万葉集ブログ・1 まんえふしふ 巻一~巻八

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0424 山前王

2007-02-28 | 巻三 挽歌
或本反歌二首

隠口乃 泊瀬越女我 手二纒在 玉者乱而 有不言八方

こもりくの 泊瀬娘子(はつせをとめ)が 手に巻ける 玉は乱れて ありと言はずやも


或る本の反歌二首

「“こもりくの” 泊瀬の処女(おとめ)が、手に巻いた、玉の(緒が切れて)飛び散ったと、いうではないか」

0423 山前王

2007-02-27 | 巻三 挽歌
同石田王卒之時山前王哀傷作歌一首

角障經 石村之道乎 朝不離 将歸人乃 念乍 通計萬口波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲 花橘乎 玉尓貫 【一云 貫交】 蘰尓将為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 折挿頭跡 延葛乃 弥遠永 【一云 田葛根乃 弥遠長尓】 萬世尓 不絶等念而 【一云 大舟之 念憑而】 将通 君乎婆明日従 【一云 君乎従明日者】 外尓可聞見牟

つのさはふ 磐余(いはれ)の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは 霍公鳥(ほととぎす) 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き 【貫き交へ】 かづらにせむと 九月(ながつき)の しぐれの時は 黄葉(もみちば)を 折りかざさむと 延(は)ふ葛(くず)の いや遠長く 【葛の根の いや遠長に】 万代に 絶えじと思ひて 【大船の 思ひたのみて】 通ひけむ 君をば明日ゆ 【君を明日ゆは】 外にかも見む

右一首或云柿本朝臣人麻呂作


同じく、石田王の卒りし(逝去)とき。山前王が哀傷(かなし)みて作る歌一首

「“つのさはふ” 磐余の道を、毎朝、行っておられた貴殿は、(道すがら)あれこれ思いながら、通っていたことでしょう。

『ホトトギスが、鳴く5月には、ショウブや、タチバナの花を、玉にして貫き 【貫き交えて】 髪飾りを作ろう。9月の時雨どきには、もみじの葉を折って、(髪に)飾ろうか』

“延ふ葛の” いつまでも 【クズの根が、長いごとくに】 永遠に、絶えることなく思い 【“大船の” 思い頼みて】 (磐余の道を)通っていた、貴殿のことを明日から 【貴殿を明日からは】 あの世の人として見るでしょう」

右の一首は、或いはいわく、柿本朝臣人麻呂の作ともいう

0422 丹生王

2007-02-26 | 巻三 挽歌
石上 振乃山有 杉村乃 思過倍吉 君尓有名國

石上(いそのかみ) 布留(ふる)の山なる 杉群(すぎむら)の 思ひ過ぐべき 君にあらなくに


「“石上” 布留山の、『スギ』林ではありませんが、(わたくしの)思いから『過ぎ』去った、あなたではございません」

●石上布留(いそのかみふる):奈良県天理市 石上神宮近郊

0421 丹生王

2007-02-25 | 巻三 挽歌
反歌

逆言之 狂言等可聞 高山之 石穂乃上尓 君之臥有

およづれの たはこととかも 高山の 巌の上に 君が臥やせる


反歌

「全く、悪質なたわごとですわ。高山の、岩の上に、天皇が病床に臥せていらっしゃるなんて」

0420 丹生王

2007-02-24 | 巻三 挽歌
石田王卒之時丹生王作歌一首(并短歌)

名湯竹乃 十縁皇子 狭丹頬相 吾大王者 隠久乃 始瀬乃山尓 神左備尓 伊都伎坐等 玉梓乃 人曽言鶴 於余頭礼可 吾聞都流 狂言加 我間都流母 天地尓 悔事乃 世開乃 悔言者 天雲乃 曽久敝能極 天地乃 至流左右二 杖策毛 不衝毛去而 夕衢占問 石卜以而 吾屋戸尓 御諸乎立而 枕邊尓 齊戸乎居 竹玉乎 無間貫垂 木綿手次 可比奈尓懸而 天有 左佐羅能小野之 七相菅 手取持而 久堅乃 天川原尓 出立而 潔身而麻之乎 高山乃 石穂乃上尓 伊座都類香物

なゆ竹の とをよる御子(みこ) さ丹(に)つらふ 我が大君は こもりくの 初瀬の山に 神さびに 斎(いつ)きいますと 玉梓(たまづさ)の 人ぞ言ひつる およづれか 我が聞きつる たはことか 我が聞きつるも 天地(あめつち)に 悔しきことの 世間(よのなか)の 悔しきことは 天雲の そくへの極み 天地の 至れるまでに 杖つきも つかずも行きて 夕占(ゆふけ)問ひ 石占(いしうら)もちて 我が宿に みもろを立てて 枕辺に 斎瓮(いはひへ)を据ゑ 竹玉(たかたま)を 間なく貫き垂れ 木綿(ゆう)たすき かひなに懸けて 天なる ささらの小野の 七節菅(ななふすげ) 手に取り持ちて ひさかたの 天の川原に 出で立ちて みそぎてましを 高山の 巌の上に いませつるかも


石田王の卒(みまか)りしとき。丹生女王が作る歌一首(並びに短歌)

「“なゆ竹の” たおやかな石田王。“さ丹つらふ” 我が王は、“こもりくの” 初瀬山に、神として、君臨されたと “玉梓の” 使者が言う。縁起が悪い言葉を、わたくしは聞いたのでしょうか。戯れ言を、わたくしが聞いたのですか。

全世界の、悔しいことの、世の中の、悔しいことは、“天雲の” はるか向こう、天地の、果てるまで、杖をついても、つかなくても行きますわ。夕占いを聞き、石占いをもって、我が家に、祭壇をたて、枕元に、斎瓮(いわいべ)を据えました。竹玉を、びっしりと貫き垂らし、木綿襷(たすき)を、腕にかけ、天上の、ささらの小野の、七節菅を手に持ち “ひさかたの” 天の川に、出で立ち、禊(みそぎ)をいたしました。(だが石田王は)高山の、巌の上にまで、(すでに)いってしまわれました」