌)
「(二人の仲が)親しくなるほど、ものを思えど、言葉はなく、なにをすればよいのか分からない。
大嬢(きみ)と家持(ぼく)、手を取り合って、朝は庭に出て、夜には寝室を片付けて“白栲の”袖を交えて、抱き合う夜が、日常であった。“あしひきの”ヤマドリ(のオス)は峰の向こうに(別れて棲む)メスをたずねるという。
“うつせみの”人間である私は、一日一夜(大嬢と)離れて暮らすだけで、嘆き苦しむのか。このようなことを思うだけで、胸が痛い。それゆえに、心を慰めようと、高円山の、山頂や野原へ出かけては遊び歩くが、花が香ると、(その花を)見るたびに、(大嬢のことが)しのばれる。どうやって、忘れられようか。恋というものを」