白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

洋行譚 8日目~9日目(了)

2010-07-19 | ドイツ・スイス 旅行記
写真はこちらからご覧ください。

6/19~6/22 am
http://blog.goo.ne.jp/photo/21501
6/22pm~6/24am
http://blog.goo.ne.jp/photo/21543
6/24pm~6/25am
http://blog.goo.ne.jp/photo/21599
6/25pm~6/27
http://blog.goo.ne.jp/photo/21622


6月26日(土)~27日(日)



洋行最後の朝も、チューリッヒの空には雲ひとつなかった。
朝食を取り、シャワーを浴び、荷造りをして、
リルケの詩集を捲る。

「光が群れ群れて重なりあい、
 そのために暗くさえ感じられる、
 純粋な自己矛盾であるこの暗さ」

(リルケ)





***************************





10時45分、ホテルをチェックアウトし、
タクシーでチューリッヒ空港へと向かった。
無料の高速道路で、市街地から10分ほどである。
フランクフルト然り、チューリッヒ然り、
4000m滑走路を複数有する拠点空港が
市街地から10分のところにあることの意義を
考えずにはいられなかった。







自動チェックインと、パスポートチェックを
済ませてから、展望ラウンジで軽く昼食を取った。
この日のお勧めは、カリフォルニアスシロール、
つまりは、アボガド巻きである。
ビールと併せて、何と3500円もした。







空港をしばらく逍遥してから、LH3743にて、
13時30分、いったんミュンヘンに向かう。
出発ゲート前で、旧友に出発を告げる電話をした。
ゲートから、沖止めのCRJ200までバスに乗り、
搭乗する。
チューリッヒ空港の混雑で、離陸が10分ほど遅れた。
機内からは、ボーデン湖から南ドイツ一体の平原が
遠く望まれる。











*************************





ミュンヘンへは、定刻よりも20分遅れて到着した。
時刻は15時であり、LH714、東京行きの出発まで
乗り継ぎ時間はわずかに45分しかない。
果たしてこれで間に合うのだろうか、という不安は、
ミュンヘン空港の合理的な設計と簡便な出国審査体制が
払拭してくれた。
着陸からLH714の出発ゲートまでの到着に要した時間は
わずかに20分だった。





ゲートには、さすがに日本人の姿が多く見える。
日本の習慣に久し振りに従って、順番待ちの列の最後尾に
静かに並ぶ。
無事にゲートを通過して、いよいよドイツを後にする。
思えば、到着直後から、初めて来た気がしなかったからか、
何だか後ろ髪を引かれる思いだった。
帰りたくはなかったが、仕方がない。
飛行機は15時45分、成田に向けて離陸した。







***************************





機中、往路と全く同じ、
南アフリカでの1995年のラグビーワールドカップを
題材とした映画「インビクタス」と、
1989年、ベルリンの壁が崩壊した直後に
レナード・バーンスタインが東ベルリンで演奏し、
「freude」を「freiheit」と歌って話題となった、
ベートーヴェンの交響曲第9番を観た。
往路とは全く違う感慨を覚えたのは、東独の地方都市を
歩き、比較文明論をかわした経験と、
サッカー・ワールドカップを、南アフリカとの時差なく
異国の地で体感することが出来たことによると思う。
建築物やひとびとの言葉だけではなく、光や水、風にも
歴史や伝統が刻印されているような、
ある種の「現実的な重さ」を感じたからかもしれない。





その「重さ」を、自分がどうやら喪失しているような
感覚、今もどうにも拭いがたいのは、
自分自身がForeignerである、あるいは、Alienである、
という実感よりも前に、
自分自身も含めた大多数がJapaneseから切断されている、
もしくは、Japaneseとは何かが皆目見当がつかないような
無国籍の感覚、根のない感覚、Anonymousな感覚が
極めて現実的で皮膚的なものとして確実にあるからだと、
言いきってしまうのは、容易いことだと思う。





切断されて、根がないがゆえに、無国籍と無所属性の不安を
初めから痛みをもって感じることが出来ないという障害を
既に患ってしまっているからなのかもしれない。
しかし、このどうにも浮ついた感覚を、
処理する方策や薬がない。
いま自分が話している母語が、どうにも軽く感ぜられて
ひとと融通出来ているか否かが不安で仕方がない。





こうなってくると、不安は際限がない。
日本語で読んだ異国の書物の一切が、何だか浮ついたものに
思われてくる。
すると、自分自身の、意識の広がりに働く一定の規則性を
形成してきた、「文学」や「哲学」の「経験」がゆらぐ。
「経験」と「意味づけ」と「分類」を許してきたことばが
時を同じくしてゆらぐからだ。





そうすると、意識以前の、「指向」だとか、「感知」だとか、
「反射」だとか、
そうした作用が原初的な方向に解体還元されて、自身から
一切の「意味」「理由」が消え失せるという状態にまで
至ってしまう恐れへとつながってしまう。
「自己」は引き裂かれるとか、解体されるのにはとどまらず、
木端微塵、灰燼に帰するのではないかとさえ思われてくる。
この不安を、果たしてこの手に処することは出来ようか。





****************************





眠らぬまま、日本時間に合わせた時計は、
6月27日、日曜日の7時を指していた。
朝食の時刻、キャビンアテンダントが僕の横でコーラを
気圧のことを考慮せぬままに空けようとして、
思いっきり、コーラを辺りにまき散らした。
当然、こちらの衣服にそれらがかかる。
当然、ルフトハンザからクリーニング代を頂戴した。





9時50分、予定より25分ほど早く、成田に到着した。
窓から見る日本の風景は、灰色の雲に蓋されていて、
雨に濡れて、輪郭がにじんでいる。
機内から一歩出ると、亜熱帯特有の埃っぽい匂いと
高い湿度の空気が肌にまとわりついてきて、
蒸し暑いこと、この上ない。





入国審査、荷物受取、税関審査を済ませたところで、
同僚と別れ、地下駅へと降りた。
スターバックスでアイスハーブティを一気飲みして
11時10分発の京成スカイライナーに乗った。
沿線の風景を写真に収めようかと思ったのだが、
その、ゴミ溜めをぶちまけたような醜悪さ、汚さに
唖然、辟易して、一枚だけ撮って、やめた。







12時、上野着、歩み出て御徒町、大江戸線に乗り
本郷三丁目、中途、コンビニで弁当を買い、
汗だくになって、12時30分、自宅に着くなり
衣服を脱ぎ棄てて、床に入り、眠ってしまった。
眼が覚めたのは、その日の21時のことだった。
この眠りがいけなかったのだろうか、
その後1週間、酷い時差ボケに悩まされる羽目になった。





**************************





その他、考えることは山のようにあったのだが、
ひとまずここで、この洋行譚の筆を置こうと思う。
まだ、永平寺の修行僧のような睡眠障害が、
治りきっていないのである。





ひょっとしたら、僕はまだ、向こうから帰りきって
いないのかもしれない。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿