万葉集ブログ・1 まんえふしふ 巻一~巻八

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0485 岡本天皇

2007-04-30 | 巻四 相聞
崗本天皇御製一首(并短歌)

神代従 生継来者 人多 國尓波満而 味村乃 去来者行跡 吾戀流 君尓之不有者 晝波 日乃久流留麻弖 夜者 夜之明流寸食 念乍 寐宿難尓登 阿可思通良久茂 長此夜乎

神代(かむよ)より 生(あ)れ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて 人さはに あぢ群(むら)の 通ひは行けど 我が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜は 夜の明くる極み 思ひつつ 寐も寝かてにと 明かしつらくも 長きこの夜を


岡本天皇の御製一首(ならびに短歌)

「神代(かむよ)より、人は生まれ継いできた。多くの人が、この国には満ち、多くの人が、トモエガモの群れのように、(都を)往来している。(だが)私が恋する、あなたはこの中にはいない。昼は、日没まで、夜は、夜明けの直前まで、思いあぐね、寝ることもままならず、長いこの夜を(明かしをしてしまった)」

0484 難波天皇妹

2007-04-29 | 巻四 相聞
相聞

難波天皇妹奉上在山跡皇兄御歌一首

一日社 人母待吉 長氣乎 如此耳待者 有不得勝

一日(ひとひ)こそ 人も待ちよき 長き日を かくのみ待たば 有りかつましじ


相聞

難波天皇の妹が、大和に在(あ)る皇兄に奉り上げる御歌一首

「一日なら、人は待っていられますわ。何日も、待たされれば、じれったいものです」

0483 高橋

2007-04-28 | 巻三 挽歌
朝鳥之 啼耳鳴六 吾妹子尓 今亦更 逢因矣無

朝鳥の 哭(ね)のみし泣かむ 我妹子に 今またさらに 逢ふよしをなみ

右三首七月廿日高橋朝臣作歌也 名字未審 但云奉膳之男子焉


「“朝鳥の”慟哭の(日々を送っている)。愛妻とは、今後はもう、会えることはないのだ」

右の三首は、天平16年(西暦744年)7月20日、高橋朝臣が作る歌したである。名字は未だ審らかではない。但し、奉膳の男子と云う

●奉膳(ぶぜん):令制で内膳司の長官 定員は二名 供御(天皇の食事)に関することを管掌、毒味も担当する


0482 高橋

2007-04-27 | 巻三 挽歌
反歌

打背見乃 世之事尓在者 外尓見之 山矣耶今者 因香跡思波牟

うつせみの 世のことにあれば 外に見し 山をや今は よすかと思はむ


反歌

「“うつせみの”現実の世界のことである。いままで関心がなかった、山を今では、心のよりどころとして思う」

0481 高橋

2007-04-26 | 巻三 挽歌
悲傷死妻高橋朝臣作歌一首(并短歌)

白細之 袖指可倍弖 靡寐 吾黒髪乃 真白髪尓 成極 新世尓 共将有跡 玉緒乃 不絶射妹跡 結而石 事者不果 思有之 心者不遂 白妙之 手本矣別 丹杵火尓之 家従裳出而 緑兒乃 哭乎毛置而 朝霧 髣髴為乍 山代乃 相樂山乃 山際 徃過奴礼婆 将云為便 将為便不知 吾妹子跡 左宿之妻屋尓 朝庭 出立偲 夕尓波 入居嘆會 腋挾 兒乃泣毎 雄自毛能 負見抱見 朝鳥之 啼耳哭管 雖戀 効矣無跡 辞不問 物尓波在跡 吾妹子之 入尓之山乎 因鹿跡叙念

白栲の 袖さし交へて 靡(なび)き寝し 我が黒髪の ま白髪に なりなむ極み 新世に ともにあらむと 玉の緒の 絶えじい妹と 結びてし ことは果たさず 思へりし 心は遂げず 白栲の 手本を別れ にきびにし 家ゆも出でて みどり子の 泣くをも置きて 朝霧の おほになりつつ 山背の 相楽山の 山の際に 行き過ぎぬれば 言はむすべ 為むすべ知らに 我妹子と さ寝し妻屋に 朝には 出で立ち偲ひ 夕には 入り居嘆かひ 脇ばさむ 子の泣くごとに 男じもの 負ひみ抱きみ 朝鳥の 哭のみ泣きつつ 恋ふれども 験をなみと 言とはぬ ものにはあれど 我妹子が 入りにし山を よすかとぞ思ふ


死(すぎ)た妻を悲傷(かなし)んで、高橋朝臣が作る歌一首(並びに短歌)

「“白妙の”愛を交わして、抱き合う。私の黒髪が、白髪になっても、初々しい仲で、ともにありたいと“玉の緒の”絶えぬよう妻と、愛を結んだ。(だが妻は)約束を果たさず、思いを遂げることもなく“白栲の”夫(わたし)の手を離し、居心地よい、家から出ていった。愛児が、泣くのも置きざりにして。“朝霧の”かすみつつ“山背の”相楽山の、あたりに(妻は)去ってしまった。

表現のしようもない。なすすべもない。愛妻と、ともに夜を過ごした寝室で、朝は外に出て(亡妻を)しのび、夜は寝室で(妻の死を)嘆く。小脇に抱える子が、(母親を求めて)泣くたびに、(私は)男でありながら、(母親の代わりに)おんぶや抱っこをしながら“朝鳥の”慟哭の涙をこぼす。妻(の魂)が戻って欲しいが、その前触れも言葉もないままに。愛妻が、入っていった山を、心のよりどころとしてしのびたいと私は思う」