白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

洋行譚 3日目

2010-07-04 | ドイツ・スイス 旅行記
写真はこちらからご覧ください。

6/19~6/22 am
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6/22pm~6/24am
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6/24pm~6/25am
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6/25pm~6/27
http://blog.goo.ne.jp/photo/21622



6月21日(月)



6時30分、ホテルの1階に下り、朝食を取る。
スタッフにドイツ語で話しかけられるも、全く分からない。
英語で返すと、英語が返ってきた。
ルームナンバーの確認のようだった。
この旅を通して、英語が通じずに困るような状況には
一度も出くわすことがなかった。
テレビ画面には、前夜のワールドカップの試合が映り、
正面に、ドイツ人の3人組が一列に並んで座っていた。
ビュッフェ形式の朝食は、ドイツ伝統の黒パンに加え、
通常のトースト、クロワッサンなど、豊富な種類の
パンが並んでいる。
スープこそないものの、ハム、チーズ、ベーコン、卵、
マスを蒸したもの、果物、ヨーグルト、コーヒー、紅茶、
日本のシティホテルと比べても、品数に見劣りはしない。
味も、なかなかに良い。





8時、チェックアウトを済ませ、駅へと向かう。
ドイツ人の朝は早い。
聞けば、フレックスタイムのおかげで、
7時から仕事を始めるひともいるそうだ。
8時40分発、ハンブルク始発バーゼル行きのICEは
ハノーヴァーやフランクフルトを経由する国際列車のため
混雑が甚だしい。
僕が使っていたジャーマン・スイスパスは1等車用のもの、
通常、1等車は満席になることはない、と聞いてはいたが、
実際に乗ってみると、ほぼ満席の状態であった。





ドイツの特急は、乗車券と特急券の組み合わせに、
別に指定料金を付加する形式を取っている。
原則、全席自由席であり、追加の指定料金を払って、
座る権利を買うという仕組みになっている。
指定区間は、席の上に表記されるようになっているが、
指定区間以外の区間であれば、その席に座っていてもよい。





予約していた席は、6人用コンパートメントの席であり、
行ってみると、韓国から来たと思しき3人の女性が座っていた。
予約席である旨を伝えると、彼女たちは素直に席を空けて、
グループの内のひとりだけ、別の席へと移っていった。
フランクフルトに到着する手前で、彼女たちに声を掛けて、
僕の予約のせいで、あなた方のグループを分けてしまって
申し訳なかったね、と声を掛けたところ、
そんな、とんでもないですよ、との、答えが返ってきた。





このやりとりは英語である。
日本と韓国という、確執を抱えた隣国同士から来た人間が
ドイツという第3国で、英語という第4国の言葉を介して
話しているというのは、一体どういうわけだろうか。
水村早苗の「日本語が滅びるとき」を読んだときの、
臓腑をえぐられるような「書の痛み」を思い出した。
以下は、内田樹による、その書評である。

http://blog.tatsuru.com/2008/12/17_1610.php

最近、ファーストリテイリングに続き、楽天も、社内公用語を
英語とすることを発表した。
柳父章の名著「翻訳語成立事情」における問題意識が、
すでに東亜の辺境にのみ通ずる特殊になりおおせつつあるのだ。





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フランクフルト、マンハイムと、ラインの流れを脇に見て、
11時24分、バーデン=バーデンに到着した。
件の韓国人も、一緒に列車を降りたようだった。
スーツケースをコインロッカーに放り込むと、
タクシーで街の中心部へと向かった。
乗車の際に、同行者がうっかり「Grazie」という言葉を
口にしてしまい、運転手が顔をしかめて空を仰ぐような
素振りをしたので、
彼はマナーを知らないから、許してやってくれ、と小声で
話をして、同行者に続いて、車に乗り込んだ。
それから、同行者におもむろに、事情を説明した。





ヨーロッパ有数の保養地であるバーデン=バーデンには、
古代、ローマ時代の遺跡も残っている。
ブラームスやクララ・シューマンも長期滞在したという。
ウィルヘルム・フルトヴェングラーの没した街でもある。










市街地には、高級ブティック・デパートやホテルが立ち並び、
数多くのカフェの前には、パラソルの華が開いている。
広場や、何気ない街角にも、噴水や泉が湧いている。
路地へ入れば、家屋や屋根の色彩も、北ドイツのモノトーンとは
およそ異なる、イタリアのような多様性を示す。
階段や坂道を上って見下ろす街並みは整然として、とても美しい。
南ドイツの陽光は燦々煌々と、黒い森の溢れる緑を照らしている。
多彩な花々が鮮やかに咲き誇って、夏の始まりを歓んでいる。
この街に集う人々は、多国籍である。



















街角のレストランで、昼食を取った。
舌平目のムニエル、マスの揚げもの、ベイクドポテト、
温野菜、これにビールを加えて、12ユーロほどである。
やはり世界有数のリゾート地である。物価は高い。
食後、腹ごなしに少し散策してから、
6月18日以来、ろくに眠れていない身体を癒しに、
カラカラ浴場へ向かった。





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カラカラ浴場は水着着用の温泉である。
1階の売店で、タオルと水着を購ったあと、2階の入口で
入場料を払い、電子タグが内蔵された腕巻きをもらう。
入場料は、2時間以上3時間未満で、14ユーロである。
その後15分ごとに、1ユーロの追加料金がかかる。





この施設の更衣室は、男女共用である。
細長い間仕切りの両側に扉が付いていて、内側から一度に
両側の鍵を掛けることが出来る。
しかし、入口からは、更衣室側にしか入れない構造に
なっていて、ロッカーエリアへは、着替えてからでないと
出られないようになっている。
着替えを済ませて、入ったときとは反対側の扉を開けて
ロッカーエリアへと出る。
空いているロッカーへ荷物を入れ、腕巻きの電子タグ部分を
施錠部分に押しつけながら押し込む。
すると、鍵が掛かる。実に合理的な仕組みである。
シャワーブースで全身を洗ってから、浴場へと向かう。





屋内の浴場は、ドーム状の天蓋を持つ、ガラス張りの
巨大な空間だった。
浴槽を取り囲むように、リクライニングチェアが並ぶ。
浴槽は3段になっていて、上から順に温度が低くなる。
とはいえ、最上段の、水膜を落とす施設を持つ浴槽でも、
38度ほどの温度だろうか。
日本人の肌には、ずいぶんとぬるく感じる。
おそらく最下層のプールの部分は、33度ほどだろう。
中学校のとき、酷暑のもと、水泳部の練習で、
8月の屋外プールを泳いだときの温度の記憶に重なった。





屋外の浴場は、流水機能を持っている。
ジャグジーや、ジェットバス、人工の滝が設えられており、
ひとびとが「打たせ湯」を楽しんでいる。
公共浴場というよりは、日本のスーパー銭湯をより豪華に、
より規模を大きくしたような印象を受ける。
国籍、年齢、男女の別なく、同じ浴場の空間に集まってきた
世界中のひとびとが、自分なりの楽しみ方をしている。
フランスから来たと思しき女子学生や、ドイツ人の母と娘、
インド人の夫婦、中国人と思しき老人ひとり、
先ほど、ICEに乗り合わせた韓国人の姿も見える。
何となく、皆が来ている水着に国籍が象徴されているようで
とても面白い。





一方、恋人たちは人目を臆することなく、キスを交わしたり
抱き合ったりと、一体水中で何をしているかもわからない。
それほどに、じゃれあい、いちゃつきあいの度合いが激しい。
フランスから来たと思しき黒髪のパリジェンヌが、
恋人と別れて水中を泳ぎ、僕の眼の前で浮上して休んだとき、
僕には彼女が人魚に見えた。それほどに美しかった。





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浴槽を出て、タオル片手にサウナに向かうと、看板に
水着着用不可、という文言が書いてあるのに気づいた。
ここに至って、僕はドイツのサウナが混浴であるのを
はっきりと思い出した。
しかし、日本男児、ここで入らねば名が廃る、と、
日本ではついぞ起こさない武功心の熱に滾ってしまい、
いさぎよく全裸になり、サウナブースに入った。
なるほど、確かに皆、老若男女、全裸である。
しかし、1分もすれば、慣れる。
サウナのなかでは、男女の別なく、ドイツ人が眠り、
何もかも放り出している。
いわゆる「トド」の率は高いが、美しい造形をもつ
彫像のような肉体も、男女の別なく散見される。
寝転ぼうとしたドイツの夫人にピローを取ってあげると、
夫人は丁寧な謝意を示した。
これこそ、裸の付き合いというものかしら。





サウナを出て、浴場へ戻り、しばらく遊浴しているうちに、
僕は一方向から、視線を受け続けていることに気がついた。
眼を向けると、そこにはチュニジア系と思しき、
グラマラスな女性がビキニを着て泳いでいる。
そして、僕が移動するたびに、僕の視界に入る位置へと
姿を現し、近づくでも離れるでもない振る舞いをする。
おそらく売春婦だろう。
第一、若い女性がひとりきりでこの浴場に入っているのは
不自然なほどに、この浴場にはグループ客が多い。
それでいて、彼女に声を掛ける男も女も、ひとりもいない。
ドイツでは、売春は合法である。
僕は彼女の前から消えるように心がけた。
ちなみに、スイスでは、売春婦は自営業者としての届け出が
義務付けられており、定期的に健康診査を行って、
報告まで行わなければならないらしい。





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ゆっくりと遊泳し、サウナで汗をかいたからか、
老廃物が抜け、鈍重さや痛みがとれて、程よい火照りと
心地よい疲れが身体を覆った。
浴場を後にして、カフェで一杯、至福のビールを飲み、
陽光を照り返す石畳の道を散策してから、車を雇って
駅へと戻った。









17時30分、カールスルーエ行きのREで検札に来た車掌は、
僕たちが日本人だとわかると、「こんにちは、はじめまして」と
挨拶してくれた。
総じて南ドイツのひとびとは、日本人には優しい。
しかし、一見すると中国人と区別がつかないこともあって、
中国から来たのか、日本から来たのか、と、尋ねられることも
レストランなどで、何度かあった。





それにしても、ドイツ国鉄の自動券売機は、
傍目から見ていても使いづらそうだった。
鉄道網が発達しているがゆえに、乗客の側が乗車経路や
利用列車の種別、経由駅を入力せねばならないらしい。
日本のように、初めから目的地への運賃が記されている
わけではないため、発券までに相当な時間がかかる。
慣れているはずのドイツ人が、3分程度掛かっているのを
見るたびに、日本の券売機や、PASMOやSUICAの便利さを
思い浮かべる。
それと同時に、正しい「自己責任」の姿を見る。





REでは、僕の知っている女性に容姿が大変よく似ている、
美しいひとを見かけた。
黒髪だが、フランス人かドイツ人かは定かではない。
眼鏡を掛けていて、一心に何かの書類に目を通している。
カールスルーエで下車しようとして、彼女の後ろに並んだ
中東系の男が、彼女の臀部に触れ、杖を足にぶつけたので、
彼女は怒って、男の杖をかかとで蹴り飛ばした。
その様に、僕は思わず苦笑した。





また、青いツナギを着た、おそらく20代に満たない
青年が、車中ずっとコミックを読んでいたのだが、
その表紙は明らかに、いわゆる「アキバ系」「萌え系」の
それとわかるもので、それを認知してしまったこちらが
逆に恥ずかしくなってしまった。
うすうす知っていたこととはいえ、日本のコミック文化、
アニメ文化が、こんなドイツの地方都市にまでも
及んでいるのか、と、若干の衝撃も受けた。
翌日、ウルム市の公共の図書館に並んでいたコミックに、
僕はより大きな衝撃を受けることになる。





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カールスルーエ発ミュンヘン行のICは、40分ほど順調に
走行していたが、シュツットガルトの手前のトンネル内で
突如停止してしまった。
ドイツ語の車内放送では、僕にはさっぱり状況が分からない。
だが、乗り合わせた乗客たちが家族やオフィスに電話をして
投げやりな笑い声を伴った口調で何事かを話しているのを見て
ああ、これは長引くな、と直感した。
案の定、どうやら列車が車両トラブルを起こしたらしい。
対向線を、何本かのICEが追い抜いていくのを尻目に、
車両の応急修理を行って、ようやくICが動き出したのは
停止から1時間後のことだった。






シュトゥットガルトで折り返して、ウルムに向かう車中、
車掌がお詫びに、ドリンクを持ってきた。
のどが渇いていたので、炭酸水をもらい、のどを潤す。
白夜とはいえ、日の傾いて薄暗いウルムの街に到着したのは
21時だった。
プラットホーム越しに、世界で最も高い尖塔を持つ大聖堂が
その威容を覗かせていた。





ウルムは、かのヘルベルト・フォン・カラヤンが、
最初に歌劇場の音楽監督の地位を得た街である。
フルトヴェングラーの没した街から、
カラヤンがファースト・キャリアを刻んだ街へと旅するのは、
音楽を愛好してきた者にとって、それなりの感慨があった。





ウルムの駅には、中東系と思しき移民が多くたむろしていて、
お世辞にも、あまり治安が良さそうには思われない。
早々とタクシーを雇って、当夜のホテルに向かった。
ドナウ河畔のシティホテルであり、ちょうど地方に立地する
ホテルオークラのようなイメージといっていいだろう。
しかし、ホテルは街のはずれにあり、周囲に店舗は全くない。



チャックインを済ませて早々に、食事をしに出掛けたものの、
ドイツの中小都市のレストランはどこも営業時間が短く、
21時を過ぎれば殆ど閉まってしまう。
その代わりに、深夜まで繁盛しているのは、トルコ料理などの
移民のための料理店だ。
旧市街をさまよっても目ぼしいレストランがなく、
仕方なしに入ったのは、アジア料理を扱う大衆レストランで、
ここも閉店間際であった。





入って早々に、中国人と思しきウェイターに早口の中国語で
話しかけられ、キョトンとしていると、
次いでドイツ語、その次に英語が飛んできたので、
ようやく理解して、2名、禁煙席、と伝えることが出来た。
当然、英語で書かれたメニューはない。
仕方なく、適当に料理名を指差して、どんな食材を使うか、
どんな味付けであるかなどを訪ねてみる。
僕は焼きそばにチキンが乗ったものを注文し、同行者には
酢豚とライス、ビールを注文して、「謝謝」と伝えると、
ウェイターの顔に、笑顔が浮かんだ。





ホテルに戻り、早々に眠ることにした。
時刻は23時。まだ、ほのかに空は明るい。
そういえば、まだ、ソーセージを食べていないな、と
思っているうちに、いつの間にか、眠ってしまったらしい。
翌4時、起き抜けにカーテンを開けると、
ウルム大聖堂の荘厳な姿が、沈思黙考の体でもって
薄闇のなかに浮かんでいた。






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3 コメント

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Unknown (neralt)
2010-07-15 22:34:44
返信が遅れてしまい申し訳ありません。

とても残念ですが、了解いたしました。
無理なお願いをさせていただきましてありがとうございました。

また、バルトークの本、さっそくアマゾンで注文させていただきました。参考にさせていただきます。

またブログの方みさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします。
返信する
Unknown (lanonymat)
2010-07-12 00:07:09
>neralt様

コメントを頂き、誠にありがとうございます。
また、レッスンのお願いを頂き、恐縮です。
ただ、誠に申し訳ないのですが、僕自身は
音楽の専門教育を受けたことがありません。
これまで、全くの独学で演奏をしてきました。


そして、これが最も重要な事実になるのですが、
僕は、楽譜が読めません。
全く読めないわけではありませんが、初見では
演奏することが不可能です。


件のコルトレーンチェンジの技法は、大学時代
ジャズサークルに所属していたときに分析した
結果を書いたもので、学究的根拠もありません。
誰に学んだのでもないものを、誰かに教えるのは
僕にはとても難しいことですし、
仮に誤ったことをお教えすることになるならば、
それはとても申し訳なく、取り返しもつきません。


加えて、現在の僕は音楽活動の一線にはおらず、
現在の仕事の都合もあり、ご要望にお応えすることが
困難な状況におります。


誠に申し訳ないのですが、これらの事情もあり、
neralt様のご要望にお応えするのがとても難しい
状況にあります。
どうぞ、ご容赦くださいましたら幸いです。


ちなみに、コルトレーンチェンジを分析した際には
この書籍を大学図書館から借りて使用しました。
バークリーメソッドから逸脱した理論については
バルトークのこの本が役に立つと思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4118000806/sakuana-22


また、クラシック音楽の「楽典」をお求めになるのも
多少値は張りますが、よろしいかと思います。
即興されるのであれば、デレク・ベイリーの
この本も参考になるかもしれません。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E2%80%95%E5%8D%B3%E8%88%88%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%81%AE%E5%BD%BC%E6%96%B9%E3%81%B8-%E3%83%87%E3%83%AC%E3%82%AF-%E3%83%99%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/4875022220/ref=cm_lmf_tit_22


取り急ぎ、ご返信まで。
返信する
レッスンをしていただけないでしょうか (neralt)
2010-07-11 16:30:57
全く関連のない記事に、関連のないコメントすることをお許しください。

音楽理論のレッスンをしていただけないでしょうか。

トレーンのチェンジに関する記事を見させていただきまして、とても感銘をうけました。
いわゆるバークリーメソッドに関してはまとまった知識があるのですが、バークリーメソッドでは扱いきれない範囲に関しては文献も少なく、行き詰っています。

よろしくお願いします。
neralty@gmail.com
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