
午前9時発のぞみ214号6-2Eに座る。
窓越しに流れる、春霞、ぼんやり温くてどこか緩んだ
工場の煙突の垂直、竹林の撓り、家並の切妻、
そして、遮るもののひとつもなく、
6合目までを雪に覆った富士の高嶺が、
くすんだ晴れ空を背に聳えるのを眺め見ているうちに、
うつらうつらとしてしまって、気がつけば、既に新橋、
大急ぎでコートを着て、午前10時43分、東京着。
八重洲口から日本橋方面に歩いて数分、
オフィスビルの1フロアを占める、4月からの勤務先へ
事前の挨拶のために訪問し、
理事長、専務、部長職等の役職者と1時間ほど歓談のあと
そのまま寿司店に行き、昼食。
丁重な謝意を伝えて席を辞したのち、今後2年間の住まいの
賃貸契約を締結するため、地下鉄東西線で一路中野へ移動、
中野ブロードウェイという場所を初めて訪れ、
まんだらけには目もくれずに、アンティークウォッチ専門店を
はしごして時間をやり過ごしたあと、
不動産会社を訪問。
宅建業法第35条に基づく重要事項説明を受けながら、
建物登記の履歴事項の複写を求めたり、延滞利息14.6%の
根拠法令は利息制限法か消費者契約法かどちらか、と問うたり、
広告でSRCとなっていたのに重要事項説明ではRCだというが
どちらが正当か、不実告知かつ虚偽広告ではないか、
云々のやりとりがあったものの、
SRCに間違いないことを建物登記で確認し、
契約書・重要事項説明書を訂正させ、重要事項説明をもう一度
行わせた上で、契約を締結。
部屋の採寸をしておくべく、不動産会社から物件の鍵を借り、
中野から東西線に乗り、
飯田橋での予想外の長大な乗り換え距離を経験してから
都営大江戸線に乗り換え、本郷三丁目で降り、
徒歩数分、まだリフォーム・クリーニングもされていない
入居予定の部屋に足を踏み入れ、
部屋を構成するあらゆるxyz軸の寸法をメジャーで測定し、
あわせて備品類の整備状況を念入りに調べた。
採寸に1時間をかけたあと、本郷からお茶の水まで歩き、
中央線で再び中野に戻って不動産会社に鍵を戻したあと、
今度は東京駅へと折り返して、17時50分発のぞみ123号
16-7Aに座り、
鯖寿司とプレミアムモルツを品川までに腹に収めて、眠くなり
気がつけば左にレインボーホール、大慌てでコートを着て
19時33分に名古屋着。
****************************
今回の出向先は、「自分で仕事をつくる」職場だそうで、
特にフィールドワークを重視するようである。
理に傾き、実を知らぬことを最も恐れるのだという。
そのため、部署によっては全国各地のみならず、
欧州、アメリカへ出張することもあるそうだ。
また、昼間の時間は比較的ゆったりと流れ、
アフター5の各所とのコネクション形成も活発だという。
むろん、ルーティンワークに属する実務もあるのだが、
実際には「遊学」に近いのではないかという印象である。
本郷は、本郷通り・春日通り・消防署近辺を外れれば、
壱岐坂、菊坂のあたりは交通量も多くない。
坂は多いが、住環境としてはとても閑静である。
ふとしたところに、文士の旧跡がある。
古くからの商店街が残り、書店、コンビニも多く、
スーパーが少ないことを除けば、普段の買い物などの
生活には全く不便がないようだ。
飲食店も、安価なチェーン店から専門店まで数多く、
バラエティに富んでいる。
大阪大学に通っていた頃、下手に郊外に住むよりも、
学生街に住んだ方がずっと便利で安楽だと知ったから、
今回の居住地の選択は、正解だったのではなかろうか。
****************************
先日、出張で三重県庁に向かっていた時、
河芸付近の下り線の交差点に、妙な看板を見つけた。
通常ならば、参拝しようとする者に所在地を知らせるべく
派手な鳥居や看板を設けて、利益宣伝しようものであるが
その神社に限って、立て看板1mほど、随分控えめである。
立て看板の横にはこれも控えめな大きさ、看板と同じほどの
石柱が立っていて、参道入り口を示している。
ところが、そこに毛筆体で書かれ刻まれた文字を見た僕は
思わず眼を疑うとともに、冗談だろう、嘘だろう、という
不謹慎な思いを、どうにも抑えがたくなってしまった。
看板には、「痔神大明神」と書かれてあり、
石柱には、「痔神参道」と彫られていたのである。
いったいどうした縁起で、このような神社が出来たのだろう。
おそらくは、かつて「地の神」=「地神」であったものが、
いつしか土地のひとの洒落、あるいは思いつきで「痔神」と
なったものであろうか。
みうらじゅんあたりが大喜びするような神社である。
全国的に大々的にPRすればひとがもっと集まりそうなものを、
ヒサヤ大黒堂の新聞広告に「秘密厳守」とあったように
痔は、ひとに言うのが今なお憚られる病であるのだろうか、
仮にも畏き大明神様であらせられるにもかかわらず、
津市観光協会のHPにおいても大きく取り上げられてはいない。
看板、石柱の大きさが思いのほかに小さいのも、
そのように考えれば合点がいくのではあるのだが、
その字面から受ける衝撃たるや、相当なものがある。
数少ない情報をもとに整理すると、痔に苦しむものは、
絞りの手拭いに自らの住所氏名を記し、
この痔神神社の境内の一角に結び、快癒を祈るそうである。
そうすると、痔神大明神様が痔を治してくれるのだという。
つまり、痔神神社の境内には、痔の病を持つ者に関する
膨大な個人情報データベースが構築されていることになる。
僕は思わず、参道を控えめに、やや内またで歩くひとびとの
姿を妄想してしまった。
痔を病んだときは、僕も内またで参詣することになるだろう。
窓越しに流れる、春霞、ぼんやり温くてどこか緩んだ
工場の煙突の垂直、竹林の撓り、家並の切妻、
そして、遮るもののひとつもなく、
6合目までを雪に覆った富士の高嶺が、
くすんだ晴れ空を背に聳えるのを眺め見ているうちに、
うつらうつらとしてしまって、気がつけば、既に新橋、
大急ぎでコートを着て、午前10時43分、東京着。
八重洲口から日本橋方面に歩いて数分、
オフィスビルの1フロアを占める、4月からの勤務先へ
事前の挨拶のために訪問し、
理事長、専務、部長職等の役職者と1時間ほど歓談のあと
そのまま寿司店に行き、昼食。
丁重な謝意を伝えて席を辞したのち、今後2年間の住まいの
賃貸契約を締結するため、地下鉄東西線で一路中野へ移動、
中野ブロードウェイという場所を初めて訪れ、
まんだらけには目もくれずに、アンティークウォッチ専門店を
はしごして時間をやり過ごしたあと、
不動産会社を訪問。
宅建業法第35条に基づく重要事項説明を受けながら、
建物登記の履歴事項の複写を求めたり、延滞利息14.6%の
根拠法令は利息制限法か消費者契約法かどちらか、と問うたり、
広告でSRCとなっていたのに重要事項説明ではRCだというが
どちらが正当か、不実告知かつ虚偽広告ではないか、
云々のやりとりがあったものの、
SRCに間違いないことを建物登記で確認し、
契約書・重要事項説明書を訂正させ、重要事項説明をもう一度
行わせた上で、契約を締結。
部屋の採寸をしておくべく、不動産会社から物件の鍵を借り、
中野から東西線に乗り、
飯田橋での予想外の長大な乗り換え距離を経験してから
都営大江戸線に乗り換え、本郷三丁目で降り、
徒歩数分、まだリフォーム・クリーニングもされていない
入居予定の部屋に足を踏み入れ、
部屋を構成するあらゆるxyz軸の寸法をメジャーで測定し、
あわせて備品類の整備状況を念入りに調べた。
採寸に1時間をかけたあと、本郷からお茶の水まで歩き、
中央線で再び中野に戻って不動産会社に鍵を戻したあと、
今度は東京駅へと折り返して、17時50分発のぞみ123号
16-7Aに座り、
鯖寿司とプレミアムモルツを品川までに腹に収めて、眠くなり
気がつけば左にレインボーホール、大慌てでコートを着て
19時33分に名古屋着。
****************************
今回の出向先は、「自分で仕事をつくる」職場だそうで、
特にフィールドワークを重視するようである。
理に傾き、実を知らぬことを最も恐れるのだという。
そのため、部署によっては全国各地のみならず、
欧州、アメリカへ出張することもあるそうだ。
また、昼間の時間は比較的ゆったりと流れ、
アフター5の各所とのコネクション形成も活発だという。
むろん、ルーティンワークに属する実務もあるのだが、
実際には「遊学」に近いのではないかという印象である。
本郷は、本郷通り・春日通り・消防署近辺を外れれば、
壱岐坂、菊坂のあたりは交通量も多くない。
坂は多いが、住環境としてはとても閑静である。
ふとしたところに、文士の旧跡がある。
古くからの商店街が残り、書店、コンビニも多く、
スーパーが少ないことを除けば、普段の買い物などの
生活には全く不便がないようだ。
飲食店も、安価なチェーン店から専門店まで数多く、
バラエティに富んでいる。
大阪大学に通っていた頃、下手に郊外に住むよりも、
学生街に住んだ方がずっと便利で安楽だと知ったから、
今回の居住地の選択は、正解だったのではなかろうか。
****************************
先日、出張で三重県庁に向かっていた時、
河芸付近の下り線の交差点に、妙な看板を見つけた。
通常ならば、参拝しようとする者に所在地を知らせるべく
派手な鳥居や看板を設けて、利益宣伝しようものであるが
その神社に限って、立て看板1mほど、随分控えめである。
立て看板の横にはこれも控えめな大きさ、看板と同じほどの
石柱が立っていて、参道入り口を示している。
ところが、そこに毛筆体で書かれ刻まれた文字を見た僕は
思わず眼を疑うとともに、冗談だろう、嘘だろう、という
不謹慎な思いを、どうにも抑えがたくなってしまった。
看板には、「痔神大明神」と書かれてあり、
石柱には、「痔神参道」と彫られていたのである。
いったいどうした縁起で、このような神社が出来たのだろう。
おそらくは、かつて「地の神」=「地神」であったものが、
いつしか土地のひとの洒落、あるいは思いつきで「痔神」と
なったものであろうか。
みうらじゅんあたりが大喜びするような神社である。
全国的に大々的にPRすればひとがもっと集まりそうなものを、
ヒサヤ大黒堂の新聞広告に「秘密厳守」とあったように
痔は、ひとに言うのが今なお憚られる病であるのだろうか、
仮にも畏き大明神様であらせられるにもかかわらず、
津市観光協会のHPにおいても大きく取り上げられてはいない。
看板、石柱の大きさが思いのほかに小さいのも、
そのように考えれば合点がいくのではあるのだが、
その字面から受ける衝撃たるや、相当なものがある。
数少ない情報をもとに整理すると、痔に苦しむものは、
絞りの手拭いに自らの住所氏名を記し、
この痔神神社の境内の一角に結び、快癒を祈るそうである。
そうすると、痔神大明神様が痔を治してくれるのだという。
つまり、痔神神社の境内には、痔の病を持つ者に関する
膨大な個人情報データベースが構築されていることになる。
僕は思わず、参道を控えめに、やや内またで歩くひとびとの
姿を妄想してしまった。
痔を病んだときは、僕も内またで参詣することになるだろう。
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