白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

湘南散策

2009-09-23 | 日常、思うこと
今朝は思いのほか早く起きられたので、少し遠出を、と
思い立って、鎌倉を15年ぶりに訪れた。
本郷から東京駅、東海道線で大船経由、北鎌倉まで正味
1時間といったところか。





しかし残念なことに、僕は秋の彼岸、観光シーズン、
連休最終日という初期条件をことごとく見落していた。
円覚寺に入ろうとして、家族連れ、団体客、カップル、
女子友達連れの客に混じって、ひとり、ジャケット姿の
風采の上がらない齢30手前の男がいるのはどうにも
怪しいとでも思ったのか、拝観受付でおひとりですか、
と、何度も聞かれると、こちらもそりゃあ喧嘩になる。
まあ、東京駅ではカップルにせがまれて記念写真も撮り
感謝されていたから、まだ許せる気にもなったのだが、
あれでは少し、まずいのではないか。
そういえば品川に近いあたりで、後ろに座っていた客が
何かに苛立って椅子を蹴り嬌声をあげていたので
一喝してつまみ出したこともあり、そもそも今日は何か
悶着あるかな、とは予想してはいたのだけれども。
















円覚寺の舎利殿は季節限定の公開だという。
境内には思いのほかに外国人、それも欧米人の客が多い。
「虎」という字が筆書きされた帽子やら、「茫然」と
大書されたTシャツやらを着て歩いている。
昔、京都三条で「阿呆」と大書されたTシャツを着た、
アホそうな米人ヤンキーを見かけたことを思い出した。
北鎌倉から明月院へ向かう道には私設の小さなギャラリー、
プチレストランがあって、家並みもまだ整っているので
歩きやすい。















明月院には北条時頼の墓がある。
元寇を平定した執権時宗の父親に当たる。
その墓のあたりを、灰ブチ柄の猫がよそよそ歩いていた。
そいつと本当によく似た猫を、帰途、本郷で見かけたのは
別の話である。












京都五山と比較すると、鎌倉五山の俗化は激しいように
感じられる。
大徳寺、南禅寺、さらには祇園の真ん中にあるはずの
建仁寺でさえ、ここまでひどくはないように思う。
度重なる伽藍の焼失や立地の条件を割り引いても、
建長寺のように、寺内域をアスファルトで埋めるような
発想は、京都であればなかったろう。
建長寺とは禅宗の寺であるはずなのに、戒めも厳しく
あるはずなのに、観光客は仏堂の裏を影に、段に腰掛け
弁当を貪っている。
それも1人2人ではない。下手をすれば100人はいる。
餓鬼道の実践を見るのは心地の良いものではない。














神奈川県立近代美術館のコレクションを、鎌倉館、別館の
両方を観た。
別館は、三岸節子や山口薫の作品が特に目を引いた。
鎌倉館は、「麻生三郎コレクション」と題してあって、
案の定、行きかうひとの群れからは、太郎の弟か、との
いぶかしみの声が聞こえてきた。
コレクションの中で特に目を引いたのはモディリアーニの
リトグラフと、リルケの「マルテの手記」をモティーフに
ベン・シャーンが最晩年に残した版画集であって、
これらは一見の価値があるように思う。
それにしても、坂倉準三の建築は美しい。
上野のル・コルビュジェの西洋美術館には、実はかなりの
割合で、坂倉や前川國男が手を入れている。
ほぼ同様のコンセプトによって坂倉がひとりで手がけた
こちらの建築のほうに、洗練されたモダニズムの息吹を
よりいっそう感じるのは、なぜだろうか。




せっかくだからと八幡宮にも参拝して、さて、ごはん、と
思った僕が馬鹿だった。
相席を嫌う僕にとって、観光地で飯を食うことは最初から
絶望的である。
加えて、小町通りも若宮大路も人で溢れて身動きとれず、
いっそのこと藤沢へ抜けるか、と考えて乗った江ノ電は
すし詰め状態、極楽寺から稲村ケ崎を過ぎてもほとんど
乗客は減らず、かといって「陸サーファー」である僕が
ジャケット姿で砂浜に降りていけば、違和感際立って、
本物のサーファーに何をされるや分からない。
SLUM DUNKの事やら江ノ島の景勝やらを思うのも束の間
江ノ島駅でのあまりのひとの多さに下車を断念して、
おとなしく藤沢まで行ったはいいが、である。
藤沢など縁もゆかりもない。全く土地勘もない。
いったいここで何を食べればよいのか皆目見当もつかず、
ちょうど眼に入ったMの看板を見つけて、ハンバーガーを
詰め込んで、そのまま東海道線に乗り、疲れからか、
うとうととして、気がつけばもう、品川だった。









来週は宮城に缶詰、どぶろく漬けである。

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