白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

発光する夕刻

2010-07-27 | 日常、思うこと
うだるような暑さの中を、ほんの僅かの湿り気と
涼しさを含んだ風が吹き抜けていく、
発光する夕刻。
春日を歩き、本郷を歩き、銀座を歩き、
指先じんじん、触・障・振・震、ときおり雨降る。
幸いにして、今宵は月夜。



「古き寺、古き社、神の森、仏の丘を掩うて、
 いそぐ事を解せぬ京の日はようやく暮れた。
 倦怠るい夕べである。消えて行くすべてのものの上に、
 星ばかり取り残されて、それすらも判然とは映らぬ。
 瞬くも嬾き空の中にどろんと溶けて行こうとする。
 過去はこの眠れる奥から動き出す。


 一人の一生には百の世界がある。
 ある時は土の世界に入り、ある時は風の世界に動く。
 またある時は血の世界に腥き雨を浴びる。
 一人の世界を方寸に纏めたる団子と、
 他の清濁を混じたる団子と、
 層々相連って千人に千個の実世界を活現する。
 個々の世界は個々の中心を因果の交叉点に据えて
 分相応の円周を右に劃し左に劃す。
 …縦横に、前後に、上下四方に、乱れ飛ぶ世界と世界が
 喰い違うとき、秦越の客ここに舟を同じゅうす。(中略)


 わが世界とわが世界と喰い違うとき腹を切る事がある。
 自滅する事がある。
 わが世界と他の世界と喰い違うとき二つながら崩れる事がある。
 破けて飛ぶ事がある。
 あるいは発矢と熱を曳いて無極のうちに物別れとなる事がある。
 凄まじき喰い違い方が生涯に一度起るならば、
 われは幕引く舞台に立つ事なくして自からなる悲劇の主人公である。
 天より賜わる性格はこの時始めて第一義において躍動する。
 八時発の夜汽車で喰い違った世界はさほどに猛烈なものではない。
 しかしただ逢うてただ別れる袖だけの縁ならば、
 星深き春の夜を、名さえ寂びたる七条に、さして喰い違うほどの
 必要もあるまい。
 小説は自然を彫琢する。自然その物は小説にはならぬ。」

                  
                    (夏目漱石『虞美人草』)





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「未生の繭のなかで死んでいる蚕の桑葉を食む音を聴いて
 打音に映じることの出来るのが鍵盤弾きだと思う」

                (2008.11.9)


http://blog.goo.ne.jp/lanonymat/e/7752f8ef09bedccce5b564fa6185aaa4



指はフーガを忘れた代わり、やわらかな音を憶えていた。





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今朝は、陽光をうれしく思えたことを、うれしく思った。
連日の暑さで、脳が茹であがったのかもしれない。





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