白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

Roots

2006-12-29 | こころについて、思うこと
12月29日午前3時、ホテルグランヴィア大阪
2101号室、ペットボトルの水に眼下の街の灯を
溶かしこむようにして飲み干したあと、
酔い覚ましにバスタブに熱い湯を張ってどっぷり
浸かり、アルコールと拍動と頭痛と眠気の引き起こす
奇妙な酩酊のなかに言葉や記憶を泳がせた。




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学生時代、おそらく最も共演したベーシストであり
現在はドイツで環境コンサルタントをしている旧友が
一時帰国するというので、
大阪で、かつて自分たちが所属していたバンドの
ラストライブを一緒に観にいこう、という話になった。
12月27日、仕事を早く切り上げて新幹線に乗り、
ホテルにチェックインのあと、ライブ会場へと一足彼より
先に着いて、メンバーに挨拶をした。




イヴァン・リンスの音が流れる会場へと入り、
客席を一通り見回すと、
11月にお世話になったトロンボーン奏者I氏のご両親、
このブログやMIXI等を通じて知った人々、
また、先輩や後輩たちが多数駆けつけていた。
乾杯しつつ挨拶を交わして席に戻ると、
旧友がいつのまにかゆったりと腰をおろし、黒ビールを
絵になるように飲んでいた。
2年ぶりの再会であり、がっちりと握手して、乾杯した。
環境は変化する。存在も変化する。関係も変化する。
思いやることは、変わらない。




互いや知人の近況を話しているうち、いつのまにか
ステージには、この1年間見守ってきたメンバーたちが
並んでいた。
時には音楽的な指導もし、厳しい言葉を浴びせもし、
心身のサポートをもこなしてきた僕にとっては、
本当に汲み尽くせぬ思いがあった。
言葉に出来ず、身体にも出来ないものたちを一杯に抱え、
3時間、彼らの音を聴いていた。




緊張も疲労も、さまざまの悩みも軋轢も葛藤も抱えたまま
演奏をしていたのかもしれない。
体調がすぐれず、あるいは唇を痛めているメンバーもいた。
けれど最後の曲の後、拍手は数分間鳴り続けて止まなかった。
もう、これでいい、と思った。
あの拍手を受けさせるため、僕は彼らのサポートをしたのだから。
抱きしめて、労をねぎらった。




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石橋へ移り、旧友、先輩を含めて飲みながら、
旧友が撮影したアウシュビッツの写真を見つつ話をし、
時には語りすぎもしながら、午前4時を迎え、
後輩の車に乗り込み、旧友とともにホテルに向かった。
部屋に戻り、少し、深く話をした。




彼はたったひとりの力で、日本語がたどたどしくなる程の
環境で、仕事をしている。
3ヶ国語を話し、アフリカ、アジアへの出張などで世界を
飛び回っているようだ。
僕が「退路を断って生きてるんだな」というと、
彼は、「退路なんてそもそも考えてもないよ」と言った。




彼は自分のルーツを大切にしていた。
けれど、それを退路にはしていないばかりでなく、
逃げ込む場所にもしていなかった。
ルーツとは、確認するためのものでしかなく、
その存在は、飛躍のためだけにあるようだった。
彼の眼には、日本が疲れているように見えるらしく、
そのことをしきりに気にしていた。




少し話し込んでから、眠りについた。
彼は朝一番の特急で故郷に戻ると言っていたから
見送るつもりでいたのだが、
目覚めてみると既に11時、
彼に渡した布団は綺麗にたたまれていて、
直筆の手紙が残されていた。
「また会おうな」とだけ。
手紙を残して部屋を去る、というのは、旧友の尊敬する
ベースの先輩であるARTK氏の礼儀の踏襲だろうか。
一読して、少し笑った。




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12月28日、ゆったりと部屋で寛いで読書したあと
久々に、学生時代の最も長い時間をすごした場所へ向かった。
改修されてすっかり綺麗になったサークル棟の一室、
「リズム部屋」と言われる部屋に入った。
ソファーやラック、コンピューターやステレオ、各種音源、
教則本、ピアノ、ドラム練習台が整えられて、
自分の学生時代とは比較にならぬほどに快適な環境に
なっている。
寒さゆえか、やってくる人もほとんどなく、
せっかくだからと、ピアノの練習に勤しんだ。




5時間ほど練習し、ショパンの「幻想即興曲」がある程度
形になってきたところで、顔見知りの後輩がやってきたため、
彼を誘い、別の後輩とも合流して飲むことにした。
様々の話をした後、タクシーでホテルへと戻った。
そうして、奇妙な酩酊のなかに入ったのだ。
ジョイスのユリシーズの最終部、モリーの独白のように、
脈絡もない自動言語が、タイプ打ちされるようにして
頭蓋に響き、時折口をついて飛び出そうとした。
汲み尽くせぬ思いは、交わった人々や街、ものごととの
あらゆる関係のなかにどっと注ぎ込まれる。
その重みに胸がつかえ、四肢を引きずってしか歩けぬほど
疲労している自分の姿ばかりがかけめぐる。




僕とて自分のルーツを大切にしていたつもりだった。
しかし、僕はいま、それを退路にしているばかりでなく
逃げ込む場所にさえしているのではないだろうか?
例えば、僕は音楽に取り組んでいるのではなく、
実はただ音楽に逃げているだけなのではないのか?
それは何らの創造性も持たず、涎を垂らして
死肉に食らいつき消費する獣のような醜い姿ではないか。




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12月29日、午前11時発新快速にて高槻へ向かい、
妹の住まいを訪れる。
互いの近況など話しながら、疲れのため横になる。
30過ぎの男と不倫するのは、結局お前が傷ついて
終わるだけだからやめておけ、と、兄として警告した。




自分の近況を話すと、妹は
「なんか『みんなのお兄ちゃん』やってるね。
 与えてばっかりやん。
 絶対うちら前世でなんか悪いことやったんやわ。」
などという。
「実の妹が一番手がかからへんていうか、ねえ。」
などと、軽く不機嫌な顔で笑う。
仕方がないので、妹の分の切符も買うことにして、
一緒に実家へと戻ってきた。




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4ヶ月ぶりに家族全員が揃った。
明日からは正月の準備。
おせち作り、餅の切り分け、掃除、飾り。
家族団欒がどんどん貴重になっていく。
遠慮のない優しさのなか、今年も終わる。




それでも音は、響いている。
優しさが傷となり、こころから脱走しても。




一面の、銀世界。

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