白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

音の雲

2008-03-09 | こころについて、思うこと
空一面の音の雲
圧殺するような 鈍重な 鉛の
原爆の霞のような雲
それは午睡する漆黒の森を捻じ曲げる風渡りの鬼の腕
灰暗の雲

「光が群れ群れて重なり合い
そのために暗くさえ感じられる
純粋な 自己矛盾 昏さ」

             (リルケ)

掴み取ろうにも
指はすでにちりちりと風化してしまっているではないか





遮光
射光
地表を穿つその巨大な錐が
この皮膚と心の
分厚い外殻を割り破ってくれることを祈った
パウルクレーの天使線描形に罅割れてくれはしないかと





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応答なし
はるか以前から 呼びかう声に 僕の名はない





薔薇に指差して死んだリルケのように

「二つの目を消されても あなたを見
耳をつぶされても あなたを聴き
足をなくされても あなたへ向かう
口をなくされても あなたを呼ぶ
両手を折られても あなたを抱く」







あるいはデリダのように

「私が君を私の愛する人と呼ぶとき
私は君のことを呼んでいるのだろうか
それとも、君に「私の愛」と呼んでいるのだろうか
また、私が君に私の愛(する人)といっているとき
私は君に私の愛を告白しているのだろうか
それとも君が私の愛だといっているのだろうか」







それを問うべき、あなたの不在
だれからのよびかけもなく
牧童のように閉じられていく





応答なし
はるか以前から 呼びかう声に 僕の名はない





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暗渠のなかで始めることすらも出来ないのだ





誰かを呼ぶ声は 
永劫 呪文であり続けることだろう
名が存在を呼び起こすものだと知ってから行った企ては
そのことごとくが打ち砕かれた





ピアノを弾く
ピアノに弾かれる
音を弾く
音に弾かれる





ピアノを呼ぶ
音を呼ぶ
あなたを呼ぶ





ピアノを弾く指が
誰かの身体を弾くことはもうないだろう
ひかれる はじかれる は
日本語では 同じ字で書く





あいまいな音感を 50音に補正して
小説を逆さから読むように
あたりまえのことを当たり前のものとして語ろうとして
あらゆるものが転倒して乱舞した





生まれようとするものが
生まれてからあろうとして欲するあり方が
炭化し始めていることを知って
幼児の振る舞いに
純粋な美を見出して
もういちどやってごらん、と声を掛けて
幼児の純潔を奪い 作為のわなに囚え
意識にのぼせることをしないがゆえに出来ていたことを
不能とした





故郷を捨てた人間に
故郷はどこまでもつめたく凍っているのだ
罪の報いだ





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そろそろ、心の仕事を終わることにしよう
オフィーリアを飲む花々の淵から覗いている
宇宙の裏側で
青い墨でもって篆刻された骨が
螺旋を描いて上昇しているようだ
僕が階段だと思って踏みつけてきた
その一段一段は
無数の始源の痕跡で出来た棺の群れであった





「貧困な灰色の隠れ家に守られて
それで安心だと思うのか?」





空砲が轟く
誰も消せないのなら
爆発を待つか





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願いの通り、心臓の辺りに穴が穿たれたらしい
僕の外殻を充填していた肉が皮膚から乖離して
その暗黒へと陥落していくように感じる
驚くほど空虚な熱が胸腔に逆巻いている

「外殻だけのものが作られる
そしてそれらの外殻は
その内部から行為が成長して
それが限定の仕方を変えると
やすやすとこわれてしまう」

                (リルケ)

外殻を打ち破らぬうちに瓦解する肉、充填材
違う
そうじゃない
助けて





発条は逆巻くことはない





自らの内側で
何かを変えよう、としてつくられるものは
おしなべて 時限爆弾のようなもので
それを志すものの動機は
小説家音楽家革命者のいずれにあっても同じくあり
世の中に投げつけて 不発のもの
爆発するものもあれば
世の中に投げる前に 自分自身の中で
爆発してしまうものもある





自分自身だけで行う爆死ならば
誰にも迷惑を掛けずにすむ
それは狂気が自己完結するときに行われる
ひそやかな爆死





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蔓草の茂る一面の平原のなか
青白く微光する石のそばで
抜け殻の蛍がそれでも羽撃いている
櫻色の春霞は 凝集して星雲の焔となり
逆巻く灼熱となって楽盤を焼き尽くし始めるだろう





そろそろ、心の仕事を終わることにしよう
無数の始源の痕跡で出来た棺の群れのなかに
僕の影はもう片足を突っ込んでしまっている
灰暗の雲は月光を覆ってしまった





応答なし
はるか以前から 呼びかう声に 僕の名はない







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