白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

dizzy

2008-05-18 | 日常、思うこと
父が倒れた。





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5月とは、薫風の爽やかな快い時節であることに違いない。
新緑が泉のように湧き出でて、陽光はきらめきを増して
地に降り注ぐ。
そのような季節に、人間の細胞は冬の間抑えていた代謝の
活動を活性化する。
活力、生命力とともに、病も進める。
5月には、ひとがよく死ぬ。





僕の家族にとっては、5月という時節は、心の浮かぬ、不穏で
胸の騒ぐ季節である。
一族、親族、交遊のあるひとびとのなかに、死の向こう側へ
送り出さねばならぬひとが現れるのは、決まって5月なのだ。
僕を始点として挙げてみるだけでも、父方の祖父は5月30日、
母方の祖父は5月19日、母方の祖母の兄は5月1日に死んだ。
父方の祖母が転倒して硬膜下血腫を起こしたのは5月26日で、
親族の末期がんが判明したのも5月の初旬だった。





父にとっても、仕事上の最大のパートナーは5月7日に死に、
同僚の白血病が判明したのも5月だったという。





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この2年ほど、父のところには散発的な仕事が舞い込む程度、
まとまった大きな仕事が来るということがなくなってきた。
不況に伴う業界の構造の大きな変化がもたらした結果である。
もう疲れた、仕事はしたくない、と口では言いながら、
思うような仕事というものが出来ないジレンマや苦悩は
おそらく相当な心理的負担になってきたのだろう。





人間、創造力が最も充実するのは50代から60代初頭だと
いわれている。
絵画、建築、音楽、文学といった芸術分野において、傑作と
称されるもののなかから、上記に当てはまる事例を挙げれば、
それを音楽だけに限ってみても、バッハ「フーガの技法」、
ブルックナー「交響曲第8番」など、枚挙に暇がない。
そうした時期に、思うような仕事ができないというのは
おそらく当人にとっては切実な、時間の余儀なき廃棄とでも
呼べるものなのだろう。





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5月12日、久々に早く帰宅して家族で食卓を囲んだとき、
父には何の異変の予兆もなかった。
食事を終えたのち、父は頭がぼうっとするな、と言い、
ちょっと風に当たる、といって玄関へと赴いた。
大丈夫か、と声をかけながら父を追って玄関を出た目の前で
父は突然崩れ落ちた。





とっさに走り出て抱き抱えることが出来たおかげで、何とか
頭をコンクリートで強打してしまう事態は避けられたが、
呼吸が浅く、乱れている。
素早く脈を取り、異常がないことを確認した上で、母を呼んだ。
いきなり呼びつけたのでは、母まで動転してしまっただろう。
意識ははっきりしていて、言語の発話に淀みもなく、
頭痛も無いようだったことから、そのまま一旦抱き上げて
寝室に運び、寝かせることにした。





父を襲ったのは激しいめまいと耳鳴りのようだった。
声の弱弱しさと浅く不規則な呼吸がこれに追い打ちを掛けて
いるようだった。
少し落ち着いたところで血圧を測ってみたところ、
平時は140-80程度のものが、200-110という
状態になっていた。
めまいが一向に落ち着かず、起き上がることもままならない
様子であったことから、病院に搬送することにした。





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幸いにして、僕の自宅からわずか数十メートルのところに
入院設備を備えた救急病院が所在している。
すぐに電話をし、めまいのためにまともに立ち上がることも
歩くこともできなくなってしまっている父親を車に乗せ、
病院へ連れて行った。
入口に置かれた車いすに父を乗せて、診察室へと向かった。





CT撮影においても梗塞の所見は見当たらず、
心電図検査にも異常な波動は見られなかった。
何らかのきっかけによって血圧が急上昇したことで、
発作的な器質異常が起こったのではないか、ということだった。
メニエルの可能性を指摘されたが、当分は経過観察として、
異常があれば、長期的な内科的治療を行うこととなった。





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血圧が十分に下がり、症状も安定したことから、
父は退院してきて、今は普通に家族と食事をしている。
そうはいうものの、目の前で倒れる姿を見ているものだから、
こちらとしても心配が続いている。





またしても、5月なのだ。
僕が大発作を起こして病を再発したのも、2年前の5月5日、
阪急宝塚線蛍池駅付近でのことだった。
最近、仕事中にめまいや呼吸の異常を感じる事がある。
疲れないように、というのは業務の質、量からして不可能、
せめて、疲れすぎないように、と思う。





平穏と無事をまごころから祈ること以外に、仕様がない。
明日は、母方の祖父が死んでちょうど21年となる。
祈ること、それだけだ。





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庭の蔓薔薇が、ようやく咲き始めた。
明後日、キース・ジャレットのコンサートを聴きに、大阪へ。


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