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白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

眼を鞄に入れて

2009-03-17 | 日常、思うこと
午前9時発のぞみ214号6-2Eに座る。
窓越しに流れる、春霞、ぼんやり温くてどこか緩んだ
工場の煙突の垂直、竹林の撓り、家並の切妻、
そして、遮るもののひとつもなく、
6合目までを雪に覆った富士の高嶺が、
くすんだ晴れ空を背に聳えるのを眺め見ているうちに、
うつらうつらとしてしまって、気がつけば、既に新橋、
大急ぎでコートを着て、午前10時43分、東京着。





八重洲口から日本橋方面に歩いて数分、
オフィスビルの1フロアを占める、4月からの勤務先へ
事前の挨拶のために訪問し、
理事長、専務、部長職等の役職者と1時間ほど歓談のあと
そのまま寿司店に行き、昼食。





丁重な謝意を伝えて席を辞したのち、今後2年間の住まいの
賃貸契約を締結するため、地下鉄東西線で一路中野へ移動、
中野ブロードウェイという場所を初めて訪れ、
まんだらけには目もくれずに、アンティークウォッチ専門店を
はしごして時間をやり過ごしたあと、
不動産会社を訪問。





宅建業法第35条に基づく重要事項説明を受けながら、
建物登記の履歴事項の複写を求めたり、延滞利息14.6%の
根拠法令は利息制限法か消費者契約法かどちらか、と問うたり、
広告でSRCとなっていたのに重要事項説明ではRCだというが
どちらが正当か、不実告知かつ虚偽広告ではないか、
云々のやりとりがあったものの、
SRCに間違いないことを建物登記で確認し、
契約書・重要事項説明書を訂正させ、重要事項説明をもう一度
行わせた上で、契約を締結。





部屋の採寸をしておくべく、不動産会社から物件の鍵を借り、
中野から東西線に乗り、
飯田橋での予想外の長大な乗り換え距離を経験してから
都営大江戸線に乗り換え、本郷三丁目で降り、
徒歩数分、まだリフォーム・クリーニングもされていない
入居予定の部屋に足を踏み入れ、
部屋を構成するあらゆるxyz軸の寸法をメジャーで測定し、
あわせて備品類の整備状況を念入りに調べた。





採寸に1時間をかけたあと、本郷からお茶の水まで歩き、
中央線で再び中野に戻って不動産会社に鍵を戻したあと、
今度は東京駅へと折り返して、17時50分発のぞみ123号
16-7Aに座り、
鯖寿司とプレミアムモルツを品川までに腹に収めて、眠くなり
気がつけば左にレインボーホール、大慌てでコートを着て
19時33分に名古屋着。





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今回の出向先は、「自分で仕事をつくる」職場だそうで、
特にフィールドワークを重視するようである。
理に傾き、実を知らぬことを最も恐れるのだという。
そのため、部署によっては全国各地のみならず、
欧州、アメリカへ出張することもあるそうだ。
また、昼間の時間は比較的ゆったりと流れ、
アフター5の各所とのコネクション形成も活発だという。
むろん、ルーティンワークに属する実務もあるのだが、
実際には「遊学」に近いのではないかという印象である。





本郷は、本郷通り・春日通り・消防署近辺を外れれば、
壱岐坂、菊坂のあたりは交通量も多くない。
坂は多いが、住環境としてはとても閑静である。
ふとしたところに、文士の旧跡がある。
古くからの商店街が残り、書店、コンビニも多く、
スーパーが少ないことを除けば、普段の買い物などの
生活には全く不便がないようだ。
飲食店も、安価なチェーン店から専門店まで数多く、
バラエティに富んでいる。
大阪大学に通っていた頃、下手に郊外に住むよりも、
学生街に住んだ方がずっと便利で安楽だと知ったから、
今回の居住地の選択は、正解だったのではなかろうか。





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先日、出張で三重県庁に向かっていた時、
河芸付近の下り線の交差点に、妙な看板を見つけた。
通常ならば、参拝しようとする者に所在地を知らせるべく
派手な鳥居や看板を設けて、利益宣伝しようものであるが
その神社に限って、立て看板1mほど、随分控えめである。
立て看板の横にはこれも控えめな大きさ、看板と同じほどの
石柱が立っていて、参道入り口を示している。
ところが、そこに毛筆体で書かれ刻まれた文字を見た僕は
思わず眼を疑うとともに、冗談だろう、嘘だろう、という
不謹慎な思いを、どうにも抑えがたくなってしまった。





看板には、「痔神大明神」と書かれてあり、
石柱には、「痔神参道」と彫られていたのである。





いったいどうした縁起で、このような神社が出来たのだろう。
おそらくは、かつて「地の神」=「地神」であったものが、
いつしか土地のひとの洒落、あるいは思いつきで「痔神」と
なったものであろうか。
みうらじゅんあたりが大喜びするような神社である。
全国的に大々的にPRすればひとがもっと集まりそうなものを、
ヒサヤ大黒堂の新聞広告に「秘密厳守」とあったように
痔は、ひとに言うのが今なお憚られる病であるのだろうか、
仮にも畏き大明神様であらせられるにもかかわらず、
津市観光協会のHPにおいても大きく取り上げられてはいない。
看板、石柱の大きさが思いのほかに小さいのも、
そのように考えれば合点がいくのではあるのだが、
その字面から受ける衝撃たるや、相当なものがある。





数少ない情報をもとに整理すると、痔に苦しむものは、
絞りの手拭いに自らの住所氏名を記し、
この痔神神社の境内の一角に結び、快癒を祈るそうである。
そうすると、痔神大明神様が痔を治してくれるのだという。
つまり、痔神神社の境内には、痔の病を持つ者に関する
膨大な個人情報データベースが構築されていることになる。
僕は思わず、参道を控えめに、やや内またで歩くひとびとの
姿を妄想してしまった。





痔を病んだときは、僕も内またで参詣することになるだろう。






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