白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

休符上のフェルマータのように

2006-09-25 | こころについて、思うこと
ゲーテ「ウェルテル」を読みかえして
ヘンレ版のパルティータの楽譜を開き
第6番のトッカータを指に映したとき





終わった、と口にしたまま
がくり、とうなだれて動けなくなった
やがて 自分が自分でなくなり
離脱していくような感覚に
全身がこわばり
どうしていいかわからなくなり
虚脱したまま 奇行への衝動に苛まれたまま





嵐が過ぎ去るのを待った
3時間がたっていた





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大学時代には ウェルテルに関する読解論争から
別離を経験したこともあった
拒食に陥って 質量の6分の1を
たった3ヶ月で失ったこともあった





自分の音に納得がいかず
練習室の一切合財を蹴り倒し
練習の邪魔だからと 他サークルの人員に
ドラムスティックを投げつけ
言いがかりをつけてきた外人をしばいたり
暴れ散らしていたのに いつのまにか
こころに巣食った魔は こころに住む猛獣をも
殺してしまった




ドストエフスキーについて、埴谷について、
即興について、音について語った友も
もはや遠い




かさぶたに覆われた醜い心臓を
これが人間だと平然と言い放てるようになった




このような言葉を書き連ねていると
あまりの陳腐と虚飾と欺瞞に
バカらしくなって
おもわず噴出しそうにもなるようになった




デパス・パキシルは
ぼくのなかから躁鬱伸縮と情緒振幅を奪い
創造的感性を鈍くしている




阿部薫の血みどろの音も いまは
ぼくの亀裂を亀裂として納得させてしまい
巨大な深遠への慄然を喚起せしめない




終わってしまったように思えて
パルティータを弾けなくなった




ぼくのなかで いま
音楽が終わろうとしているのだろうか




それはきっと 僕の音を聴く誰かが
判断してくれるはずだ
その誰かは どこにもいない





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