白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

洋行譚 4日目

2010-07-12 | ドイツ・スイス 旅行記
写真はこちらからご覧ください。

6/19~6/22 am
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6/22pm~6/24am
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6/24pm~6/25am
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6/25pm~6/27
http://blog.goo.ne.jp/photo/21622



6月22日(火)



南ドイツに入ってから、急に天気が持ち直した。
BBCニュースで天気を確認すると、
南ドイツは晴天が続き、最高気温は26度に達するらしい。
それでも、大陸性の気候のために、湿度は低い。
眩しいほどの日差しを受けても、風は涼しく、
汗をかくということもない。
「熱さ」は感じこそすれ、「暑さ」は感じない、という
不思議な皮膚感覚である。





カッセルのホテルで放送されていたテレビ番組が
猥雑かつ不穏だったのに比べると、
南ドイツで流れている番組は随分穏やかに思われる。
延々と、アルプスや南仏、スペインのリゾートの映像、
現地の天気を伝えているものすらある。
ただ、ドラマがかなり多く放送されていること、
多くの日本のアニメーションが独訳されて放送され、
広く親しまれているらしいことは、南北で共通している。





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9時30分、ホテルを出て、ウルムの街を散策した。
この街は、第2次大戦で80%が破壊されたという。
だが、大聖堂や市庁舎といった、街の象徴は失われなかった。
そして、ドレスデンやワルシャワと同様に、中世の街並みを
復興させたそうだ。



6月中旬からの長雨のせいで、ドナウは美しくも青くもなく、
茶色く濁り、平等院付近の宇治川のような速さで流れていた。
それでも、河畔の木々の緑の葉が、まだやわらかな朝の光に
きらきらと輝くなかを、微風に吹かれて歩くのは心地がいい。











河畔から旧市街へ向かうには、大聖堂の尖塔を目印にすればよい。
それにしても、7階建て以上の中高層建造物が無いことが、
こんなに心地よいものとは知らなかった。
安普請で意匠に乏しい高層ビルや、中高層のマンションほど、
醜悪で見苦しい建物はないということを、
日本の風景を思い出して、再確認する。
1370年に建てられたという市役所前の、バスターミナルから
街中へ折れてしばらく歩くと、
やがて視界が開けて、巨大な跳び梁の群列が眼の前に現れた。













この大聖堂は、1377年に建設が開始され、中断期間を経て、
1890年に完成したという。
実に500年以上を掛けて完成したという大聖堂のその威容は
圧倒的である。
南ドイツの平原を睥睨するかのように聳える大聖堂の尖塔には
768段の石段があって、140mまでは登れるらしいのだが
高所恐怖症の僕は、何かあってはいけない、ということで
登るのをやめておいた。





聖堂内部の空間は荘厳にして巨大である。
東大寺や、本願寺、知恩院のような大寺院の内陣に入ったときの
冷涼峻厳とした風を感じる空間と違って、
張り詰めた緊張感と重々しさに、空気が錨されているかのような
若干の息苦しさを感じる。
咳払いでもしようものなら、残響は10秒ほども続く。
巨大な列柱が伸びあがった先の、天井部のヴォールト構造が形作る
幾何模様や、聖人群像、祭壇、パイプオルガンが、
ステンドグラス越しに差し込んだ虹色の光に照らされている。
その美しさに、思わず息を呑んだ。
幼稚園のこどもだろうか、数人の大人に引率されて、祈りのために
祭壇の前の椅子に、行儀よく座っていた。











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市街の目抜き通りは、平日だというのに、老若男女が朝から集って
賑わっている。
どの路地にも、ひとが歩いている。
城壁跡の環状道路をトラムが走り、大聖堂と市庁舎、広大な広場を
中心にして街が形作られているというのは、
ヨーロッパの都市の典型的な雛型だ。













繁華街を離れて、中世の街並みの色濃く残る一角に進む。
漁師の街、といわれる付近には、城壁や、中世の家屋が残り、
その合間を、清らかな水路が流れ、家鴨が遊んでいる。
レストランが数多い地域であり、僕たちも食事目当てに
やってきたのだが、
まだ時間が少し早く、どの店もまだ営業を始めていない。
あたりには、遠足と思しき子どもの群れも見える。
騒いで、道に飛び出して、トラックの運転手に怒鳴られる、
日本でも見慣れた光景が、そこにあった。

















市庁舎の裏に出ると、ピラミッド型をした全面ガラスの
図書館がある。
図書館の蔵書を見れば、その街の文化的な水準が把握できる、
というわけで、中へ入ってみた。
ここもまた、老若男女、特に若い世代でにぎわっている。
入口脇のところに「コミック」のブースがあったので、
ふらりとそちらに赴いて、何冊かを手に取り、
捲ってみて、吃驚した。





日本の少女コミック系の、性的描写や暴力が描かれたもの、
いわゆる「萌え」に属するものが、独訳されて並んでいた。
公共の図書館に、児童ポルノと認識されても否定できない
代物がいくつもある、という状態である。
そしてそれらが日本に由来しているという事実も相まって、
こちらに少なからぬ動揺が走った。
それと同時に、恥の感覚や、日本の文化の受容の在り方など、
さまざまな問いが位相を変えつつ、しかし漠としたままに、
泡のように浮かんでは消えた。





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市役所脇のレストランのテラスに座り、日替わりのピザと
ビールを楽しんでいると、
ひとりの中年男性が声を掛けてきた。
中国から来たのか?というので、日本人だ、と答えると、
彼はとたんに笑顔になり、

「アア、ソウデスカ、ハジメマシテ、ドウモ、サヨナラ」

と、日本語で話し、立ち去って行った。



北ドイツの人間が、男女ともに背が高く、2m超えも決して
珍しくないのに対して、
南ドイツの人間は、それほど身長が高くない。
街を歩いていると、僕が一番背が高いくらいである。
そして、こちらが日本人だとわかると、途端に親しげになる。
地図を片手に広げていれば、近くまで案内さえしてくれる。
タクシーの運転手も、親しげに話をしてくれる。





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一度ホテルに戻って、身支度を整えていると、
テレビから Mondo Grosso feat.Bird の lifeが
聴こえてきた。陽光の眩しさが重なり、高揚する。
その後、ウルムの行政機関の都市計画部門に赴いて、
太陽光や地中熱などの新エネルギー利用政策に関する
ヒアリングを行った。
当局者と別れ、僕達だけでウルムの駅に向かい、
タクシーを雇って、実地調査へと赴いた。
ドイツには、いわゆる「流し」のタクシーは走っていない。
アウトバーンを飛ばして、郊外へ向かった。
初めは訝しげだった運転手も、目的と、こちらの国籍が
わかったとたんに、「sir」の語を用いるようになった。
彼はトルコの人間だった。





市の郊外にはニュータウンの開発が進んでいるのだが、
そのどれもが低層で、屋上は緑化され、
太陽光パネルが設置されていて、エネルギー循環に
配慮した設計となっている。










ちなみに、ドイツの太陽光発電の普及率は非常に高いが、
設置されているパネルのほとんどは中国・吉利製である。
サッカーのワールドカップ南アフリカ大会の会場で、
この会社の看板を眼にしたひとびとも多いだろう。
おかげで、ドイツの太陽光パネル産業は衰退してしまった。





世界各国への、中国企業の進出や、中国人の移動の増加が
目覚ましいことを、図らずもこの旅で実感することになった。
現地で中国人に間違われた経験の多さが、それを物語る。
そして、こちらが日本人であるとわかった時の、
現地のひとびとの、警戒を緩める素振りに対して、
こちらも顔を緩めつつも、若干、複雑な感情が芽生えるのを
自覚せざるを得なかった。





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ホテルに戻り、服を着替えてから、
予約を入れていた、現地の伝統料理のレストランに赴いた。
ガイドブックなどには載っていない。
市の当局者が推薦してくれた、聖堂のすぐ裏手の路地の、
小さなホテルに併設された隠れ家のような店である。





伝統的な料理が食べたい、といって出てきたのは、
豚肉のきめ細かなペーストを棒状に伸ばし、
日本で言うところの「練り物」のように油で揚げた、
めずらしいブルストであった。
はんぺんのような食感の中に、肉の旨みが凝縮されている。
これに、ウスターソースのような味わいのソースをかけて
ジャガイモの付け合わせと一緒にして食べる。





次に出てきたのは、牛肉のグリルに、「すいとん」のように
小麦粉を固めてゆでたものが添えられた一皿である。
オーブンでじっくりと焼き上げられたと思しき大きな肉は
血の滴るほどにジューシーで柔らかな赤身である。
これにも、先ほどのソースをかけて食べる。
その次に出てきたのは、子羊の肉にパン粉と香草をまぶして
焼き上げたもの。
羊に特有の臭みは一切ない。





これらの料理を、地ビールとともに頂くのだから、
それまで、お世辞にも「きちんとした食事」をしていなかった
僕にとっては、八百膳とでもいうべきもの、
あまりの美味に、頬が溶けた。
隣り合わせた高齢のドイツ人から、

「中国では、乾杯、とは、何というのか」

と聞かれたので、我々は日本人だ、と答え、「カンパイ」をした。
2人で63ユーロ、格別の味だった。





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ホテルに戻り、バーでシガーを吹かしながら、モヒートを飲み、
サッカーを観戦した。
円筒状のバーカウンターとシャンデリアを持つ広い空間に、
スクリーンが下ろされて、プロジェクタで投影している。
シティホテルとはいえ、ワールドカップともなれば、別らしい。
1時間ほど飲み、自室に戻った。





このころになると、ドイツ特有の発泡水文化にも慣れてきて、
現地人のように、アイスを買って歩くのにも慣れてきた。
路上喫煙者の多さにもようやく慣れた。
ただ、どうにも白夜で眠ることだけは慣れることが出来ない。
4時には起きてしまって、そのまま眠れない状態が続いていた。





夜明けごろ、スイスへ向かう支度をした。
ドナウの岸辺から、遠く、雲雀の啼く声が響いた。





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