白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

素晴らしい日々

2009-01-13 | 日常、思うこと
この三連休を、東京・お茶の水の山の上ホテルに投宿して
過ごしてきた。
正月に予定していたホテルでの静養を振り替えたのである。
初日は友を訪ね、互いの安寧を祝って恙無く過ぎた。





二日目、昼過ぎまで眠ったあと、ルームサービスを使って
ハヤシライスを食べているところに、
年末までDreams Come Trueのツアーで全国を回ったあと
自身の音楽活動に忙しかったI氏から、
寝惚けた声で電話が掛かってきた。
彼の正月は10日遅れてやってきたようで、
せっかくだから僕の部屋で昼酒をしようという。
最近、槇原敬之とも仕事をしたという彼は、
電話からおよそ1時間ほど経った頃、ふらりと現れた。





部屋に入り、I氏が買ってきてくれた缶ビールと生ハム、
チーズを並べて、まるで学生の下宿の座卓のように
応接セットを装った後、
I氏持参の、I氏が主宰するプロジェクトのライブ映像を
眺め見ながら、2時間半ほど、音楽について話した。
彼の編曲には、くすんでぼやけた黄色と青色のあたたかな
色があって、微かな風に揺れるように響く。
ふと、口をついて出る鼻歌や口笛のような、
いわば生活の歌というものを大切に扱っている。
やさしくて明るい切なさや、哀しげな微笑みのような音を
唇や呼吸で理解している。
シンプルで、明快で、届いて、共振する音を求めている。
意見が一致して、うれしかった。





夕刻、BIFF氏に連絡を入れて同伴を求めたあと、
来日中のカウント・ベイシー・オーケストラを観るため
骨董通りのブルーノート東京までタクシーを雇った。
階段をおりてホワイエに向かうと、BIFF氏が先着して
立ち見の順番を待っていた。
お辞儀と握手のあと、しばらくあって、会場へ入ると、
場内は満席で立錐の余地もない。
やがて、カウント・ベイシー・オーケストラの面々が次々に
BIFF氏と挨拶をして、ステージに上がっていった。





当夜の演奏は、甚だ残念なものと言わざるを得なかった。
まず、リーダーのビル・ヒューズの指示するテンポが
どれも早すぎて適切ではなく、
アンサンブルの面でも、明らかなリハーサルの不足からくる
バランスの破綻が散見された。
ピアノ奏者の、端から間違っているアプローチに加えて、
グルーブと力感と想像力の欠如したドラム演奏、
手癖や吹き癖に終始する、気の抜けるようなソリストと、
まったくもって白々しい演奏だった。





終演後、BIFF氏、I氏、それに、
カウント・ベイシー・オーケストラの1stトランペットを
20年間にわたって務めているマイク・ウィリアムス氏を交え、
赤坂の鮨屋に移動して、拙い英語ながらも当夜の演奏を
語り合った。
自身の言語能力のあまりの低さゆえに、伝えようとしても
伝わらない、あるいは、真意ではない語彙を選んでしまう
もどかしさと悔しさを痛感したのだが、
ウィリアムス氏は3人の言葉の真意を真摯に聞き取ってくれ、
なるべくわかりやすい言葉で自分の思いを伝えてくれた。
ウィリアムス氏は、当夜の演奏のテンポ設定が
どれも間違っていたことを認めたうえで、
現在のバンドの中にはコンサートマスターを務められる
人間がいないことや、
バンドリーダーの役割がうまく機能していないこと、
それに、メンバー内の関係も必ずしも良好ではないことを
示唆していた。





ウィリアムス氏に当夜の感謝を伝えきれぬうち、BIFF氏と共に
彼がホテルオークラに向かうのを見送ってから、
I氏と新宿に移動し、痛飲ののち、歌舞伎町でラーメンを食して
互いにタクシーに乗り、別れた。
ホテルに戻り、飲み過ぎたことに気が付いたが時すでに遅く、
程なく僕はマーライオンと化し、
ようやく落ち着いて眠る頃には、長い夜が白んでいた。
12時間もの飲酒は、もう僕には出来なくなったようだ。





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3時間ほどの浅い眠りでは、やはり身体はまったくもち直さず、
ルームサービスの朝食のお粥を啜っているうちに激しい悪寒と
吐き気に襲われ、脂汗が滝のように出た。
歩こうとすれば、世界は足もとからぐらついた。
這々の体で何とかチェックアウトを済ませ、東京駅へ向かった。
待ち合わせた画家の証言によれば、顔は浮腫んで所々に赤班が
生じており、
横浜への車中では、人間はこれほどに汗が搔けるのか、と
驚いたほど、滝のごとく汗を流していたという。
事実、僕はさながら岩盤浴中の客の姿であった。
隣では、画家が突如電車の窓枠に思いきり頭をぶつけていた。





申し訳ない、と告げ、画家にもらった大正漢方胃腸薬を
ひと飲みしてから、横浜駅からシーバスに乗船した。
乗ってみたかったとはいえ、賭けには違いない。
港内は思いのほか波が高かった。
ぐるぐる回る頭にも、海から眺める街は切ないままで、
何だかほっとした。
赤煉瓦倉庫で上陸し、雑踏でごった返す建物内を見回り
リベット打ちの鉄骨の美しさに触れながら、
対面のギャラリー棟へ移り、画家の気遣いによって
喫茶しながら話しているうち、だんだんと身体が冴えて、
美、編集、村山槐多を話しているうち、癒えていった。





外へ出て、写真を撮った。
上掲の写真は、画家の選んだアングルによる。
雲がまるでフェルメールの「デルフト」の色のよう、
行き交うひとはブリューゲルかデューラーのよう。





赤煉瓦をあとに、横浜臨港の建物を眺めやりながら
クレイジーケンバンドの歌を口ずさみつつ、
山下公園を抜け、中華街へと向かった。
飲茶を食べていたとき、揺り戻しのように身体が震えて
意識と思考と発話が分離しそうになったけれど、
それもやがて治まって、やっと、快癒した。
すがすがしい身体と思いでいくつかの中国茶専門店や
多国籍雑貨店を回ったあと、
肉饅と鱶鰭饅を買い食いして、石川町から列車に乗り
東京駅へ戻った。
画家には申し訳なくて、感謝とともに反省しきりである。
迷惑掛けて、ありがとう、というような。





東京駅に、酔心を出す店を見つけたのだが、
客が一人もおらず、値段も高い、ということで断念し、
オイスターバーに入り、生牡蠣、焼牡蠣、鴨のサラダ、
ムール貝の白ワイン蒸し、鉄板焼バルサミコソースを
白ワインとマッカランで賞味した。
あまりに美味で幸せになり、ひとりでにたにた笑って
至極不審な挙動となりながら、時間が瞬く間に過ぎた。






雷おこしと、木久蔵ラーメン、妖怪缶を購ってから、
画家に見送られて、帰途についた。





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帰宅すると、マイク・ウィリアムス氏からのメールが
届いていた。



I wish you guys had been at the show tonight !!!
It was great !!!the tempos were the ones you would
have wanted to hear.
It was really good. I am sorry you were at a show
that was not very good...mike williams






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