万葉集ブログ・1 まんえふしふ 巻一~巻八

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0546 笠金村

2007-06-30 | 巻四 相聞
二年乙丑春三月幸三香原離宮之時得娘子作歌一首(并短歌) 笠朝臣金村

三香乃原 客之屋取尓 珠桙乃 道能去相尓 天雲之 外耳見管 言将問 縁乃無者 情耳 咽乍有尓 天地 神祇辞因而 敷細乃 衣手易而 自妻跡 憑有今夜 秋夜之 百夜乃長 有与宿鴨

三香の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き逢ひに 天雲の 外のみ見つつ 言問はむ よしのなければ 心のみ 咽せつつあるに 天地の 神言寄せて 敷栲の 衣手交へて 己妻と 頼める今夜 秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも


神亀2年(西暦725年)・乙丑・春3月。三香原離宮(みかのはらのとつみや)に(行)幸する時。娘子(おとめ)を得て作る歌一首(ならびに短歌) 笠朝臣金村

「三香の原の、旅の宿にて。“玉桙の”道の通りすがりに(少女と)出会う。“天雲の”(少女を)遠くに見かけても、声をかけるチャンスがない。心の中で咽び泣くのみ。(だが)全世界の神が(少女との仲を)取り持ってくれた。“敷栲の”着物の袖を交わして(=夫婦の契りを結んで)、少女が私の妻と、なった今夜。秋の夜は百夜の長さ。(今夜は)そうあってほしい」

0545 笠金村

2007-06-29 | 巻四 相聞
吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 将留鴨

我が背子が 跡踏み求め 追ひ行かば 紀の関守(せきもり)い 留めてむかも


「私の夫が、通った跡を、追いかけて行けば、紀伊の関所の係員は、私の身柄を確保するのかしら」

●関守:関所の係員

0544 笠金村

2007-06-28 | 巻四 相聞
反歌

後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎

後れ居て 恋ひつつあらずは 紀の国の 妹背の山に あらましものを


反歌

「(私一人だけが)あとに残されて、(夫へ)恋焦がれるくらいなら、紀伊国の、妹背の山で、ありたいわ」

0543 笠金村

2007-06-27 | 巻四 相聞
神龜元年甲子冬十月幸紀伊國之時為贈従駕人所誂娘子作歌一首(并短歌) 笠朝臣金村

天皇之 行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手弱女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝

大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出で行きし 愛し夫は 天飛ぶや 軽の路より 玉たすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀路に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙もえあらねば 我が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千たび思へど 手弱女の 我が身にしあれば 道守の 問はむ答へを 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづく


神亀元年(西暦724年)甲子・冬10月。(聖武天皇が)紀伊国に行幸の時。従駕(お供)の人に贈るため、婦人に頼まれて作る歌一首(並びに短歌) 笠朝臣金村

「“大君の”行幸に随行するため、“もののふ(武士)の”朝廷に仕える多くの役人たちと共に出かけていった、愛する夫よ。“天飛ぶや”軽の道より“玉たすき”畝傍山を見やり“あさも(麻裳)よし”紀州路に入り、真土山を越えているでしょう、あなた。

(夫は)“黄葉の”散り飛ぶのを見て、親しかった、私のことを忘れ、“草枕”旅は最高だと、思う(に違いない。私はそれを)わかってはいるの。

そうはいうものの、じっとしていられない。私の夫が行った道のりを、あとを追おうと何度も思うが、か弱き女の私、道路管理者の、職務質問に、上手く答えられる自信もない。行動に移す前に、出鼻を挫かれ躊躇する」

●道守:道路の管理者

0542 高田女王

2007-06-26 | 巻四 相聞
常不止 通之君我 使不来 今者不相跡 絶多比奴良思

常やまず 通ひし君が 使ひ来ず 今は逢はじと たゆたひぬらし


「常に絶えず、(わたくしの元まで)通ってくれたダーリンの、使いの者が来ないわ。(ダーリンは)もう(わたくしに)会うまいと、思いあぐねているのね」