
自分のこころが枯渇してひび割れはじめていることに
きがつきました。
助けてくれ、と奥底から叫んでいても、
誰かが自分の音を音楽だと認めてくれなければ
それが音楽ではないように、
誰かが自分の声をこころだと認めなければ
それはこころではない。
助けてくれ、と叫んでも、誰にも届かないのなら
仕方がないのですね。
この2カ月ほどの日跨ぎ近い仕事によって
蓄積した心身の疲労を癒やすこともないまま、
ほとんどピアノを弾く事も無くなって
動かなくなった指を、
眠れぬ夜半、中空に彷徨わせたときに感じた
どうしようもない狂おしさと、虚無感のなかに
はじめて、自分のこころが枯渇してひび割れているのに
気がついたのです。
音楽も文学にも触れぬ日々が続く。
こころを分け与えるうち、こころが無くなって
しまったからなのでしょうか。
人間は、存在の承認の実感を必要とします。
それは、自分でも他人でも出来る。
それが、自他共に難しくなってしまっている。
沈みいくようにみえるもののために
身をすり減らしてでも手を伸ばして
ありったけのこころで引き揚げようとしたのに、
するり、とそれをかわすように
浮上されてしまって、
あとは、心身の疲労と虚無、無力、
自己の生そのものの否定観に引き裂かれるばかり。
自分が幸せになるために近づいてきて、
こころを裂け与えてもらっては去っていくひとの
あまりの多さに、
疲れました。
甘言のみが人を助けるのではないのに、
甘言ばかりをもとめるひとが多すぎる。
ひとを傷つけるかもしれない言葉を述べるときには
それをわが身にも引き受けなければならない。
絆が断ち切られるかわり、傷だけが僕のほうに残る。
それでも、屍に群がる蛆のために、
僕はまだ食い破られなければならないのでしょうか。
あなたの幸福のために捧げられたこころを
何らの罪の意識も感じずに踏みにじって捨て去って、
遠くで無邪気に幸せに酔い痴れて、
こちらを顧みることもないのなら、
はじめから愛さなかったほうがよかったと思うのです。
こころを砕くことが出来なくなるばかりでなく
愛することも出来なくなってしまうほどに疲れた僕には
幸せになってはいけないという思い、
やはりひとなど信じ、愛するべきではなかったという思い、
おそろしくがらんどうで何者にも動かないこころ、
叫んでも誰もいないという恐ろしい孤独しかありません。
誰もいない、ということは、僕がいない、ということです。
聴く人のいない音を辛うじて支えてきた僕がいないなら
僕からは音楽も失われたということです。
言葉が届かぬなら言葉も失われたということ。
どこにもいない。
******************************************
声にして、ことばにしてみたのだけれど、
やはり、誰もいないようでした。
誰もいない、ということは、
誰も聴くもののない僕の音は音楽ではなく、
誰も聞くことのない僕のことばはこころではなく、
僕には音もこころもない、ということであって、
それは僕がいなくても何ら問題もないということで、
既に死んでいるのと同じ、ということです。
きがつきました。
助けてくれ、と奥底から叫んでいても、
誰かが自分の音を音楽だと認めてくれなければ
それが音楽ではないように、
誰かが自分の声をこころだと認めなければ
それはこころではない。
助けてくれ、と叫んでも、誰にも届かないのなら
仕方がないのですね。
この2カ月ほどの日跨ぎ近い仕事によって
蓄積した心身の疲労を癒やすこともないまま、
ほとんどピアノを弾く事も無くなって
動かなくなった指を、
眠れぬ夜半、中空に彷徨わせたときに感じた
どうしようもない狂おしさと、虚無感のなかに
はじめて、自分のこころが枯渇してひび割れているのに
気がついたのです。
音楽も文学にも触れぬ日々が続く。
こころを分け与えるうち、こころが無くなって
しまったからなのでしょうか。
人間は、存在の承認の実感を必要とします。
それは、自分でも他人でも出来る。
それが、自他共に難しくなってしまっている。
沈みいくようにみえるもののために
身をすり減らしてでも手を伸ばして
ありったけのこころで引き揚げようとしたのに、
するり、とそれをかわすように
浮上されてしまって、
あとは、心身の疲労と虚無、無力、
自己の生そのものの否定観に引き裂かれるばかり。
自分が幸せになるために近づいてきて、
こころを裂け与えてもらっては去っていくひとの
あまりの多さに、
疲れました。
甘言のみが人を助けるのではないのに、
甘言ばかりをもとめるひとが多すぎる。
ひとを傷つけるかもしれない言葉を述べるときには
それをわが身にも引き受けなければならない。
絆が断ち切られるかわり、傷だけが僕のほうに残る。
それでも、屍に群がる蛆のために、
僕はまだ食い破られなければならないのでしょうか。
あなたの幸福のために捧げられたこころを
何らの罪の意識も感じずに踏みにじって捨て去って、
遠くで無邪気に幸せに酔い痴れて、
こちらを顧みることもないのなら、
はじめから愛さなかったほうがよかったと思うのです。
こころを砕くことが出来なくなるばかりでなく
愛することも出来なくなってしまうほどに疲れた僕には
幸せになってはいけないという思い、
やはりひとなど信じ、愛するべきではなかったという思い、
おそろしくがらんどうで何者にも動かないこころ、
叫んでも誰もいないという恐ろしい孤独しかありません。
誰もいない、ということは、僕がいない、ということです。
聴く人のいない音を辛うじて支えてきた僕がいないなら
僕からは音楽も失われたということです。
言葉が届かぬなら言葉も失われたということ。
どこにもいない。
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声にして、ことばにしてみたのだけれど、
やはり、誰もいないようでした。
誰もいない、ということは、
誰も聴くもののない僕の音は音楽ではなく、
誰も聞くことのない僕のことばはこころではなく、
僕には音もこころもない、ということであって、
それは僕がいなくても何ら問題もないということで、
既に死んでいるのと同じ、ということです。
私にはこの文章が悲鳴のように聞こえたのですが、大丈夫ですか?
実際悲鳴なのだと思いますが、とりあえず文章を読んで何かを感じてる人間はここにひとりいます。
lanonymatさんが潰れてしまいそうでとても心配です。
面識があるとか無いとかそんなの関係無しに心配。
どうか、心を休める時間が取れますように。
気休めにもならないかもしれませんが、お祈りしてます。
ちょっとばかり。
ひとを思うということは大変ですね。
低空飛行ですが無事ではあります。
ありがとう。