白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

fireworks

2007-08-01 | 日常、思うこと
太陽の灼熱を抱き込んだ空気に、海風の涼しさと香りが
混じり始めた頃、一隻の渡船が船溜へと滑り込んだ。
岸辺で乾いた光に焼かれていた僕は、こちらに会釈する
船頭に挨拶を返して、船徳の憂き目に遭わぬ事を願いつつ
舟に乗り込み、大河の中州へと向かった。





真夏の眩い陽射しが川面に照り返して視界を狭める。
西日に浮かぶ遥かな山脈は黒く、まるで影絵のように静かだ。
景色を望む僕の顔に時折、舳先から舞い散る飛沫がかかる。
風を切り分けて進む舟は涼しく、なんとも心地よい。
間もなく州に着いて、縁の砂地に舟を乗り上げてもらい、
そのまま荷を抱えて、ごろごろと石の転がる岸へと降り立った。
理由あって、5000初の花火を打ち上げる現場に居合わせる
事になったのである。





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一面の葦原は広く切り開かれて、花火師が遠近に慌しく
作業に追われていた。
邪魔にならぬよう、仕事を乱さぬように頭領に挨拶をすると、
強化ポリカーボネートで覆われた制御台へと案内された。
近年の花火は安全性や演出効果の向上を狙って、
電気信号による起爆や発射が主流となっている。
欧米様式のショーアップされたイリュージョン花火のほうが、
その派手な効果から、観客の評判もよいのだそうだ。
もちろん、花火師が黒色の火薬を筒に詰め、花火玉と種火を
入れて発射するという伝統的な方式も受け継がれている。
いすれにせよ、ひとつ間違えば命の無くなる仕事である。
打ち上げ現場の緊張感は、尋常ではない。





僕は頭領の計らいで、万が一何か起こった場合に備えて
この操作台の後ろに控えていることになった。
右手には、打ち上げを待つ花火玉を入れた木箱が堆く
積み上げられ、防火シートで覆われてその時を待っていた。
その向こう、それほど離れていないところに、
伝統的な、人間の手によって打ち上げられる花火の発射筒が
20本ほど並んでいる。
正面には、V字型、螺旋型など、異形の発射筒が100本ほど
据えられていて、その向こう側に、50メートルほどの火柱を
吹き上げる花火筒が、1列に幅100メートルに渡って
置かれている。
左手には、電気制御によるスターマイン用の花火筒が数百本、
さらにその奥に、3尺、直径1メートル弱の巨大な花火玉を
打ち上げるための巨大な鋼鉄製の花火筒が数本見えた。





日に焼けた褐色の肌を薄汚れた作業着とシャツ、手拭で覆った
花火師たちは、やがて仕事を終えると束の間の休息に入った。
バケツから柄杓で掬った水を一気に飲み干すと、弁当の握り飯を
鷲づかみにし、貪るようにして食べている。
ある者は葦原の水辺でタバコを吹かし、ある者はその陰に入って
用を足している。
その作業と同様に、その体には一切の無駄な肉も動きもない。
打ち上げの時刻が迫るにつれ、徐々に花火師の顔から笑顔が消えた。
夕闇の葦原に折からの強風が吹きつけ、あたりは葦のこすれる
音の渦に巻き込まれた。
山脈の影の奥から滲み出る紫の残照の中、種火を作るために煌々と
焚かれたコークスの火に、木曾義仲の火牛攻めを幻想しながら、
じっと、打ち上げの時刻を待った。





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やがて、僕の右手に、花火師の影が揺れたと思うや否や、
花火筒から閃光と爆発音が発し、花火玉が上空へと高速で
回転しながら打ちあがり、やがて虹色の火の傘を夜に開いて
爆発の轟きとともに煙と消えた。
葦原を揺らす風に火の粉が舞い上がり、
水防半纏から露出した僕の腕に水泡を焼き込んで消えた。
熱い、と思う間もなく、足元に火の粉が落ちてきて、
葦の枯葉の中で燻り始めたので、急いでこれを踏み消した。





至近の距離で、幅100メートル以上、高さ50メートルの
火柱のカーテンが引かれる中で、
数百の花火が空中へと乱射される場所に居合わせるとき、
それは美の饗宴ではなく、生命を賭しての焔との苛烈な戦闘で
あると実感する。
全てを嘗め尽くし、滅ぼし、焼き尽くす炎を美へと変換する
触媒として、炎と生との闘争のなかに生きることの凄まじさである。
頭領が神酒を全ての発射筒に注ぎ、祈り、清め、
諏訪の神を戴いた姿を、夕刻、僕は見ていた。
しばらくして、眼前の螺旋の発射筒が突如炎上した。
花火師はこれを機敏に適切に鎮め、打ち上げは続けられた。





やがて、乱射が頂点に達したとき、左方の巨大な筒から
爆音と閃光が発せられた。
葦原は衝撃で揺れ、対岸の観客の感嘆とも悲鳴とも取れぬ
叫び声が川面を渡って聞えてきた。
頭上600メートルで花火は炸裂し、直径800メートルの
釣鐘状の金色の光と、大地鳴動するような轟音を虚空へ放ち、
やがてそれは道成寺のようにこちらへと降り注いで、
まるで僕が釣鐘に閉じ込められるようにして消えた。





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一切が終わり、頭領に挨拶をした。
花火筒を運ぶ渡船がしきりに往来する大河の黒面に
照り映える満月が、足元の曠野に僕の影を落としていた。
轟音と閃光と火の粉を全身に浴びて、耳は鳴り、眼は色を失い
服のところどころは焦げていた。
産卵のためか、無数の蟹が葦原をかさこそと駆け回る音が
到るところから聞こえてくる。
ふと前方へライトを照らすと、2メートルほどの青蛇が
暗闇へと這い入っていった。





川向こうは静まり返り、風も凪いで、葦原も眠り始めていた。
最後の渡船に花火師と一緒に乗り込み、中州を後にした。
闇夜、黒漆の鏡板のような大河の水面に浮かぶ月を
手に取ろうとするには、酔いもしておらず、舟も速過ぎた。





深更、帰宅すると、父母が起き出して、
今日の花火は綺麗だった、と言った。
僕は、今日の花火は熱く、眼も耳も光線と轟音でやられ、
挙句に火傷も負い、命懸けだったが、
表現のアウトプットとしての美ではなく、その変換者、
触媒の仕事、機能、役割、働きといったもの、
いわば営みのなかに美を見ることが出来た、と言った。





行為そのもの、その過程の中に既に潜在している美を見て、
人間の本質のなかには遍く美が胚胎されていることを
確認できて、少しばかり、我々を信頼する気にもなった。
それにしても、火傷の水泡のむず痒さは、
何とかならないものだろうか。





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追記。
8月3日夜~5日まで、大阪滞在予定。
8月17日~20日まで、東京滞在予定。

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