白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

意識の貝殻 4

2006-02-16 | 哲学・評論的に、思うこと
まとめ。





ブログというメディアにおいては、書き手自身が
自らの意識の働き方をあらかじめ決めている。
そして、書き手自身が常に読み手の視点を保ちながら、
自分の文章の「行間」を、まるで他人のものを読むように
意識出来るようにもなっている。
スタイルシートによって書き手の意識の働き方について
一定の規制をかけると同時に、
書き手の無意識の働きをも表示することが出来るという点で、
ブログの、表現手段としての可能性は非常に大きい。
それはむしろ、芸術としての性格をも帯びうるものである。





加えて、日本語という表記法は、絵文字やアスキーアートを
文中に表記されてもあまり違和感を感じさせないから、
表音文字文化に比べ、はるかに多くの情報量を文章の中に
込めることが出来る。
本文のなかから突き放されたようにして、独立した意味を
表示しているように見せる事さえ出来る。
だが、そうした表示の効果によって、
それが意味するものは書き手から追放され、
自らのことばであるという実感を伴い、書き手はそれに
責任を持てなくなった。




「書くこと」と「表示すること」が書き手によって
一手に担われていることは、
個人の意識の社会化が、たった一人でなされるということであり、
文章に込められた自分の意識を、書き手自身が表示させることで
自分の中から追放しているということにもなる。
このことは、書き手の意識自体に、複数性を強いることとなり、
結果としてブログに現れる書き手の人格も、
分裂されていくことにつながり、
ブログにおいて、書き手自身の文章に対する自覚的な主体性は
失われていくことになる。




加えて、みなが同じように同じことをやり、
同じように持ち合おうとする日本人の心性は、
ブログの目的を、書き手と読者の間の人間関係や、
コミュニケーションの円滑化へとすりかえてしまった。
書き手と読み手が互いに誰であるかが自明ならば、
書き手のことばは、書き手によらずとも
読者によって「書き手のことば」にしてもらえる。





このことによって、書き手は自分のことばに責任を負わずとも
書くことが、はっきりと出来るようになった。
それゆえ、記事は「自分のことを知っている人」への
きわめて私的な言葉でもいいということになり、
「書き言葉」が失われ、「話し言葉」が書かれるようになった。
インターネットやテレビなどによって、情報発信者と
受信者とのあいだにあるはずの物理的距離が
克服され、さも「いま、ここに真向かいあっている」と
錯覚できるようになったことも、この傾向を助けた。





結局、ブログは、書き手による自己深化の試みとしては
使われることなく、
現実世界との妥協のための道具として使われるにすぎず、
それがもっていたはずの可能性をほとんど発揮できぬまま
生成と消滅をただ繰り返しているにすぎない。
ただ、書き手にはあまり自覚されていないけれども、
ブログという形式が、その表示の方法によって、
書き手のまるはだかの自己をいうものをはからずも
映し出してしまっているということに、
その価値が見出されるものである。




それは、書き手がブログを書くことによって、
逆に、書き手自身がブログという方法によって
ひとりでに精神分析されていくようす、
書き手の内側にあるものが暴露されていくようすを
目撃できるということにあるといってもいいかもしれない。





ブログは、書き手の意識のありさまに形を与えて表示する。
その意味において、書き手は、まるはだかの自己の外側に
言葉によって覆いをつくっている。
その覆いをどのようにするかは、書き手の自由だ。
それは「意識の器」をつくることでもある。
記事を書くだけではなく、レイアウトを変え、時には
運営母体を変えてまで、書き手はブログの形を
自在に変えていく。
そのようすは、ヤドカリが、貝殻を自分の家に見立てて
次々と住み替えていく様子に似ている。
人間はある面で、そうした意識の貝殻をまとった
ヤドカリのようなものなのではないだろうか。




意識の貝殻としてのブログ。
誰しもがこうしたブログ的な貝殻を準備して生きている。
その貝殻は、人間に形を与える外皮であると同時に
その内なるものを白日の下にさらす裂け目でもある。





**************************




さ、どれだけのひとが通読したやら・・・

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (舟橋)
2006-02-18 08:10:15
読ませていただきました。感想を述べるほどの知識を持ち合わせていないのが残念です。

一部分気になった箇所が。「文字文化を持たない文明のことごとくが滅亡した」とありますが、わが日本のアイヌは文字文化を持たない民族だそうです。もちろん他民族に大きな影響を与えるほどの文明に発展しなかったのは文字文化が未発達だったためかもしれませんね。しかしアイヌ語は記紀以前の原始日本語の特徴を受け継いでいるともいいます。神ーカムイの類似などには偶然とはいえない特徴が見られるようです。

このあたりは文字文化が「輸入」され、話し言葉にも影響を受けてしまった古代日本文化と原始的な言葉が残っているアイヌの口頭伝承文化の面白い対比だと思います。

記事の本題から大きくずれてしまって申し訳ありませんでした。
返信する
Unknown (lanonymat)
2006-02-18 10:43:58
江戸時代の松前藩によるアイヌ迫害の歴史を見れば

明らかなように、日本文化は文字をもたない

アイヌの文化を滅ぼそうとしたんですよ。

明治新政府による国家神道の形成過程で

まず大切にされたのは「日本人は単一民族である」

というイデオロギーでもあったわけで、

アイヌの文化はいわば、なかったことにされていた。

アイヌ文化は政治権力によって滅ぼされていたんです。

金田一京助がアイヌの叙事詩を記述しはじめて

日本に「紹介」されたことで、初めてアイヌ文化の

豊穣さが意識され、日本文化の源流としても

大切にされはじめたわけで。

伊福部昭(ゴジラの音楽書いた人として有名だけれど)が

アイヌの歌を元にして歌曲を作るなどの試みをする中で

ようやく、記紀以前の原始日本文化が

どのようなものであったのかを知るために、

アイヌの文化は重要視されるに至ったわけだけれども、

それは今なお多くの日本人にとって「異文化」として

見られているという性質は否定できないのでは

ないか、とも思います。





ちなみに「カミ」という言葉だけれど、

梅原猛によれば、原始日本のアミニスムにおいては、

「カミ」は狼のことだったともいいます。

「オオカミ」=「大神」ですね。

この神はもとは猿田彦という縄文の森の神なのです。

三重県の椿大神社はそれを祭っていますね。
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Unknown (舟橋)
2006-02-21 01:50:15
なるほど。最近ではイスラエルの例を挙げるまでもなく殖民地政策が先住民を迫害する例は古今東西を見ても多いですよね。国民を団結させるために(天皇を中心とした)単一民族国家だという意識を定着させたかったのかもしれませんね。勉強になりました。



余談ですが森元首相のあの失言も戦前生まれの人にとっては当然のものだったと考えれば少しかわいそうですね。立場を考えれば非常に軽率ですが。



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Unknown (lanonymat)
2006-02-22 23:42:38
IT技術を「いっとぎじゅつ」って読んだ人でしたね、

確か。

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