白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

洋行譚 7日目 後半

2010-07-18 | ドイツ・スイス 旅行記
6月25日(金)



ヴィッツナウを出港した船は、中途、ウェギスの港を
経由して、ルツェルンへと向かう。
沿岸には、保養地、高級別荘地が点在していて、
時折、ロマネスク様式の教会や、ビーチも見える。
白い帆架けのヨットやカヌーが湖上に浮かんでいる。
数人の、おそらくは20代前半と思しきビキニ姿の
女性たちが、そうした小舟から湖水に飛び込んでは
じゃれあっている姿を、何度か見た。





こうした景色に、言葉を添えることなど、必要ない。













































************************





1時間ほどすると、ルツェルンの街が見えてきた。
湖からロイス川が流れ出る、そのごく近くの港に
接岸して、優雅なクルーズは終わった。











港のすぐそばには、ルツェルン音楽祭の会場と、
中央駅とが並んで建っている。









ロイス川に沿ってしばらく歩くと、
ルツェルンの象徴である、カペル橋にたどり着く。




この橋は、1333年に建設されたヨーロッパ最古の
屋根付きの木造橋であり、延長は約200mある。
橋は色彩豊かな花々に飾られている。
1993年の火災により焼失したが、すぐに再建され、
往時の姿を取り戻している。
橋の内側の、屋根と梁が形作る三角の枠の内側には
17世紀に描かれた、ルツェルンの街の歴史の板絵が
描かれている。
中世独特の、伝説を妖奇的な画風で描いたもので、
ところどころに、悪魔の姿も見える。
板絵は、焼け残ったものも、炭化したものも、両方共、
創建当初の位置に嵌められている。























橋を渡り終え、ロイス河畔のカフェでビールを飲んだ。
乾いた風が程よく初夏の陽気に温められて、心地よい。







*************************





カフェを後に、旧市街への坂を上がると、
16世紀に建てられた市庁舎と、広場があった。
婚姻届を出したばかりと思しきカップルと、その家族や
友人、知人に加えて、通りすがりのひとびとが多く集まり、
写真を撮ったり、祝福の言葉を投げかけている。
どうやら、結婚式を市庁舎前で挙げているらしく、
カップルも、集うひとびとも、ドレスアップをしていた。
鳩を放ち、ライスシャワーを浴びて、幸せそうな笑顔で、
集うひとびとに謝意を表しているカップルの姿を、
何となく、少しばかり、うらやましく思った。















旧市街から、再びルツェルン湖畔に出て、
スイス最大のルネッサンス建築のひとつである
ホーフ教会へと向かった。
この教会はカトリックの聖堂であり、キリスト像がある。
ウルムの大聖堂がプロテスタントであり、キリスト像や
華麗な装飾がなかったのに比べれば、
大理石で築かれていることもあってか、随分と華やかな
印象を受ける。
堂内には1645年製の、6000本ものパイプを有し
スイス最大ともいわれる規模を持つオルガンがある。
















この日は、「オルガンを演奏する会」が開かれていて
数人のひとびとが、即興演奏を楽しんでいるようだった。
旧友に、パイプオルガンの仕組みを解説していると、
そのうちに、何だかブギウギ風のリズムが聴こえてきて、
奇妙なペンタトニックと轟然たる不協和音が響き渡った。
最初は我慢していたものの、5分ほどして、そのあまりの
やかましさに、とうとう耐えかねて、教会を後にした。





*************************





教会からしばらく、市街地を歩いた。
チューリッヒでもそうだったが、スイスという国は
自転車社会と言ってもよいほどに、自転車の普及が
進んでいる。
どの街にも、道路には専用の通行レーンがある。
殊にルツェルンの場合、自転車専用レーンは、何と
道路の中央に設けられている。
これほどの中小都市が、トラムや自動車、自転車など
多様な交通手段を確立できるばかりでなく、
第三次産業だけで経済循環を確立し、
連邦政府から一切の補助金を受け取らずに、自治権を
行使出来ているという現実は、重い。








しばらく行くと、「ライオン記念碑」の一角に出る。
18世紀、スイスの最大の輸出産業は「傭兵」だった。
ルイ16世と、王妃マリー・アントワネットの護衛に
当たっていたのは、スイスの傭兵だったという。
フランス革命に際し、テュイルリー宮殿を守っていた
スイスの傭兵は、1792年の8月10日事件において
民衆によって虐殺された。
この事件を祈念し、ホーフ教会建造時の石切り場の跡に
1821年に造られたのが、この記念碑である。



ライオンの腹には折れた槍が突き刺さり、苦悶の表情を
浮かべている。
その両前足は、ブルボン王朝の象徴である白百合の花を
抱えている。
像の前には泉があり、コインを投げ入れてから祈ると、
願い事が叶うのだそうだ。
奮発して、5フランを投げ入れて、願い事をした。





*************************





市街地を歩き、中央駅へと向かう道すがら、
時計店やオルゴール店、土産物店をいくつか廻って、
いくつかの買い物をした。
ジャガー・ルクルトのレベルソを購おうと思ったが、
カード残高と懐事情を勘案して、やむなく断念した。






ルツェルンを代表する時計店であるブヘラでは、
中国人と思しき団体客が、ロレックスのブースに群がり、
あれやこれやと試着をしたり、誰かを呼びつけたりと、
全くもって品が無い。
ブヘラの店内で、職場用の土産物を買おうとして
レジに品物を持って行ったところ、
店員はぶっきらぼうに、group numberを書け、と言い、
一枚の紙を出してきた。
どうやら僕を、中国人旅行客の一員だと思ったらしい。

「nicht、This is my personal purchase.」

と、伝えると、店員の態度が変わった。





隣のアメリカ人と思しき買い物客が、僕の品物を
指でつつくので、畳みかけるように

「Don’t Touch This.」

と一喝し、手早に支払いを済ませて、店を後にした。
アメリカ人のマナーの悪さには閉口することが多い。
チューリッヒでのこと、ホテルに戻ってきたところ、
チェックアウトをしようとしたアメリカ人が、
持っていたカードのことごとくを、利用制限枠の問題で
はね付けられているところに出くわした。
しばらく待ったところ、僕に気付いたスタッフが
声をかけてきてくれたのだが、
僕の発音がまずかったのか、用件が上手く通じなかった。
そのとき、このアメリカ人は、鼻で笑ったのである。





もう一度用件を言い直して、問題が解決した後、
あまりに腹が立ったので、

「I envy the flexibility of your credit cards, HA!」

と、ゆっくりと明瞭に棄て台詞を吐いて、場を後にした。
どうせ僕の発音は悪いので、彼らには通じていないだろう。





**************************





中央駅の地下で、日本では希少であるスイスワインを
購ってから、
18時10分発、IR2368に乗り込んだ。
チューリッヒまでは45分ほど、19時前に到着した。







駅前からトラムに乗り、昨晩の、スポーツバーでの
メンバーともう一度待ち合わせてから、
チューリッヒの郷土料理の名店として知られる、
「ツォイクハウスケラー」に入った。
この店には日本人も多く訪れるらしく、日本語表記の
メニューもある。
巨大なブルストとビール、サラダ、子牛の煮込みなどを
シェアしながら、歓談した。






この日は、サッカー・ワールドカップの予選突破を賭けた
スイス対ホンジュラスの試合があった。
心なしか、店内も落ち着かない雰囲気がある。
デザートを食べ終えてから、昨日と同じスポーツバーへと
移動して、試合を見守った。
さすがに、自国の代表戦とあって、集うひとびとの熱気は
すさまじいものがある。
シュートを外した後、日本人なら苦笑を浮かべそうなものを、
スイス人は頭を抱えてうつむいてから、顔を上げる。
健闘むなしく、試合は引き分けに終わった。
スイスの予選突破はならず、店には沈鬱な空気が漂った。











***************************





バーを出たところで、再会を期し、旧友と別れた。
旧友は日本を出て7年になる。
アメリカから、ドイツ・ハンブルクに移っての2年は
暗黒の日々だったという。
英語は話せても、ドイツ語が話せないこと、
見えないようで、見えてくる人種の壁によって、
Foreigner という感覚よりも、Alienという感覚が
あったようだ。
チューリッヒに移ってから、光が差し込んだらしい。
よほど水があったのだろう、彼がチューリッヒの街を
愛している様子が、言葉の節々に感じられた。
そんな彼は、博士号を取得するために、
日本に帰る計画を立てていた。
8月下旬に、一度、来日するらしい。





彼の結婚式ではあまり話が出来なかった、彼の奥様とも
話を深めることが出来た。
奥様は、オフィスのCEOと7月の初旬に来日したので、
7月9日、3人で、東銀座・歌舞伎座近くで焼肉を食べ、
行きつけのバーで、零時近くまで歓談した。
この話は、機会があれば、改めて記述しようと思う。





**************************





ホテルに戻り、洋行最後の夜に、永井荷風を読んだあと、
この旅の記憶を一気呵成に、手帳に書きつけた。
それにしても、強烈な日差しのせいで、日焼けした顔が
痒くて仕方がない。
シャワーを浴び、ビールを飲むと、一気に眠気に襲われ、
ぐっすりと、眠ってしまった。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿