白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

再発

2006-05-07 | 日常、思うこと
昨日の午後7時頃までは、ここに何を書こうかと思って
いろいろなことを思い返していたのです。




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この半月の激務ぶりや、巻き込まれたトラブルや、
連休中のさまざまや。
仕事場でのさまざまな快不快・思いなど。




大阪入りしてからのさまざま。
僕を囲む会を10人以上の後輩たちが開いてくれ、
延べ半日近く、ひたむきさや懸命さに向かい合ったこと。




再開したプロジェクトの練習のこと。
接点もあれば、軋轢もあって、それでもなお
僕の人格をどれほど嫌いであっても、僕の音を
必要としてくれるという言葉をもらえたこと。
互いが音を探り合ううちに、ひとりでに互いの音が
互いの音を呼び込み始め、時間がひとりでに生まれて
滴り落ちていったこと。





難病のために入院している後輩と5時間ほど
いろいろと話をしたこと。
病気のために様々なことをあきらめなければならず、
絶食のために物の味を忘れてしまったという彼の姿に
涙が出そうにもなり、
話を聴いているうちに彼の症状を思いはかりすぎたのか
腹痛にもなったりしながら、
体調が戻れば、一緒に彼の食べたいものを食べに行き、
いろんなところに連れて行ってあげる約束をしたこと。





二度と会うこともないだろうと思っていたひとに
必要とされて、
音楽の将来のことを話したこと。
あなたが死ねば、あなたの音楽も終わるけれど、
どこかにはまだ鳥の声が残っていて、鼻歌を歌うひとが
いるのならば、あなたが聴きたかった音がどこかで
鳴り響くかもしれないこと。
それに、あなたが出会えないだけの話であって、
あなたの知らないところで、かかわりのないところでも
音楽は生まれて消えていくのだ、ということ、
そうしたことを話しながら、
半野的音響やらキース・ジャレット、リッチー・バイラーク、
チック・コリアの奏法を解説して、
一緒に煙草をすいながら、あたたかで時に下品な時間を
すごしたこと。




後輩たちの練習に居合わせて、さまざまなヒントを提示しつつ
音楽をつくろうとしたこと。




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そんなことを思い返しながら、阪急電車で梅田に向かった
ちょうどそのとき、
蛍池付近の電車内で発作を起こしました。
豊中駅で休み、その後庄内、十三で休み、
症状が治まるのを待ったのですが、
激しい動悸と全身の痺れ、舌のもつれが治まらず、
とうとう歩けなくなってしまったので
高槻に住んでいる妹を呼び出して迎えにきてもらい、
妹の家で休んだ後、
深夜、両親が地元から迎えに来てくれたので、そのまま
車でこちらに戻りました。




本人はリラックスするつもりで大阪にきていたし
実際にそういう気持ちでもいたのですが、
心身には相当の疲労が蓄積していたようです。




誰かのために力になろうとしても、
僕のキャパシティは知れているようです。
無理は出来ないということがよくわかりました。




発作を起こしたことについては書こうか書くまいか
考えたのですが、書いておくことにしました。
心配かけるのは明白なのですが、説明責任です。




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ぼくはすべてを引き受ける傾向にありすぎるせいか、
たくさんの相談を受けることはあれ、
相談相手というものやほんとうに楽になれる相手が
いないようで、
つまりほんとうに息抜きの出来る場所というものがないし、
受け止めるものが多いときにでも、気軽にそれを手伝って
もらえるひとがいないために、
結局自分で全てを背負い込んで疲れてしまうようです。
自業自得なのでしょうが、




恐れていた病気の再発が現実に起きたことで、
ショックではあります。
週明けに病院にいくつもりではありますが、
前回のような休職だけは避けたいもんです。




まったくもう、こんなときに。
でもまあ、業のようなものですから、仕方ない。
体調管理に務めます。




あなたたちのせいじゃない。
ぼくのせいでもない。



そういう身体なんです。
気長に付き合っていかないとねえ。





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