白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

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2008-12-23 | 日常、思うこと
12月22日午前8時起床、うがい手水に身を清めたのち
仕事のため霞が関へ赴き、15時過ぎまでを過ごしてから
ホテルに戻り、書きものをしてから、休息。





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17時30分、半蔵門の駅に向かおうとして、天候酷くて
引き返したくなった。
深更から20℃近い温度で推移していた東京の陽気は、
昼過ぎを境に急変して、身を突き刺すような凍えた風と雨、
5℃ほどにまで気温が下がっていた。
気候の影響か列車も遅れており、乗り込んだ列車は混んで
駅に着くたびに身を錐揉みにされる。
青山一丁目から表参道に至って混雑は一層ひどくなり、
革靴を足で踏まれ、鞄に他人の濡れ傘が接触するたびに
苛立ちばかりが募る。





渋谷の駅の混雑は一層酷く、通路の床も濡れに濡れて、
革底の靴には悪しきことこの上ない。
這々の体でハチ公口へと昇り、待ち合わせた友人に会い
そのまま南下、雨酷く喫茶もなく、
仕方なしに歩道橋を渡った先のすき家に入り、
軽く食事をとってから、渋谷アピアへと進んだ。





アピアには、既に友川かずきを聴こうとする熱心な層が
集っていて、奥のテーブルで友川氏がすでに飲んでいた。
50人も入れば満杯の小さなライブハウスである。
オレンジと青の、薄暗い照明に照らされた空間には、
絵画やチベットホルン、十字架や布の切れ端の装飾が
施されていて、
正面舞台には調律のおかしなピアノやドラムが所狭く
並んでいた。





ビールを飲みながら待つこと数十分、19時を大きく
回ったころ、友川氏はじめとするバンドの3名が登壇、
演奏がおもむろに始まった。
体調の悪さによるものか、いささか集中を欠いていて
演奏自体が全体的に散漫であった印象は拭えない。
かつて大島渚を魅了し、「戦場のメリークリスマス」に
主演をさせようとしたほどの美貌であった友川氏も、
来年には59歳となる。
友川氏の髪は白くなり、以前より浮腫んでいるようで、
さながら細野晴臣のような風貌であった。
酒は、演奏のガソリンではなく、ただの酔いを運んで
友川氏の胃袋に流れ込んでいるようだった。





しかし、第1部の「桑名の駅」や、第2部後半の演奏は
あの、「見てはいけない、触れてはいけない音」であり、
とりわけ中原中也の詩に曲を付けた「桑名の駅」は、
僕の故郷であるがゆえの感慨ばかりでなく、
友川氏の声、歌が、風のようにこの身を巻くのを感じ、
駅に立つ自身の影像が寒々と見えるようで、慄いた。





友川氏が贈ってくれたのだな、と、勝手に解釈をして、
感謝をした。
中原中也の詩による「サーカス」をもって、22時終演。
終演後、友人と新橋に出て、ぽつり、ぽつり、と話し、
嫁さんを大事に、と言いながら、飲んだ。





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12月23日午前8時起床、うがい手水に身を清めてのち
チェックアウト、少し散策をしようと濠端へ出ると、
半蔵門、桜田門から皇居前広場の付近は、天皇誕生日の
一般参賀に伴う警備体制が敷かれていて、物々しい。
仕方なく、地下鉄で渋谷に出、さらに京王線に乗り換えて
吉祥寺に出、井の頭公園をぐるりと歩いた。
本当はもうひとり、声を掛けようと思っていたのだが、
代々木の競技場での仕事を知っていたので、遠慮をした。





吉祥寺の一風堂で昼食を取り、商店街付近を歩いたのちに
渋谷に戻り、山手線をぐるりと回り、品川から、
13時37分発のぞみ33号9-8Aにて、帰着。





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亡びたる過去のすべてに
涙湧く。
城の塀乾きたり
風の吹く



草靡く
丘を越え、野を渉り
憩ひなき
白き天使のみえ来ずや



あはれわれ死なんと欲す、
あはれわれ生きむと欲す
あはれわれ、亡びたる過去のすべてに



涙湧く。
み空の方より
風の吹く

            (中原中也「心象」抜粋)











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