![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/14/fa45688419e921eab0268ad45c9a39e7.jpg)
写真はこちらからご覧ください。
6/19~6/22 am
http://blog.goo.ne.jp/photo/21501
6/22pm~6/24am
http://blog.goo.ne.jp/photo/21543
6/24pm~6/25am
http://blog.goo.ne.jp/photo/21599
6/25pm~6/27
http://blog.goo.ne.jp/photo/21622
6月22日(火)
南ドイツに入ってから、急に天気が持ち直した。
BBCニュースで天気を確認すると、
南ドイツは晴天が続き、最高気温は26度に達するらしい。
それでも、大陸性の気候のために、湿度は低い。
眩しいほどの日差しを受けても、風は涼しく、
汗をかくということもない。
「熱さ」は感じこそすれ、「暑さ」は感じない、という
不思議な皮膚感覚である。
カッセルのホテルで放送されていたテレビ番組が
猥雑かつ不穏だったのに比べると、
南ドイツで流れている番組は随分穏やかに思われる。
延々と、アルプスや南仏、スペインのリゾートの映像、
現地の天気を伝えているものすらある。
ただ、ドラマがかなり多く放送されていること、
多くの日本のアニメーションが独訳されて放送され、
広く親しまれているらしいことは、南北で共通している。
***************************
9時30分、ホテルを出て、ウルムの街を散策した。
この街は、第2次大戦で80%が破壊されたという。
だが、大聖堂や市庁舎といった、街の象徴は失われなかった。
そして、ドレスデンやワルシャワと同様に、中世の街並みを
復興させたそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/84/3750e8ef2dc5412597a3b9ce016d23fe.jpg)
6月中旬からの長雨のせいで、ドナウは美しくも青くもなく、
茶色く濁り、平等院付近の宇治川のような速さで流れていた。
それでも、河畔の木々の緑の葉が、まだやわらかな朝の光に
きらきらと輝くなかを、微風に吹かれて歩くのは心地がいい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/95/08b98aa0477bd885889cc6e3447de308.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b1/4e074383541390fd13f3dd3a67df9056.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fc/468a2fc6dbd0330d1ddc0d962591c83d.jpg)
河畔から旧市街へ向かうには、大聖堂の尖塔を目印にすればよい。
それにしても、7階建て以上の中高層建造物が無いことが、
こんなに心地よいものとは知らなかった。
安普請で意匠に乏しい高層ビルや、中高層のマンションほど、
醜悪で見苦しい建物はないということを、
日本の風景を思い出して、再確認する。
1370年に建てられたという市役所前の、バスターミナルから
街中へ折れてしばらく歩くと、
やがて視界が開けて、巨大な跳び梁の群列が眼の前に現れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/df/44f9f661536585f4c38b5d1ff6b8d538.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/24/168e264e3d1d3fa2519baa0abbe1ebe3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/2f/344e3482998a6a24aa269607543c6c5f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/b8/062cbd6e0de368db6e0e387ebccb4b38.jpg)
この大聖堂は、1377年に建設が開始され、中断期間を経て、
1890年に完成したという。
実に500年以上を掛けて完成したという大聖堂のその威容は
圧倒的である。
南ドイツの平原を睥睨するかのように聳える大聖堂の尖塔には
768段の石段があって、140mまでは登れるらしいのだが
高所恐怖症の僕は、何かあってはいけない、ということで
登るのをやめておいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/55/c36a9fff11f4f36cb89db8744741e614.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/6f/ef8447089e85584f1abb690f9d107f99.jpg)
聖堂内部の空間は荘厳にして巨大である。
東大寺や、本願寺、知恩院のような大寺院の内陣に入ったときの
冷涼峻厳とした風を感じる空間と違って、
張り詰めた緊張感と重々しさに、空気が錨されているかのような
若干の息苦しさを感じる。
咳払いでもしようものなら、残響は10秒ほども続く。
巨大な列柱が伸びあがった先の、天井部のヴォールト構造が形作る
幾何模様や、聖人群像、祭壇、パイプオルガンが、
ステンドグラス越しに差し込んだ虹色の光に照らされている。
その美しさに、思わず息を呑んだ。
幼稚園のこどもだろうか、数人の大人に引率されて、祈りのために
祭壇の前の椅子に、行儀よく座っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/6f/d3693917ea8db4e22bbcccc32b5487f9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/44/809f024fb4835412a089ac4e2f247b6c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/84/471957dcbce44b85d11e6eb12efaf369.jpg)
*****************************
市街の目抜き通りは、平日だというのに、老若男女が朝から集って
賑わっている。
どの路地にも、ひとが歩いている。
城壁跡の環状道路をトラムが走り、大聖堂と市庁舎、広大な広場を
中心にして街が形作られているというのは、
ヨーロッパの都市の典型的な雛型だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/14/fa45688419e921eab0268ad45c9a39e7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/b8/e6f46c51bd969093e395d59d7464ff92.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/a4/6c94b9052e95bbe73e4c811b7482a437.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/8c/82a1a1a38965048e0244cf314b394dd9.jpg)
繁華街を離れて、中世の街並みの色濃く残る一角に進む。
漁師の街、といわれる付近には、城壁や、中世の家屋が残り、
その合間を、清らかな水路が流れ、家鴨が遊んでいる。
レストランが数多い地域であり、僕たちも食事目当てに
やってきたのだが、
まだ時間が少し早く、どの店もまだ営業を始めていない。
あたりには、遠足と思しき子どもの群れも見える。
騒いで、道に飛び出して、トラックの運転手に怒鳴られる、
日本でも見慣れた光景が、そこにあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/22/d17589417381ff54f4104038212c3e47.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/44/bd10fd434f85a697fdb18ab7b5f81972.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/6c/6557c4e41c72d096a08dba48cd8591fc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ec/7fb2ace329da553637cded921d4c23f3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/14/d7747a67c2e76b1c68499c85661c441a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/d0/73ef8b9233852fbb42dd89576c004fcf.jpg)
市庁舎の裏に出ると、ピラミッド型をした全面ガラスの
図書館がある。
図書館の蔵書を見れば、その街の文化的な水準が把握できる、
というわけで、中へ入ってみた。
ここもまた、老若男女、特に若い世代でにぎわっている。
入口脇のところに「コミック」のブースがあったので、
ふらりとそちらに赴いて、何冊かを手に取り、
捲ってみて、吃驚した。
日本の少女コミック系の、性的描写や暴力が描かれたもの、
いわゆる「萌え」に属するものが、独訳されて並んでいた。
公共の図書館に、児童ポルノと認識されても否定できない
代物がいくつもある、という状態である。
そしてそれらが日本に由来しているという事実も相まって、
こちらに少なからぬ動揺が走った。
それと同時に、恥の感覚や、日本の文化の受容の在り方など、
さまざまな問いが位相を変えつつ、しかし漠としたままに、
泡のように浮かんでは消えた。
***************************
市役所脇のレストランのテラスに座り、日替わりのピザと
ビールを楽しんでいると、
ひとりの中年男性が声を掛けてきた。
中国から来たのか?というので、日本人だ、と答えると、
彼はとたんに笑顔になり、
「アア、ソウデスカ、ハジメマシテ、ドウモ、サヨナラ」
と、日本語で話し、立ち去って行った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/7a/1af4281c96d5b7f1260163deedbf9924.jpg)
北ドイツの人間が、男女ともに背が高く、2m超えも決して
珍しくないのに対して、
南ドイツの人間は、それほど身長が高くない。
街を歩いていると、僕が一番背が高いくらいである。
そして、こちらが日本人だとわかると、途端に親しげになる。
地図を片手に広げていれば、近くまで案内さえしてくれる。
タクシーの運転手も、親しげに話をしてくれる。
***************************
一度ホテルに戻って、身支度を整えていると、
テレビから Mondo Grosso feat.Bird の lifeが
聴こえてきた。陽光の眩しさが重なり、高揚する。
その後、ウルムの行政機関の都市計画部門に赴いて、
太陽光や地中熱などの新エネルギー利用政策に関する
ヒアリングを行った。
当局者と別れ、僕達だけでウルムの駅に向かい、
タクシーを雇って、実地調査へと赴いた。
ドイツには、いわゆる「流し」のタクシーは走っていない。
アウトバーンを飛ばして、郊外へ向かった。
初めは訝しげだった運転手も、目的と、こちらの国籍が
わかったとたんに、「sir」の語を用いるようになった。
彼はトルコの人間だった。
市の郊外にはニュータウンの開発が進んでいるのだが、
そのどれもが低層で、屋上は緑化され、
太陽光パネルが設置されていて、エネルギー循環に
配慮した設計となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/2c/cf83ed0f9843d1643fb02803bf0e0398.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/95/6a10e190bd9bb65599a70a0b41c3c9a2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/19/03e9a09b2b79b754ed903f4c35591d27.jpg)
ちなみに、ドイツの太陽光発電の普及率は非常に高いが、
設置されているパネルのほとんどは中国・吉利製である。
サッカーのワールドカップ南アフリカ大会の会場で、
この会社の看板を眼にしたひとびとも多いだろう。
おかげで、ドイツの太陽光パネル産業は衰退してしまった。
世界各国への、中国企業の進出や、中国人の移動の増加が
目覚ましいことを、図らずもこの旅で実感することになった。
現地で中国人に間違われた経験の多さが、それを物語る。
そして、こちらが日本人であるとわかった時の、
現地のひとびとの、警戒を緩める素振りに対して、
こちらも顔を緩めつつも、若干、複雑な感情が芽生えるのを
自覚せざるを得なかった。
****************************
ホテルに戻り、服を着替えてから、
予約を入れていた、現地の伝統料理のレストランに赴いた。
ガイドブックなどには載っていない。
市の当局者が推薦してくれた、聖堂のすぐ裏手の路地の、
小さなホテルに併設された隠れ家のような店である。
伝統的な料理が食べたい、といって出てきたのは、
豚肉のきめ細かなペーストを棒状に伸ばし、
日本で言うところの「練り物」のように油で揚げた、
めずらしいブルストであった。
はんぺんのような食感の中に、肉の旨みが凝縮されている。
これに、ウスターソースのような味わいのソースをかけて
ジャガイモの付け合わせと一緒にして食べる。
次に出てきたのは、牛肉のグリルに、「すいとん」のように
小麦粉を固めてゆでたものが添えられた一皿である。
オーブンでじっくりと焼き上げられたと思しき大きな肉は
血の滴るほどにジューシーで柔らかな赤身である。
これにも、先ほどのソースをかけて食べる。
その次に出てきたのは、子羊の肉にパン粉と香草をまぶして
焼き上げたもの。
羊に特有の臭みは一切ない。
これらの料理を、地ビールとともに頂くのだから、
それまで、お世辞にも「きちんとした食事」をしていなかった
僕にとっては、八百膳とでもいうべきもの、
あまりの美味に、頬が溶けた。
隣り合わせた高齢のドイツ人から、
「中国では、乾杯、とは、何というのか」
と聞かれたので、我々は日本人だ、と答え、「カンパイ」をした。
2人で63ユーロ、格別の味だった。
***************************
ホテルに戻り、バーでシガーを吹かしながら、モヒートを飲み、
サッカーを観戦した。
円筒状のバーカウンターとシャンデリアを持つ広い空間に、
スクリーンが下ろされて、プロジェクタで投影している。
シティホテルとはいえ、ワールドカップともなれば、別らしい。
1時間ほど飲み、自室に戻った。
このころになると、ドイツ特有の発泡水文化にも慣れてきて、
現地人のように、アイスを買って歩くのにも慣れてきた。
路上喫煙者の多さにもようやく慣れた。
ただ、どうにも白夜で眠ることだけは慣れることが出来ない。
4時には起きてしまって、そのまま眠れない状態が続いていた。
夜明けごろ、スイスへ向かう支度をした。
ドナウの岸辺から、遠く、雲雀の啼く声が響いた。
6/19~6/22 am
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6/22pm~6/24am
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6/24pm~6/25am
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6/25pm~6/27
http://blog.goo.ne.jp/photo/21622
6月22日(火)
南ドイツに入ってから、急に天気が持ち直した。
BBCニュースで天気を確認すると、
南ドイツは晴天が続き、最高気温は26度に達するらしい。
それでも、大陸性の気候のために、湿度は低い。
眩しいほどの日差しを受けても、風は涼しく、
汗をかくということもない。
「熱さ」は感じこそすれ、「暑さ」は感じない、という
不思議な皮膚感覚である。
カッセルのホテルで放送されていたテレビ番組が
猥雑かつ不穏だったのに比べると、
南ドイツで流れている番組は随分穏やかに思われる。
延々と、アルプスや南仏、スペインのリゾートの映像、
現地の天気を伝えているものすらある。
ただ、ドラマがかなり多く放送されていること、
多くの日本のアニメーションが独訳されて放送され、
広く親しまれているらしいことは、南北で共通している。
***************************
9時30分、ホテルを出て、ウルムの街を散策した。
この街は、第2次大戦で80%が破壊されたという。
だが、大聖堂や市庁舎といった、街の象徴は失われなかった。
そして、ドレスデンやワルシャワと同様に、中世の街並みを
復興させたそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/84/3750e8ef2dc5412597a3b9ce016d23fe.jpg)
6月中旬からの長雨のせいで、ドナウは美しくも青くもなく、
茶色く濁り、平等院付近の宇治川のような速さで流れていた。
それでも、河畔の木々の緑の葉が、まだやわらかな朝の光に
きらきらと輝くなかを、微風に吹かれて歩くのは心地がいい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/95/08b98aa0477bd885889cc6e3447de308.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b1/4e074383541390fd13f3dd3a67df9056.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fc/468a2fc6dbd0330d1ddc0d962591c83d.jpg)
河畔から旧市街へ向かうには、大聖堂の尖塔を目印にすればよい。
それにしても、7階建て以上の中高層建造物が無いことが、
こんなに心地よいものとは知らなかった。
安普請で意匠に乏しい高層ビルや、中高層のマンションほど、
醜悪で見苦しい建物はないということを、
日本の風景を思い出して、再確認する。
1370年に建てられたという市役所前の、バスターミナルから
街中へ折れてしばらく歩くと、
やがて視界が開けて、巨大な跳び梁の群列が眼の前に現れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/df/44f9f661536585f4c38b5d1ff6b8d538.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/24/168e264e3d1d3fa2519baa0abbe1ebe3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/2f/344e3482998a6a24aa269607543c6c5f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/b8/062cbd6e0de368db6e0e387ebccb4b38.jpg)
この大聖堂は、1377年に建設が開始され、中断期間を経て、
1890年に完成したという。
実に500年以上を掛けて完成したという大聖堂のその威容は
圧倒的である。
南ドイツの平原を睥睨するかのように聳える大聖堂の尖塔には
768段の石段があって、140mまでは登れるらしいのだが
高所恐怖症の僕は、何かあってはいけない、ということで
登るのをやめておいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/55/c36a9fff11f4f36cb89db8744741e614.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/6f/ef8447089e85584f1abb690f9d107f99.jpg)
聖堂内部の空間は荘厳にして巨大である。
東大寺や、本願寺、知恩院のような大寺院の内陣に入ったときの
冷涼峻厳とした風を感じる空間と違って、
張り詰めた緊張感と重々しさに、空気が錨されているかのような
若干の息苦しさを感じる。
咳払いでもしようものなら、残響は10秒ほども続く。
巨大な列柱が伸びあがった先の、天井部のヴォールト構造が形作る
幾何模様や、聖人群像、祭壇、パイプオルガンが、
ステンドグラス越しに差し込んだ虹色の光に照らされている。
その美しさに、思わず息を呑んだ。
幼稚園のこどもだろうか、数人の大人に引率されて、祈りのために
祭壇の前の椅子に、行儀よく座っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/6f/d3693917ea8db4e22bbcccc32b5487f9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/44/809f024fb4835412a089ac4e2f247b6c.jpg)
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市街の目抜き通りは、平日だというのに、老若男女が朝から集って
賑わっている。
どの路地にも、ひとが歩いている。
城壁跡の環状道路をトラムが走り、大聖堂と市庁舎、広大な広場を
中心にして街が形作られているというのは、
ヨーロッパの都市の典型的な雛型だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/14/fa45688419e921eab0268ad45c9a39e7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/b8/e6f46c51bd969093e395d59d7464ff92.jpg)
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繁華街を離れて、中世の街並みの色濃く残る一角に進む。
漁師の街、といわれる付近には、城壁や、中世の家屋が残り、
その合間を、清らかな水路が流れ、家鴨が遊んでいる。
レストランが数多い地域であり、僕たちも食事目当てに
やってきたのだが、
まだ時間が少し早く、どの店もまだ営業を始めていない。
あたりには、遠足と思しき子どもの群れも見える。
騒いで、道に飛び出して、トラックの運転手に怒鳴られる、
日本でも見慣れた光景が、そこにあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/22/d17589417381ff54f4104038212c3e47.jpg)
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市庁舎の裏に出ると、ピラミッド型をした全面ガラスの
図書館がある。
図書館の蔵書を見れば、その街の文化的な水準が把握できる、
というわけで、中へ入ってみた。
ここもまた、老若男女、特に若い世代でにぎわっている。
入口脇のところに「コミック」のブースがあったので、
ふらりとそちらに赴いて、何冊かを手に取り、
捲ってみて、吃驚した。
日本の少女コミック系の、性的描写や暴力が描かれたもの、
いわゆる「萌え」に属するものが、独訳されて並んでいた。
公共の図書館に、児童ポルノと認識されても否定できない
代物がいくつもある、という状態である。
そしてそれらが日本に由来しているという事実も相まって、
こちらに少なからぬ動揺が走った。
それと同時に、恥の感覚や、日本の文化の受容の在り方など、
さまざまな問いが位相を変えつつ、しかし漠としたままに、
泡のように浮かんでは消えた。
***************************
市役所脇のレストランのテラスに座り、日替わりのピザと
ビールを楽しんでいると、
ひとりの中年男性が声を掛けてきた。
中国から来たのか?というので、日本人だ、と答えると、
彼はとたんに笑顔になり、
「アア、ソウデスカ、ハジメマシテ、ドウモ、サヨナラ」
と、日本語で話し、立ち去って行った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/7a/1af4281c96d5b7f1260163deedbf9924.jpg)
北ドイツの人間が、男女ともに背が高く、2m超えも決して
珍しくないのに対して、
南ドイツの人間は、それほど身長が高くない。
街を歩いていると、僕が一番背が高いくらいである。
そして、こちらが日本人だとわかると、途端に親しげになる。
地図を片手に広げていれば、近くまで案内さえしてくれる。
タクシーの運転手も、親しげに話をしてくれる。
***************************
一度ホテルに戻って、身支度を整えていると、
テレビから Mondo Grosso feat.Bird の lifeが
聴こえてきた。陽光の眩しさが重なり、高揚する。
その後、ウルムの行政機関の都市計画部門に赴いて、
太陽光や地中熱などの新エネルギー利用政策に関する
ヒアリングを行った。
当局者と別れ、僕達だけでウルムの駅に向かい、
タクシーを雇って、実地調査へと赴いた。
ドイツには、いわゆる「流し」のタクシーは走っていない。
アウトバーンを飛ばして、郊外へ向かった。
初めは訝しげだった運転手も、目的と、こちらの国籍が
わかったとたんに、「sir」の語を用いるようになった。
彼はトルコの人間だった。
市の郊外にはニュータウンの開発が進んでいるのだが、
そのどれもが低層で、屋上は緑化され、
太陽光パネルが設置されていて、エネルギー循環に
配慮した設計となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/2c/cf83ed0f9843d1643fb02803bf0e0398.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/95/6a10e190bd9bb65599a70a0b41c3c9a2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/19/03e9a09b2b79b754ed903f4c35591d27.jpg)
ちなみに、ドイツの太陽光発電の普及率は非常に高いが、
設置されているパネルのほとんどは中国・吉利製である。
サッカーのワールドカップ南アフリカ大会の会場で、
この会社の看板を眼にしたひとびとも多いだろう。
おかげで、ドイツの太陽光パネル産業は衰退してしまった。
世界各国への、中国企業の進出や、中国人の移動の増加が
目覚ましいことを、図らずもこの旅で実感することになった。
現地で中国人に間違われた経験の多さが、それを物語る。
そして、こちらが日本人であるとわかった時の、
現地のひとびとの、警戒を緩める素振りに対して、
こちらも顔を緩めつつも、若干、複雑な感情が芽生えるのを
自覚せざるを得なかった。
****************************
ホテルに戻り、服を着替えてから、
予約を入れていた、現地の伝統料理のレストランに赴いた。
ガイドブックなどには載っていない。
市の当局者が推薦してくれた、聖堂のすぐ裏手の路地の、
小さなホテルに併設された隠れ家のような店である。
伝統的な料理が食べたい、といって出てきたのは、
豚肉のきめ細かなペーストを棒状に伸ばし、
日本で言うところの「練り物」のように油で揚げた、
めずらしいブルストであった。
はんぺんのような食感の中に、肉の旨みが凝縮されている。
これに、ウスターソースのような味わいのソースをかけて
ジャガイモの付け合わせと一緒にして食べる。
次に出てきたのは、牛肉のグリルに、「すいとん」のように
小麦粉を固めてゆでたものが添えられた一皿である。
オーブンでじっくりと焼き上げられたと思しき大きな肉は
血の滴るほどにジューシーで柔らかな赤身である。
これにも、先ほどのソースをかけて食べる。
その次に出てきたのは、子羊の肉にパン粉と香草をまぶして
焼き上げたもの。
羊に特有の臭みは一切ない。
これらの料理を、地ビールとともに頂くのだから、
それまで、お世辞にも「きちんとした食事」をしていなかった
僕にとっては、八百膳とでもいうべきもの、
あまりの美味に、頬が溶けた。
隣り合わせた高齢のドイツ人から、
「中国では、乾杯、とは、何というのか」
と聞かれたので、我々は日本人だ、と答え、「カンパイ」をした。
2人で63ユーロ、格別の味だった。
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ホテルに戻り、バーでシガーを吹かしながら、モヒートを飲み、
サッカーを観戦した。
円筒状のバーカウンターとシャンデリアを持つ広い空間に、
スクリーンが下ろされて、プロジェクタで投影している。
シティホテルとはいえ、ワールドカップともなれば、別らしい。
1時間ほど飲み、自室に戻った。
このころになると、ドイツ特有の発泡水文化にも慣れてきて、
現地人のように、アイスを買って歩くのにも慣れてきた。
路上喫煙者の多さにもようやく慣れた。
ただ、どうにも白夜で眠ることだけは慣れることが出来ない。
4時には起きてしまって、そのまま眠れない状態が続いていた。
夜明けごろ、スイスへ向かう支度をした。
ドナウの岸辺から、遠く、雲雀の啼く声が響いた。
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