白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

交換された心音

2007-07-22 | 音について、思うこと
金曜、予期せぬ雨の夜に濡れに濡れて歩き、
ようやく帰り着いた家の玄関の石段を上がろうとして
突如左足が攣った。
縮み上がって凝固し細動する脹脛からは激しい痛みが発し
僕は思わず声をあげた。
寸刻あって、父親が何事かと飛び出してきたのだが
運悪く父親は僕のほうに突進する格好になってしまっていた。





このとき、右足一本で支えていた身体の均衡が破れた。
このため僕は右太腿に思わず渾身の力を入れて横に飛び
一本足で踏みとどまろうとしたのだが、
予期せぬ急作動のためか僕の筋肉は悲しいかな対応出来ず、
右の臀部にぷちり、と、裂かれるような音が発するや否や
こちらがわの筋肉も激しい痙攣を起こした。
両足の正常な働きを失った僕はかくして、
まるで「新婚さんいらっしゃい」における桂三枝のごとく
段から転げ落ちて道路の水たまりに全身を浸す羽目に
なってしまった。




激しい両足の痙攣のため、歩くどころか立ち上がるすら出来ず、
60歳の父親と56歳の母親に両肩を担がれて玄関に入った。
あまりの痛みのためにそのまま倒れこんでうめいている僕に
両親が回復措置をして、数分後にようやく痙攣が治まった。
ところが今度は、痛みと震えが自律神経を冒したのか
猛烈な吐き気に襲われた。
痙攣の後遺症で筋肉が損傷したためか、痛みと硬直のせいで
歩くこともままならない。
そのまま匍匐前進してトイレに這いずり込んで、自己格闘を
する羽目になり、しばらくして廊下へと這いずり出たとき、
身体が冷えているのに、痛みのために大量の汗をかいたためか
手が痺れているのに気付いた。
舌先のもつれと呼吸忘却、脈拍の昂進を感じ、発作の予感に
襲われたため、母親に塩水を大量に持ってくるように頼み、
これを一気に飲み干すと、しばらくして症状は治まった。





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疲労が蓄積していたせいだろうか。
自分の身体から自由が次々に奪われて、
脳髄の働きばかりが先鋭化していくと、
まるで自分自身が一個の感覚器細胞のような状態に陥る事を
僕は経験から知っている。
全身が痺れて痙攣し、四肢の動きも、言語発音も出来ずに
ただうめいている事しか出来ない状態で、
周囲に起こる事態を明晰な頭脳によって恐ろしい精度で
判別するときの、外界に対して急激に湧き上がる底知れぬ恐怖、
不信感、絶望感、承認と帰属を喪失する際に発する、
人でなくなってしまったものの叫びを発した、自分自身の記憶。
それは苛烈な苦しみである。




生の根源に置かれるものは苦しみである、ということを
実体験として持ってしまうと、
一切の自分の端緒が苦しみから切り開かれて、
快というものに対する徹底的な懐疑に終着してしまうのは
当然の帰結とはいえ、あまりにも独りよがりに過ぎる。
これを間主観性の間に宙吊りにしておけば、
ナラティブな世界観への許容、虚構性への信頼も生まれる。
ところが、間主観性の止揚による世界との和解、
非なるものとの和合、他との合一への祈り、願いを抱けば
それは安易なる信仰に結びつき、
自己の暗部への積極的な転落の危険性を孕む。




明と暗のあわさいに留まって、人間らしい体臭と精神の芳香の
両方を慈しみ、悲しく微笑みながら、否定と肯定を天秤に載せ
中庸の均衡を求めている自分自身を見つめる。
自己研鑽といって、原石を納得いくまで磨こうとすれば
原石は何時の間にか塵となって消えてしまう。
人間の表現、あるいは生の本質は、活動の過程とその節目として
結ばれた言葉や作品にある。
即興はその活動の過程そのもの、いわば根の無い草である。
人間の値打ちは、その活動が不意に打ち切られたときに
放擲されたものの余韻のなかにある。
それは自分自身で聴くことの出来ない、自分自身の心音である。





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昨日一日を養生のため寝たきりで過ごし、
今日、たったひとりのための演奏会を行うために、
生まれて始めて乗る鉄道線を使って、
まだ緑の多く残る郊外の集落を目指した。




無人駅を降り、線路を渡ると、依頼主が車で僕を迎えに
来てくれていた。
演奏会場は、依頼主の祖母の旧宅を改造したサロンらしく、
到着してみれば、昭和30年代の平屋の郊外型洋風住宅、
白壁に緑の銅板屋根が蒼空に鈍く煌いていた。
玄関を入るとすぐの正面の部屋が会場であった。
応接間と食堂を一間にした、20畳ほどの空間に入ると、
白いレースカーテンにろ過された温和な日光が
食器棚の中に整然と並べられた磁器やワイングラスへ
注がれていた。




依頼主の要望で、最初の1時間を座談として、
主にポルトガルの音楽をかけながらケーキとコーヒーを嗜んだ。
置かれていたピアノは昭和40年ごろのヤマハピアノ、
3日前に調律をしたばかり、とのことだったのだが、
試弾したところ、アクションの傷み、ハンマーの磨耗が
進んでおり、鍵盤の並びの平準も危うい状態だった。
ピアノの状態、音の調子等を把握しておかないと、
アウトプットの段階で、想像力の働きと物理的音響の
乖離が甚だしくなり、演奏が音楽から遠くなる危険がある。
それを入念に確認してから、午後2時、演奏を始めた。




ミスティ、枯葉、オール・ザ・シングス・ユー・アー、
ルッキング・アップ、といったジャズナンバーから、
ミニマル・ミュージック的な即興、
ショスタコーヴィチへのオマージュ的な即興、
擬似対位法を用いた即興、
自作の主題によるバラード、
幻想即興曲などを演奏して、午後3時に終了した。
バラードの後、依頼主のほうを振り返ると、
涙が頬を伝っていた。




終了後、紅茶を飲みながら、ジャズ理論の初歩について
レクチャーを行い、演奏についての解説をした後、
再び座談となった。
依頼主は、僕のことばや雰囲気、演奏から伝わる印象が、
かつて自分が大学にいた頃に仲良くしていた天才肌の
ピアニストの男の子によく似ている、と言った。
そのピアニストは同性愛者で、美しいものを好み、
鈍く光る鋭利なナイフのような感性をしていたそうだ。





午後4時、依頼主の運転で最寄の駅へ向かい、
互いに謝意を述べて別れた。
誰もいないホームのベンチに腰掛けて電車を待つ間、
ずっと、群れ飛ぶトンボの影が足元に遊んでいた。
足元の影に心音を聞こうとした刹那、
滑り込んできた電車が、今日の音楽に終わりを告げた。





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音がいったんどこかに消え去ってしまっても、
胸の奥底でじりじりと発熱する何かを感じることが
今もってなお出来るのならば、
音楽は決してなくなってしまってはいない。
自分自身の心音が、誰かの心音の中に響くことを
可能にするものこそが音楽なのだから、
僕たちは自分自身の心臓を、時に指に移し、
時に息に託し、時に声に乗せる。

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