白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

洋行譚 5日目

2010-07-13 | ドイツ・スイス 旅行記
写真はこちらからご覧ください。

6/19~6/22 am
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6/22pm~6/24am
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6/24pm~6/25am
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6/25pm~6/27
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6月23日(水)



7時過ぎ、朝食のため、レストランにいくと、
リッツ・カールトン大阪のメイン・ダイニングである
「ラ・ベ」あたりと比較しても遜色のない内装に、
思わず若干の気構えを感じてしまった。
スーツ、もしくはジャケットを着たひとびとが
客層の大半を占めているのを見て、
昨夜、ホテルに隣接している会議場で、何らかの夜会が
開かれていたのを思い出した。
ドナウの河畔にせり出したテラスで、燕尾服を着たひと、
ドレスを着た婦人が数多く、ワイングラス片手に歓談に
興じている姿が、月影に映じるのを見ていたのだ。
社交界というものが、このようなドイツの地方都市にも
今も歴然と存在することを、実感させられたものだった。





さすがに、このホテルの朝食の質は高い。
ようやく、南ドイツ・ミュンヘン周辺の白ウィンナーを
ハニーマスタードをつけて、食べることも出来た。
さすがに、朝からビールというわけにはいかないようで、
アルコールの類は、見つけることが出来なかったが、
ミュンヘンでは、朝からビールとブルストで機嫌のよい
ひとびとを見かけることもあるという。





9時30分、ホテルを出て、ウルム駅に向かった。
ホテルの前に止まっていたタクシーに乗ろうとして
窓をたたいて、運転手が眠っていたのを起こすと、
申し訳ない、眠いんだ、と、呑気な答えが返ってきた。
時間の流れも、ひとびとの気質も、おおらかなものだ。





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10時、ウルム始発のバーゼル行き国際急行に乗り、
いよいよ、スイスに向かう。
陽光は愈々鮮烈さを増し、煌々としてとても眩しい。
緑は地平の彼方へとどこまでも続いている。
照り映えるその色は、空を大地に蒸着したかのよう、
カッセルの鉛色の寒空に感じた、荒涼や寂寞の影は
微塵もない。














1時間ほど経った頃、車窓の彼方に、ボーデン湖の
広大な水面が見えてきた。





ボーデン湖の北側一帯は、リゾート地になっている。
車窓からは、湖岸を自転車で走るひとびとの姿に加え、
数多くの白い帆架けのヨットが湖面に浮かんでいるのが
眺められる。







公園の木立が風に揺れるたび、光が地面に落ちて転がり
球のように戯れているようで、本当に美しい。
なお、湖畔の一都市であるフリードリヒスハーフェンは、
茨城の土浦と姉妹都市関係にあるらしい。





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ボーデン湖を過ぎて、ジンゲン駅を過ぎた正午前頃、
ドイツ国旗とスイス国旗を、併せて立ててある建物が
いくつか、眼に映じた。
それが、国境を超えた瞬間だった。









そうは言うものの、車内では、パスポートチェックの
係官も入ってこなければ、
スイス国内に入ったとのアナウンスもない。
いささか拍子抜けしているうちに、
列車はシャフハウゼンに到着した。
ここで、1時間ほど、乗換待ちとなる。






この旅路で身に着けていた腕時計は、
1940年に製造された、IWCのものである。
68年間も誰にも所有されずに眠っていたものを、
2年前に奮発して購った、思い入れの深い品だ。
そのIWCの本社と工場は、このシャフハウゼンにある。
束の間の、里帰り、といったところか。





シャフハウゼンの駅近くには目ぼしいレストランがない。
結局、昼食を諦めて、チューリッヒ行きの列車に乗った。
シャフハウゼンを出てしばらくすると、進行方向左手に
ライン川本流唯一の滝である、ライン滝が現れる。
高さはないが、幅が150mと大きく、水量も多いため
迫力がある。
ボーデン湖から流れ出したライン川は、この滝の近辺に
最後の渓谷を形成して、バーゼルで穏やかな流れになり、
水運の最上流の拠点となる。
マンハイムで眺めた水とはおよそ異なる、深い緑の水は
千曲川の雪融けの頃の色に似ていた。













やがて、車窓にチューリッヒ空港が映じ、近代的な高層の
ビルディングが数多く眺められるようになってきた。
久し振りの、都会の感覚が湧きたつ間もなく、
列車は14時前に、チューリッヒ中央駅に滑り込んだ。
この駅は巨大である。
26ものホームを有し、近距離線に加え、ドイツ、フランス、
オーストリア、イタリアの各国とスイスを結ぶ国際列車の
スイスにおける拠点駅となっている。
一日の旅客数も、東京駅とほぼ同数であるという。







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この日のチューリッヒは、気温28度に達していた。
湿度がないために、日本に比べれば不快さは和らぐものの、
それでも重いスーツケースを抱えて歩いているうちに、
自然に汗が噴き出してくる。
美しい景色を見るのは後でいい、とばかりに、一心不乱に
ホテルへ急いだ。
アスファルトの道であればスーツケースを転がせるが、
チューリッヒの旧市街地の道は、石畳である。
20kgの重さのスーツケースを持ちあげて歩くのは、
さすがにかなりの負担にある。





ホテルに着いたとき、スタッフが汗を拭くための
ティッシュを差し出してくれた。
チェックインの手続きは後でいいから、
先にシャワーを浴びて来たらいかがですか、というので、
言葉に甘えて、チェックインも済ませずに部屋に入った。
ウルムのホテルと同じ値段を払っているのにも関わらず、
部屋はダブルルームで、半分ほどの広さしかない。
その代わり、部屋からは魅力的な景色が見える。
それは、伝統的な家屋の屋根の重なりや、広場の風景。









シャワーを浴びたあと、チェックインの手続きを済ませ、
食事と、今夜のコンサートのチケットを購いに、街に出た。
チューリッヒの街は美しい。
国際都市だけあって、集うひとびとの国籍も多種多様で、
風貌もまた、千差万別である。
そして、ドイツでは殆ど見なかった、ブラックアフリカの
ひとびとの姿が目立つ。
この街の所得水準の高さを示しているかのように、
金融街の近くには、高級ブティックや五つ星ホテルが
立ち並んでいる。
見たこともないような高級スポーツカーも多く見かける。
写真はまた明日でいいや、と、先を急いだ。




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チューリッヒ湖畔の近くに、トーンハレ音楽堂がある。



1895年、ブラームスが指揮したコンサートにより
開館した、伝統的なシューボックス型のホールである。
チケットセンターに赴いて、席の空きを訪ねると、
もう、1階の平土間の後ろしか空いていないという。
選択の余地はないので、これを購入した。
それにしても、スイス・フランの紙幣に印刷されている
ジャコメッティ、オネゲル、ル=コルビュジェという
人選には、思わず唸ってしまう。





16時前、旧市街のレストランで、遅い昼食を取った。
シーフードのペンネ、トマトソース、これにビール1杯、
ひとりあたり2800円である。
スイスの物価は高いとは聞いていたが、これほどだとは
思わなかった。
食後、中央駅のそばのスーパーへ行き、スイスワインや
つまみを購って、ホテルへ戻った。
ちなみに、マグロの握り鮨4貫入りパックには、
2000円の値がついていた。





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ホテルでしばしの酒宴ののち、スーツに着替え、
18時45分、再びトーンハレへ向かった。
トーンハレまでは、ホテルから歩いて15分ほど、
近づくにつれ、ドレスアップをした婦人の姿や
正装をした紳士の姿が眼につき始めた。
入口の広大なホワイエを抜け、2階へ上がると、
そこに、華麗な装飾が施されたホールがあった。









チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の定期演奏会は、
ピアノ独奏は、ピョートル・アンデルシェフスキ、
指揮は、NHK交響楽団の名誉指揮者でもある
ヘルベルト・ブロムシュテット、御歳83歳、
曲目は、モーツアルトのピアノ協奏曲第17番ト長調、
ドヴォルザークの交響曲第8番ト長調「イギリス」、
という構成であった。





前半のピアノ協奏曲が始まったとき、その弦楽器の
あまりに美しい響きに思わず絶句してしまった。
このトーンハレの音響効果の素晴らしさは、
音響工学を駆使して建築された、サントリーホールや
シンフォニーホールのような日本のホールのそれとは
全く次元が異なっている。
サントリーホールが、ノイズも含め、会場に響く音の
一切を精妙にそのまま響かせるホールであるとすれば、
トーンハレは、そうしたノイズの角にやすりを掛けて
滑らかに響かせて、音楽の一部にしてしまうような
やわらかさと、深さを併せ持ったホールである。
弦はビロードのように滑らかに、フルートは鳥の音に、
トレモロはさざめく波になる。





無論、トーンハレ管弦楽団の技術は素晴らしく、
やや緩徐楽章に集中力を欠いた瞬間を感じたものの、
アンデルシェフスキの精密かつ緻密な譜読みと、
徹底的な配慮を感じさせる力点の配分によって、
ピアノのダイナミクスの表現は相当の域に達していた。
その繊細さは、時折、管弦楽との親和や、歌を離れて、
他と隔たった音列として現れもする。
ブロムシュテットの、ドイツ的な誠実さと朴訥さを
感じさせつつも、若々しく確信に満ちてすがすがしい
音楽づくりと、一聴すれば親和しているようなのに、
どこか、ピアノが浮遊して聴こえてくるという、
何とも不思議な演奏だった。
これが、モーツァルトの「天才」の再創造を目指して
為された演奏だったとしたら、アンデルシェフスキは
恐ろしいピアニストである。
アンコールに、彼はヤナーチェクの小品を弾いた。





休憩になり、会場の客の全員が、ホールに隣接している
巨大なホワイエに出ていく。
客はやはり、きちんと身なりを整え、ドレスアップをし、
ワインを傾けつつ、顔見知りを見つけては歓談している。
日本のように、ブラボーを叫ぶために来ているような、
ジーンズ姿の眼鏡男など、ひとりもいない。
ここは、音楽を楽しみ、合間の歓談を楽しむ社交の文化の
最も発露する場なのだと、実感した。
伝統の重みを、ホールからも、演奏からも、客層からも、
否が応にも実感させられる。





20分ほどの休憩後の、ドヴォルザークの交響曲の演奏は
ブロムシュテットの解釈をオーケストラがよく消化して、
老いた大樹の芽吹きのような若々しさ、清々しさを湛え、
邪心を排しつつ、音楽の堅牢な構造を出現させていく。
近年のブロムシュテットの音楽に見られる、金管楽器の
やや過度なアクセントの強調もあったとはいえ、
実に美しく、集中力も高く、充実した響きが弛緩しない、
たいへんに素晴らしい演奏だった。





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日本の音楽文化と、ヨーロッパの音楽文化の状況に
今も大きな隔たりがあることを感じつつ、帰途に就いた。
ホンモノとは何か。伝統とは何か。
21時半、落陽の時刻、大聖堂や石造りの橋の影が、
鐘の音とともに、チューリッヒ湖から流れ出たばかりの
リマト川の水面に溶けていく光景は、
この街の歴史の重みを感じさせるに十分なものだった。
11月に、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の
来日公演を、サントリーホールで聴くのだが、
果たして、その音はどんなふうに聴こえるのだろう。





ホテルに戻り、うつらうつらしていると、
23時過ぎに、突然、携帯電話が鳴った。
大学時代に、僕が最も共演したベーシストであり、
現在はチューリッヒで環境コンサルタントとして
働いている、旧友からの連絡だった。
昨年、京都での彼の結婚式以来のコンタクトである。
曰く、6月24日、サッカー・ワールドカップ予選の
日本対デンマークの試合を、一緒に観ようとのこと、
場所は、チューリッヒの彼の職場に近いスポーツバー、
午後8時の待ち合わせを約束して、電話を切った。





電話を切って間もなく、深い眠りについた。
この旅のなかで、おそらく最も美しい瞬間が訪れることが
知らないうちに、ひそやかに約束された瞬間だった。






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