白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

10時のニュース

2006-08-28 | 日常、思うこと
徳島県の1河川に偶然迷い込んだ一頭のアザラシの死を
近隣の老若男女が悼み、涙し、花さえ供える光景を伝える
ニュースを見た。




大阪・西成区役所のある職員は、1年に2,3度、
行き倒れた路上生活者や日雇い労働者の、黒紫色に変色して
いまそこに腐敗しつつある屍体に出くわすそうだ。
誰にも看取られずに、埃と泥と垢と排泄物にまみれた襤褸に
侵食されていく、「かつて人間であったもの」は、
大阪市の職員によって、「収集」される。
多くの自治体は、死体処理について、特別勤務手当を
担当職員に支給する制度を条例で設けている。




福岡の海ノ中道大橋には、幼子のために今ごろは祭壇が設けられ
花や菓子、ジュースがうずたかく積まれていることだろう。
海上の強風にあおられて、飛ばされた花びらの一枚も、
行き倒れた路上生活者の衣装に届かずに、海へと降りて、
幼子の命のごとく、その暗い底に沈み、窒素循環へ供される。




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大阪に住んでいた頃、仕事柄、自転車で天満、京橋、淀屋橋、
肥後橋、本町、堂島、中之島と、都心を毎日巡った。
三井物産、サントリーといった名門とされる企業の各大阪本社へ
出入りを繰り返す道中、巨大な蓑虫のような風体の路上生活者にも
多く出くわした。
大阪地方裁判所のちょうど眼の前に、路上生活者が収集した
アルミ・鉄くず類を換金するためのブルーシートのテントがあり、
毎朝10時から10時半にかけて、界隈には多くの路上生活者が
集まり、時折列を成していた。
大阪弁護士会ビルで出くわすダブルの高級スーツを着た弁護士たちの
姿をみてわずか数秒の後、
衣服が擦り切れてしまって、垢に汚れた茶色の尻を丸出しにした
毛むくじゃらの路上生活者の姿に出くわすことも珍しくなかった。




彼らの姿には、僕は冷淡で無関心であるか、眼をそむけるか、
いずれかの対応をしていたような記憶がある。
もちろん、次の訪問先へ急がねばならないという事情もあった。
しかしそれは、重要ではない。
自分がなりたくないと思う姿・イメージが目の前に現れたとき
人間は眼をつむるか、そむけるか、その場から逃げるか、
立ち止まったままどうしていいか分からなくなるように出来ている。




それは、自己の生存を脅かすものへの潜在的な恐怖と、
それに対する生物としての防衛反応の延長線上にあるものだとは
いえない。
死や滅亡といったものを知覚できるのは人間のみである。
猿は、死んだ我が子をいつまでも抱き続け、
それが腐敗してきたとき、それを「ごみ」として簡単に捨てるという。




人間は、それが死んだあとの死体をも、「人間」として知覚できる
唯一の動物である。
路上生活者をみて僕が目を背けたときも、僕は彼らを人間であると
知覚していた。
しかし、僕はそこから眼をそむけた。
彼らの生活を、彼らのいないところで思い浮かべることはたやすく、
想像力において同情し、涙し、侮蔑し、嘲笑することも出来た。
ところがいざ彼らを前にすると、その臭い、姿をいかにして
目の前に広がる蒼空と、肌に触れる薫風のなかから、
つまり、自分が感じていたいもののなかから排除するか、
それだけしか考えることが出来なかった。





彼らは、ぼくの快適な心象と生活には必要が無かった。
そしてこのような心理が集団化して社会化すれば、それは確実に
路上生活者を永遠に路上生活者たらしめるのだろう、と思った。
そしてそれは既に現前していて、あたりまえのこころとして
社会のなかにあった。




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徳島の一頭のアザラシは、住民の快適な心象と生活に
役立つように、さまざまなかたちで消費された。
それを宣伝したのはジャーナリズムの力でもあった。
ジャーナリズムというものが標榜するのは
住民・国民に対する有益かつ公正な情報の提供を通して
その生活の充実と利便、快適さ、知的水準の向上を担い
社会全体に奉仕する、というものであろうから、
人間感情として不快に映るであろうものを報じずに
愛玩され快を与える話題をより多く取り上げたほうが
よい、という判断も働くことだろう。




となれば、感傷的に一頭の迷いアザラシの死に対して
花を手向けるほうが、
ドヤ街の路傍に窮死した路上生活者の死に酒を供えるよりも
美しいものに思われるのだろう。
そして、そうした報道に導かれてか、自ら進んでか知らずか、
60歳を超えた老人をして、アザラシの死を
「孫を亡くしたようだ」と語らせる世情となった。




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現代の交通死亡事故現場に花や地蔵が多く見られるように、
かつての東海道・中仙道をはじめ、各地の旧街道の峠には
数多くの地蔵や石仏、供養塔が残存している。
かつて、街道を行き交った旅人が行き倒れて死んでいた場所に、
地元の住民が供養のために据えたものだ。
そうした心情が、人々のこころからは薄らぎつつあるように
思われる。




西成の路上生活者が行き倒れた場所には、
ほんのわずかの花が、1、2日、支援者の手によって供えられる。
それもすぐに過ぎて、片付けられ、
何事も無く、そこが人間が死を迎えた場所であることを示す
何物も残らない。
葬礼も行われぬまま、無縁の供養塔に投げ込まれた彼らは、
確かに、人間として生まれ、生きていたはずだった。




しかし、彼らは、ほんとうに僕の中で人間だったのか。
ぼくは、彼らには何もしようとしなかった。
けれど、それが人間ではないか。
役に立とうと思う相手を特定するのが人間である。
誰かを守るために、誰かを殺すのが人間である。
それを引き受けてもなお、僕の胸はつかえたままで、
彼らの表情を失った顔の残像に、時折震える。





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おそらく、かの迷いアザラシは名誉町民でもあったそうだから、
町民合同葬が営まれ、町長が弔辞でも読むのだろう。
そして供養塔の一つでも立つのだろう。




その河原に住み着いたのが路上生活者であったなら、
事態はどうであったのだろうか。
僕には、知る由もない。




生命に価値があり、そこに優劣があるのなら、
それはいとも簡単に転覆することだけがわかった。
それは僕を含めた、人間に由来する。




嫌な心地がする。







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